ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

鼠と竜のゲーム(終) あなたの人生の物語

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 11月30日、16:00。

 五堂テクノ本社で、記者会見が行われた。もちろん、大手企業の会見といっても、全国ネットで生中継されるようなことはなかった。ほとんどの一般市民が関心を持つような重大事件ではないし、そもそもT市立図書館事件そのものが、大々的に報道されたわけでもない。一応、大手メディアは一通り呼ばれたらしいが、報道の多くは夕方のニュースで数分間放送されただけか、翌日の社会面の片隅に小さく載っただけだった。

 むしろ、5月の倉敷さん逮捕当初から、この件をフォローし続けてきたネットユーザーによるまとめサイトの方が、会見の模様を詳細にレポートしていた。ぼくが、それを読んだのは、記者会見の翌日の午後だった。

 会見で主に質問していたのは、神代記者だったが、約束通り、例の対談の件はまったく話題に上らなかった。

五堂テクノロジーサービス株式会社による記者会見
201x年11月30日 16:00
五堂テクノロジーサービス本社 大会議室

出席者
 取締役社長 角倉シロウ
 ソリューション事業本部長 東埜タダオ
 広報部広報課課長 和田シゲル

 (和田広報課長が、8月に発生した個人情報流出の件について、簡単に経緯を説明。続いて、3月から5月に発生したいわゆるT市立図書館でのアクセス障害について、SIerとしての責務を十全に果たせなかったと反省の意を表明。それぞれの問題に対する再発防止策を説明。内容は会見に先立って配布されたプレスリリースに記載されていることであり、同日付で五堂テクノのHPにも同じ内容の文章がアップされた。説明は10分ほどで終わり、質疑応答に移った)

 デジタルIT 神代記者:5月にアクセス障害の実行犯として、県内の男性が、業務妨害で逮捕され、その後起訴猶予になったという事件があったが、この件についてはどのように考えているのか。

 角倉社長:図書館ユーザーのお一人として、大変なご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げたい。すべては弊社の誤った対応によるものであり、氏には何ら責任がないものと考えている。事情が許せば、直接お目にかかって説明したい。

 神代記者:それはK氏に対する謝罪と受け取っていいのか。

 角倉社長:その通りである。

 神代記者:アクセス障害と言っているが、結局は、御社が作成したシステムにバグがあったということなのか。

 東埜本部長:バグという認識はない。図書館システムとしては、どのユーザーからも高い評価を得ている。ただ、T市立図書館向けのカスタマイズについては、ネット対応が不十分だった。

 神代記者:不十分とは具体的に何を指すのか。

 東埜本部長:いわゆるクローラ的な大量アクセスを想定していなかった。

 神代記者:クローラと言われたが、その技術自体は10年以上前から存在している。それに対応していなかったのは、不具合にはあたらないのか。

 東埜本部長:元々は、館内で検索や予約を行うためのシステムとして開発したものだ。それをユーザーの利便性を考えて、インターネットに解放したのだが、K氏のようにプログラムを使って短時間に大量にアクセスすることを想定していなかった。

 神代記者:現在の最新バージョンでは、T市立図書館で発生したようなアクセス障害は発生しないと聞いているが。

 東埜本部長:その通り。大量アクセスについても対応が施されている。

 神代記者:その大量アクセスについての対応が行われたのは、今年の5月より以前なのか。

 東埜本部長(手元の資料を確認して)一昨年の7月のバージョンから対応されている。

 神代記者:対応したということは、今回のような問題が発生するという想定があったからではないのか。にも関わらず、T市立図書館については放置していたということなのか。

 東埜本部長:結果的にそうなってしまったことは確かなので、申しわけないと思っている。ただ、こちらとしては不具合という認識はなく、怠慢などで放置していたわけではない。

