地方の町工場にこそ必要なIoT。2代目社長のIoTシステム導入奮闘記。

熟練の技とITの関係

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 いろいろ忙しかったため、長い間離れてしまいましたが、今までのモヤモヤが最近はっきりしたことがあったので、ここで書いておこうと思います。

 メディアで取り上げられる多くの町工場の様子は、その工場で働く「職人さん」の「熟練の技」に焦点をあて、情報発信されることが非常に多いと感じます。
 町工場には無くてはならないことになっている、この「熟練の技」について書いてみたいと思います。

 「熟練の技」としてよく目につくのは、磨く技術や削る技術、曲げる技術など、長年の経験と勘で蓄積された技術です。「伝統の技」はちょっと違います。
 「この道四十年の職人、○○さんだからこそできる・・・」というこのフレーズ、私には、その職人さんが居なくなったら、その会社もなくなってしまう?っていう危機的状況を示しているように聞こえて仕方ありません。
 私は経営する立場ですので、会社を守るためにはそんなことではいけません。
 また、会社だけでなく、社会に必要な技術を次の世代に継続、継承していく環境を作ることは、経営者として大事な仕事だと考えています。



【熟練の技が生まれる背景】

 右肩上がりの高度成長期には、大量生産に対応できる技能を身に付け、その後、お客さんの要求に合わせていろいろな種類のものを作る必要が出てくると、少量多品種の生産に対応できる技能を身に付け、さらにどんなものが売れるかわからなくなった時代に突入すると、とにかくコストを抑え、誰よりも先に商品を投入するスピード勝負の生産に対応する技能を身に付け、・・・など、様々な環境の中で会社独自の技能は生まれ、磨かれていき、その結果「熟練の技」が確立されてきました。
 そして熟練の技は、ベテランから若手に受け継がれていきますが、団塊の世代が退職していく今、ちょうどその引き継ぎ対応のピークではないでしょうか。
 高年齢者の雇用延長をしても、現役でバリバリできるのは残念ながら数年です。数十年間積み重ねてきたことをたった数年で若手が受け継ぐことは、普通に教えている程度ではうまくいきません。
 結果として、あちこちの工場で技能継承が経営課題として挙げられています。



【熟練の技と企業の成長】

 「熟練の技」とは、職人さんの手によって築き上げられた技能です。企業の発展のため、社会に必要なものを産み出すための、とても大事な技能です。
 しかし、私は、この「熟練の技」が企業の成長、企業の改革、さらには製造業のイノベーションに歯止めをかけてしまっている気がしています。
 ちょっと考えてみたいのは、

 これから先、その技はホントに必要かどうか?

 この熟練の技を引き継いでいくことにより、企業はホントに成長していくでしょうか?その技は、将来まで社会に必要な技でしょうか?

 例えば旋盤を使って見事に金属を削り出す技術。昔のものはハンドルを回すなどアナログチックで、その扱い方により精密な部品を削り出すことができるというのは「当時としては」最新の技術だったでしょうし、何年か経過し熟練の技になるでしょう。
 しかし、何年かすると、NC旋盤など旋盤に取って変わる様々な工作機械が出てきます。さらに金属の削り出しでなくても、金属のプレスによりもっと安く大量に加工できるかもしれませんし、モノによっては樹脂成形でもいいかもしれません。
 加工に限らず、例えば設計部門では、2DCADを若手に教えることは今後必要でしょうか?3DCADを使いこなせる人材の方が求められています。
 システム開発に関しても、いろんなプログラミング言語がある中、今ではほとんど使われていない言語、今後主流になりそうな言語の区別があり、若手に習得してほしい言語は当然後者でしょう。
 職人さんの世界、加工に関することだけでなく、他の分野でも同じことが言えそうです。



【熟練の技とは?】

 そうして世の中が変わっていく中、「熟練の技」を突き詰めること、それを若手に伝えていくことがホントに必要なのか、正しいことなのか?、さらには会社のコア技術としてさらに経営資源を投入すべきか?と、経営者は悩むべきです。
 それをするには、「熟練の技」とは何なのか?を明確にすることが必要です。

