ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

魔女の刻 (6) カバーストーリー

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 午後からは予告通り、A フレのトレーニングが開始された。トレーニングを担当するのは、エースシステムからやってきた小谷野という40 過ぎのトレーナーだった。再びフリースペースに集められた私たちに向き合った小谷野さんは、まずA フレの概念の説明から開始した。
 A フレの概要については、事前にUSB メモリでドキュメントとサンプルが配布されていた。東海林さんと細川くんは、以前に担当したK自動車の案件でA フレを使ったことがあったから早速内容を確認していたが、過去の経験があくまでも過去のものであることがわかっただけだった。
 「本来のA フレの機能は、Web アプリケーションフレームワークであり、現在もそのコンセプトは変わっていません。その主な機能はView 部分、つまりHTML と、Java で記述するビジネスロジックを接続するものですが、Vilocony と組み合わせる場合、その役割が少し異なるものになります。つまり、Vilocony のコンテナを作成するツールになるわけですね」
 小谷野さんはPowerPoint の画面をTV に表示して、手順を簡単に説明していった。所定のExcel シートに入力した画面情報を、専用のEclipse プラグインでコンパイルすると、htmlや各種イメージファイル、jsファイル、cssファイル、Java Class、jar ファイルなどが、war 形式ファイルにパッケージングされる。単体テストを行う場合は、Tomcat にdeploy すればWeb アプリケーションとして動作するし、コンテナとして配置する場合は、コンテナコーディネータを通すことになる。
 「じゃ、追加資料を配ります」小谷野さんはプリントアウトの束を、前列の何人かに分けて渡した。「コーディング関係の説明です。画面じゃちょっと見づらいのでね」
 回ってきたプリントアウトには、Hello, World !的なサンプルが、いくつか載っている。技術研修だと、実際にコードに接する前に延々と概念を説明されて疲れてしまうことも多いが、小谷野さんは少しでも早くコードレベルの話に入りたかったようだ。
 「どうですか、初期バージョンと比べて」私は東海林さんに訊いてみた。
 「かなり変わってるな。似てるのは記述方法だけだ」
 初代のA フレはExcel シートへの記述は単純だったが、少し凝った処理を記述しようとすると、外部クラスを定義し、処理を委譲するという形を取るしかなかった。最新バージョンでは、jQuery やBootstrap など、メジャーなライブラリを活用することで定義シートのView 部分の記述をシンプルにし、その代わりにかなり複雑なロジックや画面遷移に対応している。
 「便利になったってことですか?」
 「ある意味ではそうだな。HTML テンプレートの部分は簡単になってる。あらかじめ定義された数百種類のclass と、jQuery のプラグインを組み合わせたパターン集ができてて、組み合わせるだけだからな。問題はロジック部分だ」
 「難しそうですね」
 「うちの人間なら、身構えるほどのもんじゃない。やってるのは、メソッドチェーンと古典的なFactory Method パターンの組み合わせだ。基礎さえわかってれば難しくない」
 メソッドチェーンは、その名のとおりメソッドをつなげていくように呼び出す手法だ。Java なら、StringBuilder クラスのappend が典型的な例で、返値を自分自身のインスタンスにすることで実現できる。

 StringBuilder hoge = new StringBuilder();
 hoge.append("Hello").append(" ").append("World!");

 A フレの定義も、考え方は同じだ。Hoge というコンテンツの中に、doSay というボタンがあり、doSay をクリックしたら、voice1 というテキストボックスに、"Hello" という文字列を表示する場合、A フレのテンプレートシートに、

