筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

これはもうダメかもわからんね

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 いまよく言われる「エンジニアのうつ」ですが、僕はそれは、まだまだ甘いと感じています。なぜなら、僕はある会社にて「統合失調感情障害」(ICD分類:F25-9)に罹患し、まる5年間もの長い間、病院通いになったからです。さすがに自我を失うほど狂ってはおらず、現在でも薬の量は少なくなってきましたが、それでも服薬を欠かしません。このように、胸をふくらませて入った新しい職場は「名ばかり管理職」ばかりの、「サービス残業」だらけで、もう、どうしようもなかったのです。

【中小SIerの残酷 ~デキル奴から潰される~】

 ここで、僕の人生は大きく変わります。サーバを立て、メンテし、クライアントマシンの面倒もネットワークも全部面倒を見ていたのですが、メンタルヘルスについて、全く配慮していない職場でしたので、後々酷く後悔することになるのです……。

 前置きしておくと、ここはインターネットの民間求人サイトで紹介されていた会社。なんか、雰囲気が良さそうだと入社したら、まずはじめに知らされたのはOJT期間がゼロだということ。同期の営業社員5名が、入社後わずか5日で全員辞めました。既存営業社員のレベルの低さと、支給されるパソコンの質の悪さや人間関係などからだと思われます。

 現に、営業社員が僕に「ああ、真面目くんね、君は10カ月コースだよ」と言う有様。当時は何のことやらさっぱり分からずにいましたが、後で考えると、要するに「君はこの会社の中で、せいぜい続いて10カ月程度だよ」ということです……。

 また、営業の中には「エンジニアを頼らなくても自力でできます」という人と、「エンジニアなしではパソコンさっぱり分かりません」という2タイプの営業がいました。後者の場合、たとえば「田所さん、LANの口がノートパソコンにありますから、複写機をネットワークプリンタ代わりに使えますよ」と言ってくるので、その心づもりをして現場のパソコンを見ると、それはLANの挿入口ではなく、電話線のモジュラージャックだったりするのです。お客さんの手前、本日中に作業を完了しないといけないので、愕然となり、営業担当に「急いで買うて来い!!」と命じるなど、非常に単純なローテクな部分に対するコピー機飛び込み営業部員へのストレスをほぼ毎日強く感じていました(君たち仮にも大卒なんだから、もう少し勉強すれば分かりそうなものを)。

【これはもうダメかもわからんね】

 始業は本来午前9時ですが、自分は午前7時~8時にはかならず出社していました。マネージャがひとり忙しくしている手前、早出をせざるを得ない精神状態に追い込まれました。午前中は主にイントラマシン(社内用パソコン)のリカバリ修理と電話対応。

 たとえば「お前んところのパソコン、めいで(故障して)もたやないか、どないしてくれんねん」といった主にお叱りの電話、クレーム対応。しかも、自動車で例えれば「自損事故」を「ディーラー」に言ってくる始末。レベルの低い顧客、何かと自分が購入したパソコンに難癖を付けて何か無料サポート、無料サービスを得ようとする「たかり」や「やから」行為の顧客が多く存在したのもストレスの要因の1つでした。普通、自動車の自損事故をディーラーの所為にはしませんよね……。

 午後から定時までは、まず電話の受送話。アポイントメントを取るなど。それよりも、電車・自動車などを使って訪問修理に赴くことが多かったです。その場でパソコンやファイルサーバの障害が解決できる場合と、何度も訪問して故障の原因を探る場合、時には深夜間に及ぶ場合がありました(その場合、同僚の課員を助けたり、逆に助けを乞うたりしたことがありました)。その後、営業や同じ課のマネージャから明日の仕事を頂戴する、相談する、今日の仕事について報告するなどがあり、特にマネージャについては、次第に嫌みに接してくるようになり(原因は不明)、常に不機嫌な状態が続きました。こいつに、自分の仕事を取られる、とでも思っていたのでしょうか……。

 定時から深夜間(17:30~23:30)については、その日の残務整理、書類作成、午後に問題解決できなかったパソコンやサーバのリカバリ作業などを4~5時間行いました。それが何台もあると、1日では手に負えない面が出てくる。その場合はお客さんに謝る電話やメール、FAXなどを入れることが毎日のようにありました(修理が遅延します旨)。その場合、大阪市営地下鉄御堂筋線や阪急神戸線の終電には間に合っても、市営の終バスを逃す場合があり、国道や県道を駅から数キロ歩いて帰宅することも月に3~4回はありました。睡眠時間は数時間を切る毎日でした。代休なしの休日出勤は当然で、サービス残業は、もちろん日常茶飯事……というか「常態化」していました。

