アラサーの元ITエンジニア(現 事務職)が異業種から「その先」を考えます。

ITエンジニア時代を振りかえる~新入社員時代~

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 北海道でも、季節が少しずつ初夏へと向かってきました。

 わたしの職場にも、新入社員が配属されました。まだ初々しさが残る新入社員を見ていると、わたしの新入社員時代を思い出します。あたたかく見守りたい気持ちと、複雑な心境が入り交じっていたりします……。

 先回予告したとおり、ITエンジニア時代のお話をしましょう。ときはわたしが「新入社員」であった7年前へとさかのぼります。

■そもそもは危機回避から~ITエンジニアまでの道~

 そもそも、わたしがITエンジニアを目指したのは、「就職できない」危機回避のためのネガティブな選択肢としての側面が大変大きかったのです。

 大学生活も折り返し点となった2000年の春。当時は就職氷河期のまっただ中、新卒の求人倍率が史上初めて1.0倍を割ったニュースが駆けめぐっていました。

 その年に2年早く就職を迎えた専門卒や短大卒の同級生、そして2年先輩の大学4年生は、大変な苦労をしていました。

 当時「社会情報学部」という学部に在籍していたわたし。就職のことを考え、恐れをなしたわたしは、社会学にどっぷりとはまっていたにもかかわらず、就職の可能性を高めるためだけに、ゼミでプログラミングを専攻する決意をします。ふたを開けてみると、そんな決意を忘れるくらい、ゼミもゼミメンバーも和気藹々(あいあい)としていて、学業もコンパも充実。大変盛り上がりました。

 そうして迎えた就職活動。文系出身でプログラミングの勉強もしていて、アルバイトは家電量販店の販売ヘルパー。このプロフィールが企業側に受けたのでしょうか、周囲の苦戦を尻目に次々と書類選考や面接を突破。結果的に最終面接にいち早く進んだ地場大手のSI企業の内定を受け、受諾します。わずか86日間の就職活動でした。当時は、これが苦難へのドアを開けてしまったとは、思いもしませんでした……。

■新入社員時代~カオスへの序章~

 そして、 2002年の春。わたしは地場のSIerに入社します。後に聞いたところによると、10倍超の倍率をクリアして入社したそうです。希望に満ちあふれていたわけでもなく、嵐の吹き荒れる中、やっと落ち着いたという気持ちが強くなっていました。もともと多方面に興味があるのと裏腹に、仕事への希望が薄かったわたしでしたので、心情の変化は「来るべくして来た」のかもしれません。

 入社研修中のある日。人事担当役員と、ちょっとした「いざこざ」を起こします。これが、後々のわたしの処遇に大きく影響したのかもしれません……。残念ながら、世の中には「正論」が通らない場面が多く存在するのです。そこに触れてしまった、ともいえるでしょうか。

 研修が終わり、わたしが配属されたのはユーザーの情報システム部に常駐する部署。もちろん、25人いた同期で配属されたのはわたしだけでした。世の中の不条理をこのことで知ります。

 最初のプロジェクトは、ある教育サービス業の成績管理システムのリプレースでした。プロジェクトメンバーは、ユーザーの情報システム部長(PM)、配属先の課長(PL)、インフラ担当の8歳上の先輩社員、フリーのプログラマT氏(実質的な教育係)、わたしの5名。

 開発は、作業スペースの関係により自社で行いました。いきなり常駐とはならなかったのです。そこで、フリーのプログラマT氏より、徹底的にVB6.0での開発をたたき込まれます。半年後にシステムが本稼働を迎えるころには、プログラミングの学習経験があったのと相まって、何とか独り立ちできるようになっていました。

 しかし、ここで暗雲が立ちこめます。なんと、入社半年にして自治体システムを抱える部署へ異動が決まるのです。異動先は、自治体合併の特需であちこちで火を噴いていました。特に、合併後に大型受注の見込めるX町のプロジェクトには、信じられないくらい多くの人的リソースが投入されていました。当時在籍していた社員の1/3が投入される始末。

 1人あたり月間300時間を超える稼働時間に見合わず、プロジェクトは半年以上遅延し、一部モジュールの開発は事実上停止していたのです。

 後にこのプロジェクトは数億円の損失を出し、年間売上高を前年比2/3に低下させる要因となりました。その頃には、わたしは退職しておりましたが……。

 わたしはモジュールの開発部隊として、社内に残って開発を進めることになりました。月間300時間を超える勤務が半年続きました。しかし、定時にてタイムカードを締められ、すべてをサービス残業として片付けることになります。上司に抗議しましたが、まったくもって梨のつぶてでした。

 それでも、タイムカードが締められていることを逆手にとって、平日は徹夜でスケジュールを合わせ、週1度は必ず休み、遠距離恋愛中の彼女に会いに行っていました。

 そして、ノートPCにて「持ち帰り残業」を覚えたわたしは、仕事の効率が上がったと錯覚したものでした。情報漏洩のニュースが駆けめぐる今となっては、決してほめられた行為ではなく深く反省しています……。

 次回は、入社2年目~退職に至るまでの話です。

 2回目の異動で再び仕事内容が変わり、担当したユーザーの理不尽な要求とは? 3回目の異動先の部署での「社内いじめ」とは? 人生初の大きな「経験」とは?

 当時したためていた手記を元に、ありのままお話ししたいと思っています。

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