名古屋でエンジニアを経験した後、何を勘違いしたか、沖縄へ移住したSEです。移住した経緯や日常を書きとめていこうと思います。

「お前を一人前にする」!? 新人時代~後編~

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 こんにちは。モッティです。

 このコラムを書き始めてから、アカウントを作るだけだったTwitterを使い始めました。

 が、まだ使いこなせません……。コラム下部には、Twitterのつぶやきが表示されるんですね。驚きです(1月24日に気付いた)。

 さて、初回のコラムを新人時代~前編~と位置付けて、今回は新人~2年目に至る直前までをつらつらと書いていこうと思います。

 沖縄関連の話になるのは、まだまだ先になりそうです(ネタがあれば、都度書いていきますが)。今は、ひたすら私自身の経歴をたどりつつ……。

■初めてカードに萌える

 沖縄旅行を終えて、スッキリして帰ってきた私に、新たな開発案件が割り振られました。その内容は、クレジットカードのレギュレーション変更に伴うシステム対応です。

 レギュレーション変更によって、クレジットカードの裏面に見える真っ黒な磁気テープが、キラキラと光るホログラムによって加工されたホロマグネットへと変更になるというのです(ググってみましたが、残念ながら画像を探すことはできませんでした。探し方が悪いんですかね……)。

 今まで、何の味気もなかった黒い磁気テープ部分にホロマグネットが浮かび上がる姿はとてもキレイで、世に出回る前にそれを自分の目で見られたことがうれしかったですね。

 これが、新人ながらにして初めて感じる「エンジニアの醍醐味」だったかもしれません。

 ただ、残念ながらホロマグは耐久性が低く、すぐに使用できなくなってしまうことから、リリース後間もなく、世間から姿を消していきました。

 幻のレアカードとなってしまったわけです。残念……本当に格好良かったんですけどね。

 さて、このシステム対応ですが、開発自体はあまり難易度が高くなかったので、スムーズにリリースまでこぎつけることができました。

 これまでは、つらい思いをしていましたが、仕事の段取りやノウハウを知らず知らずの間に身に付け始めていたのだと思います。そして、私は調子に乗っていきました。それが、後に大きな後悔を招くことになるのです。

■私が指示を出すのですか?

 仕事の進め方も覚えてきたところで、開発規模の小さな案件が舞い込んできました。

 しかし、私は別件の作業中で「この仕事は他に回るんだろうな」なんてことを考えていました。

 そんな私に上司から、「この案件、パートナー会社のKさんにやってもらうから、モッティ君、指示して進めてもらっていいかな?」との一言が!

 当然、私が指示を出して他の方に作業をしていただくのは初体験です。しかし、前述の案件で少しばかり調子に乗っていた私は「何とかなるかな?」という軽い気持ちで引き受けたのでした。

 このKさんという方とは、あまり話したことはありませんでしたが、30後半くらいの年齢の方で、私から見れば大ベテランと思える雰囲気を醸していました。そこで、私はざっくりと案件の説明をして、「分からないことがあったら、聞いてください」と言い残して自分の仕事へ戻って行きました。

 数日後、「モッティさん、だいたい出来上がったので見てもらえますか?」と言われ、内容を確認したところ、私のイメージと違うところがポロポロと……。

 私は、「どうしてこの程度のことができない!?」と内心、イライラしながらも再作業と修正のお願いをしました。さらには、遅れた分のスケジュールに関しては私もリカバリ作業に加わりました。

 「どうして、私が……」という思いが、態度として出ていたのではないかと思います。何とか、案件自体はリリースを迎えたものの、パートナー会社のKさんは早々に私の会社から撤退してしまいました。私自身は、それを「仕方ない」と考えていましたが……。

 後に、Kさんと同じ会社の方から、「あなたは意外に思うかもしれないけど、Kさんは優秀な人ですよ。環境が合わなかったのかな」と言われました。

 詳しく話を聞いてみると、パワーのある人で、確かに優秀な人のようでした。どうやら、新規プロジェクトなどでパワーが必要な時に活躍するタイプだったみたいです。

 その時に、私は自分の行動の至らなさに気付きました。

 考えてみれば、Kさんからしてみれば、新人に十分ではない指示を受けた揚げ句に、隣でイライラした態度を取られたのです。言いたいことも言えずに、フラストレーションもたまったでしょう。

 この時に、私は深く反省しました。取り戻せない大失敗です。

 それ以来、私は仕事で誰かと関わる際に(特に指示を出す側に回る場合)、以下のことに気を付けるようにしています。

  • 人は、その人の置かれている環境で、発揮できる能力は大きく変わってきてしまうもの。体調や気分によるところも大きい。だから、その人の置かれている立場や状況を思いやる必要がある
  • 仕事で他人と関わる時には、私の発する言葉は受け手にとって業務としても心情的にも適切か、常に気にしなければならない。
  • 一面だけを見て、その人のスキルを不十分だと判断しない

