キャリア20年超。ずっとプログラマで生き延びている女のコラム。

それはきっと幸せな結末

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 わたしがプログラムを書いたとあるシステムがその役目を終えました。

 統合システムが本格稼働するまでの中継ぎ、という説明を最初に受けていて、「寿命の短い子なのね」と思いながら、それでも大事につくったものです。後継開発のスケジュールが遅れたりして、当初予定の倍の期間を働き、役目をまっとうして稼働を停止しました。

 運用担当の社内SEの方々が、稼働停止に合わせて打ち上げをしてくださって、うちの社の者がその席にお呼ばれしたそうで、「そういえば、本格稼働はじめてから1度もトラブルを起こしませんでしたよ」と言ってもらったと、とてもうれしそうに話していました。

 わたしは長いことプログラマをやっていますが、自分が関わったシステムについて「役目を終えて停止した」という話を聞いたことがありませんでした。

 プログラムを書いて、それがテストをクリアして納品されたら、そこから先はもうわからない、というのが当たり前だったんです。

 わたしがこれまで書いてきたたくさんのプログラムは、まだそのまま動いてるかもしれないし、誰かに手をいれられながら生き延びてるかもしれないし、「こんなの使えねーよ」とか言われてどこかのハードディスクのゴミと化しているかもしれません。その行方を知る機会はありませんでしたし、知りたいと思ったこともありませんでした。知ってどうなる、という気持ちもありましたし、知ったところで悲しい思いをするだけなんじゃないかという恐怖もありました(苦笑)。

 だけど、そのシステムの「結末」の話を聞いた時に、自分はもっと自分の仕事の結果というものに関心を持つべきだったのかもなあ、とちょっと反省したんでした。

 と、ここまでの話は数年前のことで、今、そんなことを思い返しているのは、今年になって稼働を開始したシステムのことで「順調に動いています、ありがとうございます」といった内容のメールをお客様からいただいた、という話を聞いたからです。

 わたしはプログラムが書けるだけでうれしい人で、お客様と顔をあわせることもめったにないんですが、それでも、そうやって誰かが自分の仕事の結果に「ありがとう」と言ってくれているということに、格別の喜びを感じます。

 ぶっちゃけ、泣きそうなくらい、うれしい。

 お客様がいてくださるから、わたしはプログラムを書いて食べていけてるし、お客様と粘り強く話し合いをしてくれるSEさんがいるから、お客様に納得していただける仕様が出来上がるし、気が遠くなるような大量のテストを愚痴ひとつこぼさずにこなしてくれるテスト担当の人がいるから、お客様にたどりつく前にバグがつぶせます(←わたしはすぐに「めんどい」とかわめきだすぜ!)。

 ついついプログラムに夢中になっちゃって、自分の世界にひきこもりがちなわたしでも、このうれしさは自分1人では決して得られないものだとわかるから、とても愛おしく感じるんでしょうね、きっと。

 これまでのキャリアの中で、つくる側と使う側がけんか別れしてしまったプロジェクトをいくつも見てきました。

 そういったことを考えれば、運用を担当してくださっていた方々に、最後に「お疲れ様」と言ってもらえた冒頭のシステムは、とても幸せな結末を迎えたと思います。

 そして、今年、動き始めたばかりのシステムが、そんな幸せな結末を迎えてくれるといいなあ、と、今、心の底から願っています。

 ああ、もっとちゃんとできるようになれば、もっとたくさんのうれしいことに出会えそうな気がするから、もっとちゃんとしたプログラマになりたいなあ(←わたしの文章って、いつも小学生の作文みたいな結末に至るよね)。

Comment(4)

コメント

真っ赤なレモン

ちょっと待って、フィードバック、フィードバック。いまのことば フィードバック、フィードバック。
君たちがいて、僕がいる。おかげさまです。

仲澤@失業者

16bit時代から数えると、自分の年齢をかるく超える数のアプリケーションを
書いてきました。当然ですが、システムの寿命的終焉もありましたが、
自前の物を含む目前のコードが「全滅」する場面にも立ち会いました。それは、
 1.DOSの絶滅
 2.Windows 2.xの絶滅
 3.16bit CPUの絶滅
 4.OS/2の絶滅
などですね。避けたいたとえですが、それは津波の様にやってきて全てを無に
帰したのでした。残った物は本当に原始的で根本的な部分のみ。
上物は全てやられてしまいました。
感覚的にはここ十数年程度がかろうじて安定期と言えるのかもしれません。
そんな経験からリリースした物に強い関心を持たないようにしてますが、
ある物は捨てられ、別な物はばらされてリサイクルされたと、風の便りが
届くこともあります(しくしく)。
DOSの時代から生き残ったものは手元に置いて進化と改良をし続けた
エディタ、Winows2.1時代からのローンチャ(ランチャ)、3.x時代からの
図形編集アプリだけ。見放せなかったんですね・・・こいつらは。
どっちにしろ、これらも自分の寿命と一蓮托生ですけどね(笑)。

ひでみ

こんばんわです。ひでみです。


仲澤@失業者さん。

ああ、確かに「全滅」ってありますねえ。
昔、OS/2用のアプリをつくっていた時期がありましたけど、あの時、書いたプログラムはもう働く場がないんですね、そういえば。
OS/2自体を開発していた方々はどんだけ悲しかったんだろうなあ(←解放されて喜んだ人もいるかも)。

全滅しても、自分の中に経験として残る! と言いたいところですけど、自分の中にしか残ってないというのはさびしい感じがします。

珠朔

「全滅」といえば、発売前に消えてしまったOS関連のプロジェクトの端っこに
いたことが。25年以上前ですが。

B-TRON 用HWのデバイスドライバです。世にでる前に潰されてしまいました。
故に私は、SoftBankuが大嫌いですw

機器組み込みですが、自分が設計から製造立ち上げまで立ち会ったLCRが退職して15年後に入社した会社で使われていたのを見た時には、ちょっとウルウルしてしまいました。

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