a-fra-sample.png

 のように記述することで実現する。この基底にあるのは、aCfBaseObj というA フレ独自のオブジェクトだ。実体は、jQuery のプラグインらしい。まだソースを見ていないので詳細は不明だが、トレーナーの説明によれば、PC、モバイル端末を含めて、ほぼ全てのメジャーブラウザで定義されている表現や動作は、99.4% 実現できるのだそうだ。
 少し戸惑ったのは、A フレのテンプレートシートに記述できるのは、HTML 上の動作部分だけ、と言われたときだ。aCfBaseObj の定義は、JavaScript ではなくJava でコーディングしなければならない。
 「もう少し詳しく説明するとですね」小谷野トレーナーは丁寧な口調で言った。「あるHTML、というか、HTML の一部分のコンテンツで使用するaCfBaseObj の動作は、View 定義用のテンプレートではなく、ロジック定義テンプレートで別途記述しなければならない、ということになります。このサンプルで言うなら、clickDoSay() の部分ですね。これは、button を押したらclickDoSay() というfunction が実行されるのではなく、ロジック定義テンプレートで記述されたclickDoSay() というアクションセットが実行される、ということを意味します。最終的にブラウザに渡されるHTML には、リフレッシュ毎に異なる無名関数が生成されます。ここまでで質問はありますか?」
 何本かの手が挙がった。小谷野トレーナーは、その中の一人を指した。
 「つまり、その」まだ若い女性プログラマが躊躇いがちに訊いた。「HTML 上の動作を1つ定義するには、View 定義とロジック定義の両方の記述が必要だということですか?」
 「そうです」小谷野トレーナーは頷いた。「例外はありません。必ず、両者はペアで存在します」
 「どうしてView 定義の方だけではいけないんでしょうか」
 「それ、絶対訊かれるんですよね」小谷野トレーナーはニヤリと笑った。「最終的にはVilocony がコントロールするからです。単体だけであれば、単純なJavaScript のfunction なりイベントリスナーなりでも用は足りるでしょうが、みなさんが作るコンテナは、ある画面の一部分だけであることがほとんどです。コンテナコーディネータによって結合するためには、その外側にenvelope が必要なんですよ。http 通信を行うために、header が必要であるようにね」
 女性プログラマは頷いて座ったが、心から納得できた顔ではなかった。それに気付いたのか、小谷野トレーナーは悪戯っぽい表情で続けた。
 「まあ、わかりますよ。確かに面倒ですからね。ただ、エースシステムだって咲かない種は撒きません。一昔前は、エースシステムの案件というと、下請け殺しなんて言われていたものですが、昨今、そんな真っ黒なやり方ではプログラマが集まりませんからね。A フレだって、末端のプログラマの負荷をできるだけ減らそうとして試行錯誤した結果なんだと思います。ついでに言っておくと、私はエースシステムのプロパーな社員ではありません。A フレのトレーニングを専門にやってる契約社員です。だから、私がこんなことを言ったのは内緒にしておいてくださいね」
 私たちは顔を見合わせた。内緒にも何も、私たちに混じって、エースシステムの若手システムエンジニア数人が一緒にトレーニングをやっているのだが。
 「あれ、ここは笑うところなんですけどね」
 小谷野トレーナーの言葉に、ようやく私たちは笑い声を上げた。エース社員たちも、一緒になって笑っていた。
 「さて、では早速ですが、プラクティスを用意してありますので、各自、席に戻ってそれをやりましょうか」
 私たちはフリースペースから自席に戻りかけたが、そのとき白川さんが席から立ち上がった。
 「みなさん、ちょっといいですか」白川さんは陽気な声で告げた。「プラクティスとはいえ真剣にやるようにお願いしますね。下世話な話で申しわけないですが、1 行もコードを生産していないこの時間でさえ、弊社はお金を払っているので。それから、先日予告したように習熟度をテストするための課題が、プラクティスとは別に出ます。18:00 になったら自動的に画面にポップアップするので、何をやっていても、課題に取りかかってください。完了するまで退社は許可しません」
 私たちは顔を見合わせた。小谷野トレーナーが取りなすように言った。
 「大丈夫ですよ。最初は慣れないかもしれませんが、普通にJava が組めれば、それほど難しいものではないですから。さ、始めて下さい」
