ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

賢者の贈り物 (前)

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 「で、相談って?」

 私は喧噪の中、目の前に座っているクミに訊いた。

 横浜駅西口近くにある魚寅本店は、年末、金曜日、20時過ぎという条件が揃っているために満席だ。女子の2人組というのは私たちぐらいで、他のテーブルは忘年会という名の飲み会を楽しむ会社員らしい老若男女で埋まっている。

 私がようやく1杯目の久保田を半分消費したところなのに、酒豪のクミはエビスの中瓶から始めて、越の誉、久保田をあっという間に空け、今は久米仙に取りかかっている。以前、3バカトリオがよくクミを呑みに誘っていたが、きっと高い酒をおごらされただけで終わっていたのだろう。3バカトリオは部の飲み会などの様子を見る限り、飲むことは飲むがそれほど強いわけではないようだった。木下などは2杯目のビールで顔が真っ赤になっていたようだったし。今のクミときたら、顔を赤らめてさえいない。

 マサルもあまり酒が強い方じゃなかったな、と思い出した。新人歓迎会のとき、守屋にビールとウィスキーのチャンポンを飲まされて、ひっくり返っていた。この2人、デートのときなんかはどうしているんだろう。

 「あの......」クミは珍しく逡巡した。「......実は、その」

 例外はあるだろうが、大抵の中間管理職が部下から最も聞きたくないのは、会社を辞めたい、という相談だろう。今日の夕方、クミから相談があるんですが、と言われた時、私が最初に思い浮かべたのも、それだった。

 「何か会社に不満でもある?」私は慎重に探りを入れた。「言っとくけど、給料が上がらないのは、あたしも同じだからね」

 「あ、いえ、そういうことじゃ」クミは慌てたように顔の前で手を振り回した。「今の仕事、やりがいありますし」

 今年度から発足した第3開発課で、クミは大いに活躍していた。足立の指導の下で、Javaを一通り実践した後、Android のアプリ開発に着手している。最初はAdobe AIRを使った単純なアプリから始め、数ヶ月でAndoroid API を使ったアプリを構築できるまでになっていた。今は、横浜市内のモバイルアプリ専門の開発会社と協力して、K自動車関連会社の社内で使用するBYODアプリの分析・設計を進めているところだ。主担当は足立なので、クミは様々な雑用を命じられることが多いが、文句を言いつつもしっかりこなしている。私も足立も、クミのこういうところは評価していた。

 「あ、そういえば、EGitなんですけど」クミはいきなり仕事の話に切り替えた。「やっぱりFlash Builder だと、古いバージョンしか使えなくて......」

 「ねえねえ、ちょっと、お姉さん?」私は遮った。「仕事の話がしたいの?だったら、場所変える?」

 「あ、いえ」クミは目を伏せた。「すみません」

 私がグラスに口をつけると、クミも同じ動作をした。違うのは口に入れたアルコールの分量だった。私が舌の上に芳醇な酒を転がしている間に、クミはグラスをぐっと干してしまった。

 「すいません」クミはちょうど通りかかった店員さんを呼んだ。「えーと、美少年ください」

 「あ、それと」私は素早くメニューに目を走らせた。「焼きたて玉子焼とホタテのバター焼お願いします」

 威勢よくオーダーを復唱して店員が去って行くと、クミは決心したように私の目を見つめた。

 「実は、マサルのことなんです」

 やっぱりそれか。

 「言っとくけど、恋バナだったら......」あまり役に立てそうにない。

 「いやいや、そういうわけじゃないんです。あ、でも、やっぱり恋バナになるのかな......うーん、まあ、いいや、とにかく聞いてくださいますか?」

 「まあ、聞くだけはね」

 「なんか仕事で行き詰まってるようなんです」クミは真剣な顔になった。「今日も本当なら、2人で赤レンガ行く予定だったのに、仕事が忙しいからキャンセルするって言われて」

 「で、"仕方なく"あたしと飲んでるわけね」

 「そんな、違いますよ。マサルの担当業務について訊きたくて」

 「マサルの担当業務?」私は首を傾げた。「今は<LEAPCRAFT>のカスタマイズを担当してるけど、年内とかそんなに差し迫った納期じゃなかったはずよね?」

 「そうなんです。守屋さんにそれとなく訊いたんですけど、そんなに負荷をかけてはいないって言うし」

 「あたしもそう聞いてるけど」

 「なのに、今月、もう50時間も残業してるんですよ」

 「え、そうなの?」

 私は少し驚いた。第1開発課とは部屋が違うし、勤怠管理は村瀬さんがやっているので、マサルの勤務状況については把握していない。週に1回、第1開発課の課長を兼務している瀬川部長を交えて、業務内容の情報交換をやっているが、直近の定例でもそういう話は聞いていなかった。最近は人事から時間外労働について厳しく言われているので、瀬川部長もその点は注意している。私も村瀬さんも、メンバーの誰かが30時間を超えた時点で、アラートを上げるように言われていた。

