海外IT企業で働いていた純日本人エンジニアがいろいろと考えてみる。

新しい双方向参加型エンターテインメント

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 どうも、鹿島和郎(かしまかずお)です。まず、先日の東北関東大震災で被災された方々にはお見舞いを申し上げます。ここ1週間はテレビもネットも地震一色で、暗い気分の方も多いかと思います。正直、地震に関する話題を避けようかどうか少し迷ったのですが、今回だけは少し地震関連で話を書こうと思います。もううんざり、という方は今回はスキップしてください。

■海外生活中に災害の当事者となったら

 海外生活をしている時に災害が起きたら、どうなるでしょうか。主に2つのパターンがあると思いますので、それぞれについて少し書きます。

○自分のそばで災害が起きたら

 カナダに住んでいた時の知り合いの何人かが、日本に来て英語の先生をやっているのですが(真面目な先生です)、地震発生数日以内に2名ほどが日本を離れました。また、他の数名も離日を検討中ですし、しばらく西日本に行くと言って東京を離れた人や検討中の人も数名いて、彼らの不安な心境が窺えます。

 その中には結構仲の良かった人もいて、話を聞いた瞬間は何となく自分や自分たちが見捨てられたような、子供っぽい感覚にとらわれたのですが、ちょっと考えてみると多くの人にとって外国で暮らすというのはそれなりに不安があるものなので、自国に帰るというのは当り前の選択肢の1つなのでしょう。

 私が海外に住んでいた間は特に大きな災害、政変、戦争などもなく、大きな出来事と言えるのは身内が病気になったこととリーマンショックの2つくらいだったと記憶しています。ただ、実際のところ、その2つが私の帰国理由のそれなり部分を占めていましたので、もし私が外国にいる間に今回の大災害のようなことが起きたとしたら、恐らく帰国していたでしょう。

 海外に住んでいる方の中には、もう日本に戻る気がない方もそれなりにいますが、そうでない方は日本に戻った場合の生活についてある程度考えておいた方がいいかもしれません。

○身内・知り合いの側で災害が起きたら

 逆に、自分がもし今外国にいるとしたら、家族や友人の事で心配だと思います。私は語学の勉強も兼ねて、海外のニュースサイトをちょくちょくチェックするのですが、どこの国のサイトでも悲惨な映像をこれでもかというぐらい載せています。大半の外国人は日本の地理についての知識がほとんどありません。冗談ではなく、日本と中国の区別が付いていない人もそれなりの数がいます。そうした人たちが、日本人全員がこのような惨状に陥っているかのような錯覚を覚えたとしても不思議ではありません。

 日本人であれば、震源地は東北地方で大きな被害が出たのは東北と北関東の一部、という状況は大体理解していると思いますが、それでも情報が少なかったり海外のメディアの報道で混乱したりしている人も多いようです。

 私は地震発生から数日後に、主に外国に住んでる友人向けにFacebookで簡単なメモを書きました。たいした内容でもなく、以下のようなものです。

  • 状況
    • 東北は大変。
    • 関東は揺れたけど大したことない。
    • 関西以西は問題なし。
  • やめてほしいこと
    • 回線が逼迫しているので電話しないで。
    • 現地に行って救助活動ってのは邪魔なだけだからやめて。
    • 食料や衣類を送らないで(代わりにお金を送って)。
  • お願い
    • 友達とかを励ましてあげて。
    • 日本に住んでる人は節電して。
    • お金に余裕があったら寄付して。

 こんな内容ですら、「こっちのメディアの情報だと状況が良く分からないから助かる」とか言われるぐらいなので、いかに混乱しているかが分かるかと思います。

■非当事者の場合

 上の話に出てくる人たちは、いずれもある種の当事者ですが、もちろん全員が全員当事者のわけではありません。

○Facebook上でのとある出来事

 私が海外に住んでいた時にはすでにFacebookはみんな使っていて、私のFacebookの友達リストには仲のいい友達からちょっとした知り合い程度の人までいろんな人がいます。Twitterであれば1人で複数アカウントを持つことが可能なので、「仕事用」「個人用」とか分ける事ができるのですが、Facebookでは複数アカウントは規約で禁止されているためそうはいきません。人数が少ない間は気にならなくても、いろんな人がFacebookの「友達」に入ってくると余計なことまで気を配らなければいけません。

