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閑話休題。1年前の投稿

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 突然ですが私は1年前の自分の記事を読み返すルーティンを確立しています。

 昔はラクだったのですが今は媒体が増えて大変です。(ブログ、SNS、メール、カレンダーにちょい書きしてる備忘等)

 でも全部読み返します。具体的にいうと20161211のAMには20151211の自身の記事や文章をざっと読みます。

 実はこれだけではなくて、たとえば20151211に「なかなか良いこと書いてるな~」と(苦笑)いうのがあったら「一次ストック」します。

 で、それを寝かせて、さらにまた約1年後に読みます。

 ので、たとえば今月であれば、2014年12月頃の自分の文章(一次ストックしたもののみ)も読んでいます。

 当時なかなかいい!と思ったもののみなのですが、さすがに2年たつとピンとこない文章があります。自分も常に進化し続けていますしね。

 熱に浮かされて書いたものなどは、読んでいてなんか恥ずかしくなってきます(苦笑)。

 時事ネタに対するコメントなども、ほぼほぼダメです。なぜなら、それらの多くは時事ネタに対して素早くコメントした著名人の考え方に追随してるだけだからです。ただの焼き直しにすぎないので、その文章には「自分」がないのです。

 で、色あせていないというか、2年たってもやっぱり良いこと書いてる!という文章については二次ストックのフォルダにいれておきます。

 二次ストックフォルダには(ここからはイメージです)ざっくり分類タグがつけられた文章が概ね年代別に入っています。

まぁたとえば「健康」とか「SE」とか「IT業界」とかw

 ここに入っている文章群が要は...なんというか、横文字でいうと私の「オピニオン」(?)になるんだろうなと思います。

 検索性は高くなっているので、この二次ストックについてはたまに検索してピックアップして読み返したり、使ったりします。

仕事にそしてプライベートに

◆ 

 ところで、ビジネス・チャンス含め人生における「チャンス」の類はどこから生まれるかというと、実は内側からが半分ぐらいだと思っているのです。

 アイディアは他人がもたらすこともあるけれど、自分が持っていることも多い。

 この、ストックの話とつながるんですけどね。

 キーパーソンとの出逢いというのも確かに大事なんですけど、自分が書きなぐった文章との出逢い(というか再会?)も大事なんですよ。

 私だけではありません。どなたであっても、自分が過去に何気なく書きなぐった、あるいは書き留めた文章にsuggestionは含まれています!

 それに気づいたり気づかなかったり... そしてそのsuggestionには「旬」があって、自分の人生のある時期には役に立つがそれ以外の時期にはまったくピンとこなかったりします。

 でも、宝の山であることには間違いありません。

 読書も大事ですが、自分が発した文章を読み込むのもとても大事です。

 以上、このやり方をおすすめします!

といってもだれもやらないでしょうけどw

 前置き長すぎ...で、やっと本題。

 去年の自分の文章なのですが、手前みそながらとても良いと思ったので抜粋して再掲します。

「小損を取る」 序章

 実は、以前から書いてみたいテーマがあったのです。

 そもそもいちばん最初は、読んでくださっているみなさんに役に立つという観点でいわゆる「成功法則」的なことを書いてみようかと考えてみたのです。(自分の中での整理の意味も含め)

 が!「そんなエラそうなことを書いているオマエは成功してんのかよ」と速攻ツッコミを受けそうでコワい(嗤

 まぁでも、「成功」をどう定義するか、だと思うのです。私のような不完全な、人間的にやや問題のある(苦笑)人間が、このIT業界というマカフシギな?業界に迷い込んでからおよそ20年、パージされることもなく、路頭に迷うこともなく、家庭もなんとか円満で子供たちもすくすくと育っているというこの状況。これが「成功」でなくていったい何なのだ?と思ったりもします。

♯というかケッコンできたこと自体が奇跡か

 しかも今の私はかつてのインフラSEの「激務」からは遠くはなれ...(遠い目)適度な仕事量でやらせていただいています。

 「適度な仕事量」とは... 仕事をいただけてありがたい、と相手に感謝できるぐらいです。ボリュームが少ないわけでもなく。

 これが激務になり、さらに人間関係のストレスがたまってくると、ありがたいなんて思える余裕はなくなってきますからね。それに見合う金額をもらえていないのであればなおさらです。

 ま、今でも深夜のトラブルコールはありますが(笑)... 