 もちろん、マサルが50時間以上残業していたとしても、村瀬さんが私に知らせる義務はない。それでも、これまではメンバーを臨時でヘルプに出したりということがあったので、メンバーの勤怠状況は共有していた。

 「村瀬さんには訊いてみた?」

 「いえ」クミは可愛らしく首を横に振った。「ちょっと捕まらなくて」

 「50時間っていうのは確かなの?」

 私が訊いたとき、店員が酒のお代わりと玉子焼きを運んできた。クミはそれを受け取りながら答えた。

 「勤怠を見たわけじゃないですけど。だいたい帰ってくるのが、21時過ぎてますから」

 そうだった。こいつら、夏の終わりから同棲してたんだった。

 「あ、そう」私はバカバカしくなりながら、玉子焼きをつついた。「マサルはなんて?」

 「仕事。それだけです」クミはゴクリと酒を呷った。「だから、ひょっとして......」

 「何?」

 「......浮気してるんじゃないかと」

 ちょうどグラスに口をつけていた私は、思わず吹きそうになった。

 「浮気?マサルが?」笑い出しそうになる。「ないない、それはないって」

 「そうですか?」クミは不思議そうに私を見た。「なんでですか?」

 そんな物好きはあんたぐらいよ、と言いかけてやめた。いくらなんでも、マサルに対して失礼だろう。

 「だってさ。マサルって、こう言っちゃアレだけど、そんなにモテる方じゃないでしょ?ルックスだってパッとしないし、しゃべりがうまいわけでもないし、スリム体型でもないし」

 あ、いかん。結果的にマサルの欠点を並べることになってしまった。案の定、クミはちょっとムッとしている。

 「でも仕事はしっかりやるし、正確だし、プログラミングの才能はあるじゃないですか。フォトショのスキルは誰にも負けないし」

 そう、確かにマサルのエンジニアとしての才能と成長には、目を見張るものがあった。<LEAPCRAFT>関連の業務でも、重要な役割を果たしていると聞くし、他の課のメンバーもちょっと凝ったアイコンやロゴが欲しいときには、マサルに頼みにいく。プログラミングやテーブル設計でも、独特のセンスを見せている。コミュニケーションスキルには、まだ少し難があるが、本人が努力しているためか、それも徐々に向上していた。あの飛田でさえ、マサルに対しては一目置いているようなのだ。

 「わかったわかった、ごめん」私は身を乗り出してきたクミを押しとどめた。「でも、浮気ってのはないと思うよ。何と言うか、マサルの性格的にね」

 それに、クミが今、並べ立てたマサルの利点は、マサルと一緒に仕事をしていなければわからないことばかりだ。私だって、同じ会社の同じ部門にいたから、マサルは「買い」だと思っているが、仕事以外のシーンで知り合ったなら、恋愛対象とは見なかったに違いない。

 私がそういうことを、少しソフトな表現で告げると、クミは眉間にしわを寄せた。

 「じゃあ、何なんでしょうか」混乱したような顔でクミは、またグラスを傾けた。「単にあたしのことが嫌いになったとか?マサルって、そういう気持ちを伝えるのが、すっごく苦手なんですよ。だから言い出せないでいるとか」

 こんなにルックスに恵まれているクミでも、そういう悩みはあるんだなあ、と私は微笑ましく思った。社内にも、既婚・独身を問わず、クミを狙っている男性は多いというのに、当の本人は、誰もが競争相手とは思っていなかった男に嫌われたかもしれないと悩んでいる。神様は人の心をコーディングしたとき、おかしなバグでも潜ませたんだろうか。

 「何か心当たりでもあるの?」

 「あったら相談なんかしませんよ」クミは泣き出しそうな顔になった。「嵐とかSMAPとかの生写真は全部処分したし、便利だった男友達も片付けたし、下着だってエロいのは捨てて白をメインに揃えなおして......」

 「あー、わかった。そこまででいいから」私はクミを制止した。「クミちゃんには心当たりがないとすると、やっぱりマサルに何かあるのかなあ。帰りは一緒に帰ってないってことね?」

 「先月までは、退社時間がずれても待ち合わせてたんですけど」クミはしょんぼりと答えた。「12月に入ってからは、『何時になるかわからないから先に帰ってて』って言うばっかで」

 「うーん。じゃあ、遅くなってると言っても、会社にいるかどうかはわからないわけだ」

 「まあ、そうですね」クミは頷いた。「あ、でも、会社のメールから連絡してきますけど」

 「あれは申請すればスマホからでも使えるからね。本当に残業してる、というか、会社にいる証明にはならないよ。マサルの勤怠を見てみてもいいけど、そういうときは村瀬さんに一言断るのが筋だしなあ」

