筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

無茶苦茶な会社ばかり

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 当時、職業訓練校を修了した人を雇うと、国から会社へ雇用奨励金として70万円がおりる仕組みになっていました。それが狙いか!!(苦笑)

 その術中にまんまとはまった、というか、してやられた中小のプログラム受託開発会社に就職しました。沖縄旅行もあり、一度は固辞したのですが、どうしても、というのでお付き合いしました。いい思い出です。

【プログラミングはどうしても苦手で……】

 入社直後は、コンピュータウイルスの除去作業、パソコンフェスタ関西のJUA(日本ユースウェア協会)ブースでの「なんでも質問コーナー」での質疑応答、JWNTUG(ジャンタグ・日本ウィンドウズNTユーザー会)メンバー参加、ホームページ作成と顧客先の社内インターネットサーバ(Windows NTのIIS4およびDNS)の構築などを手がけていました。

 しかし、いざプログラムを組み始める段になると、当時は急にめまいがし、何だかとても疲れやすかったので、依願退職しました。オブジェクト指向によるプログラミングは、端折って教えられた(ましてやUMLツールなどその時代はない)ので、まだまだ未熟だったんですね、開発の方のスキルは……。一旦教わると、授業の場では分かった気になるのですが、実際には何も分かっちゃいなかったんだ……と痛感しました。

 最もいけないのは、僕が地獄耳だったということ。社長が幹部を集めた話し合いの中で、「いま、赤字が1600万円あるんやで」というのを偶然耳にしてしまいました。もう1ついけないのは、人を育てようとしない会社だったこと。VB6やJavaの書籍だけポイっと渡せばすんなり済む、というものでもなかろうに(苦笑)。そして、誰でもすぐに出向してしまうこと。更に精神衛生について良くないことは、社員みんなが出向した後、社長と社長夫人と僕とで会社にポツンと残されることでした。

 同じように、プログラム職種を辞めていった人も多いと噂で聞いており、即戦力、長期戦力になった人は、果たして修了生のうちの何人おられたのでしょうか。後日、職業訓練校で出会った元同級生の女子が「実は、わたしもプログラムの会社辞めてん」とのこと。また、友人の1人は現在、コピー機オペレーター、もう1人は、大学事務でうつを発症し、イタリアを旅行して今では音信不通、もう1人の女子は巫女さん(神社の事務)になってから辞めています。どこも一緒だな、と思いました。

【やっぱりDTPかな、と思ったら……】

 兵庫県にある零細印刷会社。Mなる人物と仕事の進め方をめぐってトラブルになりました。その後Mは退社しましたが、今度はYなる人物に、事ある毎に新興宗教への入信を迫られ神経がダウンして……。昼休みは更衣室のタタミで昼寝をするようになりました。もちろん、長続きはしませんでした。履歴に傷がつかないうちにとっとと辞めました。

 辞めた後もYによるストーキング行為は続き、住んでいる団地にまで新興宗教の飛び込みセールスに押しかける有様。警察にも相談しましたが「民事でやってください」とのこと。やむを得ず、会社の社長夫人に告げてようやくYによる新興宗教ストーキングがおさまりました。なんでも、ストーキングをしたら今度はクビ、というのが効いたらしいです。

【即席パソコン教室、実は不動産賃貸業者】

 職安求人を見て、ろくに確かめもせずに行った会社。雇用保険はおろか、年金も健保もない。見ると、支店の不動産賃貸がうまくいかないので、ヒューマンアカデミーをまねして(もっと言えばパクって)即席のパソコン教室ができていました。何にも準備ができていないくせに、机には日立のパソコンだけはずらりと6台並んでいる。仏作って魂込めず……これでパソコン教室を一体全体どうしろと……。

 僕は焦りました。取り急ぎ、FOM出版のそれらしきワードやエクセルなどのテキストを選び購入し、INSネット64を急遽引き、ルータを設定し、ネットワークを配線し、即席でカリキュラムを作り、いつでも教えられる体制を敷いていたのですが客は来ず……。どれだけ客が来ないかというと、何しろ場所がサラ金ビルの最上階。これだけでも客足は遠のくのに、そこで始まったのが「アイティーアカデミー」……アホか(笑)。

 店の向かい側には当時、きちんとしたグラフィックアート系の専門学校があり(それすらも今ではそこにはなく)、こちらには、旅人とか、怪しい外人のみが来るだけ。「値が下がらないうちに、急いでパソコンを量販店に売却し、現金化せよ」と僕が命じ……。その後、慣れない不動産賃貸分野でほんの少しだけ働くことに。結局ワンマン社長と大喧嘩して、履歴に傷がつかないうちに、とっとと退職しました。賃貸セールスの手口(おとり物件)まで覚えたということが、ある意味勉強になりました。逝ってらっしゃい!!

