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デジタルネイティブはどこにいる(2)

2008/12/08 17:00:00

●テレビっ子とデジタルネイティブ

 わたしは1959年生まれで、生まれたときからテレビがあった世代に属します。ですからテレビがなかった時代の家庭の団欒が、いかに静謐(せいひつ)さに満ちていたかを知りません。その雰囲気だけは、かろうじて古い日本映画や、漫画「サザエさん」などで知ることができます。それ以前を知っている世代から見ると、わたしたちテレビっ子世代はどのように見えるのでしょう。わたしたちの方からはちょっと見当がつきません。

 一般的にいって、世代論というものは戦争や疫病など、人間の身体にトラウマを残すような社会的な事件が生じた後に回想的に論じられるもので、日本では第2次世界大戦の後に「戦中派」「戦後派」などの区分けとともに盛んに語られました。それよりは規模が小さいですが、1960年代末に起こったいわゆる「全共闘世代」もまた、当時の若者たちが体をはってかかわった事件ですので、世代論としてのスキームで語られることが多かったのです。

 しかしテレビのようなメディアの進歩は、わたしたちの社会生活を一変させるような影響力を持ちながら、わたしたちが身をもって積極的にかかわるような事件ではなかったので、世代論としてはなかなか成立しないようです。ましてやテレビは老若男女等しく影響を与えましたので、テレビ放送開始以降の世代を「TVネイティブ」などのことばで特別視するような意識は一般社会に育ちませんでした。子供がテレビにくぎ付けになるのを心配する大人たちはいましたが、その大人たちだってテレビのホームドラマや野球中継に深く影響されていたわけですから当然といえば当然です。

 しかしインターネットの出現はちょっと事情がちがうようです。メディアの端末であるコンピュータに習熟する能力について個人の資質や年齢によって差があるため、メディアにかかわる度合いの個人差が大きくなります。それによって得られる情報の絶対量が著しく異なるため、ネットの存在自体が社会的な階層分化を引き起こす可能性を持っています。だからこそ、大人たちは子供たちのネット利用が気になる。その不安が「デジタルネイティブ」を世代論として論じる基盤となっているといえるでしょう。

●『グーテンベルクの銀河系』

 わたしが大学を留年して「ニューメディア」を志向し始めたころ、ちょうどマクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』が翻訳され、日本でも彼のメディア理論が一般に知られるようになってきました。このカナダ出身の英文学の教授は、人類の歴史をグーテンベルクの印刷術の発明以来のメディア技術進歩の側面から分析し、独自の文明論を打ち立てました。彼の歴史観は必ずしもアカデミックな歴史学の手法を用いていないので、批判も多いのですが、電通や博報堂などの広告会社が一世を風靡していた当時の世相に合ったためか、日本でも大いにもてはやされました。

 彼の理論によれば、人々はテレビやラジオなどの電子的なマスメディアによって、それまでコミュニケーションを行う障壁となっていた時間と空間の限界が取り払われ、地球規模で対話するようになった。これは地球全体がひとつの村に変貌したようなものだといいます。彼はこれを「地球村」という言葉で表現しました。この言葉を聞くとわたしは、アポロ宇宙船が月から撮った地球の写真を思い出します。漆黒の暗闇の中に大きくぽっかりと浮かぶ青く輝く地球は、まるでかけがえのない宝物のようで、そこに住むわたしたち人類にとって何よりも貴重なもの、人類の無条件の一体性を語りかけるものでした。

 しかし今日、インターネットが実現したメディア統合の世界は、これとはまったく別のもののように思えます。マクルーハンは、「人類は電波メディアによって、それまで書籍や新聞などの印刷メディアがもたらしていた個人主義と孤立の世界から、『部族的基盤』をもった集合的アイデンティティへと移行する」と考えていたのですが、インターネットの現状は、たとえばMySpaceなどのSNSを見ればわかるように、混沌とした個人主義の海に埋没したような世界です。西もなく東もなく、それどころか上下の区別すらわからない無重力空間に放り出されて途方にくれてしまう、そんな印象を持たれる方も多いのではないでしょうか。

 いったい何が起こっているのでしょう。そこにはマクルーハンが思いもよらなかった根本的な社会変化が、地球規模で、しかも同時に進行しているのです。彼の『グーテンベルクの銀河系』はわたしも読みかけましたが、この本は彼が英文学の知識を衒学的に披露した長文のエッセーというべき本で、どこまで読んでもメディアが社会に及ぼした影響を社会学的に、あるいは経済学的に捉えた見解は出てきません。わたしは途中で読むのをあきらめてしまいました(この本は7000円もしたのに。カネカエセー!)。

