あなたの体験談を元に、前向きにおしゃべりしませんか?

小説「わたしのみらい」―転籍の意味

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 あるエンジニアの歩み方を小説として連載しています。初回の物語はこちら、前回の物語はこちらです。

 「もしもし、神谷さんですか? あの~近藤です。この間、コーヒーショップで久しぶりにお会いした近藤タケシです」

 神谷と偶然に再会してから1カ月。タケシは神谷に電話した。

 「おー、近藤君か。どうした? 何かあった?」

 「ええ。実はあの後、転職しようと思って何社か面談を受けたんですけど、どうもうまくいかなくて……」

 「あ~、この間コーヒーショップで話していた転職の話ね。うまくいかないっていうのは、具体的にはどんな風にうまくいかないの?」

 「えっとですね~、先日もお話したと思うんですけど、ボクはプログラマとしてメシを食っていきたいと思っているんです。そこで数社と面接を受けたんですが、そこでいわれるのは決まって『リーダーになって欲しい』ということなんです」

 「なるほど。本当はプログラマでメシを食いたいのに、リーダーになって欲しいといわれて、今後どのようにしたらいいのか悩んでいるんだね?」

 「そうなんです。そこで、この間お会いしたときの『何か悩みがあったら連絡してもいい』という言葉を思い出して、思い切って電話してみました。突然の電話ですみません」

 「そうだったんだね。事情はよくわかったよ。でも、よく電話をしてくれたね。大切な悩みを相談してくれて本当にうれしいよ。悩むっていうのはさ、本当はこうでありたいって思いがあるからこそ悩むんだよ。だから大いに悩めばいいさ。大丈夫、きっとうまくいくよ」

 “大丈夫”という言葉を聞いただけで、タケシはなんだか癒された気がした。

 「それで、どうしようか。近藤君はどうしたい?」

 「そうですね。とりあえず、一度お会いして話を聞いて欲しいなと思っています」

 「分かった。じゃあ……」

 2日後の夜に会うことを約束して、タケシは電話を切った。

 2日後の夜7時、タケシは神谷が指定した居酒屋に向かった。「軽くお酒を飲みながら考えた方がリラックスして本音が話せるだろう」という神谷の心遣いが、タケシにはうれしかった。

 電車から降りると、天気予報に反して局地的な雷雨に見舞われた。駅を出ると道路を挟んだ向かい側に、待ち合わせた店の看板が目に入る。タケシはかばんを頭の上に抱えて、横断歩道をダッシュした。幸い、あまり濡れずに済んだ。

 肩についた雨を右手で払いながら店に入ると、威勢のいい店員に出迎えられた。神谷の名前を告げると、細い店内の奥にある個室へ案内された。神谷はすでに到着していた。

 「お疲れさん」

 神谷はいうと、タケシを案内してくれた店員に、生ビールを2つ注文した。

 「やぁ、約1カ月ぶりだね。今までずいぶん悩んできたようだね。顔を見ればわかるよ」

 気持ちは顔にも表れているのだろうか?

 生ビールが運ばれてきた。

 「今までお疲れさま。そして、これからの前途を祝して」

 2人はグラスを合わせた。軽く口にする神谷とは対照的に、タケシは半分ほど一気に飲み干す。さっき、ダッシュしたからだろうか? いや、今日の展開が読めずに、口が渇いていたからだ。

 「さてと……面談にいっていろいろあったようだけど。そのあたりから話を聞いていこうか。この1ヵ月を振り返ってみて、どうだった?」

 「そうですね、意気消沈というところですね」

 「そうか、意気消沈か」

 「う~ん、なんというんでしょうね。先週、電話でお話した通りなんですけど、この1カ月間にいくつかの会社の面談を受けてみました。『ずっとプログラマでい続けたい』というボクの思いとは対照的に、ボクの年齢で求められるのは『人をまとめる』ことばかりで。思い通りにいかない苛立ちや、自分自身を否定されたような悲しさや、早く就職先を見つけなきゃという焦りなんかがあって、やるせないというか……正直ちょっと疲れましたね。なんかこう、うまく言葉にできないんですけど……」

 「大丈夫、ちゃんと伝わっているよ。そうだよね。やるせなくなっちゃうよね」

 タケシは、誰にも話せない胸のうちを聞いてもらっているだけで、この1カ月、胸の辺りでモヤモヤくすぶっていた何かが、少しずつ晴れていくような気がした。

 「ところで……この1カ月、いろいろと悩んだと思うんだけど、そのおかげで気づいたことや分かったことってある?」

 「そうですね……。ボクたちの年代で求められているものが改めてよく分かった気がします。世間一般では人をまとめる立場にならなきゃいけないんだなって。もっとも、それは当たり前というか、自然の流れとしてよく分かっていたんです。これまでいろんなプロジェクトで仕事をしてきて、リーダーがいなければ仕事は回らないのはよく知っていますからね」