【臨時雇、だったらそう言って欲しかった中小事務機器商社】

 先代社長が文具店から大きくしたコピー機販売を中心とした中小事務機器商社。もともと臨時雇いの模様で、会社から自分が管理しているソフトウェアがいつの間にか紛失している、その責任をすべてかぶせられるなどなど……。完全な新人いじめ、新しいウーマンリブ、あるいは嫌がらせですね。これには参った。続けようにも続けられない。

 しまいには「男女平等」を唱ったおばさん営業マンが「トイレ掃除」を強要。それを断ったため社長が前触れもなく解雇を告げ、会社都合で退職しました。要は、会社に人を雇う体力がないので、なんじゃかんじゃ難癖を付けて、案件が済んだら僕をポイしたかっただけの話。むしろ「臨時雇」か何かにして欲しかったですね。案の定、その後カスタマーサービスの担当者(元ジャストシステムの女性)はケツをまくって辞めたと聞いており、現在ではパート従業員の1人程度になっています。

【某カスタマーサポート先での絶句する素人のひとこと】

 まあ、たとえば客先で無停電電源装置から「きな臭い」においがしたり、クライアント2台の環境でWindows 2000のActive Directoryが組まれていたりして(SID Historyの問題で)リカバリできなくてアタマを下げに行ったりと、相変わらずのドタバタ劇だったんですが、そんな仕事で緊張している僕に向かって客先の事務のおばさんが放った一言。

 「田所さん、これ、インストロールしてもいいんですか?」

 ……インストロール……もしやそれ、コレステロールと混じってるんですか? こっちが訊きたい。ああ、めまいがする……。おお、あうー。たとえば「ソリューションをインプリメントする」などといった、カタカナ英語が出来すぎる人も困ったものですが、カタカナ英語が不消化なおばちゃんに僕は一瞬くらっと来ました。恋愛とかそういう次元では決してなくて……。

【3日間だけ行った 某スーパーマーケット系の人材派遣会社】

 なんでも、西明石の更に西の某スーパーマーケット店内で、パソコンを売る仕事らしかったのですが、ごく普通の価格設定。というか、家電量販店より明らかに価格設定が高い上に、これをノルマ的には1日1台以上売り上げろというのです。価格破壊が進んでいる中では売る側にとっては、とっても厳しい状態です。

 客層は、どちらかといえば食料品を買い求める客で、パソコン売り場は通過する。冷やかし程度の客のみ。これでどうやって売り上げろと……。どんなに商売上手の僕でも、そんなにホイホイ売れるわけがないと、以前に知っていましたから、無茶な……と思いました。無理矢理パソコン押しつけてナンボ、という追い剥ぎみたいなやり方には同調することはできず……。

 とりあえず、チラシを配って「お金が入ったら買ってくださいね、また来てね」と言うのが精一杯。案の定、3日間でレイオフになったのですが、後にその人材派遣会社も違う会社に株式買収され、スーパーの店舗も今はなくなっています。僕にあんなに怒っていた女性人材派遣担当も今はどうなったか分からず……。無茶を要求した報いですなあ。あんなアウトソースのやり方では何も残らなくなる……。

【多重派遣のバトンリレー】

 これまた即日で辞めたところなんですが、某ITベンチャー企業。ベンチャーと言えば聞こえはいいですが、要は会社本体には、社長の椅子と机と電話とFAXと、車庫にはクルマぐらいしかないようなところ。伝手の伝手の、さらにまた伝手の派遣になるらしく、何社かは黙って同行しました。

 最終面接先でこっそりと、元請派遣担当者との打ち合わせ時……。「君んとこ、ほんまは間に何社かんでるの?」と言われ、「6社です」と答えました。もちろん、お断りされる前に、その場で採用面接を辞退したのは言うまでもありません……。人材派遣における、あの「三角形のルール」なんてものはどこにもなく、果てしなく次々と担当者から名刺が渡され、自分がバトンリレーのバトンになったような気持ちになりながら、最後までお付き合いしたのですが、付き合い切れなくて辞退いたしました。

 (これはもうダメかもわからんね……に続きます)

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