 ネットセキュア通信 村上記者:K氏が逮捕されてしまった件だが、神奈川県警から捜査協力を求められたのか。

 角倉社長:そのような事実はない。

 D新聞 近藤記者:T市立図書館側から、テクニカルな面でのサポートを求められたのではないのか。

 角倉社長:製品を納品したSIerとして、アクセス障害の原因究明のための実情把握をお手伝いした。

 神代記者:警察に被害届を出すように勧めたのは、御社のエンジニアではないのか。

 角倉社長:図書館側には事実を伝えただけと認識している。最終的に被害届を出すことを決断したのは図書館側で、その意思決定プロセスに弊社は関与していない。

 神代記者:しかし御社の報告が、不正アクセスを示唆するものでなければ、被害届の提出はなかったのではないか。

 角倉社長:仮定の話には答えられない。

 神代記者:調査を行ったのは、御社の社員か。

 東埜本部長:川崎支社のエンジニア数名が担当した。

 神代記者:調査はどのように行ったのか。

 東埜本部長:主にアクセスログの調査と聞いている。

 神代記者:結果として、いわゆる攻撃を認識したのか。

 東埜本部長:はっきり断定したわけではないが、その可能性もあると、図書館側には報告した。

 神代記者:その判断は正しかったのか。

 東埜本部長:エンジニアはそう判断し、私も支持した。

 神代記者:つまりK氏の作成したプログラムによる新着図書情報の収集などが、攻撃的な意図を持って作成されたと判断したということか。

 東埜本部長:そう判断した。

 神代記者:どのあたりから、その判断に至ったのか。

 東埜本部長:身元がはっきりしていないIPアドレスから、毎日のように連続したアクセスがあった。その時点では、そのような使用方法を想定しておらず、何らかの意図による業務妨害の可能性が高いと思われた。

 神代記者:今は違う認識なのか。

 東埜本部長:今では利用方法の一形態と捉えている。そこに想像が至らなかったのは、弊社の認識不足だったと反省している。

 神代記者:以前に何度か取材したときには、K氏のプログラムや使用方法に問題があり、図書館システムそのものには問題がないという回答だった。個人情報流出の件で態度が変わったのか。

 角倉社長:直接には関係がない。社内でも追跡調査をしていて、最近、この結論に至った。

 (「関係ないわけないだろ」と誰かのヤジのような声が飛び、記者たちが笑った)

 ネットセキュア通信 村上記者:少し細かい点をお訊きしたいが、セッションタイムアウトは何分に設定されていたのか。

 東埜本部長:10分である。

 村上記者:コネクションの最大数はいくつだったのか。

 (しばらく、セッション接続時間など、技術的な内容の質疑応答が続く)

 神代記者:T市立図書館向けカスタマイズは、御社だけで開発を行ったのか。

 東埜本部長:県内の協力会社、数社に一部分の開発を依頼した。

 神代記者:問題となったコネクション部分は、その協力会社が開発を担当したのか。

 東埜本部長:弊社のエンジニアが担当した。

 神代記者:協力会社の担当ということはないのか。

 東埜本部長:一時はその可能性もあったが、現在は完全に否定されている。そもそもコネクションのようなコア部分を、協力会社にお願いすることはない。

 近藤記者:個人情報流出の件だが、この件で個人情報が悪用されたなどの被害報告はあるのか。

 (個人情報流出関連の質疑応答が続く)

 神代記者:この件全体を通して、御社内で担当者の処罰などは実施されるのか。

 角倉社長:すでに主任1名を降格した。

 近藤記者:それは誰か。

 角倉社長:個人名はお伝えできない。

 (後略)

 「なんか、微妙に責任逃れしてる気もしますね」読み終えたぼくは、後ろからモニタを覗き込んでいた東海林さんに言った。「不具合ではなく、想定していなかっただけ、とか。そういうのも不具合と言う気がするんですけど」

 「ま、こんなもんだろうな」うちの会社としては片がついたことだからか、東海林さんはどうでもよさそうに答えた。「事情を知らない一般市民が見れば、それなりに真摯に非を認めているように読める。大手メディアの報道も、事実を書いているだけで非難の論調にはなっていない。五堂テクノにしてみれば、大事なのはそこだけだよ」

 うちの会社に重要なのは、協力会社に責任はないと明言してくれた部分だ。すでに、ネット上での根拠のないウワサは、例の対談の直後から一気に下火になっていた。巨大扇風機で煽っていた大元が沈黙したためだ。

