余剰エンジニアの行方
■今、人は余っているのだろうか
世の中の流れとして、どこの業界でも人を減らしていこうという動きが見られる。いわゆる、少数精鋭型を目指す企業が多い。そういう流れからみると、今後は優秀な人材でなければ生き残れない。優秀でなければ淘汰される。そういう風になる。
つまり、優秀な人だけで仕事を回して、あとの人は仕事のできない要らない人だと考えられる。今の時代、そういう世知辛さを感じる。実際は人が余ってるというより、人材を生かし切れていなかったり、単に偏っているだけだ。
今回は、その余ったエンジニア。というより、有効利用されていないエンジニアの遺棄場所について考えてみた。
■最新鋭機器と向かい合うアウストラロピテクス
一般的な会社の状況を見てそう思った。一昔前のスーパーコンピュータに匹敵するような最新鋭のシステムを目の前にして、メールすらろくに使いこなせないような人さえいる。言葉は悪いが、エンジニアの目には、まさにアウストラロピテクス(原始人)レベルと映るかもしれない。
ここら辺の溝を埋めようとせず、メーカーはばんばん高度なシステムを算出する。システムは進化する反面、人間が取り残されて退化していく。きっと、ここら辺の溝を埋めるためにはさまざまなタイプのエンジニアの力が必要とされる。
新しいものを作るだけがエンジニアじゃない。作られたものを使いこなすのもエンジニアだ。使い方のわからない人に安易な安直操作ができる機能を付け足すのではなく、きちんと機能を理解したエンジニアが使い方を伝えていく。そういう必要性もみいだせないだろうか。
■もう新しいものばかり作る時代は終わった
たとえば、マイクロソフトのOffice。機能自体は十数年前のバージョンでもほぼ完成されている。ほぼ世界中に普及して多くの人が使用している。にもかかわらず、使いこなせている人はほんの一握りだ。Officeという1つのシステムが確立していつつも、使いこなされていない。こういう状況で、次の新しいものがでるだろうか? そんな疑問がある。
そろそろ、新しいものを作るのでなく、既存のものをブラッシュアップするような流れが起きてもいいんじゃないだろうか。この、新しいものが実質必要なくなってきたので、関わっていたエンジニアが余りだす。という現象が起きているようにもとれる。
人が余っているというより、必要とされる役割が変わってきている。そして、その役割に気づく人があまりに少ないので手持無沙汰になっている。本当はやることがあるのに、それが見い出せないのが今の現状だと考えている。
システムを作る人、使う人を全部ひっくるめて、わかる人とわからない人の差が開くのは仕方が無い。ただ、その間を埋めていくために、さまざまなレベルのエンジニアが必要だ。作る側に不要なエンジニアであるなら、ユーザーとシステムを繋ぐ側で活用されればいい。また、既存のシステムをメンテナンスする役割だってある。
■人が余る実際の理由
実際は役割があるのに人が余る。その本当の理由は金がかかるからだ。資本主義の世の中、システムをうまく回すよりお金をうまく回してくれる人の方が必要とされる。作ったものを長く使ってもらうより、新しいものを作って売る方が儲かる。
頭のいい人が突っ走って、仕事やらお金やらが偏っているだけだ。実際に、仕事のある人は毎日終電まで残業、仕事がない人は暇を持て余している。効率よくそれぞれに仕事を分配したら、毎日お昼の3時くらいに業務終了しそうな気もする。
スキルの高い低いとかそういうこだわりを捨てて、人材を有効活用できるようになったら、毎日3時帰りで、好きな勉強会に通ったり本を読む。ゆとりのある自助努力ができて、みんなが着実にレベルアップできる。そんな理想的な世の中が訪れたらいいなぁ。なんて夢を見てみた。