Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

勉強の仕方

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月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2009年3月号)をお求めください。もっと面白いはずです。

なお、本文中の情報は原則として連載当時のものですのでご了承ください。

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いつの時代も新入社員は不安と期待を抱えている。「今どきの若者」であっても、きっとそうに違いない。今月は「仕事の覚え方」の話である。新入社員だけではなく、新入社員を指導する立場の方にも参考になると思う。

●「最近の若者」はなぜ仕事がなかなか覚えられないのか 

筆者は、最近の若者も昔の若者もそれほど違いはないと思っている。しかし、今と昔で状況が変わっていることは確かである。

たとえば電話。筆者が会社勤めを始めた頃は、代表番号にかかってきた電話を、手の空いている人が取り、必要に応じて担当者に転送するのが普通だった。もちろん担当者が不在のときは伝言を受ける必要がある。だいたいにおいて、電話を取るのは新入社員の仕事だった。聞いたこともない会社名や部署名を正確にメモするのは大変だが、会社のビジネスを知るにはいい勉強になった。

筆者が今でも覚えているのは「XXデンデバの田中です」と言われたことである。2回ほど聞き直して「XX社の電子デバイス部の田中さん」ということがやっと分かった。懇意にしているのでつい社内用の略称を使ってしまったようだ。ここで理解したことは「社外の人に社内用の略称を使ってはいけない」ということもあるが、もっと大事なことは「社内用語で会話するほど密接な付き合いをしているお客様だった」ということだ。

その後、個人毎に個別の電話番号が割り当てられ、留守番電話機能が一般化すると、転送の習慣は廃れた。それでも隣席で電話している声は自然と聞こえてくる。会話の内容はだいたい見当がつく。大事な得意先の名前を自然と覚えることもできる。また、何らかのトラブルが発生したことも想像できるだろう。当事者には申し訳ないが、トラブルに対応する様子を観察するのは良い勉強になった。

今はどうだろう。電話よりも電子メールの方が多いのではないか。これでは隣の人が何を話しているのか分からない。自分が関わっている仕事のメールしか読まないし、読んでもらえないのでは、会社全体でどんな仕事が進んでいるのか分からない。仕事が覚えられないのも無理はない。

●「最近の若者」はなぜ正しく話せないのか 

今の40歳代以上の社員は「最近の若者は言葉遣いを知らない」と言うが、自分たちだって知らなかったはずだ。ただし、早い段階で指導を受けることはできた。たとえば、電話での会話中、ビジネスの場にふさわしくない言葉を使っていると、あとで先輩社員から注意された。

最近、若者や主婦層に「~毎」を「~マイ」と読む人がいるらしい。「1本毎に名前を書いてください」を「1本ごと」ではなく「1本まい」と読むのだという。明らかに間違っているので、昔なら即座に注意されたはずだ。だが、電子メールでやりとりをしている場合、訂正する機会がない。何しろ発声しないのだから間違いに気付かない。学生ならともかく、大人に間違いを指摘する人は少ない。陰で笑われるだけだ。あからさまに笑われるのは総理大臣くらいだろう(*1)。

筆者は、社内で間違った言葉を聞いたら、その場で指摘するようにしている。妙な言葉を外で使われると会社の品位が疑われるため、自分が困るからだ。しかし、お客様相手ではそうもいかない。この場合には気付かなかったふりをする。対等な立場で参加しているメーリングリストなどでは、やんわりと指摘するようにしているが、やんわり過ぎて本人には気付いてもらえず、周囲の人の失笑の輪が広がるだけだったりすることもある。

IT業界での誤読ナンバーワンは「脆弱性」だろう。「脆」のつくりが「危険」の「危」なので「キジャクセイ」と読んでしまうようだ。実は「脆」は難読文字として扱っている出版社が多く「ぜい弱性」と記述することの方が多い。出版社が「難読」としている漢字を多用するのは、カナ漢字変換の使いすぎの悪例だが、間違いは間違い。気をつけたいものだ。

●「最近の若者」はなぜ正しく書けないのか 

文章力も低下していると嘆く人がいる。この原因は筆者に思い当たるところがある。ワープロと電子メールの普及により、顧客に提出する文書はすべてデジタル化されたためだ。新入社員が書いた文書は、先輩社員によって添削され、顧客に提出される。新入社員は添削された文書を読むはずだが、清書されているため自分の文章のどこを直されたか気付かない。これでは、改善のしようがない。