 私が思う熟練の技にするべき「技」の条件は、

「人の感覚で行っていることについて、将来まで他に置き換えられる可能性がないもの」
 かつ
「その機械がなくなっても、または会社がなくなっても、他で通用する」

というものです。
 例えば、旋盤がなくなっても、金属の特性が分かっていれば、どんな道具であっても部品の加工に関して、その技を活かすことができるかもしれません。
 一方で、その機械にクセがあり、そのクセに合わせて都度調整が必要で、それには熟練の技が必要・・・ということを技と言っているんだとしたら、それは機械を直すべきです。新しい機械を購入すればその技は不要になるでしょう。
 外気温、湿度、素材、などにより仕上がりが異なる、それに合わせて設備の設定が必要、というのは「現時点では」熟練の技かもしれません。



【必要な技術の継承のために】

 前述の条件を踏まえて考えると、現時点で「熟練の技」と定義付けしている会社独自の技術とは、将来的に必要で、若手に受け継がれていくべきものでしょうか。若手が「手に職がついた!」と胸を張って言えるものでしょうか?
 この判断は、経営者がするべき重要な判断です。その後のビジネスモデルに大きく影響するはずです。

 では、現在ベテランの職人さんがやっている仕事が、「熟練の技」とは言えない、と判断せざるを得なくなった時、または、新しい設備を導入しその技は不要になったその時、その職人さんはもう不要になってしまうのでしょうか?

 それは絶対に違います。職人さんは必要です。

 ただ、その職人さんが今やっているそのままの作業が今後も必要なのではなく、どうすればその作業ができるのか、どんな判断をして作業をしているのか、職人さんの脳ミソの中にはノウハウがたくさん詰まっています。そのノウハウが必要なのです。
 例えば、外気温、湿度、素材などによりいろいろな判断をしているはずで、職人さんはこれを感覚のみで行っています。その判断基準を明確にしたいのです。
 この「感覚」を日本語化し、さらにデジタル化すればIT導入が可能になります。そうすれば、若手社員も明日から熟練の技を発揮することができるかもしれないのです。感覚のままにしておくことで、誰も受け継ぐことができず、企業を守ることもできず、社会に必要な技術の衰退につながっていくのです。



【IT導入のために必要なこと】

 私個人的な印象ですが、IT導入というと、経営者や管理部門の人が、IT屋さんが作成したシステム、ソフトウェアを買ってきて工場の現場社員に使わせ、現場はそのソフトウェアに合わせて業務を無理やりに変える必要があり、今までの作業にプラスしてシステムを稼働させるための余分な作業が追加され、だれもメリットを感じることができず、いつしか誰も使わなくなる・・・、省人化のために導入したシステムを稼働するために人を増やすという矛盾・・・というイメージが強くあります。高いから買わないというのももちろんあります。

 現場では「その1秒をけずりだせ」の如く、加工時間を1秒でも短くなるよう改善活動をするわけですから、PCに向かってクリックする作業が増えるだけでも、その改善の努力が無駄になってしまいます。
 ですので、私は買ってくることなく自分で構築したわけですが、ITを導入するには、工場の経営者から現場の作業者まで、自分がやっている作業を感覚的なまま、脳みその中にとどめてしまうことなく、誰にでもわかるようにデジタル化、システム化し「表現」する必要があるということです。私もシステム構築のために現場の社員にいろいろ聞いて回りましたし、いろんな設備もつつきました。経験則からどんなシステムだったら現場に受け入れられるかも考え構築していきました。
 この「表現」をしなければ、IT屋さんにもその現場に必要なシステムやソフトウェアは分かりませんし、現場の若手社員にも必要な技術が伝わらず、習得することができません。
 ITを導入するということは、職人さんの脳ミソの中身を形にする、ということだと思っています。IT屋さんだけでは絶対にできないのです。

 もう、「背中を見て覚えろ」「習うより慣れろ」という時代ではありません。
 今後は、黙々と自分の作業に没頭する職人さんではなく、やかましいくらい情報発信してくれる職人さんが必要です。
 ベテランの職人さんの評価は、「若手が育っているかどうか?」「彼の技がどんな形になったか?」で判断したいですね。


有限会社ミノハラ製作所  蓑原康弘

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