 今の私めは「適度な仕事量」にふさわしい、多くもなく少なくもなく、それなりの(苦笑)お金をいただいております。ちなみに我が家の暮しはとても質素です(爆。

 また、適度な仕事「量」とともに、今私めがいただいている仕事というのは自分の身の丈にあっている、といいますか、正確にいうと少し背伸びした状態の仕事のレベルであると感じておりまして、とても良い状態かと思います。

 スキル的に無茶な仕事をアサインされているわけでもないし、誰でもできそうな仕事でもない。私のスキルレベルに加えて「個性」を活かせるお仕事をさせていただいていると思っています。

 しかもこの絶妙な仕事のペースを、ある程度長く続けることができているという... これは成功どころか「奇跡」と呼んでも過言ではないです。

 まぁ奇跡を呼び起こすためには、祈ってるだけじゃダメでして... お客さんにまた声をかけてもらうために、仕事の品質は高止まりで維持しなければなりませんし(大前提)、諸々の営業活動も必要です。後者は、楽しくやっていますw

 かつての激務から「卒業」できたおかげで、健康について考える時間も増え、かつ健康法を実践し、インフラSE時代とはくらべものにならないぐらいの健康体をキープしています。お腹も引っ込みましたしね(笑)。

 激務から卒業できていなかったら、一度は入院していたでしょうね... あとは離婚してたかも...(怖っ

 同世代のエンジニアの方と比較して健康体を維持しているという意味でも「成功」といってよいのでしょう。この歳になってくると健康というのはホント、大事ですからね...

 ところで、他力で激務から卒業したわけではなく、時間が解決して自然に今のポジションに落ち着いたわけでもなく、自分で少しずつビジネス・ライフを変えてきたのです。その結果として今があります。

 その過程においては確かに、胃の痛くなるような状況が多々ありました、が、今となってはいい思い出ですね。

 私と同世代で、20代後半からの「激務」のペースをまったく変えずに、バリバリの人もいます。それはそれで、素晴らしいことだと思います。ぜひ、この連載の最初のほうのトピックを再読いただきまして(笑)、健康にご留意いただきたいと思います。

♯じゃないと早死にしますよ...

 結局、人それぞれなのでしょうね。私はどちらかというと、エッジの利いた人生よりも「ほんわか」した人生を志向するようになりました。ので、人生をそのように意図的に修正してきました。

 一般的なエンジニアですとやはり成功の尺度とは、金銭面やステイタスよりもやりたい仕事をできているかどうか、なのでしょうね。

 ということで、私の今の「中流レベル」であり続けるためにどうするか(下がりもせず、上がりもせず)、というネタであればかなりブレイクダウンして、Todoまで落として書けそうですけども(そしてかなり汎用的にお役に立てるという自信もあるのですが)、派手さがないんですね...

 なぜ派手さがないかというと、やっぱり、詰まるところ良質な生活習慣の継続なのですよね。一発で効く劇薬なぞないのです。これは、健康について書いていたときも述べてきたことです。

 (略)

 タイトルに書いた「小損を取る」ですが、これが私にとっての重要な「成功法則」のひとつなのかな、と。ここ数年強く思うようになりました。

 繰り返しになりますが私の考える「成功」とは「中流であり続けること」なので、「大金持ちでウハウハ」とか「起業して時代の寵児となりマスメディアからチヤホヤ」とかそういうふうな「成功」を目指したい方にはまったく合わないと思います。

 そういう方向けの「成功法則」は巷にいくらでも出回っていそうです。そしてそういう成功をするためには「小損」どころかかなりのリスクをとっていかないとダメです。なぜなら、求めているものが「ハイ・リターン」なわけですから「ハイ・リスク」でないと当然釣り合いません。

 私の考える「小損を取る」は、一言でいえば「ノーリスク・スーパーローリターン」でしょうかね(笑)。

 派手さはないですし効果が出てるかどうかもわからないというシロモノですが、確実にいえるのは自分が、「少しだけ」すがすがしい気分になれます。(徐々に、ですが...最初は不快感をともなうかもしれませんが、いずれ必ず「転換」があります)

 ほとんどの技術系の方が、将来の不安をお持ちかと思いますし、もちろん私もなくはないですが、この「小損を取る」という習慣を続けていくことができれば、自分は大丈夫なのではないか、とけっこう楽観的です。

 過去20年それなりに「奇跡的に」うまくいってきて、今後20年、うまくいくとは限りませんが、「うまくいくとは限らない」ということはうまくいくかもしれないのです。「五分五分」を、できれば六分四分、とそこまでは望まないのでせめて52対48ぐらいになるよう、日々の少しの努力を続けています。

ふりかえれば、ずーーっと続けていますね。

 ですので、仕事を頑張るのは大大・大前提なのですが、仕事から離れたところでの日々の努力は必ず続けている必要がありそうですね。それぞれが思い描く「成功」のためには。

 毎日、ほんの少しでいいのです。

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