●テレビとインターネット

 インターネットはテレビとはまったく違います。テレビは産業社会の発達の末に、大量生産された工業製品を大量に消費させるために生まれました。企業はある商品を売り込むために、消費者にその商品についての知識を伝えなければならない。テレビはそのためには最も効率的なメディアです。テレビの放送時間のうち、直接商品広告に使われる時間は1割から2割程度でしょうが、その少ない時間で、わたしたちは実に多くの商品についての知識を学び、欲望をかき立てられます。テレビはもはや成熟しきったメディアです。ハイヴィジョンなどの新技術によってこれからも画質の向上はあるでしょうが、情報伝達手段としての基本的な形態が変わることはないでしょう。また大量生産、大量消費の資本主義経済が続く限り、これからもテレビは残っていくでしょう。

 しかしインターネットはテレビとはまったく別の社会システムを前提としたメディアです。NHKの番組「デジタル・ネイティブ~次代を変える若者たち~」では、新しいメディア世代の特徴の1つとして「基本的に情報は無料だと考える」ということを挙げていました。番組の中ではこのことにはわずかしか触れていませんでしたが、このことは極めて重要です。なぜなら、ネットを通して無料の情報が氾濫すれば、営利事業で成立していた資本主義社会が根底から変質してしまう可能性があるからです。情報は本当に無料なのでしょうか。

●情報は無料か

 もちろんインターネットにアクセスするにはいろいろお金が必要です。まず端末としてコンピュータを自費で用意する必要がありますし、ISPと有料の契約を結ばなければなりません。そんなお金がない人は、インターネットカフェなどのサービスを利用することができますが、それにしてもお金がかかることに変わりはありません。デジタルネイティブたちがいくらまだ世間知らずだからといって、そのことを知らないわけではない。「情報が無料」というのは、インターネットを使うのにお金を払わなくていいということではなく、情報そのものの値段がタダだということです。

 わたしたち大人はこんなことを聞くと「ダダより高いものはないぞ」と心配してしまいます。テレビに流すニュースやドラマの映像を作るために多大なコストがかかることは周知の事実です。貸しレコード屋がはやり始めたときに、借りたレコードを録音する人が増えて音楽業界が抗議したことがあります。パソコンが普及し始めたときも、ソフトウェアを違法にコピーする人が出て問題になりました。ソフトウェアに対して正当な料金を払わないと、ソフトウェアを作成するビジネス自体が衰退して、結局消費者自身が損をするといわれました。たしかに消費者は商品作成に要した経費は負担しなければなりません。タダのサービスというものは、いろいろ問題を引き起こすものなのです。

 しかしデジタルネイティブたちの前には、情報にあふれかえったインターネットという現実があります。そのインターネットはそもそもこれまでのマスメディアと同じような広告収入を前提にした営業用のコンテンツではなく、ネットに参加する個人個人が提供したコンテンツによって拡充してきたという経緯もあります。巨大に膨れ上がったWikipediaやSNSの情報、ブログにあふれる意見の山。わたしたちIT技術者がお世話になっているOSSも、まさしくネットにあふれる無料のコンテンツの一部なのです。これらの現実を前にしたら情報が無料であると思っても無理はないでしょう。

 これらのコンテンツはなぜ無料なのでしょうか。短いブログは書くのにたいして時間もかからないでしょうけれど、Wikipediaの記事などは、その執筆に相当な情報収集や研究が必要です。個人が作るHPにも相当な時間とお金がかかっていると思えるものがあります。わたしがいまさらいうのもなんですが、人はなぜこんなに好きこのんでお金をかけてまでコンテンツを作ろうとするのでしょう。

●情報には値段がつけられない

 たとえばブログを書いている人のなかで、それでお金を稼ごうと思っている人は少ないでしょう。ある人はただ単に日記代わりに書いているでしょうし、ある人は自分の考えを広く訴えるために書いているでしょう。わたしもこのコラムを書き始めたのは、今日のIT業界が抱える構造的な問題を皆さんに考えてもらいたかったからです。ある人は自分の事業の宣伝をしようと思って書いているかも知れませんが、それでもブログそのものはお金にならないのです。そもそも原理的に情報はお金になりません。というのも、情報には値段がつけられないからです。

 これはどういうことでしょうか。新聞や雑誌は一部広告料収入に依存しているにしても、基本的に有料です。しかし、実は購読者は情報そのものを買っているわけではない。情報を運んでくるメディアの費用を支払っているのです。たとえば新聞の場合、新聞配達店への卸値は購読料の5割から6割だという話を聞きます。つまりわたしたちが毎月支払う新聞購読料の半分近くは、毎日配達してくれる配達店のお兄さんたちの人件費や配達店の経費になっているということです。外国の場合、卸値はもっと安い場合が多く、末端小売価格の3割程度だそうです。これは新聞配達店のシステムがなく、ドラッグストアや駅の売店などで販売されるのが主で、販売のインセンティブ(つまり販売意欲)を持たせるために利を厚くしているということでしょう。これは新聞という商品の性格から当然でしょう。新聞は古くなったらもう売れません。利を厚くし、人件費をかけて一気に売ってしまうというのが新聞販売のコツです。

