ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

ハローサマー、グッドバイ(31) ワイルドカード

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 予想通り、ボリスは驚愕を絵に描いたような表情を浮かべていた。ただし、ぼくがそれを目にできたのは、ほんの一瞬のことだった。あっという間に動揺から立ち直ったボリスは、これまでのような傲岸不遜な言葉を発したのだ。

 「しぶとい奴だな、お前」

 「プログラマをなめるな」ぼくは西川に言った言葉を返した。「それにしても変わった座り方だな。国際的大企業の社員さんの間じゃ、そういうのが流行ってるのか?」

 屋上に上がる階段の踊り場、壊れた自動販売機の横にキャスター付きの椅子が置かれ、後ろ手に縛られたボリスが座っていた。両足も延長コードで固定されているから、座らされている、と言うべきか。向かい合うように階段に腰を下ろしたリーフが、ボリスを監視しているらしく、油断のない視線を向けている。手にしたUTS-15J の銃口は床に向けられてはいるが、何か事あれば一瞬でボリスの身体の中心部に狙いを定めるのだろう。

 その他の視線は、全てぼくに向けられていた。胡桃沢さんはペットコーナーにいて、目の前のテーブルにはバッテリーと複数台のラズベリーパイ、SSD が並んでいる。島崎さんはレジカウンターに座り、途方に暮れたような顔だ。首をめぐらすと、電気コーナーの床で、両手を拘束されたままの藤田があぐらをかいているのが目に入った。その前には、訊問の途中だったのか、手帳とペンを手にした朝松監視員がパイプ椅子に座っている。

 谷少尉とスナーク狩りチームは、床に座っていた。負傷したアックスは、まだ意識を失ったままの臼井大尉の横の壁にもたれ、シルクワームが改めて傷の手当てをしている。

 小清水大佐は、蒼白な顔で壁にもたれていた。ぼくと、拘束されているボリスに交互に視線を移動させながら、必死で考えをまとめようとしているようだ。

 「おれたちも忙しかったけど」サンキストが水を飲みながら、呆れたような顔で言った。「こっちも負けず劣らず忙しかったようですね。何があったんですか?」

 ぼくとブラウンアイズが出た後、ベースキャンプ内は一気に人手不足に陥った。谷少尉とリーフは、見回りと連絡のために1階と屋上をせわしく行き来していたのだが、ボリスはそのゴタゴタに紛れて、ぼくが西川から奪ってきたスマートフォンを、こっそり盗み取ったのだそうだ。誰にも見られていないつもりだったようだが、谷少尉はしっかり目撃していた。しばらく泳がせておくことに決め、屋上に行くフリをして階段からファイバースコープで監視していたところ、ボリスは戸惑う様子もなくスマートフォンを操作し、通話アプリを起動した。ぼくが確認した通り、パスフレーズの入力があったはずだが、ボリスは躊躇いなく入力して耳にあてた。あいにく呼び出し相手は応答しなかったらしく、ボリスは舌打ちしてスマートフォンを元の場所に戻した。

 当然、谷少尉はボリスに事情を問い質した。すると、ボリスは何を思ったのか、谷少尉の銃を奪おうと暴力的行為に訴えてきたのだ。もちろん谷少尉はあっさりボリスを無力化し、リーフに拘束するように命じた。拘束されてからもボリスはムダに暴れていたが、しばらく放置しておくと、力尽きたのか、機会を窺うことにしたのか、おとなしくなった。ただ、何を質問しても答えようとはしなかったらしい。まるで何かの結果を待っているかのように。それは何かと谷少尉は自問し、短い時間で結論に達した。

 「それは?」

 「鳴海さんの生死です」谷少尉はぼくに向かって説明した。「ヘッドハンターのスマホ、PC DEPOT で西川が言っていたことを思い出せば、それしかないのではないかと」