 「そうだね。リーダーの存在は重要だよね。確かに世間一般はそうかもしれない。でも、近藤君はずっとプログラマの仕事をしていきたいんでしょ?」

 「はい」

 「少し見方を変えて考えてみよう、今、近藤君は『これからプログラマで仕事を続けるのは難しい』という否定的な面ばかりに目を向けているように思う。だけど、同じ出来事にも、否定的な面だけではなく、肯定的な側面もあると思うんだ。例えばね、今日、店に入るとき、どしゃぶりだったよね? 雨が降ると、一般的には気分がどんよりする。では、雨はいつも気分を沈ませる悪いヤツなんだろうか? うちの実家は四国で農業をやっているんだけど、今年の夏は雨が降らなくて大変だったらしい。つまり、雨には大地を潤し、作物を育てるという側面も持っているわけだ。雨が降っていると、なんでこんなこんなときに雨降っちゃったんだよ~って思う。けれども、雨を天気に変えることはできないけれど、雨の肯定的な側面に気づくと『そうか、雨も必要なんだな』ってことになる。そうだろ?」

 「そうですね。つまり、この1カ月の出来事は悲惨だったけれど、見方を変えれば何か役に立つことがあるかもしれないって意味ですね?」

 「そういうこと。さすがセンスがいいね。では、少し視点を変えて考えてみよう。今後プログラマとして仕事をしていく上で、この1カ月で気づいたことや分かったことはある? 『この1カ月悩んだおかげで……』とか『転籍なったおかげで……』みたいに、『おかげで』につながる文章を考えてみるといいと思うよ。あまり難しく考える必要はない。ゲーム感覚で気軽に考えるのがポイントだよ」

 今まで、否定的な考えしか思い浮かばなかったタケシにとって、このゲームはなんだか面白そうだった。

 「そうですね~。この1カ月のおかげで……、なんだろう? 今まで自分と向き合うことなんてなかったけど、改めて自分が何をしたくて、何をしたくないのかを確認できた」

 「いいねえ、その感じ。他には?」

 「はじめて転職活動をしてみて、いまの自分の市場価値が分かった」

 「うん、それから?」

 「会社がずっと守ってくれるわけじゃないということが分かった。会社に依存しているだけではなく、自分の将来は常日頃から考えておく必要があることが分かった」

 「そうそう、その感じ」

 「はじめて独立を考えてみた……面倒くさいと思ったけど(笑)」

 「うん、正直でいいよ」

 「あ、そうだ、大事なことを忘れていました。転籍になったおかげで、こうして神谷さんに再会できた!」

 「あはは、うれしいことを言ってくれるじゃないか。そうか、この1カ月で、たくさんのことを学んできたってわけだ。普通、よほどのことがない限り自分の将来を考えるなんてことはまずない。だからこそ、この機会を大切にして欲しいと思うんだ」

 肯定的なことを考えていたら、今回の転籍にも、何かしらの意味があるように思えてきた。

 「じゃあ、改めて聞くけど、これからどうしたい?」

 「そうですね。やっぱりプログラマとして仕事をしていきたいと思います。でも、今のままではだめだとは分かっても、どうしたらいいのかが全然分かりません」

 これは物語です。話の展開上、特定の個人、企業、商品名等を連想させる表現が場合によってはあるかもしれません。 いずれの場合においても、それらを批判、非難、中傷するものではございません。主人公が成長する過程で起こりうる思考や体験を再現するものとして、ご理解 いただければ幸いです。

Comment(5)

コメント

>自然の流れとしてよく分かっていんです。

分かっていたんです or 分かっているんです

Mさん
誤字のご指摘ありがとうございました。
修正いたしました。

竹内さん、こんばんは。田所です。

「自分は何で飯を食って行きたいか」……。重いひとことに聞こえました。工業高校時代、学年主任から、授業(情報技術科)について「君たち、これは飯のタネですよー、ええですかー」とゆわれました。

いま、何で飯を食って行きたいか。取りあえず、母と一緒に路頭で死にたくないので、福祉で(年金で)食わせてもらうのが関の山です。リスクヘッジに必死で、おかげさまで、嫁ももらわずに「専業主夫」になっています。当面の間。

情報技術が好きだったからこの道に入った。しかし、それがもとでノイローゼをこじらせてしまった。うーん、身の振り方って難しいですねえ。では~。続きを楽しみにしています。はい。

田所さん、コメントありがとうございます。
身の振り方は確かに難しいですね。
悩む中から何かが見えてくるのかもしれません。
タケシも、この先どうしたらいいのか、きっと悩んでいるんだと思います。

おやまあ、僕より1個年下でおられるのに、実にしっかりとしておられますね。僕は人生の大半を、ブラック企業に捧げてきたようなものです。はい。

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