 「これで、うちの営業も何とかなるだろうしな」東海林さんはそう結ぶと、自分の仕事に戻っていった。

 その言葉通り、続く数日の間に、うちの営業状況は劇的なまでに改善していった。

 社長や黒野さんは、毎日、朝から営業活動で飛び回っている。五堂テクノの記者会見の内容を根拠にして、発注を取り消した顧客の信頼回復に励んでいるのだろう。いくつかの顧客には、五堂テクノから電話が入っているはずで、説得力も増すに違いない。

 その一例として、例のウワサのせいで頓挫した、相模ソフトさんの開発案件も正式に復活し、ぼくはVOCの勉強を再開した。黒野さんが早々に発注書をゲットし、ぼくは相模ソフトの土屋さんからも、丁寧な謝罪の言葉をいただいた。

 城之内さんがどうなったのかは、はっきりとはわからなかった。少なくとも五堂テクノを退職していないことと、<LIBPACK>シリーズの開発から外れたことだけは、社長と黒野さんから耳にした。どこで何をしていてもいいが、二度と関わり合いにならずに済むことだけを願っている。

 公的には、つまり、サードアイと五堂テクノの攻防は、この記者会見によってが終局だった。だが、ぼくには、最後に1つだけやることが残っていた。

 

 数日後の昼休み、ぼくは少し遅めに会社を出た。地下鉄とみなとみらい線を乗り継いで、みなとみらい駅で降りた。すっかりクリスマスカラーに染まったクイーンズスクエアを通り抜け、ランドマークタワーの中央部、ガーデンスクエアで足を止めた。

 ガーデンスクエアには、毎年恒例のスワロフスキーのクリスタルツリーがそびえ立っていた。観光客らしい人たちが、スマートフォンを頭上にかざして写真を撮っている。

 いくつか用意されているテーブルの1つに、倉敷さんが座っていた。コートを膝の上に置いて、本を開いている。ぼくが少し近づくと、倉敷さんはにっこり笑って本を閉じた。

 「こんにちは」

 「やあ、どうも」

 「お待たせしました」

 「いや、早く来たんだ」倉敷さんはそう言うと、隣に座っていた男の子を見た。「この子が周囲に慣れる時間が少しばかり必要なんでね。息子のシンイチです」

 「こんにちは。井上です」

 小学校高学年ぐらいだろうか。倉敷さんに似ているものの、遙かに繊細そうな細い顔だった。すがるように倉敷さんの片腕をつかんでいる。シンイチくんは、顔を横に向けてクリスタルツリーを熱心に見つめていたが、自分の名前が呼ばれると、ゆっくりと父親の顔を見て、それから夜のように澄んだ瞳を、まっすぐぼくの顔に向けてきた。

 「井上くんを観察してるんだよ」倉敷さんは面白そうに囁いた。「初対面の人に対してはいつもやるんだ。気にしないでいいよ」

 ぼくはシンイチくんを驚かさないように、ゆっくりと倉敷さんの向かいに座った。ぼくの動きを、シンイチくんの視線が正確にトレースしている。ぼくが腰を落ち着けてからも、しばらくの間、シンイチくんは瞬きもせずに、ぼくの観察を続けていたが、やがて、満足したのか、好奇心を失ったのか、ふいと視線を外した。そのまま再びツリーの観察に戻る。ぼくの顔などより、ずっと興味深いのだろう。

 「今日は学校じゃないんですか?」ぼくは小声で訊いた。

 「なかなか難しくてね」倉敷さんは、愛おしそうにシンイチくんの頭をなでた。「アスペルガーの症状には波があって、あるサイクルのときは、学校に行っても混乱するばかりなんだ。学校は、それでも登校を望んでいるんだが、ぼくは無理強いはさせないようにしてる」

 「人混みは平気なんですか?」ぼくはガーデンスクエアの周囲をせわしく行き交う人々に目をやった。

 「これぐらいならね。満員電車だと、たぶんパニックを起こすと思うけど。今ぐらいなら人も少ないだろうと思って、この時間にしてもらったんだけど、仕事の方は大丈夫だった?」