 「それであんなバカみたいな芝居を」今度はブラウンアイズが呆れた声を出した。「やる方もやる方だけど、引っかかる方も引っかかる方ですね」

 暗にバカみたいと評されたボリスは、少し険悪な目つきになったが、鼻を鳴らして顔をそむけた。谷少尉は一瞬破顔した後、すぐに真顔になってボリスの前に立った。

 「まだ話してもらうことはたくさんありますが」谷少尉は相変わらず丁寧に言った。「少し後にしましょう。先に報告を訊きたいのでね。すぐに話し合いを再開しますが、そのときも今のように開けっぴろげに話してもらいたいものです。私は平和主義なので、あまり物理的圧力を使いたくないんですよ」

 ボリスはバカにしたように笑った。何らかの切り札を手中にしていて、いつでも優位に立てるんだ、とでも言いたげだ。谷少尉はそれに構わず振り向いた。

 「さて。言うのが遅くなりましたが、とにかく生還してくれて嬉しいですよ、鳴海さん。お前たちもよくやった。レーションでも食べながら報告を聞こうか」

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 「ダメですね」サンキストはノートPC から顔を上げた。「電源は入るんですが、モニタに何も出ません。9パラまでなら何とかなったんでしょうが、さすがにNATO 弾じゃね。電源が入ること自体奇跡みたいなもんです」

 さんざんな結果に終わったスナーク狩りの報告を聞いた後、谷少尉はボリスの再尋問を後回しにして、被弾したノートPC のチェックを命じた。ソリストが稼働できるか否かで、今後、取るべき行動が変わってくるからだ。サンキストと胡桃沢さんが慎重に調べた結果、ノートPC としては、ほぼ使い物にならないという結論になった。

 「修理はできないのか?」谷少尉は訊いた。

 「難しいですね」サンキストは筐体を開くのに使ったドライバーで、むき出しになった基板をつついた。「ノートPC がこの大きさなのは、ユーザビリティ、要するにモニタサイズを考慮した結果です。中がぎっしり詰まってるわけじゃなくて、むしろ空洞部分が多いんですよ。だから1 発で全機能が破壊されたわけではない。CPU とSSD は無事。メモリとファンは破損してますが、これは交換可能。問題はこの部分の基板がスポッと抜けてることですね。図面も何もないんで想像ですが、ビデオチップを含むI/O 関係のコントローラが集中してたんじゃないかと思います」

 「要するに」胡桃沢さんがウチワで顔に風を送りながら続けた。「電源は入るものの、入力はできないし出力もできない。ただの箱、ということです。何の機能が生きているのか、確認することさえできません」

 「これが使えないと、ソリストにはどんな影響があるんですか?」

 「ソリストの起動そのものには問題ないです。ただ、このままだと、各サーバがバラバラに起動するだけで、統合システムとして連繋しないということになります。全部起動した後、イニシャライズ、つまり各サーバにロールを振ってやるという操作が必要なんです。出発時にコンソールから操作したんですが、同じことをやる必要があります。ノートPC からなら、それができたんですが......」

 胡桃沢さんの口調に非難の響きはなかったが、ぼくは消えてなくなってしまいたいような気分だった。

 「予備機の用意は?または交換パーツは?」

 「これが予備機なんですよ。メインはあくまでもCCV のコンソールで、それは正・副・予備の3 系統が用意されていましたが。このノートPC はデバッグ要員が参加するというので急遽準備したもので、予備機までは......」

 「モニタとキーボードを外付けしてもダメですか?」

 ぼくの問いに、首を横に振ったのはサンキストだった。さすがに疲労の色が隠せない。

 「コントローラが壊れてるんだから、外部モニタ付けても無理だろうなあ」

 「それに通常のUSB 機器は接続できない」胡桃沢さんが補足した。「前にも言ったが、認証キーを交換した外付けデバイスのみが接続できるんだ。市販のモニタやキーボードに、そんな機能はないからな」

 「じゃあ無線LAN はどうですか?」

 「無線LAN?」

 「無線LAN 経由で操作することはできないんですか?たとえば、誰かのヘッドセットからとか」

 今度は胡桃沢さんも即座に却下することなく思案顔になった。

 「そうだな......Wi-Fi も認証が必要なのは同じだが、ユーザの、つまり隊員のヘッドセットサブシステムは認証済みだから問題ない。もちろんWi-Fi 機能が生きていればだが......それは大丈夫みたいだ」

