「生活イチバン、ITニバン」という視点で、自分なりのITを追及するフリーエンジニアです。ストレスを減らすIT、心身ともにラクチンにしてくれるITとはどんなものかを考えていきます。

IT断食孝

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 企業での「IT断食」は大抵の場合、経営層や部門長などの号令で、トップダウンで行われる。これはつまり、親が子どもに対して「遊んでばっかりいるならそれ(ゲーム機やスマホなどのIT機器)取り上げるわよ!!」と言っているのと同じことだ。我慢できないのは子どもだけではなく、大人も含めて人間の性というべきか。

 しかし「IT断食」といっても、実際にはITを完全に断つわけではない。社員とITとの接し方をデザインし直しているだけのことだ。ところでこの業界でデザインと言えば、昨年、滝川さんが「お・も・て・な・し」を流行らせた何年も前から、UXの文脈で「おもてなし」というキーワードが流行していた。

 「断食」という冷たい響きの言葉では、まるでITが悪者のように聞こえる。実際には我慢できない人間の性が悪いことは明白であるのに。だから「断食」ではなく、「おもてなし」という暖かい響きの言葉を使うことを提案したい。

■「おもてなし」とはなにか?

 ところで、そもそもこの「おもてなし」とは、どういう意味なのだろうか。

 わたしが「おもてなし」という言葉から真っ先にイメージするのは茶の湯の席だ。決してキャバクラの席ではない。と言ってもキャバクラで働く人々を蔑視しているわけではない。お目当てのキャバ嬢の元に足しげく通う男を蔑視しているわけでもない。

 お得意さまをそのような席に招待して、「おもてなし」をしたような気になっている不埒な輩を蔑視しているだけだ。そのような席には、打算と欲にまみれた媚びへつらいしか見当たらない。

 一方、茶の湯を楽しむための茶室へは、狭い躙口(にじりぐち)から身を屈めて入る。そこには、茶室には身分を持ち込まないという意味が込められている。身分の上下や立場などを抜きにして、純粋に対等な人間として向き合う。それがわたしの考える「おもてなし」のスタートラインだ。

■社員に対する「おもてなし」

 オフィスは仕事をする場所だ。仕事をするために毎朝満員電車に揺られて出社した社員に対する「おもてなし」とは、どのようなものだろうか。

 好きなときに私用メールができて、好きなときに息抜きのゲームができて、好きなときに仕事に関係ないサイトを巡回できる環境を用意することが「おもてなし」なのだろうか。そのような媚びへつらいは「おもてなし」ではない。

 口頭で報告すれば数分で済むことを、1回書くのに5分はかかるメールを何回もやり取りするなどということをやっていないだろうか。社員がシステムの都合に合わせて時間に縛られながら働いているなどということはないだろうか。そのようなことをルール化して強制するとしたら、そこに「おもてなし」の心は存在しない。

 媚びへつらいや身分や立場、固定観念や偏見などを取り払い、対等な人間として社員と向き合って働きやすい環境を考える。それが社員に対する「おもてなし」のスタートラインだ。

 最初にも書いたが、「IT断食」という言葉はちょっとセンセーショナルな響きがあるが、文字通りにITを断つということは今の社会の中では不可能だ。そうではなく、社員が働くことに集中できるIT環境を整えることこそが、今の企業は求められているのだ。それは言い換えれば、社員に対する「おもてなし」ということだ。

 ところでそこのあなた。業務時間中にこんなコラムを読んではいけないよ。日本の「おもてなし」の文化には、もてなされる側が自己を律することも含んでいるのだから。

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