 時に指揮命令(相談?)は予告なしに営業サイド(同フロアのCAD営業)から突然やってくる時もあり、たとえば京阪京橋駅で同時に4つの案件がバッティングして「身体が4つ欲しい!!」と感じること、それと同様のこともちょくちょくあり、パソコンの操作を遠隔操作で指示して、うまく故障が解決できる場合と、そうでない場合があり、それも神経を害する1つの要因になりました。

 前触れは「酷い頭痛」でした。1日3回服用で効くはずの頭痛薬が、やがて4回や5回や6回に増量し……しまいには薬局の人に「腎臓を壊しますよ!!」と注意されるぐらい呑んでいました。原因は後で分かったのですが、僕は緊張性頭痛を通り越して、首の靱帯が両側、付け根から3センチ程度の範囲にわたって「軟骨」になり、それが首から上の筋肉に影響を及ぼしていた、という理由で「緊張性頭痛」を引き起こしていたのです。ある日、腰の痛みで通った整形外科で、首のレントゲンを見せられた時には、たいへん驚きました。

【会社を辞めさせていただきます】

 退社のきっかけは、営業車がなくて、車幅感覚の不慣れな大型のバンを運転することになり、途中のパーキングエリアでR水産のクルマにかすり傷をつけてしまったことから、インターチェンジで待ち構えていた警察にはすぐに出頭しました。その後、誠意を持ってR水産工場に手土産を持って謝りに行きました。そのとき、僕はかなり疲れていました……。

 その後、毎日のように根掘り葉掘り重箱の隅をつつくような質問がマネージャ、次長より浴びせられ、嫌だと言ってもこちらへ座れと言われて仕事の進め方について詰問されて神経にダメージが来ました。「お前には向いていない」という言葉もプライドに触りました。

 後日、次長(マネージャの上司)から「コピー機の飛び込み営業へ行くか、会社を辞めるかの二者択一」を迫られ、その頃はかなり神経にダメージが来ていたので、一度保留し、大阪市のメンタルクリニックにかかり、辞めるべきか辞めざるべきかを相談しました。結果、「会社が悪い、辞めなさい!!」と言われ、その通りだと思い、有給休暇を全部消化してから、7月20日付けで依願退職しました。

 後に地元職安から自己都合→会社都合退職が認められ、300日ぶんの失業給付を受けることになりました。ノイローゼが公的に認められたのは、平成15年7月22日付けで、当面の間は国民健康保険や生活保護で通院することになりました。

【破産・免責・雇用保険そして生活保護へ】

 平成15年の晩夏。カード会社と個人ローン会社からの借入金が500万円を突破し、退社と同時ぐらいに弁済不能に陥りました。カードローンで借りたキャッシング枠を半分ずつ、うまいことやり繰りして自転車操業していたのですが、それも退職によって無理が生じて……。銀行系でありながら、クレサラなみに電話はかかってくる、脅迫めいた電報はやってくる……。皆さん、銀行系といえども、借金は借金。借金取りからの催促が怒濤のように押し寄せて来ますので、ご注意を。今度からは、いつもニコニコ現金払いでお願いします(笑)。

 母親は見かねて、ドアの上部にネクタイをかけ、首つり自殺未遂になり、甲状腺を壊して一時期、重度のバセドー氏病(寝たきり)になりました。即座に兵庫県立の病院に入院させました。法律扶助協会(現:法テラス)を使い、着手金約10万円の10回払いで、司法書士事務所の司法書士にお願いして、自己破産→免責決定を受けたのが平成15年12月16日。確定したのが(官報に載ったのが)平成16年1月半ば。生活保護決定がおりたのが、平成16年7月1日から……。その年は、最悪なクリスマス、そして、最悪な新年でした。

【あてどない病院通い……】

 大阪市のメンタルクリニックから、兵庫県立の病院に一時期入院し、退院後は時間の都合上、近くのメンタルクリニックにかかって、現在に至ります。症状としては、ずばり「ノイローゼ」(統合失調感情障害:ICD分類F25-9)でした。兵庫県から「精神障害者手帳」(精神3級)が給付され、自立支援医療のもとで、回復を図っていました。

 当時は、酷い不眠と不安、感情の爆発や攻撃性、反対に感情の萎縮を繰り返し、内科医院2カ所で頭痛薬をもらい、頭痛の絶えない毎日を送っていました。たばこを吸っては頭痛薬を呑む、頭痛薬を呑んでは、またたばこを吸うといった、酷いチェーンスモーキングになりました。また、将来を展望したとき、果てしない絶望感と、無力感にかられていました。