 実際に(多分)一度しか会ったことがない人から、地震の数日後にFacebookのチャット機能で話しかけられました。短いのでコメント付きで全部載せます。

その人:hello

鹿島:hi (誰こいつ?)

鹿島:how are you? (誰か知らんけど一応挨拶しとくか)

その人:good

その人:too bad what is happening in Japan

その人:is your family ok?

鹿島:yeah (自分も家族も問題なしって何回も書いてるんだけどなぁ。やれやれ)

鹿島:our family is near tokyo, which is far from the epicenter. (うちは震源地から遠いって一応説明しとこう)

その人:I heard it is pretty bad... (普通、glad to hear that ぐらい言うだろ……)

その人:it is horrible what is happening (人の話を聞く気はまったくないな……)

鹿島:yes, it is in northern japan.

その人:ok friend

その人:I am out

鹿島:bye

 この人が、私や私の家族のことを気にかけていないのは文面からも明らかだと思います。「大変だった」とか「怖かった」とかそういう反応を期待していたのではないでしょうか。

※もちろんこういう人だけでなく、ちゃんとしたの友達からも暖かいメッセージをいくつももらって、そっちはありがたかったです。

○広がった世界と希薄な現実感

 この会話の直後は非常に腹立たしかったのですが、よく考えるとこうしたことが起こるのは彼だけの責任ではないようにも思えます。上の方で触れたとおり、海外メディアでは「見栄えのいい」ニュースを大きく扱っています。瓦礫で埋め尽くされた町、途方にくれる人、原発の爆発事故、メルトダウンの「可能性」、さまざまな悲劇(と一部の心温まる話題)などなど。

 もう20年も前になりますが、湾岸戦争は史上初めてTV中継された戦争ということで、当時いろいろと論議を巻き起こし、しばしば「TVゲームのような」とか「ワイドショー」という言葉で形容されていました。私もその時のテレビ映像を何となく覚えていますが、たくさんの人命が失われていたのは確かなのですが、とにかく現実感がなかったように記憶しています。

 インターネットや交通網が発達し、人間の行動範囲や情報を得られる範囲が格段に広がりましたが、人間の処理能力・認知能力というのはそれほど変わっていないはずで、人間が「現実」として認知できる世界の広さというのはそれ程広がっていないのではないかと思います。

 私自身、東京で激しい揺れは経験しましたが、特に怪我もなく自宅も特に大きな被害はありませんでしたし、あまりに現実離れしていて映画のようだったせいなのかもしれませんが、TVでの東北の映像を見ても何となく現実感を感じませんでした。

 私の場合、それでも知り合いに宮城出身の人がいたり、親戚が福島で被災したりしたので、心配したり不安な気持ちになりましたが、東北地方の方々と同じような言葉で「大変だった」とか「不安だった」とか私が語るのは不誠実に思えます。また、福島の親戚の無事を聞いてからは、なおさら東北で起きている現実と、東京で比較的平穏に暮らしている自分を結びつけることが難しく感じました。

 もちろん、個人差はありますし、私は良く言えば「図太い」、悪く言えば「無神経な」人間ですが、東京に住んでいる人間がこんな感じですので、例えば九州出身で東北には知り合いが1人もいない人、さらには外国に住んでいて日本人の親しい友人がいない人、そうした人達にとってはあまり現実味がない出来事なのではないかと思います。

○無関心→片方向→双方向

 昔であれば、新聞で「ヨーロッパの××という国で内戦があった」という記事を見ても、「大変そうだな」という感想を持つか、せいぜいその国から輸入している資源なりの供給を心配する程度だったと思います。対岸の火事、無関心と一言で言ってもよいかもしれません。