 「いけそうですか?」つい、声に期待がこもった。

 「そうだな、たぶん......いや、待てよ」胡桃沢さんの顔が曇った。「ダメか。ノーマルユーザと、コマンドユーザだ」

 「え?」

 「隊員の権限はノーマルユーザ、谷少尉と柿本少尉の権限はコマンドユーザ。イニシャライズは、システムアドミニストレータ権限が必要だから......ダメだ。システムアドミン権限は誰も持ってない」

 「その権限を誰かに設定することはできないんですか?」

 「権限の付与はシステムアドミン権限が必要なんだ。コンソールからなら権限付与ができたんだが」胡桃沢さんは縛られているボリスに顎をしゃくった。「彼の認証で」

 つかんだと思ったら指をすり抜けていく。そんなもどかしさと苛立ちが胃の上あたりに蓄積していくようだった。

 「設定ファイルの書き換えで何とかならないんですか?」

 「そういう問題じゃない」胡桃沢さんの声にも苛立ちが混じっていた。「権限情報はサーバ側にはない。各隊員に注入されたマイクロマシンで形成されるストレージの中にある。それはマイクロマシンの初期投与時か、通常6 ヵ月毎に実行されるマイクロマシンのメンテナンス時にしか設定できない。ノーマルユーザとコマンドユーザはデフォルトでパターンが入っているから切り替えは可能だが、システムアドミン権限はない」

 「ここでは設定できないんですか?」

 「無理だ。マイクロマシンのメンテナンスは、事前のマッピングとカルテ作成、古いマイクロマシンの除去、レセプター形成処置、新しいマイクロマシンの注入と再配置、モニタリングとサンプリングという作業が必要だ」

 ハハハハハ、と哄笑したのは、ボリスだった。

 「ムダなことはやめて、私の話を聞いた方がいいんじゃないですか?」ボリスは谷少尉に言った。「お互いにとって有用だと思いますよ」

 「何が有用かは私が決めます」谷少尉は顔だけ振り向いて答えた。「少し黙っていてもらえますか?言われなくても、あなたにはもうすぐ喉が枯れるまで喋ってもらいますから」

 「谷少尉」島崎さんが発言した。「ソリストを稼働させることができないのは明らかではないですか。ボリスさんの話を聞いた方がいいのではないでしょうか」

 「いずれ訊きます」谷少尉は何か考えながら言った。「それにソリストの再稼働を断念するには早いと思いますよ」

 「というと?」

 「サンキスト」谷少尉は部下を呼んだ。「CCV から回収した緊急医療キットを持ってこい」

 サンキストは言われるままに、ショルダーストラップのついた赤いボックスを持ってきて、谷少尉の前に置いた。谷少尉はボックスを開くと、中を少し探して何かを取り出した。直径2cm、長さ15cm ほどの金属製シリンダーだ。片方の先端から直径5mm ぐらいのケーブルが生えていて、ゲーム機のコントローラのようなデバイスにつながっている。何なのか見当も付かなかったが、ぼく以外の全員には正体がすぐにわかったようだ。

 「ちょっとちょっと少尉」ボリスは嘲笑した。「それを使うつもりですか?」

 谷少尉はボリスには見向きもせず、デバイス裏に貼られていたシールを剥がし、書かれている細かい文字に目を通し始めた。ボリスは焦れたような顔で続けた。

 「マイクロマシンが稼働している状態で使ったら、どんなことになると思ってるんですか。島崎さん、説明してやったらどうです?」

 島崎さんは困ったような顔でボリスを見、次いで谷少尉に視線を移した。

 「あの、少尉。ボリスさんの言う通りです。アクティブなマイクロマシンの上書きはできませんよ。新旧のマイクロマシンが互いに干渉して、脳神経にダメージを与えることになるはずです。いただいた仕様書にそう書いてありました」