 こう考えてみると、新聞社が売るときの卸値は、じつは情報そのものの値段ではなく、新聞紙と印刷代の値段ではないかと思えてきます。つまりビジネスモデルとして考えた場合、新聞事業とは市場に広告媒体としての新聞紙をコンスタントに流通させることにあり、新聞社の仕事は市場にばら撒くための新聞紙を作って卸すこと、そのブランドを維持することなのです。新聞社の収入の基本は広告料にあり、記事そのものの値段に依存しているわけではないのです。

 たとえば、まだ近代ジャーナリズムが成立していない地域では、新聞の発行部数を上げるためなら何でもする。まるで冗談のような捏造記事が平然と載せられていて、「毎日がエイプリルフール」といった状態だそうです。報道の本旨から言えば、品質劣化もはなはだしい話ですが、読者の方も心得ていて、そんな埋め草記事を真に受けたりしません。こんな話を聞くと情報というものの性質を考えさせられてしまいます。

●情報は商品にならない

 なぜ情報には値段がないのか、実はよく考えてみれば簡単なことです。それは、情報は物ではないので商品にならないからなのです。

 商品にはなぜ値段があって情報にはないのか、この問いに答えるにはややこしい理屈を順を追って考えていかなければならないので省略したいと思いますが、簡単にいうならば次のように説明すると理解できると思います。商品の価格はその数量とそれを必要とする買い手の数、つまり需要と供給の関係によって決まります。ところが情報には「数量」というものがありません。コピーすればいくらでも作られてしまう。もちろんコピーするためにはそれなりの労力が必要です。印刷機がなかった昔は写本しかコピーの手段がありませんから、相当な手間がかかりました。わたしたちがふつう情報にかかるコストと思っているものは、じつはコピーを作ってわたしたちの手元まで運んでくるコスト、すなわち情報を伝達するためのコストなのです。

 情報はお金にならない。お金は商品の価値を数量単位で評価して交換するための道具なので、情報そのものはお金で評価することができないのです。前回お話ししたように、わたしはCATVを志したときから、マスメディアが一方的に情報をたれ流すことを問題視して、それを解決する方法として情報を有料化することを考えました。経済学でいえば「受益者負担」の原則を打ちたてようというわけです。CATVをその新しい情報流通のためのメディアと考えたのですが、この目論見は最初から成功する見込みはなかったのです。

●情報の需要

 しかしこのことは、「情報には価値がないのだ」ということとはちがいます。情報はいつもわたしたちの社会で必要とされています。

 情報にはもともと人を結びつける力があります。たとえば人はなぜ芸能人のゴシップや災害や火事のニュースに興味を持つのでしょう。それを知ったからといって自分の生活にまったく影響を及ぼすことがないニュースに、わたしたちはわけもなく関心を持ちます。これらのニュースはわたしたちに直接利害関係はなくとも、人目を引くニュースですし、それを共有することで日常生活の話題の種になり、そういったほとんど意味のない情報共有が、人間関係を良好に保ち、社会生活を保つ重要な基盤となっているのです。もしこういった情緒的なコミュニケーションを持たなくなったなら、社会は疎外された人間がただ寄り集まっているだけの動物の群れと同様になってしまうでしょう。こういった群れは群集心理で妄動しやすくなりますし、相互不信で内乱状態になって自滅してしまうかもしれません。たかがゴシップというなかれ。人間はもともとコミュニケーションを志向する動物なのです。

 しかも情報は消えてなくなってしまうということはありません。情報は古びることはあっても、基本的に消滅してしまうことはありません。過去の情報は常に積み重なって、わたしたちの現在に何かしらの影響を与えています。早い話、わたしたちIT技術者が日ごろお世話になっているOSSがその好例です。OSSによるソフトウェアビジネスは急速な広がりを見せています。最近はERPさえOSSで提供されるようになってしまいました。

 情報は蓄積されることで価値を持つ、蓄積されればそこにより人が集まるのでさらに蓄積され、より価値を高めていく。こんなインテグレーションが世界中に起きています。Wikipediaもそうですし、SNSも同じ原理で急速に巨大化しています。インターネットはもはや新聞やテレビなどの営利を目的としたメディアをはるかに凌駕して、情報伝達の中核の位置を担いつつあります。お金による報酬を求めない結びつきがこれからの社会を形成していくとさえいえるかもしれません。