 とにかくやってみなければわからないのは確かだ。私たちは自席に戻ると、プラクティスを開始した。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 今回のプロジェクトに参加したIT ベンダーは、エースシステムと中間の中抜き業者を除けば42 社を数える。各社のプログラマの人数は合計113 人。うちのように、2、3 名の参加が一番多い。
 エースシステムの命令を受けているが、うちの直接の契約先は、東風エンジニアリングだ。ソフトウェア開発の人材調達を主業務としていて、多くのフリーエンジニアを確保している他、今回のように仲介も行っている。中抜き業者には違いないが、少なくとも要求されるスキルについては真面目に考慮しているようだ。今回、うちは受託する方だが、臨時の開発などで人手が足りないときなど、逆に派遣をお願いする場合もある。そんな場合でも、全く使えない人材が派遣されてきたことは一度もなかった。後でわかったことだが、TSD も東風エンジニアリング経由で参加していた。
 残念ながら、東風エンジニアリングのように良心的な仲介業者はまれだ。提出する職務経歴書の経験年数を水増しするぐらいなら可愛い方で、ひどいのになると中途採用した未経験者に数日の研修を受けさせただけで「実業務経験3 年」「マネジメント経験あり」などと別人格の皮をかぶらせて派遣してくる。いくら人手不足だといえ、そんな詐欺まがいの派遣を続けていれば、いずれ自分の首を絞めるだけだと思うのだが。
 開発センターに集まったIT ベンダーの中に、芳しくない評判を耳にしたことのある会社が何社か混じっていることには気付いていたが、私はそれほど気に留めたわけではなかった。白川さんの話では、私たちの仕事は、それぞれ独立したコンテナを作り上げることになるので、他のベンダーどころか同じ会社のメンバーとさえ、共同で作業をすることはないはずだったからだ。
 トレーニングを開始して2 時間ほど経過した後、東海林さんと細川くんが休憩に立った。私も一区切りついたら暖かいお茶でも飲もう、と考えていると、少し離れた島から、一人の男性が立ち上がった。男性はしばしプログラマたちの席を眺めた後、どういうわけかこちらに歩いて来て、私の横で止まった。
 「あの、すんまへん」
 私は驚いて顔を上げた。40 半ばぐらいで中年太りの男性だった。
 「はい?」
 「ちょっとお願いがあるんですわ」男性は馴れ馴れしい声で言った。「あ、私は田熊通信システムの椛山と申します」
 「はあ」私は相手に合わせて会釈した。「サードアイの川嶋です。お願いというのはなんでしょうか」
 「いや、ほかでもないんやけど、今やってるプラクティス、ちょっと教えてもらえへんやろか」
 関西弁だが、どこかわざとらしい響きだった。
 「え? 問題の意味がわからないなら、小谷野さんにお訊きになるほうがいいんじゃないですか」
 「いやいや、そうやなくてやな」椛山氏は声をひそめた。「問題はわかっとるんですわ。わからんのは答えの方で」
 「そうなんですか。でも小谷野さんに質問すれば教えてもらえると思いますけど」
 「最初からそんなことじゃ、うちのスキルが低い思われますがな。最初が肝心、そう言いますやろ。印象悪くしたくないんですわ」
 「はあ」まあ気持ちはわからないでもないが。「で、どのあたりがわからないんでしょうか」
 「おおきに」椛山氏は手にしたポストイットに目を落とした。「えーと、まず、何たらいうインタフェースの実装として、何たらオブジェクトのひな形を作れいう話なんやけど、インタフェースの実装ってどない意味でっしゃろ」
 「インターフェースの実装ですか?」どのあたりが不明なんだろう。「どういう意味も何も言葉通りですよ。別に引っかけでも何でもなくて。普通にimplements すればいいんじゃないですか」
 「その、イ、インプリ何とかって、どうやったらええんでっか?」
 「は?」驚いた私は、つい椛山氏の汗ばんだ顔をまじまじと見てしまった。「どうやるって普通に書くだけだと思いますが」
 「いや、普通言われても、その、やったことあれへんので」椛山氏は照れくさそうに笑った。「普通がわからんのですわ」
 「......あの、失礼ですが、Java での業務システム開発の経験はどのぐらいなんでしょうか」
 「私でっか。ここだけの話、ほとんどないんですわ。ずっとVBA ばっかりで」
 私は座席表に視線を走らせた。田熊通信システムからは椛山氏を含めて4人が参加している。顔を上げて田熊通信システムの島を見ると、いずれも20代前半と思われる若手プログラマが、心配そうな顔でこちらを見ていた。
 「他の人たちも同じなんですか?」私は声を潜めた。
 「他のはみんなバイトなんや。Java はネットで勉強させただけで。どうか、助けると思って教えてもらえへんやろか。同じ下請けのよしみで」
