九州のベンチャー企業で、システム屋をやっております。「共創」「サービス」「IT」がテーマです。

「呪いの時代」のIT技術者

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 先日、システムの本番機リリース作業中に障害を起こしてしまいました。

 すぐに復旧させたため、システムは止まることなく被害は軽微だったのですが、その日は障害対応と関係各所への説明や謝罪対応でてんやわんやでした。実害はほとんどなかったので「分かった。今度からは気をつけてください」レベルで終わる方もいらっしゃれば、「どうして起こったんだ? 理由はなんだ? なぜ、その対応ができなかったのか? 誰の責任だ? これが実際の工事だと死人が出ることもあるんだぞ(お客様が設備関係)!」などなど、心ない言葉を浴びせる方もいらっしゃいました(実際に迷惑をかけたユーザーさんより、システムを使わない関係者の方がきつい言い方をされることは不思議ですが)。

 障害を起こしてしまったことは素直に反省しつつも、正直、障害の内容は不可抗力に近いのはないかと思っております(口に出しては言えませんが)。というのも、承認済みの手順書に従った作業だったのですが、その手順書に間違いがあったために起こった障害だからです。通常、作成された手順は検証機にて確認したうえで本番機に適応されるのですが、このシステムは検証機がなかったため、手順書の誤りを発見することができませんでした。

 また、この作業自体も当初予定されていた作業ではなく、お客様からの依頼で、こちらも少し無理をして行った作業でした。お客様に対して良かれ、と思ってやった作業が仇になる、という典型的なパターンだったのです。

 こういう障害を起こすと肉体的にも精神的にもしんどい思いをするのですが、それより何より堪えるのは、お客様のために良かれと思ってやったことは間違いだったのか、と思ってしまうことです。開発作業にしろ本番機作業にしろ、100%完璧、という現実にありえません。ヒト、モノ、カネ、時間、どれも十分に足りている、ことすらないのです。従って、どんなに努力しても何かが起こるリスクは必ずあります。

 言い換えると、お客様によかれ、と思い何かを引き受けると必ずリスクを抱えることになってしまうのです。当然、お客さまもリスクを抱えることになりますが、我々作業実施側のリスクもあります。そして、今回のような事を考えると、お客様のリスクより我々のリスクの方が大きいのです。だとしたら、お客様の要望には、あまり応えない方が良いのでしょうか……。

 ちょうど、その日でした。Amazonに頼んでいた 「呪いの時代(内田樹 著)」が届きました。つらつら読んでいると、1つの文章に目がとまりました。

 「(創造とは)、自分の柔らかい脇腹を鋭利な刃物に向かって差し出さなければならないということ」

 創造する者は、自分が創造した「現物」を人々の目の前に差し出して、その視線にさらし、評価の下るのを待たないといけない。そして自分が創ってしまった「物」がそこにあるのですから、逃げも隠れもできない。と、創造することの怖さが、そこに書かれていました。

 正直、その文章を読んだ時、涙が出そうになりました。確かに、このシステムは我々が創ったものに間違いありません。だから本番機作業も含めて、我々はこのシステムから逃げも隠れもできない。柔らかい脇腹を鋭利な刃物に差し出さないといけないのです。

 そしてこのしんどさは、我々が何かを呪っているのではなく、創造している証なのだと。

 さらに加えるならば、我々は刃物に向かって脇腹を差し出しながら、もう一歩前に踏み込む勇気も持たなければなりません。差し出された刃物が、実は模擬刀である可能性があります。それが真刀であるか模擬刀であるかは、一歩前に踏み込む勇気を持たないと分からないのですから。

Comment(6)

コメント

山無駄

自己コメント。

最近、「自分の価値観が世間一般的だ」という前提に、まずは「○○はおかしい!」
という攻撃から入る人をよく見かける(自分の周りだけかもしれないが…)。

その事を本書では、「呪い」という言葉でうまく表現してくれた。

最近、橋下大阪市長と何処かの大学の先生のバトルがネットで話題になっている
のを見かけた。先生が「橋下さん、あなたは間違っている」と発言したために、
市長からけちょんけちょんに言い負かされて、憮然とした顔が動画で配信されて
いるのだ。その解説もネットで話題になっていた。曰く実務を知らない大学の先
生が「あなたは間違っている」という市長のフィールドに立ってしまったからだ
と。

これを本書流にいうと、先生は市長を「呪い」。その「呪い」が、自分に跳ね返
った、という事であろう。

自分の周りにいる人から受ける「呪い」対しても、自身の防御策としては自分の
フィールドに入ってくれば跳ね返す。自分のフィールド外では受け流す、という
スタンスをとることにしている。どちらにしろ、まっとうに取り合わないことだ。

ただ、これからの時代、人を呪っている暇などないのではないか、とつくづく感
じる。いろいろな価値が氾濫する世の中で、相手も同じ価値観だと思う事はナン
センスできっと、相手がどの様な価値観をもっているのか、というところからコ
ミュニケーションを始めないといけないと思う。その為には、まず「呪う」から
まず「祝福(個人的には、呪いの反対は言祝ぎが良いのではないかと思ってい
る)」ところからはじめること大切なのではないかと。

