高慢と偏見(2)使徒襲来
6月に入ると開発状況が大きく変わった。
6月1日、K自動車社内で、別の開発プロジェクトがスタートした。詳しいことは知らないが、私がいる新部品調達システム開発プロジェクトよりもかなり重要なシステムらしく、うちのプロジェクトから5人ほど引き抜かれていった。小宮山さんも彼らと一緒に新しいプロジェクトへ移り、代わりに50代のベテランエンジニアがやってくるということだった。
「なんかね、COBOLの人らしいよ」
ランチの席で情報を教えてくれたのは、別の会社から常駐に来ている星野アツコさんだった。プロジェクト内の男女比は9対1ぐらいで、女子としてはランチの相手はよりどりみどり選び放題……なのだが、やはり同じ会社のメンバー同士で休憩を取ることが多い。必然的に、私やアツコさんのように1人だけで常駐しているメンバー(うちの会社では単身赴任と呼ばれている)が固まることになる。
「いわゆるコボラーってやつですか?」
「あ、Cもやってたって言ったかな。あとVBね。.NETじゃないやつ」
アツコさんはおいしそうな手作りのエッグサンドをぱくついた。
「でも、ベテランってのは確かみたいよ。昔からあるここのシステム、メインフレームのやつね、ほとんど全部設計したんだって。作ったのはメーカーの人らしいけど、運用は全部その人がやっているって。メーカーの人より詳しいらしいよ」
アツコさんは、担当しているサブシステムの仕様が完全に決まっていないため、よく各部門の社員の方たちと打ち合わせをしている。おかげで私たちよりも社内の情報をキャッチするのが早い。
「どういう立ち位置で来るんでしょうね?」
私は卵焼きとウィンナーだけの手抜き弁当をつつきながら尋ねてみた。
「小宮山さんみたく勤怠とかやるってことかな?」
「それもやるみたいだけど。でも、ベテランエンジニアに勤怠管理だけやってもらうのは変じゃない?」
「まあ確かに」
「これはうわさなんだけどさ」
アツコさんは声をひそめた。
「うちのプロジェクトって、平良さんがプロマネみたいなもんじゃない? でも、やっぱり社員が管理してないとマズいってことになったらしくて」
「そうでしょうね」
「だからといって、小宮山さんみたいな“Javaって何?”みたいな人だとプロマネなんてできないでしょ」
「だからベテランエンジニアさんに管理させると」
「そういうこと。まあ半分はあたしのカンなんだけどさ」
カンといっても、アツコさんは頭の回転が速い人だから、十分に根拠があるように思える。でも、そうなると……。
「でも、そうなると、平良さんの立場はどうなるんでしょうね」
「そうなんだよねえ」と、アツコさんはため息をついた。
「あんまり分かってない人にあれこれ言われるのはヤダよね。あんまり口出ししないで居眠りしててくれるような人だといいんだけど。ただでさえ、スケジュールは遅れてるんだから」
私は笑ったが、まったく同感だった。新部品調達システム開発プロジェクトの進ちょくは大幅に遅れている。30以上もあるサブシステムのうち、要件/仕様が未確定のものが半数以上あり、しかも確定作業が大企業特有の「部門間調整」というやつに時間を取られて遅々として進んでいない。
現システム自体のメンテナンスは、もう3年以上行われていない。業務の変化によって必要となる追加機能は、一度CSVファイルにデータを吐き出しておいて、ICTシステム部門がExcelやAccessで処理することで対応しているという。新システムには、それらの機能も実装する必要があるのだけど、仕様書とか書いてるわけはないので、コーディング基準もコメントも何もないVBAを解読することから始めなければならなかった。私は提出した職務経歴書から、こっそりVB関係の履歴を削っておいたので、幸いにも古文書の解読作業を割り当てられることはなかったが。
「素人さんじゃないだけ、マシなのかもしれませんけどね」
「だといいんだけどねえ。素人さんじゃないからこそ、逆に厄介ってこともあるし」
アツコさんは愛飲しているハーブティーを、コポコポと注いだ。
「まあ、あたしたちが口出せるわけでもなし、せめてハズレじゃないことを祈るしかないってことね」
私も祈ることにした。優秀なエンジニアでありますように。そうじゃなくても、せめて悪い人じゃありませんように。
祈り方が足りなかったのか、神様が多忙すぎたのかは分からないが、私たちは大きな失望に見舞われることになった。
次の月曜日の朝、ICTシステム部の部長さんが連れてきた人は、聞き覚えのある大きな声でこう言ったのだった。
「三浦技術担当マネージャです。今日からこのプロジェクトのマネジメントを担当することになりました。よろしく」
私は頭がくらくらした。紛れもなく「オブジェクト指向は実務では使えない」宣言をした人だ。Yシャツの上にK自動車のロゴが入っているジャンパーを着ていて、エンジニアというよりは少年野球チームの監督のように見えた。
その後ろには20代前半とおぼしき6名の男女が整列していた。先月まで、隣の部屋で研修を受けていた新人たちだろう。
「少し前まで、隣の部屋で新人研修をやっていました」
三浦マネージャは指で新人さんたちを指した。
「彼らは経験は足りないが優秀な技術者です。私が鍛えましたので間違いはありません。彼らも今日から一緒に参加することになります。よろしくご指導してやってください」
合図もないのに、6名の新人さんたちは一斉に頭を下げて「よろしくお願いします!」と声をそろえて叫んだ。
――いや、体育会じゃないんだから、そんなに大声出さなくてもいいんですよ。
私は心の中で突っ込みながら、三浦マネージャから少し離れた場所に立っている平良さんの無表情な顔をそっと見た。やっと分かった。あのとき、平良さんがどうして隣の部屋の新人研修を気にしていたのか。
平良さんは事前に知っていたに違いない。数年後どころか翌月には、経験を積んだメンバーを放出して、代わりにシステム開発経験ゼロの新人を迎え入れなければいけないことを。
「といっても、調達システムのことはよく分からないし、Javaもよく分からんのでね」
三浦マネージャはガハハと笑った。
「引き続き、平良さんにはよろしくお願いしますよ」
平良さんは無表情のままうなずいた。いつも穏やかな笑みを消さない平良さんが無表情というのは珍しい。
――ありゃりゃ、気に入らないってことかな。
「とはいってもマネジメントはしなきゃいかんからね」
全員に2枚とじのA4用紙が配られた。
「まず週に一度のコードレビューを徹底したい」
だんだん口調が丁寧語から離れて横柄になっている。
「私の経験から言うとコードレビューはデバッグに非常に有効にもかかわらず、このプロジェクトでは月に1回も実施されていないようなので、ここらでビシッと引き締めたいね」
――うーん、そんな時間取れるのかね。ただでさえ、スケジュールは遅れがちだというのに。
「待ってください」
平良さんが声をあげたが、三浦マネージャは片手を振った。
「質問は後でまとめて聞きます。次にデバッグのエビデンスですが、バグ出現率表がほとんど記入されていないので、これも徹底したい」
――え、バグ出現率表って、あれを本気で書けっての?
