地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

特別ではないデジタルネイティブ

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 私はデジタルネイティブ度50%だそうです。なんというか高いのか低いのかどっちでもない中途半端さが自分らしい……(参考:NHKスペシャル デジタルネイティブ)。

 自分達よりも下の世代、ネットの世界を当たり前に見て育ってきている世代のことだそうで。上記NHKスペシャルでは「13歳! ネット上で起業!」とか「ネット上に国際機関!」とか、既存の概念からは生まれることのない事柄を取り上げているみたいです。

 私個人としては時代の変化が見えるようになった、その程度の気持ちなんですよね。自分が年を取ったことを確認してしまったというか。思い出してみると、そうこういっている私達も上の世代の人達からは「最近の若いもんは……」と言われてきたことと、ほぼ全く同じことが起きているんだよなぁ、と。

 ある時期から、「年功序列から成果主義へ」という言葉が出てきたと思いますが、まさしくこれを具現化したものだと感じ取っています。年齢という既存社会で(それなりに)重要視されていてた枠にとらわれないで活躍できる人材が増えた、ということだと。年齢に関係なく実績をもつことができる人たちが増えてきたんですね。

 もちろん純粋にその人の能力だけで世の中上手いこと運ぶワケもなく。その背景には物理的な制約にとらわれずに活動できる環境が整った、つまりはネット環境が一般的になったというのが大きいでしょう。時間と距離を格段に縮めることのできるネット環境、そういったバックボーンが整い基盤となるプラットフォームが変化したから、すごいデキる人たちが頭角を現してきたように思えます。

 バックボーンやプラットフォームの変化を感じ取れる他の例としては「ケータイ小説」が当てはまるのではないでしょうか。あれも既存の文学の世界では全くありえないタイプのものだと思っています。ケータイという世界に慣れ親しんだ方達だからできた新しい表現の形、とでも言いましょうか。個人的には肌に合わないですが、実際に販売され好調な売り上げを残しているところを見ると、肌に合う人はかなり多そうです。「文学として」は一切関係なく自分に合うかどうか、ですね。これも既存価値と剥離した事柄を表すいい例だと思います。

 このような世の中の変化を踏まえると、デジタルネイティブと呼ばれる方達に対して既存価値観で判断してしまうことが無益なのではないでしょうか。それよりも「時代の変化」と捉え参考にできることは参考にするのが、私達が先に進むために有益ではないでしょうか。元々の判断基準が既に違っているので特別視してしまうのではないかな、と思えています。当の本人達にとってはあれが「普通」なのでしょう、きっと。

 ところでそんなに私達とデジタルネイティブと呼ばれる方達とは「違うもの」か、と言われると。「そうでもないよなぁ」と思うんですけどね。若いうちだからこそこのような形でできるのであって、それは変に社会のこととかを知らないうちだからだと思っています。逆に、私達の世代やその上の世代の方で同じことをできたとしたら……。

 その方達こそ「特別」、と感じてしまいますね。発想力と行動力、そこにはとても尊敬の念を覚えます。

 「そうなりたい」とは思いますがその道は果てしなく険しいです……。

 ふと思うのですが、今回のようなデジタルネイティブと呼ばれる方は、今の私みたいに変に難しく考えることなく、「やってみたいからやってみた!」くらいの軽い気持ちなのではないかな、なんて考えたりします。何事も「まずは行動」なんですね。見習わないと……。

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