■初夢は悪夢

 私は社会人になって初めて、年末年始を迎えることになりました。私の所属していた部署ではシステムの開発案件だけではなく、保守・運用も行っていました。

 そのため、顧客の休みに合わせて、各種帳票やデータ媒体の特殊運用作業が発生していました。

 とりあえず、毎年のことなので隣の先輩が慣れた様子で運用変更依頼をかけたりして、私はあまり関わっていなかったのですが……。

 年末の業務はつつがなく終了し、年始に出社して数時間後……上司が、青ざめた顔をして私のところへ近づいてきました。そこで一言。「カード発券のバッチ処理が流れてる……」

 なんということでしょう! 止めたはずの日次処理が暴走して、年末と同じデータが2回流れたらしいのです。

 当然、DBをロールバックしてリカバリ……としたいところですが、お客様の業務はすでに始まっていて、オンラインでも更新が始まってしまっていました。結局、暴走して更新した分は、すぐにクレジットカードユーザーに影響が出ないと判断して、日中の業務終了後に影響の出たDBを修復する方針となったのです(本番の立会体制にも不備がありました)。

 その日の夜間、さまざまな作業を行ったのですが、今でも覚えているのがクレジットカードの在庫システムのリカバリです。

 在庫予測・カードの打ち損じ・出庫指示……ありとあらゆる処理の更新内容を読み解く必要がありました。

 おかげで3日3晩、寝ることも許されずに、JCLやCOBOLのコードと悪戦苦闘。ファイルによっては日次で累積していたり、月次ファイルから入力していたりと、何が正解かを順に紐解いていく作業は、朦朧とした頭にとてもこたえるものでした。

 ですが、ここでクレジットカード発行の流れを詳細に知り、イメージできるようになりました。

 システム障害は当然、ない方が良いです。しかし、このリカバリ作業を通じて得る業務知識はとても多かったと思います。

 顧客やクレジットカードを作るセンターが、どのような運用をして動いているのか、明確に理解するきっかけとなったのです。

 さらに、原因~対策~再発防止策まで、障害対応には多くが求められますが、これもエンジニアとして成長するための試練と受け止めました。本当に、本当に、つらいですけどね。

 余談ですが、ここでEASY-Plusの技術をガッチリ身に付けました。名称が示す通り、JCLにコードを記述することで、簡単(?)にファイルやDBの操作ができるのですが……だいぶマニアックなので、若手で語り合える人が少ないのが残念です。

■一人前に?

 部署内で、数億円規模の開発プロジェクトが立ち上がり、私も案件にアサインされることとなりました。この案件のPMは初めて仕事で関わる方でした。眼鏡の奥の眼光は鋭く、かなりの実力者という話は聞いていました。そのPMが、まず私に一言。

 「お前を一人前にする」

 私は、これまではプログラム修正をメインにしていましたが、今回は新規作成のプログラムを多く作る必要がありました。その中でも、顧客の運用で特に必要とされる紹介画面やDBアクセスのための共通プログラムの作成にアサインされたのです。

 さらには、顧客との打ち合わせを通じて、どのように運用を回していくか決定するプロセスに参加させてもらいました。その場は、大きなホワイトボードの前で非常に熱い議論が交わされ、どのようにして仕様が決まっていくのかを肌で感じることができました。新人ながらも、いくつか発言する機会があり、非常に勉強になる経験でした。レビュー用の資料作成などは大変でしたが、それをネタにして議論を進めるのは面白かったです。

 しかし……ここからが本当の試練の始まりでした。COBOLで改ページ有の照会画面を表示させるためには、かなり複雑なアルゴリズムを組む必要があったのです。

 研修中にもフローチャートを書くことはありましたが、新人の私にとっては比較にならないほどでした。

 PMが、直に設計書を見てくれるという、VIP待遇だったのですが、何度も差し戻されました。時には、2秒だけ目を通して「ダメ」と言われることも……それでも、私はイヤになりませんでした。

 その理由は、このPMの人柄によるところが大きかったと思います。「この仕事が終わったら、ハワイへ行こう!」と誘ってくれたり、深夜の2時から反省会と称してラーメン屋へ連れて行ってくれたりと、厳しいだけではなく、メンバーのモチベーション管理についても非常に上手な方でした。

 ここで培ったマネジメント手法やロジックの組み立て方(アルゴリズム)は、今の私の土台として役立っていると思います。

 プログラムを作った後も、他のチームから不具合の報告があり、慌てて修正するなど、自分の至らなさから苦労が多い開発でしたが、思い出深いプロジェクトとなりました。

■新人時代まとめ

 私自身は、どこにでもいる元気が取り柄の新人でした。そんな私の周りには尊敬できる上司や先輩が大勢いたと思います。

 どんな環境においても、明るくポジティブに物事をとらえる。それが新人時代の一番大きな収穫でした。

 皆さんへの感謝の気持ちを持ちつつ、胸を張って楽しく生きていきたいですね。

 そして、至らなかった点はあらためて反省しつつ……。失敗の記憶も大事な糧ですから。新人時代の教訓は今でも役に立つことも多いな、とコラムを書きながら感じました。

 次回は、2年目以降を振り返っていきます。

 2年目になると、また立場が大きく変わってきます。後輩ができたり、案件の中心となったりと……。

 それでは、また。

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