初日にまとめて渡された開発ドキュメント一式の中に「バグ出現率表」は確かにあった。でも、まともに書いてる人を見たことはないし、平良さんからも提出するように言われたことはない。てっきり使われなくなったドキュメントが混じっているだけかと思っていたのに。
「それから詳細仕様書、全然書かれてないね」
三浦マネージャは、私たちが怠慢の罪をおかしていると言わんばかりに、じろりと見回した。
「後々のメンテナンスのためにも、きちんと書くこと」
――JavaDocはちゃんと記述してるんですけどねえ。
その他、細々とした「方針」が一方的に告げられた。それが終わると、三浦マネージャは全員の顔を見回した。
「何か質問は?」
平良さんが口火を切った。
「よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「コードレビューですが」と、内心の思いはどうであれ、平良さんは冷静に切り出した。
「時間のムダではないでしょうか」
「なぜですか?」
「まず、ここのメンバーはコードレビューが必要なレベルではありません。全員が自分が書くコードの意味を理解しているし、それを実装する能力も十分です。また、それぞれ所属する会社としての文化も違うわけですし……」
「それだよ、私が懸念しているのは」
三浦マネージャが遮った。
「ここの人たちはいずれいなくなるわけだね。各自が好き勝手にコーディングしていたら、他の人がメンテナンスできなくなってしまうのではないかな?」
――いやいや、いまどき「他人の書いたコードは読めない」なんて人いないと思いますよ。
「その可能性は確かにありますが、ここのメンバーのコードを見る限り、読めないようなコードを書いている人は1人もいません」
「それは平良さんの見解でしかないだろうね」と、三浦マネージャはわざとらしく笑った。
「コードレビューしてみれば、そうじゃないことが明らかになるかもしれない。ふさわしくないコードを書いている人だっているかもしれないね」
――いったい、どういう基準でふさわしい/ふさわしくないを決めるおつもりなんでしょうか?
平良さんも同じ疑問を抱いたらしい。
「ふさわしいコードとはどういうものでしょうか?」
「それは私が、私の経験によって決めることになるね。もちろんコードレビューには私も参加しますよ」
「失礼ですが、Javaの経験はないと聞いていますが」
「コードぐらいは読めるよ。それにこの業界20年の経験があるからね」
――いやいやいや、そんなものが役に立つとは思えませんが。
「とにかく」と、三浦マネージャは、それ以上の質問を封じるように大声を張り上げた。
「私がプロマネをやる以上、いい加減にはやらないから、そのつもりで。この方針は決定事項です」
それ以上誰からも質問の声は上がらなかった。明らかに平良さんはまだ聞きたいこと、というより、言いたいことがあったに違いないが、それきり沈黙してしまった。「決定事項」と言われてしまった以上、この場で何を言っても撤回されるわけがないと思ったのだろう。
今日の自席に戻る途中、アツコさんがそっとささやいてきた。
「ハズレだね、あれは」
(続く)
この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術・製品の優位性などを主張するものではありません。
コメント
AC/DC
こういう人が実在して、しかもプロマネだったら、すっげー嫌かも。
ってか、もう、即効で辞表出すヤツいそう。
このプロマネがどんなマネジメントをするのか楽しみにしてるっす。
みのがわけんし
面白いですね。
英文学で世界一有名といわれるあの書き出しをもじった冒頭が、気が利いてていいなあ。
週一連載でしょうか。今後の展開を楽しみにしています。
anonymous
みのがわけんし様
ご本人到来かと思ってびっくりしました。
AC/DC
同じく、一瞬びっくりしたよ。
考えてみれば、あの御仁が、わざわざ笑いものになりに来るわけないけどね。
本人は例のコラムをなかったことにしてしまいたいだろうからさ。
リーベルG
読んでいただいてありがとうございます。
編集部の方には、毎週、月曜日公開でお願いしています。
caz
つまらない。途中で飽きる。
もっといろいろ読んだ方が良いんじゃないの?
最後まで読んでないけど、読む気にならない。
最後気になるけど、今までの見ててたいしたこと無いんだろうと思う。