いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

付加価値なんざうんこ同様だ!

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■あえて言おう、うんこだと!

 最近、何かにつけて「付加価値」と言われる。仕事してても、業務に対して付加価値うんぬん。何かのサービスでも付加価値がどうこうと。最近、ちょっとうんざりしてきている。

 ここでハッキリ言っておこう。付加価値とはうんこと変わりはない。

 その心は、出すものじゃなく、自然と出るべきものだからだ。

■付加価値とうんこ

 物を食べればうんこが出る。当たり前だよね。食べた物をきちんと消化、吸収して始めてうんこになって体外に排出される。口から食い物を詰め込んで、すぐにうんこになって出てくるだろうか?ましてや、飯も食べさせないでうんこなんて出るだろうか?

 付加価値はそれと同じだ。業務を詰め込むだけで付加価値は生まれるだろうか?

 ましてや、社員数を減らす手段として付加価値なんてものを持ち出してきたらどうだろう。給料払いたくないから付加価値を生み出せ! ということだ。そんなめちゃくちゃなやり方に、価値なんて生まれるはずがない。

■そもそもの価値

 ここに100円のほうれん草があったとしよう。この百円のほうれん草を50円で買えたら、確かに嬉しい。でも、100円のほうれん草を50円で売ると、売った人は50円損をする。小学生でも分かる計算だ。

 付加価値は誰かの負荷で成り立っている。まさに負荷価値といったとこだろう。かなりストレートにいうなら、搾取みたいなものだ。100円の価値の物がきちんと100円で売られる。これが最終的には”Win-Win”な結果に繋がる。

 付加価値より、こういう適正価値の方が重要だ。

■腐る価値観

 今、日本に住んでいて、特にものに困る事もない。サービスだって充分だ。別に、そこで満足してもいいんじゃないかと思う。こんな日本で付加価値を追求するのは、満腹の人に食いきれない高級料理を出すようなものだ。

 本来の付加価値って、アイスクリームに添えられたミントの葉っぱ程度のもので良かったんじゃないかな? 最近で言う付加価値って、アイスクリームにミントの苗が根付いてるような。そんな感がある。やり過ぎで本来の価値を損なってないだろうか。

 人として正常な価値観を付加価値で破壊してはいないだろうか? 私はそう思えてならない

 適切な価値感を腐らせるのであれば、付加価値なんてまさに、うんこ同然だ。

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