 「ご心配なく。まっさらな状態なら問題ありませんから」

 「え」島崎さんは一瞬絶句した。「あ、そういうことですか。つまり、その......」

 「あなたではありませんよ」谷少尉は唇だけで笑った。「それを心配されているんだったら」

 「......でも、マイクロマシンの投与には、事前にレセプター形成が必要なはずです。それは......」

 谷少尉と島崎さんは、なぜかぼくの方を見ながら話している。それだけで、すでにイヤな予感がした。

 「あの」ぼくは小さく手を挙げた。「そろそろ説明してもらえませんか」

 「わからんのか、バカ」答えたのはボリスだった。「お前に、マイクロマシンを投与しようとしてるんだよ」

 やっぱりそうなのか。谷少尉と島崎さんの会話から、そんなことではないかと思ったのだが。誰かが否定してくれることを願ったが、あいにくその期待に応えてくれる人間はいなかった。

 「これは緊急用のマイクロマシン・セットアップキットです」谷少尉が円筒を見せながら言った。「本来は長期間における作戦中に、マイクロマシンのリミットが来てしまった隊員に投与する目的で用意されています」

 「それをぼくに打つってことですか?」ぼくは思わず首筋に手をあてた。「マイクロマシンを?」

 「大丈夫ですよ。今まで、事故は一度も起きてませんから」

 「そういう意味じゃなくて。なんでぼくなんですか?胡桃沢さんだって島崎さんだっていいじゃないですか」

 「お前が一番下っ端だからだよ」ボリスが声を上げて笑った。「使い捨て要員ってことだ。それ以外にあるか」

 谷少尉はボリスの方をちらりと見て、それは違います、と言った。

 「鳴海さんじゃなきゃダメなんですよ。だって、もしラズベリーパイ版ソリスト用に、何かモジュールを追加したり修正したりしなければならない場合、それができるのは鳴海さんしかいませんから」

 「そうだな」胡桃沢さんが同意した。「おそらく制御系のモジュールは、いくつか修正が必要になるだろうな。元々、想定されていない機器とOS にセットアップするわけだから、どうしても微調整は発生する。フラッシュストレージを想定したタイムアウト設定とかな」

 「そんな......」

 「でもレセプター形成はどうするんですか?」島崎さんが遮った。「確か12 時間ほどかかるはずですし、そもそもレセプターキットは装備に入ってなかったと思うんですが」

 「ああ、それは問題ありません。すでにレセプター形成過程は終了しているはずです」

 「はい?」

 「レセプターって何ですか?」ぼくは訊いた。

 「マイクロマシンの投与には、事前にいくつかの準備が必要なんですよ」谷少尉が答えてくれた。「レセプター、つまりマイクロマシンの受け皿として、イオンチャネル活性型の数種類のタンパク質をあらかじめ投与しておくんです。マイクロマシンはそこに定着します」

 「そんなの投与された記憶は......」ぼくは言葉を切った。「......ひょっとして、あれですか?鼻の......」

 「当たりです。嗅覚麻痺処置。あれでレセプターを投与済みです」

 さすがに怒りがこみあげてきた。

 「そういうのは、本人の同意を取るべきじゃないんですか!」ぼくはつい大声を出した。「人の身体に勝手にタンパク質だか何だかを入れるなんて。法的とか人道的にどうなんですか?」

 「同意は取ってますよ」

 谷少尉の冷静な声に、ぼくは戸惑った。

 「え?」

 「出発前、何枚か権利放棄書にサインしてもらいましたね。その中にあったはずですよ」

 ぼくは医療技術者の仁志田さんが読み上げた何十枚かの書類のことを思い出した。サインすると同時に内容は頭から飛んでしまったので、そんな一文があったかどうかはわからない。

 「それに」谷少尉は勝ち誇った様子もなく続けた。「その後、精密検査を受けてもらっていますね。レセプターに対する拒否反応などがあれば、そこで判明していたはずです」

 「それにしても説明ぐらいしてくれても」ぼくは谷少尉を睨んだ。「最初からマイクロマシンを投与するつもりだったんですか?」

 「まさか。不測事態対応策の1つに過ぎませんよ。鳴海さんだって、大抵のロジックには、try~catch 書いて、予測できない例外をキャッチするでしょう?それと同じです。マイクロマシンを投与しなければ、レセプターは数日で自然に分解して排出されますしね」