 「うちは、特に昼の時間が決まってるわけじゃないので」

 約束の時間にはまだ5分ほど早いので、もう1人の待ち人は現れていなかった。

 「あ、それ」ぼくは倉敷さんが読んでいた、ブックカバーのかかった本に目を留めた。「ハヤカワの銀背ですね。なんですか?」

 倉敷さんは、手塗りだという触れ込みの茶色の小口の本を開いて扉を見せてくれた。コニー・ウィリスの『オール・クリア2』だった。

 「ウィリスですか」

 「読んだ?」

 「まだ、ブラックアウトの途中なんですよ。オール・クリアが出てから一気読みしようと思ってたら、今度は読み始めるふんぎりがつかなくて」

 「それ、わかるなあ」倉敷さんは愉快そうに笑った。「これはずっと待ってたから、出たら速攻で読んだけどね」

 「ウィリスといえば、クリスマスの短編で名前が思い出せないやつが1つあるんですよね」

 「クリスマスの短編というと、『ひいらぎ飾ろう@クリスマス』かな?」

 「マーブル・アーチの風」突然シンイチくんが口を開いたので、危うく飛び上がりそうになった。「2008年9月25日発売。早川書房。89ページから162ページ」

 ぼくは唖然となって、まじまじとシンイチくんを見つめた。倉敷さんは、苦笑しながら言った。

 「そう、それのこと?」

 「え、いや、えーと」ぼくはシンイチくんを横目で見ながら答えた。「それじゃないんですよね。たぶん、単行本にはなってないと思うんですけど。なんか歌ばかり出てくるやつで、ラブコメの要素もあって......確か、大地が何とか......」

 「ああ、あれかな。えーと......」

 「コニー・ウィリス、『もろびと大地に坐して』」またもや、シンイチくんが淀みなく話し始めた。「SFマガジン2008年12月号」

 「それだ」倉敷さんは慣れているらしく、シンイチくんの頭をくしゃくしゃとやっただけだった。「早く単行本になってほしいね」

 ぼくはシンイチくんをまじまじと見つめた。シンイチくんは、ぼくの視線を完全に無視して、ツリーに見入っている。

 「あの......」ぼくは倉敷さんに訊いた。「シンイチくんも、コニー・ウィリスが好きなんですか?」

 自分の名前が呼ばれた途端、シンイチくんはぼくをじっと見つめたが、すぐにツリー鑑賞に戻った。

 「ん、いや、そういうわけでもないよ」

 「でも、本のページ数や、掲載号まで......」

 「読んだ本は全部憶えてるからね、この子は。読むスピードも速いし、一度調べた漢字は忘れない。頭の中にちょっとした地方図書館なみのデータベースがあって、日々、増えていってるよ」

 ぼくは絶句した。アスペルガーの患者が、時として、そのような驚異的な能力を発揮することがあるのは知っていたが、目の当たりにするのは初めてだった。

 「しかも、ますますインプットを要求するようになってきているんだよ、これが。1日数冊ペースで本を買い続けるわけにもいかんしね。図書館がなかったら、かなり困るだろうなあ」

 まるで図書館、という単語を聞きつけたかのように、五堂テクノの野崎さんが現れた。

 「お待たせしてしまいましたか」

 「いえいえ」

 倉敷さんとぼくは揃って首を振った。習慣からか、つい名刺を出しかけた野崎さんを、倉敷さんは笑いながら押しとどめると、椅子をすすめた。

 ぼくが改めて両者を紹介した。シンイチくんについてはどうするか少し迷ったが、倉敷さんが自分から紹介することで解決してくれた。シンイチくんは、ぼくのときと同じように野崎さんをじっと観察を開始し、ぼくよりも長い時間、視線を照射し続けた後、脅威ではないと納得したような顔でツリーに向き直った。

 野崎さんは持ってきた袋から、すぐ近くのヴィ・ド・フランスで買ったらしいサンドイッチとドリンクを出して広げた。そして、心配そうにぼくたちを見た。

 「これでよろしかったですか?」

 「ええ。遠慮なくいただきます」

 倉敷さんは、コロッケサンドの包装を取ると、半分に割って、シンイチくんに差し出した。シンイチくんは黙って受け取ると、少しの間ためつすがめつしてから、ゆっくりと食べ始めた。それを見届けて、倉敷さんは残りの半分にかぶりつく。野崎さんとぼくも、それぞれのサンドイッチを選んで、遅めのランチを始めた。

