いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

就活にいちゃもんをつけてみる

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無難への終息

仕事のできる変態と仕事も中身も普通、キラリと光る外面(そとづら)はあるが仕事のできない人。あなたはどういう人と仕事をしたいだろうか。一般的には仕事のできる変態か普通の人だろう。だが、選ばれてしまうのは普通かキラリと光る外面だ。外面な人を叩きたくなる気持ちはあるが、彼らは外面で評価されるための努力をしている。

大きめの会社では採用担当というのがいるそうだ。思えば凄い立場の人だと思う。人を品定めするのが仕事だ。しかも、品定めする基準は会社によってまちまちだ。一般的にはそれぞれのフィーリングに近い部分で判断される。就活生から見れば、恨みは無いが殴りたくなる立場だ。私も元大企業の採用担当やってた人(うちのオヤジ)の話を聞いたことがあるが、変に斜め上目線で殴りたくなった。

今の日本の採用方法では、良い人を採ろうと熱心になるほど無難な人を採用してしまう仕組みになっている。男性ならさわやか系のチョイ冴える系、女性なら清楚系な明るい美人が圧倒的有利だ。大手に就職して無難な人生を歩みたいなら、能力や努力より顔と性格だろう。と、理不尽を恨むより理不尽を前提に対策を立てる方が賢い。

結局、採る方も採った理由を説明する義務が発生する。納得する説明をしようとすれば、誰もが納得する無難な人を選ぼうとする。そうなると、出身大学や履歴書の写真で判断してしまう。判断される新卒学生も災難だが、裁量も与えられずに採用業務を任される方もストレスが溜まっていることだろう。

大企業はサイコロ振って採用決めた方がマシ

日本の大企業の場合、新卒を一定数採用して配属は後から決める。最初から何をやらせるか決めていないなら、誰を採用するかサイコロを振って決めても大差は無い。「何を無茶苦茶なことを!」と激高される方もいるかもしれないが、それほどまでに採用のやり方がずさんだと思う。そして、採用した後のことを考えていない。

元大企業の採用担当やってた人(うちのオヤジ)曰く、「ある程度の大学出ているならほとんど能力の差は無い。」だそうだ。もうちょっと人徳のありそうな採用担当から聞いた話では、「大学を出ていれば最低限の能力はある」らしい。ただし、出身校を武器にしている時点で、突出した能力は無いと考えた方がいい。

大企業の面接は面倒くさい。何回も面接やテストを繰り返す、OB訪問とかうだうだと無駄が多い。こだわって選ぶのはいいが、最初に何をやらせるか決めていない。要件を決めずに発注するのと似たようなものだ。変に選考を厳しくすると、「俺たちは選ばれた人間だ」と勘違いされやすい。選ばれたのは事実だが、選ばれた根拠は能力ではない。無難さだ。

学生の時間を企業の自己満足に費やすくらいなら、いっそくじ引きで決めて学業に打ち込んでもらう方がマシだ。採用業務の根本がおかしいので、サイコロきで決めても結果は大差がないと思う。サイコロきで採用を決めろというより、現代の日本の採用のやり方は、くじ引きにも劣るんじゃないかということだ。

採用より教育だろ

現行の日本式の採用方法が完全におかしいかといえばそうでもない。採用は採用、業務は業務でぶつ切りになっているのが問題だ。そもそも、とにかく何人新卒入れるというプランに業務から判断した根拠はあるのだろうか。とりあえず毎年何名か採るものだから採るという考えでは、あまりに無計画だ。

人を入れても業務が覚えられるように手ほどきしなければ利益は出ない。日本では「甘えるな。仕事は自分で覚えろ!」というスタンスだが、ミスは許さない。仕事を自分で覚えるスタイルは、だいたいのミスが許されたおおらかな時代という条件でしか成り立たない。その言葉の背景は、先輩方が自分のことに必死で後輩の育成はノープランだとはっきり言っておきたい。

育成ができなければ日本型の雇用にメリットは無い。そもそも、無理無茶で回している現場に人を教育する余裕などない。新人の初期能力に頼りすぎだ。「金もらってるなら自分から仕事を覚えるべきだ」という人もいるかもしれない。そういう人には「仕事教えるのも仕事だろ。金もらってるならちゃんと教えろ。」と返したい。

だが、現場が新人に仕事を教えられないのは個人の責任ではない。組織の仕事の組み方に問題があるのだ。根性で仕事を回していたので、上手くいった理由も失敗した原因も分析できていない。だから、仕事の核になる部分が働いている本人たちも分かっていない。教えられないから変な精神論を振り回すしかなくなる。

選りすぐりするなら金だせ

その人がどれだけの能力があるかは大事だが、それが発揮されるかどうかは環境に依存する。人を選ぶのに労力をかけるより、能力が発揮できる条件を整える方が効果がある。もっと簡単に言おう。人を選ぶなら相応に金を出せということだ。金を出さない企業に人を選ぶ資格は無い。

選ばれた人が何を望むかと言えば、結局はお金だ。選りすぐった人に丁稚奉公をさせるのは阿呆のやることだ。働かせるために雇った人に年上の接待させても、企業として利益は出ない。しかも、高い能力の人を選りすぐって接待させるのは能力の無駄遣いだ。社会的損失なので、さっさと止めて欲しい。

選び方は要件を積み上げるだけ、金を払う気もない、仕事を教える段取りもボロボロ。そんな新卒採用に比べると、中途採用は意外とフェアだ。払う金の話もできるし、何の仕事をやるのか明確に話すこともできる。転職活動をしてみると分かるが、ちゃんとコミュニケーションを取ってくれる。中途採用で圧迫面接をするようなマヌケは流石に見たことは無い。

こういう言い方も何だが、新卒の学生をなめてると思う。会社で働いたことがないからと見下してはいないだろうか。年寄りが出しゃばり過ぎだ。年配者の方が精神的な余裕があるはずだ。雑用やら花見の段取りは年配者がやって、新人にバンバン仕事を任せて少しは楽して人生楽しめ。こんにゃろう。

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コメント

山無駄

・人が欲しい!
・中途が見つからないから新卒だ!
・新卒なら合同説明会への参加だ!
・ところで、どういった人が欲しいのだ?
・技術力重視。ギークじゃね?
・ギークって、合同説明会に来るのか?←今、ここ

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