 そう言いつつクミを見ると、何かを訴えるような視線が返ってきた。まさに、それをやってくれ、と暗に言っているのだ。他人の勤怠は管理職しか参照権限がないからだ。

 ホタテバターが届いた。クミに勧めると、いかにも気がなさそうに箸でつつき、小指の先ほどのかけらを口に運んだだけだ。そういえば、店に入ってからクミが固形物を口にしたのは、最初に頼んだ刺身の盛り合わせのごく一部だけだ。あとはずっとアルコールを摂取し続けている。部の飲み会では、諸先輩を押しのける勢いで、おいしい食べ物に手を伸ばす女子だから、今日は異常事態だと言えるかもしれない。

 「わかった」私はとうとう言った。「明日、マサルの勤怠、確認してみるから」

 クミの顔がパッと明るくなった。

 「ただし」私は釘を刺した。「それだけよ。マサルが本当に残業してたら、そっから先は自分で何とかしてよ」

 「はい、はい、もちろんです。あ、箕輪さん、これ食べます?おいしいですよ」

 クミがホタテバターの皿を勢いよく差し出し、私は苦笑して受け取った。

 「あたしが注文したのよ、これは」

 クミは可愛らしく首を傾げて舌を出した。俗に言うテヘペロとは、こういうことか。実物を見たのは初めてだが、クミがやると嫌みがなくていい。

 

 翌日、私は会社に出勤した。土曜日だが、いくつか溜まっている仕事があって、クミの相談がなくても出勤する予定だった。村瀬さんも同じく出勤の予定だと聞いていたので、マサルの勤怠について確認してみようと思っていた。

 昨日のうちに届いていたメールの中で、急を要するものに手早く返信した後、私は第1開発課に出向いた。元はCS部の部屋だった場所だ。以前はデスクの上にAS/400の端末が置かれていたが、今ではデュアルディスプレイの開発用PCに変わっている。室内に入ると、数人の課員が出勤していた。その中にマサルもいて、私に気付くと驚いたように立ち上がった。

 「お、おはようございます」

 「おはよう。出勤だったんだ」

 「はい、ちょっとやることがあって」

 忙しいというのは事実なのかもしれない。そう思いながら、私は村瀬さんの席を見た。

 「村瀬さんは?」

 「あ、えーと」マサルはホワイトボードを見た。「協力会社に直行してます。守屋さんと一緒に」

 「あ、そうなのね。戻りは?」

 「午後だと思います」

 仕方がない、出直すか、と思ったとき、マサルと目が合った。偶然に合ったわけではなく、ずっと私の視線を捉えようとしていたマサルの努力が報われた、という方が正しいようだ。

 「あ、あの、箕輪課長」

 「ん?何?」

 「すいません、ちょっとお時間いただいていいでしょうか?」

 私は少し驚いた。

 「いいけど」私はマサルのデスクに近づいた。「何?」

 「......あの、できれば、会社の外で、その......」

 「......それは、つまり仕事の話じゃないということ?」私は小声で確認した。

 マサルは小さく頷いた。

 「......」

 私はしばらくの間、マサルの顔を凝視していた。カップルの両方から別々にプライベートな相談を受けることになるとは。私に人望があると解釈していいのか、よほどの暇人だと思われているのか。

 「わかった。いいよ。じゃあ、駅前のミスドでいい?」さすがに2日続けて飲みに行く気にはなれなかったし、マサルは居酒屋などは苦手だ。「17時には退社すると思うけど」

 「はい、すいません」マサルは恐縮しながら、それでもホッとした顔で頷いた。「ぼくもそれぐらいに出れると思います」

 「出られる、よ」私はマサルの言葉遣いを訂正した。「じゃ、出るときメールして」

 「はい、ありがとうございます。あ、村瀬さんに伝言とかは?」

 「あ、いいの、いいの。別に急ぎじゃないから」

 それにマサルの相談の内容によっては、必要なくなるかもしれないし。そう思いながら、私は第1開発課から出た。

(後編に続く)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

クミちゃんが可愛いコミック版はこちらです。

Atitgt_kenoku_2

Comment(7)

コメント

BEL

新作きたー
水曜日?クリスマスプレゼントかな。
罪と罰のスピンオフ的な感じか。
これは前後編の2話で終わるのかな。

仲澤@失業者

待ってました。
とか、読む前にコメントしてすみません。

ナンジャノ

クリスマスのプレゼント的な小話になりそうですね。

hoge

新作キタ

21時過ぎに帰ると遅いのか!!というのに驚き。

a@example.com

待ってました!
掲載後でも電子小説化とか電子漫画化とかしてくれると嬉しいです!

fuga

新作キタ━━━━━━━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━━━━━━━ !!!!!

エンジニアライフもすっかりご無沙汰だけど、やっと盛り上がりそう^^

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