【そうだ、好きなことをやってみよう】

 僕の日常が、生活保護や免責決定などで落ち着きを取り戻すのに約1年。それからというもの「じゃあ、採用や賃金を渋る企業側の論理も知りたいじゃないか」というわけで、株式会社の「設立準備室」を作りました。株式会社の「設立準備室」ならば、立ち上げるのは無料なので(笑)、この際、会社登記も必要ありません。だったら、この便利な立場を利用して、地元商工会議所のセミナー、大阪産業創造館のセミナー、中小企業基盤整備機構(中小機構)のセミナー、ITベンダ系のセミナーなど、ありとあらゆる「お金が余りかからない」セミナーに出向いて「企業側の論理」を学ぼうとしたのです。

 そこで見えてきたのは、

  • 中小企業は
    • 資金繰りが悪い
    • お金がない
    • 1人で何でも出来るオールラウンドプレイヤーを欲しがる
    • 飼い慣らしやすい若い子を採用したがる
    • 残業代を出さないんじゃなくて、出せない
  • 採用担当者は
    • 能力がない子を雇うと、現場から文句が出る
    • 少人数で多人数の一次選考をしなければならない
    • 現場から文句を言わせないようにするために、高学歴な子を採る
  • 黒字倒産とは、資金繰りがショートすること

 などなど。……採用側の理屈が見えてきました。このように、ピンチをチャンスに変える。今が無職ならば、無職のあいだでしか出来ないことを自由にやってみよう、そう思ったのです。

【人材紹介会社さんの「本音の」人材売れ筋事情】

 ある人材紹介会社の方に訊きました。某フランチャイズ系のコーヒー店から、携帯電話で、現役のサラリーマンを装って……。

 「ぶっちゃけ、どのへんがIT企業に売れ筋ですか?」

 「四大卒・理系・28歳ですよ」

 ……ガーン。気が付けば、世の中は大学全入時代に入っていました。なるほどね、大学を出て数年経っていて経験者、しかも若い。彼らを引っこ抜いて来れば、自社で教える手間も省けるというわけで……。何でもかんでも即戦力、即戦力と言い過ぎ違いますか?

 それに輪をかけて僕を落ち込ませたのが「首都圏とその他」という、雇用の偏在です。大阪ですらまともな仕事がない。あっても「即戦力」「経験者」オンリーで、まるっきり人材を育てる体力のない企業が多くあり、これもまた困った問題でした。さらに僕を呆れさせた求人が、たとえば「PG兼、SE兼、運用保守兼、サポート兼、サイトデザイン兼、営業兼」……要するに「何でも屋さん」を欲しがる中小企業が多くて、これまた閉口しました。……あのなあ、そんなにマルチな才能があるなら、もっと大企業に勤めることが出来る……いや、もっと言えば「自営」が出来るわい(苦笑)。

【職安から紹介された人材コンサルのいい加減さ】

 職業安定所から、高齢者なんとか事業団とかいうところを通して、某人材派遣系の人材コンサル会社を紹介されたのですが、これまたいい加減。1年間通ったけれども、履歴書・職務経歴書の訂正はいい加減。リーダーと称される人はあくまで「高齢者担当」でIT音痴。僕が逆にIT機器の使い方を伝授する始末。派遣会社を紹介されたものの、どこも多重派遣。しかもそれを「清濁合わせ飲むのが人間」と説教し出す始末……。あきれ果てました。後ほど職安に苦情を申し上げたのは言うまでもなく、逆に謝られる始末。人材コンサル会社に通い詰めたこの1年は何だったのか。休憩に使うコーヒー代だって馬鹿にはならない。人材コンサルタントも、人を選ばないと大変な時間のロスになります。まったく憤懣やるかたないです。

【IT企業は人材を育てたことがあるのか】

 そりゃあ、不景気でお金が少ないのもわかります。人材を育てる余裕がないのも事実です。が、しかし、余りにも「即戦力、即戦力」言い過ぎ違いますか? 今までの経歴で、会社から教わったことは何1つありません。持っている知識をはき出して、出尽くしたところでポイ、です。はい、サヨナラです。これは、人材の扱いとしては余りにも残酷じゃないですか。会社の偉い人と派遣営業が何となくしゃべって、紙切れ1枚で、有資格者(IT技術者)を右から左へと動かして、利ざやを稼ぐ。

 こんなやり方をしていたのでは、そのうちIT技術者が会社に来なくなりますよ。海外にオフショアするといえども、限界がありますよ……。人を何だと思っているんだ……。まあ、僕も「日本人材派遣協会・派遣元責任者講習」を受けましたが、IT技術者が勉強している勉強とは比べものにならないくらい易しいもので、そんな人達に、紙切れ1枚で、あっちへ行け、こっちへ行け、と命令されたくはないものです。若干、ぼやきが入りましたが(苦笑)。

 (次回は、あの頑固な父親と和解したお話です)

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