 最初、野崎さんはどこかのレストランで、と提案したのだが、倉敷さんはそれを断り、このような形になったのだった。たぶん、シンイチくんのことがあったからだろう。

 きっかけは、例の対談の最後に、ぼくが野崎さんから言われた「お願い」だった。野崎さんは、倉敷さんに直接会って謝罪をしておきたい、と言ったのだ。電話やメールでは断られるかもしれないから、仲介を頼めないか、と。

 ぼくは了承し、双方とメールをやりとりして、場所と日時を決めた。といっても、野崎さんは基本的に倉敷さんに合わせる意向だったので、倉敷さんの都合のいい日を訊くだけでよかった。倉敷さんは、息子さんを連れていくことと、ぼくが同席することを条件に了承してくれた。こうして、この奇妙な三者会談――いや四者会談か――が実現したのだった。

 「あなたには、どうしても直接謝罪をしたかった」野崎さんは食べる手を止めて、倉敷さんに言った。「うちの会社の人間が、大変、ご迷惑をおかけしました」

 サンドイッチを手にしたまま、野崎さんは頭を下げた。野崎さんが礼儀を知らないわけではなく、これも、倉敷さんの出した条件の1つだった。あまり堅苦しくせず、会話は食事をしながら、と。

 「もう済んだことです」倉敷さんは穏やかに答えた。「仕事の方も、ようやくいくつか受注の見込みが出てきましたしね。先日の記者会見のおかげです。まあ、うちの経理なんかは、賠償金請求しましょう、なんて息巻いてますけど」

 「そうされても拒否できないところでしたがね」

 「私に非がまったくないわけでもないんですから」倉敷さんはジュースをすすった。「事前に、一言、図書館の方に連絡しておけばよかったんです。そうすれば、図書館の方から五堂テクノさんに問い合わせが行って、結果的に、早急に問題点に気付いたかもしれない」

 「図書館の方には?」

 「先日、行ってきました。館長には状況を正しく理解していただけましたが、被害届の取り下げはできないということでした。図書館側の立場もわかるので、まあいいんですが」

 「そうですか。本当に何と申し上げていいのか......」

 「警察ももう少ししっかり捜査してくれればいいのに」ぼくはずっと思っていたことを口にしたが、倉敷さんは首を横に振った。

 「私も、五堂テクノさんも、図書館も、警察も、誰にとっても未知の出来事だったんだよ」倉敷さんは優しく微笑むと、ぼくの方を見た。「私としては、今さら警察や検察にどうこうして欲しいとは思わないよ。まあ願わくば、この事件を教訓にして、ITがらみの事件については、専門家の意見を聞くなどして、正確な捜査が行われるようになってもらいたいけどね」

 数年後、PC遠隔操作事件による冤罪が世間を賑わせたとき、ぼくはこの倉敷さんの言葉を思い出すことになる。倉敷さんもきっと悔しい思いをしたのではないだろうか。

 「びっくりしたのは、サードアイさんにまでとばっちりが行ってしまったことだね」

 「それについては弁解の余地はありません」野崎さんがきっぱり明言した。「城之内が余計なことをしたばっかりに」

 「城之内さんはどうしたんですか?」ぼくは訊いた。

 「あいつは、一から鍛え直しますよ」冷徹な口調だった。「会社から放り出すことも考えましたが、ああいうのを野放しにしとくとろくなことにならない。それに、もう、あいつをやりたい放題にさせておく理由もなくなったので」

 その理由は、数日前のニュースで明らかになっていた。2年後に予定されていた五堂トラスト銀行と中央YDF銀行の合併事案が、白紙に戻ったことが報道されていたのだ。合併が本決まりになっていれば、新銀行のオンラインシステム統合は五堂テクノが受注していただろうし、そのプロジェクトリーダーには、名目だけとはいえ、城之内さんが任命されたことだろう。まあ、うちにはあまり関係のない話なのだが、野崎さんにしてみれば避けられるものなら、避けたい事態だったに違いない。

 テーブルの上に並べられたサンドイッチがあらかた片付いたところで、倉敷さんが言った。

 「さて、どうやって先日の記者会見にこぎつけたのか、そろそろ話してもらってもいいですか? 神代さんは何も教えてくれないんですよ。ジャーナリストの何とかが何とかだとか言って」

