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ロスト・スキーヤー現象とその悪用(1)

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 道具は使い方を誤ると人を傷つける負の面も持つ――。ロケットや原子力から日常使っている車やコンピュータまで、そう語られる道具にはいろいろあります。そして、思考の道具であるロジカル・シンキングも例外ではありません。まあ、ちょっと大げさな気もしますが。

 ロジカル・シンキングとして定式化されていないものやノウハウとして意識されていないものも含めると、コンサルタントが使っている説明や説得のためのテクニックには強力なものがいくつかあります。こうした強力な技法は、ときとして議論をおかしな方に導いていってしまうことがあります。これが負の側面です。あまりにも強力であるがゆえに、使っている本人すら気づかずにその落とし穴にはまってしまうことがあるのです。

 今回から数回に分けて、こうした落とし穴の1つとして、わたしがMALT体系の中で「ロスト・スキーヤー現象」と呼んでいるものを紹介します。MALTの本の中でも解説しているものですが、ページ数の都合で書けなかった意図的なミスリーディングなどの話題を、このコラムで紹介します。

 「ロスト・スキーヤー現象」が起きると、客観的に見てどう考えてもおかしい状況が起こります。まずは、そうした例の紹介から始めましょう。多少脚色していますが、次のエピソードはわたしがごく身近で見聞きしたものです。

◆デジャビュー(既視感)

 AさんはあるITコンサルティング会社につとめています。この会社はシステムの上流から下流まで広い範囲でのコンサルティングを行っている会社です。あるときAさんのクライアント企業で、あるB社から次のようなメールが届きました。

 「当社の基幹システムは長年にわたってその場しのぎの拡張を繰り返したために、メンテナンスコストが高く、ビジネスニーズへの対応も難しくなっています。全社規模でシステムの見直しを行いたいのですが、どのように進めればよいか相談に乗っていただけないでしょうか」

 Aさんは全社規模のシステム企画といった上流系のコンサルティングは守備範囲でなかったので、この依頼への対応を別のコンサルティングチームにお願いしました。そして、ほどなく、このクライアントに対するコンサルティングが始まりました。

 数カ月してから、B社からコンサルティングが完了したというメールを受け取って、Aさんは驚きました。

 「今回は本当にありがとうございました。当社の役員一同、コンサルティングの成果に非常に満足しております。立案していただいた行動計画に基づいて、当社の商品戦略の見直しに取り組んでいきたいと思います」

 なんと、B社は基幹システムの見直しではなく、商品戦略の見直しを行うことになっていたのです。そして、さらに数カ月後、Aさんはもっと驚くことになります。B社から次のようなメールが届いたのです。

 「当社の基幹システムは長年にわたってその場しのぎの拡張を繰り返したために、メンテナンスコストが高く、ビジネスニーズへの対応も難しくなっています。全社規模でシステムの見直しを行いたいのですが、どのように進めればよいか相談に乗っていただけないでしょうか」

 Aさんは、古いメールが誤送信されたのかと思い、注意深く読み返すと最後に追伸がついていました。 

 「追伸:商品戦略の見直しは現場の抵抗に遭い、もう少し時間をかけて検討することになりました」

◆ゴール・ツリー

 こうした不思議な出来事が起きた場合には、「ロスト・スキーヤー現象」が起きたのではないか、と疑ってみてください。続いてこの現象がどういうものなのかを解説していきますが、その前に前提知識となる「目的と施策の構造」の性質について説明します。

 「目的と施策の構造」の性質を説明するために、ロジック・ツリーを使用します。このロジック・ツリーというのは、従来のロジカル・シンキングで紹介される思考ツールの1つで、課題や概念をツリー状に整理することによって分析を行うための可視化手段です。ロジック・ツリーにはいろいろな種類のものがあるのですが、その一つに目的と施策の構造を可視化するものがあります。この種類のロジック・ツリーをMALTでは「ゴール・ツリー」と呼んでいます。

 ゴール・ツリーはルートを最終目的として、その目的の施策を会の要素として配置します。施策はさらにそれを目的とする施策に分解されるのでツリー構造を構成します。ではこのゴール・ツリーを使って目的と施策からなる構造が具体的にどのようなものになるのかを、次の発言を例にして見ていくことにしましょう。