 「心配ないわよ」ブラウンアイズが慰めるように言い、ぼくの腕を軽く叩いた。「そんなに痛くないから。ただ最初はちょっといろいろあるかもしれないけど」

 「いろいろって?」

 「あら大したことじゃないわよ」ブラウンアイズは肩をすくめた。「個人差もあるしね。そうね、まずリンパ節の軽い痛み、眩暈、吐き気、視野狭窄、偏頭痛、貧血、左頬の痙攣、食欲減退......」

 「ああ、もういい」ぼくは苛々と遮った。「不安を増大させてくれて、どうもありがとう」

 屋上に通じる階段からレインバードが降りてきて、ポニーテールにした長い髪をひょいと揺らした。

 「お邪魔?」

 「なんだ」谷少尉が顔を上げた。「腹でも減ったか?」

 「さっきからD 型が目につくようになってきてます。過去の記録からすると、異常と言ってもいい数です」

 「やっぱりR 型を襲ってるのか?」

 「そのようです」レインバードはペットボトルの水を一口飲んだ。「それからランドマークタワーの近くで、迷彩服を着た人間を見かけました。すぐに消えたんで人数はわかりませんが、武装はしていたようです」

 「わかった。引き続き頼む」谷少尉はぼくの顔を見た。「というわけで、あまり時間は残っていないようです。どうしても鳴海さんがイヤだというなら、もちろん強制はできません。その場合、ミスター・ボリスに主導権を渡すことになるか、イチかバチか強行突破するか、みんなで仲良く干からびるか、どれかになりそうです。どうしますか?」

 平和な世界で、谷少尉が普通のエンジニアとして働いている姿を見てみたいものだ。きっと、このにこやかな笑顔でユーザ企業の担当者と虚々実々の駆け引きを繰り広げ、最終的には自分の欲しいものを全部手に入れてしまうに違いない。

 「わかりました」もはや諦観の境地だった。「好きにしてください」

 「感謝します。帰還したら、JSPKF からも特別手当を出すように、上に掛け合いますからね」

 「はあ、期待してます。で、どうすればいいんですか?」

 「こっちへどうぞ」谷少尉は手招きした。「ブラウンアイズ、手伝え」

 ぼくは立ち上がった。足が少しふらついたのは、疲労のためばかりではなかった。ブラウンアイズがさりげなく手を貸してくれたが、ひょっとすると親切心からだけではなく、ぼくの気が変わらないうちに事を済ませようとしていたのかもしれない。ぼくは、心の中で、ドナドナド~ナドォナ、と歌いながら、床に敷かれたマットレスの上に進んだ。

 「ここに座ってください。あぐらをかいて、顔はあっちです」

 言われた通り谷少尉に背中を向けて腰を下ろすと、ブラウンアイズがぼくと向き合う位置に回り込み、上からぼくの肩をぐっと押さえた。

 「あの......」

 「モードはワイルドカードにしておきます」谷少尉はぼくの不安の声を無視して事務的に告げた。「ほう、これは我々が使っているものより、新しいバージョンですね。ストレージの容量も4 倍になっています」

 「後で厄介なことになりますよ、少尉」ボリスが焦ったような声で警告した。「民間人への投与は書面での同意が必要で......」

 「リーフ、黙らせろ」谷少尉は冷たく言った。「さて、鳴海さん。これから、あなたの首筋にマイクロマシンを投与します。型番P-M4D-22.MkIV。スペックシートによると、マイクロマシンの展開に要する平均時間は37 分15 秒だそうです。肩の力を抜いてください」

 そう言われて、ぼくは肩を怒らせていたことに気付いた。深呼吸とともに肩の力を抜く。ブラウンアイズの顔を見上げると、それでいい、とでも言うように頷いていた。

 「ここが少しチクッとします」谷少尉はぼくの左の頸部の一点を指で触れた。「消毒と投与は同時に行われるのでご心配なく」

 「打たれたらどうなるんですか?」ぼくは訊いた。

 「たぶん、少し気が遠くなると思いますが、麻酔成分が含まれているためですから正常反応です。もちろん各種アレルギー反応は検査済みですから、ご心配なく」

 立て続けに、ご心配なく、と言われると、逆に心配になってくる。

 「無理に座っている必要はないですよ。そのままぶっ倒れて構いません。では、そろそろ投与します」首筋にシリンダーの先端部が触れるのがわかった。「3 つ数えた後のマークで投与します。よろしいですか?」