 現在でも、人間のその辺りの感覚は根本的には変わっていないと思いますが、今と昔で違うことは、地球の裏の状況が映像化され、しかも「見栄えのいい」ある種のエンターテインメントとして提供されている点です。これは地球の裏に限らず日本国内のテレビでも同様で、津波の映像を繰り返し流したり、悲しみにくれる被災者の表情を執拗に追って、悲劇をエンターテインメントとして提供しています。

 また、ここ最近では映像などの「エンターテインメント」を享受するだけでなく、Facebook、Skype、Twitterなどの双方向メディアでその「エンターテインメント」の一部となることができます。今回の東北関東大震災が、被害地から離れたところでは、双方向参加型エンターテインメントとして機能しているのです。なかなか残酷な社会になった、と感じざるを得ません。前述の彼は、悲劇映画のいちシーンになったような感覚で、日本人「被災者」の私に声をかけてきたものと思われます。

 災害発生地から遠く離れた場所にいる人が、災害をあまり現実として感じないのはどうしようもないことですし、彼らに「被災者の気持ちになってみろ」と言うのは無理な要求です。ただ、そうした「外野」が災害をネタにした「エンターテインメント」を楽しむことこそ「不謹慎」ですし、さらには無神経に「エンターテインメント」の参加者として楽しもうというのは厳に慎むべきでしょう。

■我々外野がすべきこと

○エンターテインメントの一部となる事を拒否する

 今回の事件では多くの方が被害を受けました。そうした方々に対して有形無形の援助の仕方があると思いますし、可能な限りそうしたことを行うべきでしょう。

 ただ、私を含め、多くの日本人は被災者ではありません。我々「外野」は自分が外野である事を認識し、そうした援助を行う際には自分の行動が「エンターテインメント」の一部になっていないかを常に気にしつつ行う必要があると思います(自戒の意味も込めてます)。

○同情するなら金をくれ

 伝え聞くところによると被災者の方々の状況は相当、過酷なようです。そんな被災地東北では安っぽいドラマや同情は、誰も必要としていないのではないかと思います。そうした状況下、自衛隊でもレスキュー隊でも医者でもない我々ITエンジニアができる一番効果的な援助は、間違いなく金銭的なものだと思います。

 100円でも200円でもいいですし、余裕があればもっと多額の寄付をする事が我々にできる一番の援助だと思います。

○ITでできること

 今回の大震災で、正直、ITができることの少なさを感じた人も結構いたかと思います(実際にはITに限らず、我々のほとんどが非力なのですが)。そんな中、災害情報のミラーサイトをいち早く提供したり、避難所情報とかをまとめたり、できる範囲で努力している方々も多くいたようで、そういう方々には頭が下がる思いです。

 今後IT関連で考えていかなければならないこととして、

  • 災害を想定した冗長化
  • 古いサーバの集約(仮想化)による節電

などがぱっと思い浮かびますが、それ以外にもいろいろな教訓が得られたかと思います。そうした教訓を今後に生かすのも我々がやらなければいけないことだと思います。これもITに限った話ではありませんが。

■終わりに

 今回の大震災はあまりに大きな出来事で、いろいろ言いたいことがあるような気もしつつも、あまりまとまりません。私個人は徐々に平静を取り戻してきたので、次回以降は通常営業で行こうと思います。

 それではまた。

Comment(2)

コメント

nes

その人 は純粋にあなたを心配していただけでは?
それと、私も海外住みですが誰も娯楽としては見ていませんよ。

鹿島

nesさん、初めまして。

コメントありがとうございます。

その人とはそもそも会った事があるかすら怪しいですし、少なくとも2年以上何のやりとりもないので、純粋に私を心配していたというのはどうなんでしょう。

「娯楽」の件、nesさんはいい人に囲まれているのでしょうね。

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