 「そうですね......」

 ぼくは野崎さんの顔を見た。ぼくが好き勝手に話をするわけにはいかない。野崎さんは、伊達や酔狂で例の対談の様子をオフレコにしたわけではないのだから。

 野崎さんは、ぼくの視線を受け止め、小さくうなずいた。それを同意のサインと受け止め、ぼくは軽く頭を下げた。

 「少し長い話になるんですが」

 「長い話は大好きなんですよ」倉敷さんは、シンイチくんの頭をなでた。「この子もね」

 いつのまにかシンイチくんが、真摯な瞳でぼくの顔をまっすぐ見つめている。何らかの物語が語られることを察したのだろうか。

 シンイチくんを連れてきた理由は、これだったんだな、とぼくはそのときになって気付いた。本を読むことはいつでもできるが、誰かの体験談を直に聴くことは、この子にとって滅多にない貴重な経験なのだろう。

 周囲では気の早いクリスマスソングが静かに流れている。ぼくはシンイチくんに笑いかけると、ゆっくりと話を始めた。

(終)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 このお話は、2010年に起こった「岡崎市立中央図書館事件」または「Librahack事件」と呼ばれる、一連の出来事を題材にしたフィクションです。本家の事件について詳しく知りたい方は、逮捕されてしまったLibrahack氏自身が事件を詳細に解説したサイトや、産業技術総合研究所情報セキュリティ研究センターの高木浩光氏のブログ、多くのまとめサイトなどが参考になると思います。

 実在の人物を模したキャラクターが登場しますが、私はいずれの方ともお会いしたことはなく、容姿や性格などは純然たる想像の産物です。

 連載中にコメントを寄せていただいた方々、誤字脱字を指摘していただいた方々に、重ねてお礼を申し上げます。

 例によって、サブタイトルの出典などを上げておきます。

□鼠と竜のゲーム

 コードウェイナー・スミスの短編より。猫への愛にあふれた逸品です。また、第1章の書き出し「あなたはもう結末を知っている」は、同じくスミスの短編「クラウン・タウンの死婦人」からいただきました。これらは「人類補完機構」シリーズという一連の長編/短編に含まれる物語です。

 実は最初に考えていたのは「図書館戦争」だったのですが、あまりにもベタだと考え直してこちらにしました。

□帝国の論理

 ハインラインの短編より。この話が入っている「地球の緑の丘」という短編集は味のある話が揃っています。

□コードを見れば分かること

 映画「彼女を見ればわかること」より。グレン・クローズ、ホリー・ハンター、キャメロン・ディアス、キャリスタ・フロックハート、エイミー・ブレネマンという豪華女優陣が出演するオムニバスです。

□レス・ザン・ゼロ

 同名の映画より。実生活でもよくドラッグで逮捕されている、ロバート・ダウニー・Jrが、薬物と酒に溺れる破滅的な男を演じています。

□失われたソースを求めて

 マルセル・プルースト「失われた時を求めて」より。

 何度も読みかけて、何度も挫折しています。死ぬまでに読みたい。

□すべて灰色の猫

 「ファイアフォックス」で有名なクレイグ・トーマスの同名小説より。ほとんどの著作のタイトルに動物の名前を入れていることでも有名です。

□まっ白な嘘

 フレドリック・ブラウンの短編より。短編の名手と言われるブラウンですが、この短編集も傑作そろいです。

□ストームブリンガー

 マイクル・ムアコックのエルリック・サーガに登場する、おそらく史上最強の魔剣の名前より。「嵐を呼ぶ剣」というような意味です。

□トゥルーライズ

 ジェームズ・キャメロン監督、シュワルツェネッガー主演の映画より。

□King of Solitude

 鬼束ちひろの曲より。個人的には、この曲が入っているサードアルバムが、鬼束ちひろのベストだと思っています。

□あなたの人生の物語

 SF界のトップガンの1人、テッド・チャンの短編より。ネビュラ賞受賞作。同名の短編集は、SFの域を超えて楽しめる逸品ばかりです。寡作なのが惜しい。

 5月の連休明けあたりに、次のお話を予定しています。仕事の状況によっては、多少、後ろにずれるかもしれません。

Comment(25)