 「はい」ぼくは目をつぶった。「どうぞ」

 「いきますよ。3、2......」

 2 のコールと同時に、これまで経験したことがなく、絶対に経験したくないような激痛が、首を起点に全身に走った。幸いなことに、その痛みを感じたのは数ミリ秒でしかなかったようだ。急激に視野全体がブラックアウトし、続いて意識が遠のいていったからだ。

 ぼくは人生で2 度目の気絶を経験することになった。

(続)

Comment(24)

コメント

赤入れ

- こっそり盗み取ってのだ
- 谷少尉ぼくに向かって

「誰何」はちょっと違和感かな・・・

名無しのプログラマー

コメント欄で編集者ぶってる輩ってなんなんでしょうね。チラシの裏にでも書いていてくれ。

デロリアン

誤字や脱字の指摘は良いんじゃね?
内容や表現にまで口を挟むのはいかんと思うが・・・

Suicaで西瓜を買う

「誰何」は「おまえだれやねーん」って意味ですから、
この場合は誤用を指摘したのではないでしょうか?

水火

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/116213/m0u/
すい‐か【▽誰何】
[名](スル)相手が何者かわからないときに、呼びとめて問いただすこと。「守衛に―される」

門鑑は、外から這入って来る者に対して、歩哨のように、一々、それを誰何した。
[黒島伝治「土鼠と落盤」 青空文庫]

時には犬に取り巻かれ人に誰何せられて、辛くも払暁郡山に達しけるが・・・
[幸田露伴「突貫紀行」 青空文庫]

とおっしゃっているので間違いでは無いかと。。。

キルケゴール

9mmの方が口径大きいけど?

tikuku

ROM専ですが、いつも月曜朝を楽しみにしています。今作は前までの作風と違い、伏線もたくさん用意されてますね。ボリスの処遇を勝手に案じてます(笑)

Suicaで西瓜を買う

> 水火さん

例文までご丁寧に有難うございます。「誰何」は、"誰か分からない人"に"誰ですか?"と問う行為なので、やはり本文での用法は誤用ではないでしょうか?

>門鑑は、外から這入って来る者に対して、一々、それを誰何した。(門鑑は外来の人にどこの誰だということを一々聞いた)

>時には犬に取り巻かれ人に誰何せられて、(時には犬に取り巻かれたり、おまえは誰だと人に聞かれたりして、)


本文の場合は6行後で「谷少尉はボリスに事情を問い質した」とあるように、「事情を問いただす」という意味で「誰何」を使用しています。つまり「誰か分からない人に」という前提条件を満たしていないから、赤入れさんは違和感を感じているのでは?

p

誰何って、要は「誰だ」と問うことだけど、この状況での谷少尉の行動だと「誰だ」と続くよりも「何をしている」と続くほうが自然だから、誰何よりも問いただすのほうが自然に感じる。
もちろん最終的な判断は作者がするべきだし、押し付けるつもりもないです。

次回からサイバープログラマーナルミが始まるのかと思うとわくわくしますね。
ていうかこの流れ、もう鳴海さん外堀埋められて逃げられない感が漂ってる。谷少尉怖い。

サボリーパーソン

「レセプターに帯する」-> 「レセプターに対する」

F

"レセプターに帯する…"は"対する"、かな。

>キルケゴールさん
たぶんNATO 12.7mm弾なのでしょう。
ただ、それがフルオートライフルで乱射できるようなものなのかは判りませんでしたが。

それにしてもボリスの行動は謎ですね。
西川スマホを使わなくても通信できたはず(そうでなければ前日PCデボで待伏せさせられないし、実際センタービル後には待伏せさせている)。
なのにわざわざ見つかるリスクを取ったのだろう?

