「生活イチバン、ITニバン」という視点で、自分なりのITを追及するフリーエンジニアです。ストレスを減らすIT、心身ともにラクチンにしてくれるITとはどんなものかを考えていきます。

エンジニアは、大人になったら負けだと思う

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 子どもは、危険なことが大好きだ。

 いや、ちょっと違う。彼らは能力の限界がまだ分からないので、自分の手に負える範囲を探っているのだ。それが大人から見れば、わざと危険に身をさらして楽しんでいるように見えてしまう。

 そこで失敗して痛い思いをしたり、怒られて悲しい思いをしたりを繰り返すウチに自分の手に負える範囲を学習していき、成人するころには自分の守備範囲に引きこもる覇気のない人間へと育っていく。

■時代はそれを許さない

 社会全体の変化がゆるやかだった昔はそれで良かったのかもしれない。しかし、この変化の激しい今の時代、100%自分の手に負える範囲で仕事が完結することなど少ない。次から次へと新しい技術や概念が出現する。「君子危うきに近寄らず」などといっていては、少なくともこのIT業界で生き残ることは難しいだろう。

 好むと好まざるとにかかわらず、サポート期間の終了という制約によってインフラは刷新されていく。新しいパソコンのOSでは、これまで使っていたソフトが動かないこともザラにある。開発環境も言語もフレームワークも変わっていく。そんな中で、自分の守備範囲に線を引いて大人しくその枠内に引きこもっていたら、あっという間に時代に取り残されてしまう。

■子どものままでいいじゃないか

 だからわれわれは、子どもから学ばなければならない。子どもの適応力には目を見張るものがあるが、それはまだ自分の周囲に線を引いていないからこそ可能なのだ。それは完成していないということでもある。未完成であるがゆえに、未熟で荒削りであることは否めない。しかし、だからこそ未知のものを吸収して成長することができるのだ。

 この業界で生きている以上、未知との遭遇は日常茶飯事だ。そしてそこで必要となるのは、自分の守備範囲に引きこもる大人の無気力ではなく、手探りで自分のテリトリーを拡大していく子どもの行動力なのだ。

Comment(4)

コメント

仲澤@失業者

ぼくらは「アトムの子」であると歌ったのは山下達郎ですが、
アトムの親になるのはなかなか大変そうです。

#ちなみにアトムを作ったのは御茶ノ水博士ではなく天馬博士(笑)。

onoT

親のくせにアトムをサーカスに売り飛ばす天馬博士のような大人にはなりたくないですねぇ。。。

歳をとって守りに入ると、人生はそこまでになってしまいます。歳をとっても「大人げない」ところを持っていたいですね。(^^)

onoT

大人しくマルくならずに、とんがっていきたいですねー!

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