山無駄

自己コメント その2。

「呪い」の反対は「祝福(個人的には『言祝ぎ』がしっくりくる)」である。
例えば、システムの世界だと「こんなシステムは使えない」、良く聞く呪いの
言葉である。では祝福の言葉はどうかというと、「このシステムは、○○を背景
に△△を目的として、□□という設計思想で、××という過程を踏まえてできた
システムである。途中、◎◎という課題や問題がでてきたが、▽▽という判断
のもと、◇◇という対応をおこなった。まだ●●という課題がのこっているが、
これは▲▲までに■■という対応を行う予定です」という様な、事実や考え方、
経緯を淡々と語ってゆく事だそうだ。

創造するものは自分の柔らかい脇腹を鋭利な刃物の前に差し出さないといけない。
鋭利な刃物は、多くの呪いの言葉であろう。自分の創造したもの、そしてその
創造したものを通して自分自身にも呪いの言葉は届くであろう。
その呪いから自分を守るのは祝福の言葉である。呪いに呪いを返してはいけない。
自分の創造したものが穢れてしまう。祝福を返すのだ。そうすれば、多くの呪
いは鎮まるのだから。

Fu

渕上マネージャーのほうから来ましたw
渕上マネージャwに反応してコラム読ませていただきました。

私は本番環境をごにょごにょする仕事をしています。
柔らかい脇腹を差し出すこともよくあります。
(私がだまされて脇腹から血を出すのは、製品のサポートのウソ、勘違いからが多いです...)
お客様とリスクのある作業を説明するときは、いっしょに脇腹を差し出しましょうと話します。
脇腹の先に今わかっている範囲でどんな刃物があるかをそえてです。
それでも脇腹を差し出しましょうと言ってくれるかはお客様との信頼関係だと思っています。
当然ながら、血が出たらどうやって止血するかは頭が沸騰するくらい想定して、手順化します。
段取り九割です。
想定内のトラブルで想定通りに復旧した場合、お客様から文句をいわれることはなくなりました。
まぁ最初からそうだったわけではないです。
いろんなトラブル、謝罪、失敗を重ねて、二度と同じこと、同じ思いをしないためにどうしたらいいか考えて、対策をうち続けた結果です。
Fuさんがやってうまくいかなかったんだからしかたないと言っていただけるまでに5年かかりました...
言っていただけなくなるのは一瞬なので、毎回胃が縮む思いでマウスをクリックしたり、Enterキーを押しています。
誠実に対応する。想定外と言わない。間違えたら誠実に謝罪し、リカバリし、原因を突き止め、再発防止する。
を繰り返していけば、信頼関係は深まります。
トラブルを運が悪かったと言い訳する人は一生信頼してもらえません。
でも、1回の不誠実で全部壊れます。気の抜けない仕事です。

長文、失礼しました...

Fu様

コメントありがとうございます。そうですね、気が抜けないです。

脇腹に刃物を突きつけた人がどの様な人かにより、それが真剣か模造刀かが
変わってくると思います。
自分が責任ある立場である場合、もしくは実際の利用者で何かあった場合に
不利益が自分に降りかかってくる立場の人は、真剣を突きつけてきます。
こういう方々はFuさんのおっしゃる通り、一緒を脇腹を差し出しましょう、
という話を聞いてくれます(中には、全責任をこちらに押しつけようとする
人もいますが…)。
しかし自分が責任者や利用者など当事者でない人は、模造刀を突き付けて
きます。この様な人達は、さも利用者の立場であるかのように、呪いを吐い
てきます。彼らは実のところ当事者ではないので、いくら一所に脇腹を差し
出しましょうといっても聞く耳を持ちません。
その見極めが大切で、その様な人達とどの様に対峙するかが大切なのでは
と思っております。

佐々木俊尚氏の「当事者の時代」を読んでそんなことも感じました。

ななころび

心情お察しいたします。
担当者としては、心情的に辛いですね。
プラスアルファの善意が裏目になった場合は特に辛く感じます。
私も25年のSE経験を経て、会社で新部署である品質管理に7年在籍していた経験があり、
山無駄様の文章の「第三者的な立場」の役回りになった事もございます。
両方の経験者から申しますと、この様な不可抗力と思える障害は、予防する仕組みを作っていなかったことが根本原因で組織の問題として共有して予防策の検討を行うべき問題と考えます。
そういった(現場担当に責任を背負わせない)ポリシーを組織として表明すべきであったし、そういった仕組みを作り上げないとエンジニアが疲弊してしまいます。
誰の責任でもありません。
強いてあげるなら企業トップの責任です。
なかなか、目先の利益のことに注力して、安心安全にお金を掛けなくなっている経営者に「活!」ですね


山無駄

ななころび様

コメントありがとうございます。
確かに組織としての取り組み大切です。ただ、組織としての成熟度が
大いに関係してきます。失敗に対する情報共有が大切だ、との名目の
もと他部署も含めての打合せの場が設けられますが、そこでも責任追
及の場になってしまいます。集められた人間は責任を問う立場ではな
く、事例を聞いて自分たちの立場に置き換えて考えることを求められ
ているはずなのですが…。

そういった意味でいうと、経営者の責任は大きいですね。組織の成熟
度をあげるのは経営者ですから。でも、経営者自身も成熟度があり…。

最近、愚痴っぽくなっています。

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