 「全員のスキルシート、提出したんですよね」私は少々呆れながら訊いた。「よくそれで通りましたね」
 「そこはほれ」椛山氏はへたくそなウィンクをしてみせた。「ちょいと上乗せして出しましたんや。よくあることでっしゃろ」
 やれやれ。どうやら田熊通信システムは、未経験のバイトくんたちを、Java の実務経験者として連れて来たらしい。参加してしまえば何とかなる、と考えたのだろうが、これはもう「上乗せ」などというレベルではない。
 スパイ小説などを読んでいると、カバーストーリーという言葉に出くわす。公にできない活動で敵国に潜入する諜報員に与えられる偽りの身分、経歴のことだ。私も、元請けの会社名が入った名刺をエンドユーザに出したことは何度かあるが、それはエンドユーザ側も事情を知ってのことだ。身分を詐称する意図があったわけではない。ましてや、自分が有していないスキルについて、何年もの経験があるように装うなど考えたこともない。
 他の開発現場であれば、田熊通信システムのカバーストーリーは発覚することはなかったかもしれない。業務内容や元請けの方針などで、開発の進め方は異なるから、最初の一週間ぐらいは、わからないことがあっても大目に見てもらえるものだ。その期間に、既存のコードからコピペするなどすれば、アサインされた業務をそれなりにこなせてしまうこともある。スキル不足の点があっても、不慣れなふりで質問してしまえばいいのだ。たとえば、親切そうな女性プログラマとかに。おそらく、過去に何度もそんな具合に乗り切ってこられたから、今回も最初さえ誤魔化してしまえば何とでもなる、と考えたのだろう。試験形式のトレーニングが最初に用意されているとは想像もせずに。
 ふと視線を感じて顔を上げると、TSD の草場さんが問いかけるように私を見ていた。助け船を出そうか、と目顔で尋ねている。私は小さく首を振ると、椛山氏の顔を見た。
 「すみませんが」私は言葉を選びながら答えた。「わからないのであれば、トレーナーに正直に申告した方がいいと思いますよ。私だって、A フレ使うのは初めてで理解しきれていないし。間違って教えてしまっても申しわけないですしね」
 「そ、そこをなんとかならへんやろか」椛山氏は顔を前で手を合わせた。「このとおりや」
 「ごめんなさい」
 「なんでやねん」椛山氏の顔から笑顔が消えた。「自分らさえ良かったら、ほんでええちゅうことかいな。助け合いの精神ちゅうもんがあるやろ」
 焦っているせいか、言っていることが無茶苦茶だ。
 「いや、そういうことじゃ......」
 「椛山さん」
 不意に背後からかけられた声に、私は飛び上がりそうになり、椛山氏は文字通り飛び上がった。声の主はいつの間にか出現した白川さんだった。私たちがトレーニングを受けている間、白川さんはフリースペースの奧にあるコマンドルームにいたはずだ。閉ざされたドアの向こう側にいながら、どうやってこの状況を知ったのだろうか。
 「あ、あの......」
 白川さんは微笑みを浮かべていたが、口から紡ぎ出されるのは冷え切った声だった。
 「トレーニングは自力でやらないと意味がないことぐらい、おわかりでしょう。それとも、おわかりではないですか」
 「は、はい。わかっています。ちょっと不明点があっただけですので」
 私に対するときと言葉遣いが真逆だ。おかしな関西弁で頼めば、好意を得られるとでも考えたのか。かすかな嫌悪感が走った。白川さんも同じ思いを共有したようで、眉間に小さなしわが寄った。
 「田熊通信システムさんの4 名の職務経歴書によれば、全員が3 年以上のJava による実務経験があるということになっていますね。それ、間違いないですか?」
 「あー、それは......」
 「隠してもいずれわかることですよ」白川さんは素っ気ない声で言った。「正直に教えていただけますか」
 椛山氏の視線が、白川さんと私の顔をせわしく行き来した。額には汗の玉が浮かんでいる。頭の中で、自分たちのスキルを正直に告白した場合と、隠し通した場合のリスクを計算しているのが目に見えるようだ。
 近くの席のプログラマたちは、みな手を止めて、椛山氏の次の言葉を待っている。いつの間にか戻ってきた東海林さんと細川くんも、立ち止まって状況を見守っていた。
 「ふー」白川さんはため息をついた。「いいですか、椛山さん。以前に申し上げたと思いますが、私はこのプロジェクトを成功させるために全力を注いでいます。そのためには、みなさんの正確な技術レベルを知っておく必要があるんです。でないと、どのようにタスクをアサインすればいいのかわからないじゃないですか。それはおわかりですよね」
 「ええ、はい」