筆者が仕事を始めた頃は、既にワードプロセッサが存在したが、電子メールがあまり普及しておらず、結局プリントする必要があった。社内では電子メールが普及していたが、ファイルを添付する機能がなかった。おまけに使いやすいエディタもなかったので、先輩社員がチェックするのは印刷された書類だった。赤入れされた文書をもとに清書するのはもちろん自分の仕事である。そうして、どのような言い回しが不適切なのかを知るようになった。

前回は「写経」(サンプルプログラムを書き写すこと)の効果を紹介した。考えながらキー入力することで深く理解できる。赤入れされた原稿を清書するのも「写経」と同じような効果を生む。

●「最近の若者」はなぜ自分で考えないのか 

ここ数年「若者は自分で考えない」と言われることが増えてきた。Googleに代表される検索サイトの結果を引用するだけで、レポートを完成させようとするというのだ。検索結果が必ずしも正しくないことは連載第14回でも触れたが、改めて強調したい。サイトごとに多少の違いはあるが、基本的には「多くの人がリンクしているWebサイトはそれだけ重要であり、重要なサイトからリンクされているサイトも重要である」というアルゴリズムが検索エンジンの主流だ。そこに「正しい」という価値判断はない。

「最近の若者」の不幸な点は、自分で考える習慣が付く前に検索サイトを使うことを覚えてしまったことにある。しかし、今さら検索サイトを使うことはやめられない。仕事の効率が落ちるからだ。ではどうすれば良いか。

今は検索のコストが圧倒的に低い。そこで、まず検索を行って、検索結果から確からしいものを選んで仮説を立て、最後にその仮説の妥当性を検証すると良い。検索結果のトップが信用できない可能性はあるが、上位グループのどこかに正しい結果が含まれている可能性は高い。「仮説を立てて検証する」これは科学だけではなくビジネスの基本でもある。検索エンジンは優秀だが、仮説を立ててはくれないし、検証方法も考えてくれない。そこが人間の仕事である。

そして、もっとおすすめしたいのは、人に聞くことである。自分でどこまで調べて、どこまで理解できたかをまとめてから聞けば、嫌な顔はしないだろう(いきなり質問すると嫌がられる可能性が高い)。特に、新しいアイデアを求められるときは検索だけでは不十分だ。他人の助けを借りよう。ソクラテスの時代から、人間は他人と会話することで理解を深め、新しいことを習得できることになっている。電子メールや電子掲示板でも良いが、直接会うことをおすすめする。きっと得るものがあるはずだ。

「インターネットウィーク」というイベントがある。インターネットに関する技術の研究・開発、構築・運用・サービスに関わる人々が、関心を持つテーマについて議論し、理解と交流を深めるために毎年開催されている。このイベントは、人と人が直接会話することを重視している。特に、2008年のキャッチコピーは印象的だ。検索エンジンを使うときには思い出してほしい。

検索で明日は見つからない*2)。

(*1)もっとも麻生総理は電話世代のはずだが。

(*2)このコピーを考えた人は、きっと「あしたのジョー」世代だ。

■□■Web版のためのあとがき■□■

今年の新入社員は「ゆとり世代」なんだそうだ。しかし、なんでも「ゆとり教育」のせいにするのは感心しない。「ゆとり教育」は、日能研などのプロパガンダのおかげで、ずいぶん不当な評価が広まっているからだ。

いわゆる「ゆとり教育」の例として「小学校学習指導要領(平成10年12月告示、15年12月一部改正) 第3節 算数」の中身を紹介しよう。

「円周率が3」と揶揄されるが実際はこうである。

円周率としては3.14を用いるが,目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮するものとする

円周率を学習する時点では「概数」の概念を習っていない。そのため概算を行う場合に小数点以下何桁まで指定すればいいのか小学生には判断できない。そこで、目安として「3」が提示されたようだ。

台形の面積の公式を学ばないというのも半分誤解である。

平行四辺形、台形、ひし形について知り、それらをかいたり、作ったり、平面上で敷き詰めたりすること

台形を平面上で敷き詰める方法を知っていれば、公式を知らなくても面積は算出できる。

世代毎に、何らかの傾向があることは間違いないだろうが、その原因を根拠もなしに糾弾するのはやめたいものである。

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