サボリーパーソン

12.7mmをフルオートで撃てる銃器は重機関銃になりますし
ここでいうNATO弾は5.56mmでいいんじゃないでしょうかね。

9mmと比較するお話も出てますけれど、拳銃弾とライフル弾では
威力、貫通力がぜんぜん違うみたいです。撃ったことはないですけど。

赤入れさん、サボリーパーソンさん、ご指摘ありがとうございます。
誰何、は確かに変ですね。

ノートPCを撃ったのは、M4A1 5.56x45mm NATO弾。初速は800m/s。
9mmパラベラム弾と比較すると、初速は2倍以上、運動エネルギーは3倍以上になります。9mm を止められる防弾ベストでも、NATO弾はあっさり貫通します。

新聞や雑誌の誤字・誤用は指摘することはできないけど、
ここの誤用はちゃんと訂正されるところが素晴らしい。

サボリーパーソン

サンニーイチゼロのニで痛みって、、、、約束と違う(笑)

西山森

ボリスはいつZの餌かな...?
小清水大佐が狼狽えてたということは、やはり小清水とボリスはグルか。

F

マイクロマシンって高々数ヵ月(多分実際はひと月ないかな?)程度でストレージ容量4倍になるものなんだろうか…?
・(4) ソリストは我々が数ヶ月かけて作成してきたシステムですよ。
・(6) 今、プログラマ班は、結合テストの最終工程でパニック状態らしいから
ということからソリストの開発は数ヵ月前から、ということになり、
・(7) もっともソリストのために、マイクロマシンは最新型にアップデートしたけど
から隊員のマイクロマシンはソリスト開発開始以降のバージョン(多分ある程度開発進んでから)ということになるはず。
もちろん、あり得ないことではないのですが。

あと、読み直していて気付いたのが、
・(10)緊急用のセットアップキットもあるので、いざとなれば初期化から始めますよ」臼井大尉はそう答えると
と、
・そもそもレセプターキットは装備に入ってなかったと思うんですが
が矛盾するような…

LEN

映画「ダイハード」の撮影で、黒幕がビルから落ちるラストシーンの撮影時のエピソードを思い出した。
役者と「3カウントで落とすから」と打ち合わせしたのに、監督が「3,2……」の所で落とさせたら、スゴく唖然となった良い表情が撮れたっていう話。

ドナドナドナ~ドナ
って~の位置おかしくない?

できればォも入れて欲しい

毎回楽しく拝見させて頂いてます。
こちらのコメントも含めて、楽しく拝見させて頂いてます。
↑のドナドナの指摘に感動しました。
次回からこの様な指摘ができるようになりたいです。

まさん、どうも。
あまり考えてませんでしたが、冷静に歌ってみると、確かにおかしいですね。

SIG

>>Fさん
・(19) 緊急キットが1 つ無事だったのでOマイナスの輸血はできそうです
・(24) ミルウォーキー・カクテルがあれば救ったんだが、あいにくうちの車が爆発したとき一緒に燃えた

ということで、緊急医療キットは複数存在し、
マイクロマシン除去ツールや、ミルウォーキー・カクテルが入っていないキットだけが焼け残った、という解答が考えられそうです。

F

>SIGさん
なるほど。
ただ、そもそも〜装備にという表現(この緊急医療キットに、でないところ)に若干引っかかります。
あと、この指摘で気付いたのですが、
(緊急医療キットが仮に2箱として)人数分のミルウォーキー・カクテルを分散保管しておかなかったって初歩的で致命的なミスを歴戦のツワモノたちがするものでしょうか…

LEN

>Fさん
横からですが、そもそもRPG等の重火器による襲撃を予測していないかと思われます。
最悪、指揮車両が動けなくなる可能性は考慮されても、Z対処のレベルなら破壊される可能性はないわけで。
時間稼ぎをしている間に、全ての装備を取り外して運び出すという手はずだったのではないかと思います。
そもそも外敵が存在し指揮車両が装備ごと焼失するという事態は想定外ですし、コスト的にそこまでの考慮が却下されたのが今回の最小限装備なのではないでしょうか。

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