 「個人によって技術レベルやスキルに差があるのは仕方ないじゃないですか。経験してきた業務の内容にもよりますし、単純な実務年数にもよるでしょう。別にその差をもって、待遇に色を付けようとか、そんなことは考えていませんよ。みんながみんな、スーパーエンジニアばかりのはずはありませんからね」
 椛山氏は小さく頷いた。
 「では、もう一度だけお訊きします」白川さんは優しい笑顔で椛山氏を見据えた。「提出していただいたのは、正確なスキルシートでしたか? 正直に教えてください。悪いようにはしません」
 最後の言葉に背中を押されたように、椛山氏はごくりと唾を呑み込み、愛想笑いを浮かべながら口を開いた。
 「すみません。少しだけ盛りました」
 「少しというのは?」白川さんは怒った様子もなく、事務的な手続きを確認しているような口調で訊いた。「椛山さんは、Java で基幹システム構築に参加経験あり、と書かれていましたが、実際のところはどうなんですか」
 「参加経験あり、というのは、少し大げさだったかもしれません」
 「つい誇張して書いてしまったと。まあ、よくある話ですね。実際は?」
 「すみません。Java はほとんど未経験でして」椛山さんは卑屈な笑いを洩らした。「でも、それぐらい、どこでもやってることだと思いまして」
 「他の3 名も同じですか?」
 「ええ、まあ」
 「なるほど」白川さんは頷いた。「つまりこういうことですか。田熊通信システムさんの4 名は、Java のスキルはゼロか、ゼロに近いぐらいしか持ち合わせていない。それなのに、スキルシートを偽装してこの仕事に潜り込んだと」
 「えー、その......」
 「言い換えると」白川さんの声に侮蔑が混じった。「御社は弊社を騙した、ということですね。どこでもやっている、という理由にもなっていない理由で、弊社の時間とお金をムダにしたと。バレなければいい、そう考えたわけですね」
 いまや椛山氏は顎から滴り落ちるほど汗をかいていたが、それを拭うこともできないようだった。少し気の毒に思ったが、ハンカチを貸してやる気になれなかったのは言うまでもない。
 「しかも自分の都合で、他社の参加者の時間まで食いつぶそうとしたわけですね。助け合いの精神だとか、何とか意味不明なことを並べ立てて。何か弁解がありますか?」
 「すみませんでした」椛山氏は深々と頭を下げた。「うちも台所事情が苦しくて、名倉スタッフサービスさんに無理言ってねじ込んでもらったんです。もうずっとまともな受託がなくて、派遣事業の申請も却下されてばかりですし、まともに給料を払うことも苦しくなっていて......」
 椛山氏は必死で田熊通信システムの窮状を訴えた。前にやったことがあるのか、もともと弁が立つ人間なのか、次から次へと淀みなく言葉が紡がれる。白川さんは遮ることなく耳を傾けていたが、かといって心を動かされている様子はなかった。
 5 分ほど続いた演説がようやく終わったとき、白川さんは退屈そうな顔で訊いた。
 「それが弁明ということでよろしいですか?」
 「は、いえ、あの......」
 「もうお帰りになって結構ですよ」白川さんは顎をしゃくった。「部下の方たちと一緒に、今すぐ開発センターから出ていってください。二度と開発センターに足を踏み入れることはないでしょうから、忘れ物などありませんように」
 「......」
 「谷脇、丸井」白川さんが呼ぶと、2 人の若手エース社員が音速で飛んできた。「田熊通信システムが撤収されるので手伝いをしなさい。ID カードを回収し、オフィスエントランスの外まで確実にお送りすること。20 分以内に完了の報告がなかったら、あんたたちも、明日から来なくていいから。わかった?」
 2 人のエース社員は声を揃えた。
 「では」白川さんは椛山氏に背を向けた。「ごきげんよう。短い間でしたが、ご苦労さまでした。名倉スタッフサービスの細見さんには、こちらから連絡しておきます」
 残された椛山氏は抗議の声を上げたが、白川さんはそのままコマンドルームに入り、ドアを閉めてしまった。
 「くそったれが!」椛山氏はコマンドルームに向かって叫んだ。「何様のつもりだ! そんなに偉いのかよ!このどぐされ......」
 聞くに堪えない罵詈雑言を喚きながら、椛山氏は2 人のエース社員に引きずられるようにロッカールームの方へ消えていった。田熊通信システムの3 名も後を追っていく。凍り付くような静けさの中、私たちはそれぞれのモニタに向き直った。
 「一体、何事だったんだ」東海林さんが訊いた。
 「後で話します。とにかくプラクティスを終えましょう」
 私は、真剣な顔でキーを叩いているプログラマたちを見ながら答えた。この中には、田熊通信システムと同じような手段で、スキルという入場券を買わずに座っている人が少なからずいるに違いない。その人たちは、今、必死で恐怖心を押さえ込んでいるのだろうか。