 「今後、売り上げを伸ばすためには、顧客訪問を効率化して営業部全体で顧客リレーションを増やしていく必要がある。そのために、個人で管理している営業情報を共有・活用できる営業支援システムの導入を行いたい」

 この発言の中には、次に示すように目的と施策の関係が多段に登場しています。

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図 ゴール・ツリー(営業その1)

 さてここまでのところ、この構造は単純な連鎖に過ぎませんが、目的を達成するための施策には通常複数考えられるということを踏まえると、この構造はツリー構造になります。

 例えば、「個人の営業情報を共有・活用する」ことを目的とすれば、別に営業支援システムを導入しなくても営業報告のフォーマットを定めて定例で情報共有すればよいという施策も考えられます。さらに上位の目的である「顧客訪問を効率化する」に対しては、もし複数の担当者で同じ顧客を受け持っているようなことがあるのであれば、「営業の顧客割り振りを見直す」という施策も有効です。さらに上位の目的である「営業部全体で顧客リレーションを増やす」のためには、「営業部員を増やす」という施策が考えられます。

 ゴール・ツリーとは、このような目的(ゴール)と施策の関係からなる階層構造を可視化した表現のことです。

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図 ゴール・ツリー(営業その2)

◆ロスト・スキーヤー現象

 このゴール・ツリーで示されるような目的の階層構造を利用して、目的の階層を上下させることは議論を行う際の強力なテクニックになります。というのは、より上位の目的を考えると元々の施策に縛られることなく自由な発想ができるようになるからです。より上位の目的を意識するためには「それは何のため?」という問いかけをすることが有効です。

 個々の施策を考えていて行き詰まったときに、それが本質的に重要な議論なのだろうかということを確認して議論し直すことで、新しい突破口を見つけられることがあります。上の例では、上位の目的から見直すことによって、「営業支援システム」を導入する以外の施策で、より本質的な目的を達成できるのではないかという議論ができるようになります。

 つまり、「それは何のため?」という簡単な問いかけだけで、行き詰まりを打破することができる可能性があるのです。これは読者の皆さんも、覚えておいて損のないテクニックです。この原理を利用してアイデア出しを効率よく行うやりかたについては、MALTの本のほうで詳しく紹介していますので、興味のある方は参照してみて下さい。

 さて、以上はこのテクニックの良い側面ですが、負の側面もあります。それが「ロスト・スキーヤー現象」です。いったん高い目的に上がると、確かに視野が広がるという面はありますが、それは反面、既定の施策の選択をひっくり返すということにもつながります。この施策の見直しが明示的でなく知らない間に起きてしまうのがロスト・スキーヤー現象です。ロスト・スキーヤー現象が起きると、上位の目的を意識した後にもととは違う施策を知らず知らずに選択してしまうことが起こります。

 冒頭で紹介した事例では、当初基幹システム全体を見直すという課題からスタートしたプロジェクトが、何らかの経緯でより上位のビジネス課題を介してまったく別の目的にシフトしてしまったものと考えることができます。

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図 ゴール・ツリー(ロスト・スキーヤー現象)

 ここでときどき誤解が生じることがあるので、補足しておきますが、このロスト・スキーヤー現象が生じるのは、ゴール・ツリーのせいではありません。もともと目的と施策の構造はこうした性質を持っているのだということです。ゴール・ツリーはそれをわかりやすく可視化しているにすぎません。

◆ロスト・スキーヤー現象を味方につける

 ロスト・スキーヤー現象が起きるということを知った上で、よく気をつけて見ていると、いろいろな場面で起きていることに気づきます。人によっては、説得や言い訳のテクニックとして半ば意図的に使っているのではないかと思えることもあります。

 次回以降で、なぜこれをロスト・スキーヤー現象と呼んでいるのか、コンサルティング活動でよく起きる理由、この現象が説得などに悪用されたときにどうすればよいかなどについて説明していきます。

 最後に、本文中で何度か触れたMALTの本を紹介しておきます。

 また、2月27日のセミナーも引き続き参加者募集中です。このセミナーでは、今回解説したのとはまた別のタイプの強力な説得・説明の技法を紹介します。

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