筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

改良せよ! はじめての機械設計(2)

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 まだ、鉄がどうで、アルミがこうで、ステンレスがどうで、真鍮がこうだ、といった予備知識などなくて、皆さんに訊きまくりだったそんな初学者の日々……。

【分解せよ! はじめての機械製図】

 「製品を知るには、まずパーツを取り出して、部品図を書く練習をすべし」とのお達しで、とりあえず、言われるがままに、カム部分や配管部分を分解するのだが、何のことやら素人にはさっぱり分からない。何でここがこんな形で、何でここでこすれ合っているのだろう……。そもそも、この素材はいったい何だろう……。不思議な形……。そんなレベルから始まった。

 なんでも、Wさんという社員さんが、突然鹿児島に帰郷するとのことで辞められたので、その後釜に据えたかったらしい。何かにつけ、社員の口からは「Wさんは優秀な技術者だった」「Wさんがいなくて惜しい」といった言葉が聞かれ、もっぱら良い評判だった。そんなにすごい人が辞めるのには何か理由があるのだろうと今になれば思うが、僕はまだ若かったので、そこまで詮索する余裕がなかった。……そこで、早速最初のダメ出しキター!!

部長 「田所君、分解したままじゃダメー、組み立てて帰るようにしなきゃ、ダメー」

田所 「はい、分かりました」

 次の日は、また機械を分解して、はじめてのドラフター(製図器)体験。まずは製図板に対してL字型の定規の垂直水平を微調整するところから始まった。短い直線を、距離を置いて2本引いて、定規を横にスライドさせる。もし合わない場合、つまみを調整してもう一度やり直す。これを繰り返すと、水平や、垂直方向の定規が、製図用紙の縦横の辺と合う。僕はそこから教えてもらうことになる。

 意気揚々と、カムやパイプをノギスで測り、図面にしていくのだが、そこでまた、部長のダメ出しキター!!

部長 「田所君、図面が真っ黒だから、これ、ダメー」

田所 「はい、分かりました」

 つまり、右手が図面から浮いておらず、右てのひらの「肉球」の部分で図面をこすっているというのだ。夢中で描いていれば分からないところだったが、これを注意しないと、ジアゾコピー(青焼き)をするとき、ぼんやりとした青色のシミができるらしいのだ。また、意気揚々と図面を書いていると、また部長のダメ出しキター!!

部長 「田所君、コンパスの穴がくっきり開いているから、これ、ダメー」

田所 「はい、分かりました」

 つまり、僕は何度も同じ場所でコンパスで円を描いているうちに、原図に大きな穴を開けてしまったらしい。それにしても「ダメー」というのは、こいつの口癖か? また気を取り直して、図面を一通り描き終えた。そこでまたダメ出しキター!!

部長 「こんな簡単なもののトレースに、6時間もかかるなんて、ダメー」

田所 「はい、分かりました」

 この野郎。僕が初学者だと思って図に乗ってるな? 上司と部下という立場で、逆らえないことをいいことに……。今に見やがれ!! と、意気揚々とその土日は、大阪梅田の紀伊國屋書店で「初学者のための機械製図」と「初学者のための機械材料」という本を自費で買い込んだ。週明け、その様子を見て、すかさず部長のダメ出しキター!!

部長 「田所君、勝手に本を買っちゃダメー、領収証切ってもらうように」

田所 「はい、わかりました」

部長 「出金伝票、切らなきゃ、レシートだけじゃ、ダメー」

田所 「はい、わかりました」

Kikai
初学者のための機械製図/機械材料 理工学社刊 1991年

 こんな調子で、「ダメー」「分かりました」「ダメー」「分かりました」……の繰り返しが何度も続いていて、調子よく、意気揚々としていた自分の出鼻をくじかれたようで、なんだか本当に身も心もダメになっていきそうな気がした。本当に僕はダメなのか? 次第に、みんなとは距離を置いて独りで食事をするようになったり、独りで気分転換するようになった。

 当時の僕は「嫌いなものは、脳内消去」という若気の至りだったので、独りで1000円もする製図用のシャープペンシルを買いに行ったり(もちろんうるさいので自腹)していた。さて、そんな、ダメ、ダメ、ダメ出しの日々は、それからどうエスカレートするのだろうか……。

【あのダメ出しは、実は社長の「受け売り」だった】

 「ダメー」が口癖の部長の発言の裏には、実は理由があった。探していると、「技術部長は、いま社長室ですよ」という、総務のK係長さんの発言で、そのドアの向こうの気配を推し量った。僕は、総務部でコピーを取るふりをして、社長室に向かって耳をそばだてた。すると、意外な言葉のやりとりが行われていた。

 社長室のドアの向こう側から、地鳴りのように鳴り響く社長(伯父)の怒鳴り声は……。

社長 「何とかかんとかは、ダメー」

部長 「はい、分かりました」

社長 「いいや、分かってない、ダメー」

部長 「以後気をつけます……」

 ……なんだ。あれは社長(伯父)の口癖だったのか。なんつーか、あれは「受け売り」かい。日頃のストレスを僕にぶつけられちゃかなわない。しかし、江戸の敵を長崎で、の例えのように、僕への「ダメー」攻撃は、日に日にエスカレートするのだった。もちろん、どのツラを下げて社長室へ入ろうとしても、恐怖心が先に立ち、そこへ入る勇気が、僕はあいにくとなかった。怖い。殺されるかも……。

【プロジェクト「ダメー」発動!!】

 ひとしきり、部員全員でのブレインストーミングが行われ、従来製品の改善点を洗い出していった。

部長 「面間寸法、ジャスト1メートル」

田所 「はい、ジャスト1メートルですね」

部長 「それから、作動時の衝撃音の静粛化!!」

田所 「衝撃音の静粛化ですね」

部長 「それで、30%以上の軽量化を目指さないと、ダメー」

田所 「はい、分かりました」

 僕は、徐々に機械材料の知識を身につけていった。一見、歯車こそない単純なメカなのだけれども、たとえば、静電気をためてしまい、LPGボンベの近傍で爆発しないこと。極力錆びずにメンテナンスフリーであること。お客様がハンドリングしやすいこと。防爆リミットスイッチが動作すること……などの様々な要求が求められる、結構な難関だったのだ。

 そうして「教祖さま」と田所の、果てしない「ダメ出し」と、辛抱、苦闘の日々が続くのだった。まさか、あれから完成まで3年もかかるとは思わなかった。この段階で、とりあえず機械材料としては、SS400(鉄)と、SCS300(ステンレス)、ダクタイル鋳鉄、パイプとフランジ、それに溶接の基礎だけは分かった(苦笑)。後は、創意工夫。ここからは、自転車に例えれば「補助輪なし」で走らなければならない。何度もこけて、何度も「ダメー」とダメ出しされても、立ち上がって起きるのだ。そのような覚悟を決めた……。

 (次回は、初UNIXデビューの事情が分かるお話からです……)

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