(続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。本文中に登場する技術や製品は実在しないことがあります。

Comment(20)

コメント

staticおじさんから7年、未だにこんな化石(&厚顔無恥)が棲息しているとは…

「事前にUSB で」は「事前にUSBメモリで」ですかね。

わるを

USBメモリ=USB は、どうやら世の中の趨勢みたいなので「今作の主人公は、USBメモリの事をUSBと言っちゃう人」ととらえておけば問題ないかと。

匿名

新たな不穏分子、登場。
逆恨みからの犯行という線も出てきましたな。

匿名

当然別室で一部始終を監視してて、もし川嶋さんが助け舟出してたら川嶋さんもろともアウトだったんでしょうね
こわいこわい

無銘

怒らないから正直に言いなさい

butte72gawarui

いつも楽しく拝見してます。

"(前略) スキルという入場券を買わずに座っている人が少なからずいるに違いない。その人たちは、今、必死で恐怖心を押さえ込んでいるのだろうか。"

これはこれで想像をかき立てられますね。
スキルの自転車操業的な。

>わるをさん
USBの件、拝承。

けー

さらっと書いているけど、二重派遣という業界の闇をさらけ出している。

hoi

やっている事は正しいし、田熊通信システムがスキルを詐称した事は、弁解の余地が無い信義則違反だろうけど、
こういう公開処刑じみた切り方をするのはプロマネ的にアリなんだろうか……?

これだと、スキルという入場券を持っていない人間が今後自己申告する、ってシナリオはますます期待できなくなるし、
結果的に他の問題ある面子を見つけそこねてしまう、という事にもなりかねないのでは?
白川女史は、この手の「招かれざる客」は泳がせた後に一網打尽、ではなく逐次排除っていう作戦を採用してるのかな。

kai_lambda

某巨大銀行の例のプロジェクトのネタも少し混じってるのかな?

匿名

スキル詐称の無能がこのプロジェクトでどんな風に扱われるかをメンバーによく理解させるための公開処刑と思えば
そもそも自発的に詐称を申告してくるようなシナリオって存在するのかな

リーベルG

ろさん、わるをさん、ありがとうございます。
会話文なら「USB」でいいんですが、地の文だとUSBメモリが正しいですね。
昔、誰かの文章で、会話では「自販機」でもいいが、地の文では「自動販売機」とすべき、と書かれていたのを憶えています。だから、会話文では「スマホ」でも、地の文では「スマートフォン」と書くようにしています。

aoi

スキル詐称はこの後の試験でだいたいあぶりだされるでしょ。
このおっさんの罪はスキル詐称よりも他人の時間を奪ったことなのでは?

夢乃

『会話では「自販機」でもいいが、地の文では「自動販売機」とすべき』は、基本的にはその通りだと思うのですが、一人称視点で書かれた小説の場合は必ずしもそうではないと思うのです。なぜなら、一人称視点の場合は、「地の文」も語り手の「会話(言葉)」に近いので。尤も、一人称視点でも、思っている時と口に出す時とで言葉は変わることもありますが。
今回の「USB」では、語り手が川嶋さんというIT業界にいる人なので「USBメモリ」の方が適切そうですけれど、もし語り手が文系高校生だったりしたら地の文でも「USB」の方がしっくり来るんじゃないか、とも思います。
・・・って、小説に関してど素人の私が講釈垂れることでもありませんね(-_-; 失礼いたしましたm(_ _)m

匿名

「USB」よりさらに重箱の隅つつきになるので恐縮ですが、「中抜き」って本来は「中間業者を抜く」(BtoC的なもの)を指す言葉で、ところが逆の意味(中間業者が途中で金を抜く)で多く使われている語になっているので少し気になります。

「別にその差を持って、待遇に色を付けようとか、そんなことは考えていませんよ。」
誤:持って
正:以って
ひらがなの「もって」のほうがいいかも

リーベルG

夢乃さん、どうも。言われてみれば、確かにそうかもしれません。日本語って難しいです。
女性が主人公の場合、一人称でも地の文では「私」で、会話文では「あたし」とするので、
全く同じ文体というわけにもいかないんですよね。

リーベルG

匿名さん、どうも。

>「中抜き」って本来は「中間業者を抜く」(BtoC的なもの)を指す言葉

そうだったんですか。勉強不足でした。
私の経験だと「中抜き業者」というと、あまり良い意味ではなく使っていたので、それ以外を考えもしませんでした。ありがとうございます。


リーベルG

ぬさん、ご指摘ありがとうございます。
ひらがなにしました。

行き倒れ

もしかして、作者さんU社に関連あるのですか?

今作の人物名にうっすらその名残があるような、、、

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