コメント

wildcat

今回のお話も面白かったです!勧善懲悪的にスッキリではないですが落ち着くところに落ち着いた形で終結しましたしね。次回作も楽しみに待っています。

tako7

毎週月曜をとても楽しみにしておりました。素晴らしい物語をありがとうございます。IT系ミステリーと勝手に思っておりますが、今回は最後も素敵な終わり方ですね。サブタイトルの出典も参考にして読んでみようと思ってます。次回作を楽しみにしております。

ex

> 黒野さんはが早々に発注書をゲット

rasetu

初めてコメントします。執筆お疲れ様でした。楽しかったです。また次を期待しちゃいます。終わるのはなんかちょっと寂しい。

>和田広報課長が、8月に発生した個人情報流出の件について、簡単い経緯を説明。

ここは

和田広報課長が、8月に発生した個人情報流出の件について、簡単に経緯を説明。

だと思うのですが。

たーじん

はじめてコメントさせて頂きます。
いつも楽しく読ませて頂いています。

シンイチがアスペルガーであるという記載については、この物語に深い意味が無いので、あまり書かれない方が良いかと思いました。
作者がアスペルガーに対して思いを込められているのであれば良いのですが、障害に対しては私も含めて非常に神経質になられる方もいますので考慮頂ければと思います。

アスペルガーの特異能力について少し触れておきますと、記載されている様な能力はほとんどの方が持つ事はありません。
アスペルガーの方はこだわりが強いという事から、ごくまれに特異な能力を持つ方がいますが、これはアスペルガーで無い方でも発揮される方がいます。

最後になりましたが、次回作を楽しみに待っています。

xxxx

これで完結か。
何と言うか、地雷原を無事踏破できた時みたいな、奇妙な安心感があるな。

先週にGTSの副社長が言っていた、「城之内と分かれられる日はそう遠くない」的な発言は、今回の合併取り消しの伏線であって、野崎の死亡フラグではなかったのは本当に良かった。

saza

GTSにとって合併が流れたのはトータルとしてみた場合は良かったのか、悪かったのか・・・

さすがに「図書館戦争」というタイトルにすると現在進行中の他の作品とバッティングしてしまうので無しですよね。

techniczna

某ひろみちゅ閣下のブログで、あまりにタイムリーな更新がw

通りすがり

お疲れ様でした。次回作も楽しみにしてます。

BEL

22話の
「そうですか。それでは1つお願いがあるんですがね」
はどこで明かされるんだろうと思っていたら、最後でしたか。

リーベルGさんお疲れ様でした、今回も非常に面白かったです。
また読めることを楽しみにしております。

mapawara

楽しく読まさせていただきました!

exさん、rasetuさん、ご指摘ありがとうございます。
修正しました。

a

お疲れ様です。面白かったです。

>数年後、PC遠隔操作事件による冤罪が世間を賑わせたとき
これは伏線の可能性ありますねえ・・・

いつもはスルー

シンイチくんは次回作に登場するのでは?
西尾ミドリのスピンアウトかと思ってたけどシンイチあると思う。
暗闇の速さはどれくらい?とかアルジャーノンとかも出てきてたしー

考えながら教材的に読むこともあれば(議論のネタ的な意味)読み物として楽しむことができました。
次回作もIT現場の日常と非日常をリアルに感じられる作品をお願いします。
しばらく月曜日つまらなくなるけど期待して待ってます!

8bit

写真記憶、と言われるほどの超記憶力はアスペルガー症候群ではなくサヴァン症候群じゃ

たーじん

>8bitさん
サヴァン症候群は知的障害がある人が特定の分野でずば抜けた能力を発揮される事で、アスペルガー症候群は知的障害が無い自閉症の事となりますので、症状が少し異なります。
アスペルガー症候群の方の中にも特定の分野で能力を発揮される方もいるので、明確にどちらが正解という事も無いです。

ここではシンイチはアスペルガーでこだわりを持っているという事が記載されているので間違いという事は無いと思います。
物語で記載されている様なすごい能力を持つ人はごくごく稀にしかいないですが。。。

フリント

面白かったです。来週から何を楽しみに月曜日を乗り切ればいいんでしょう?

(1)で、倉敷さんの奥さんと刑事さんのやり取りで、息子さんが何か特殊な事情があるのかなと思っていました。
アスペルガーについては、実際にこういう能力があるかどうかはともかく、それほど配慮が必要な描写とは思えませんでした。私の親戚にも自閉症の女の子がいますが、そのことを隠すなどの処置はまったくとられていませんで、学校ともうまくやっているようです。
確かにこういう問題に敏感な人はいるかもしれませんが、どんな単語でも世の中の誰かにとっては気に障る言葉なのかもしれないので、それをいちいち気にしていたら何か(誰か)を批判する小説など書けなくなってしまいますよ。
本筋には関係ないですが、倉敷さんが自作のクローラを作ってまで本の情報を得たかった理由が、息子さんが本を読みたかったためなんだ、という理由づけなのでしょうね。

こんなことをわざわざ書いたのは、別にたーじんさんを批判しようということではなく、この連載中に「高慢と偏見」の方で炎上したことを、ちょっと思い出してしまったからです。

ななし

>フリントさん

>本筋には関係ないですが、倉敷さんが自作のクローラを作ってまで本の情報を得たかった理由が、息子さんが本を読みたかったためなんだ、という理由づけなのでしょうね。

ナイスな考察ですね。この解釈がストンと腹に落ちました。
確かに、倉敷さんにそういう息子がいたからこそ、自作のクローラを作り、そして今回の事件が発生した……
と考えると、シンイチというアスペルガー症候群の息子が最後に登場したのは、冗長な描写どころか、見事な伏線回収ということになりますね。

フリントさんの考察がビンゴなら、今回の物語はシンイチから始まった、という見方もできるようになります。

たーじん

>フリントさん
なるほど。記載されている解釈でスッキリしました。
記載ありがとうございました。
作者さんに記載されている考察で正解なのかどうなのか聞きたくなってきました。

>来週から何を楽しみに月曜日を乗り切ればいいんでしょう?
⇒気持ち分かります。
 私もこの物語を読むのを楽しみに月曜日を乗り切っていました。

8bit

>たーじんさん
ご説明ありがとうございます。
知識不足は私の方でしたね、恥ずかしい。

ゆうらく

ADHDとアスペルガーの診断持ちのものです。
こだわりが強いので気になった点をひとつ。

アスペルガー症候群は発達【障害】とのうちの一つです。病気ではありません。
【障害】ですのでできないものはできません。調子で波があったりしません。
波があるとすれば発達障害から来る二次障害の方だと思います。

アスペルガー持ちで「驚異的な能力を発揮」できる人間なんて極々一部ですね。
驚異的な能力といってもシングルフォーカスから来る一点集中の結果+IQの高さ
だと私は思いますけどね。能力が優れているというよりか、そこに能力を集中
できるから身に付く。よってIQが高くない人は残念ながら障害だけが色濃く表面に
出てしまう結果になります。ちなみにIQの分布は健常者と変わりません。
アスペルガーだからIQが高いのではなく、IQが高いアスペルガーもいるというだけです。
※IQの分布の補足ですが、健常者に比べて山が低くすそ野が広がっている感じだそうです。

作者様を非難した訳ではありませんし、重箱の隅をつつくようなまねをしている
訳でもありません。単に自分のこだわりの強さと衝動性の高さで書いてしまい
ました。えーここは違うんだけどなーって思って書きました。
小説は毎週楽しみに読ませてもらっています。ではでは

わか

毎週楽しみに読ませていただきました。
次回作も期待しているのですが、
何かアナウンスがあればよろしくお願いします。

わかさん、どうも。
アナウンスというのが内容についてであれば、まだはっきり決めていないです。
すみません。

柳生

毎度ながら一気読みさせて頂きました、面白かったです。
最後の少年はアスペルガーと言うよりもサヴァン症候群のような印象ですね。
次回作も楽しみにしております。

お疲れ様でした

すっきり終わってくれてホッとしてます
今回はコメント欄で議論と称して罵り合いする連中も来なかったので良かったです

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