●お金が媒介しないネット社会はユートピアか

 しかし、それが本当に最終的にいいことなのかどうか、わたしには判断がつきかねます。

 わたしはこれまで仕事の上でさんざOSSのお世話になっていながら、いまだにOSSがなぜ営利事業として成立するのか理解できません。ネットによる伝達力は桁外れに大きいので、OSSの開発コストなどすぐ元が取れてしまうということはわかっていても、どこか納得できない。どこか反発している。

 それは、わたしたちが勤労が美徳であるという貨幣経済を前提とした道徳観の中で育ってきたからでしょう。OSSはたしかに合理的です。自分の知的興味が他人の興味と結びついて、それが社会全体の役に立つならば、これほどうれしいことはない。わたしがトーバルズ氏の立場にいたらきっとそうしていただろうし、いまだってどこかのOSSに参加できるような技術と余裕があれば参加してみたいと思っています。

 しかしOSSは果たして「持続可能な」ビジネス形態なのでしょうか。OSSはこれまでとは別の意味で競争の激しい分野です。たとえばSpringやSeaserなど類似したOSS間の競争はこれから熾烈になることでしょう。それにソースコードの陳腐化のスピードはこれまで以上に早いものになることが予想されます。新しい技術のキャッチアップのための負担も、ますます過酷なものになってきています。ITの入り口のハードルは着実に高くなっています。負担に見合うだけの報酬がなんらかの形で見込めない限り、人は苦労しようとはしないものです。これまでは知的満足や名誉心がそのインセンティブとなってきましたが、OSSの蓄積と競争によってそのような満足はますます得にくいものになっていくでしょう。そもそも、「知的満足」や「名誉心」だけでやる気を起こせる人はもともと少ないのです。OSSの蓄積が厚くなればなるほど要求される技術レベルは高くなるのに、それに対するインセンティブは限定されている。OSSはインセンティブが正のフィードバックとして作用しないのです。最近IT業界が若い人に嫌われているのは、多重派遣や長時間労働などの過酷さからとされていますが、これからは必要とされる技術レベルの高さが原因になるかもしれません。

●インセンティブの消滅

 同じようなことは他の分野にもいえます。インターネットではたいした利点もない商品が何かの拍子で急速に人気を集め、大量に売れてしまうことがよくあります。なにかの健康食品、マイナーなキャラクターグッズ、ケータイ小説、等々。これらの商品はいいものだから買われるのではなく、売れているから買われる、同じ情報を共有するために買われているのではないかと思われます。商品そのものの品質や効用が評価されるのではなく、ネットで目立つことが売れる主要な原因ならば、人はよりよい製品を作って長く売ることをやめ、目立つ商品を作って短期間に売りさばいてしまうことを選ぶでしょう。インターネットは製品の品質向上、またそのために自分の技術のレベルアップのためのインセンティブを損なうような気がします。

 よい製品というものは、商品開発、製造、販売に適正な投資があって初めてできることです。またその投資が持続することを期待できるからこそ人は勤勉に働くことができます。このインセンティブは、お金のシステムが適性に働いていなければ維持されません。一般的にいえることですが、最近はこのインセンティブが急速に衰えているような気がします。それは単に不況やデフレのせいばかりではなく、インターネットが作り出した新しい情報環境のせいではないかとわたしには思えるのです。 「デジタルネイティブ」は他人のことではありません。OSSを見ればわかるとおり、わたしたちIT事業者/技術者は、彼ら若い世代に先がけて「デジタルネイティブ」の世界を生き始めています。しかもその中核にいる。ネットの世界がこれからどのような世界になっていくか、いまのところ私には見当もつきません。少なくともそれは宇宙船から地球を眺めて「地球は1つ」だなどと感動しているような牧歌的な世界ではないことは確実です。インターネットは、アルカイダや今度のインドのテロ事件のような反社会的な分子の温床にもなっている。しかしだからといってインターネット以前の世界に逆戻りすることはできません。ネットが作り出した新しい世界は、やはりネットの力でよりよいものにしていく他ないのです。

 今回も長い話になりました。おつかれさま。でもこの話題はもう1回続きます。

デジタルネイティブはどこにいる(1)

2008/11/26 18:00:00

 「デジタルネイティブ」については、すでに『これはもうダメかもわからんね インフラ系SEの波瀾万丈伝』の田所さんが書いていらっしゃいます。田所さんとはこの主題についてMLでやり取りしたのですが、彼にはそのときのわたしの拙い文章を引用していただきました。田所さんが書くきっかけとなったNHKの番組は、わたしも印象深く見たのですが、そのときはあまりコラムに書くつもりはありませんでした。そのあと田所さんとメールのやり取りをして次第に思うところが形になってきましたので、今回はこのテーマについて書こうと思います。

●青春モラトリアム

 本題に入る前に、ちょっとした自慢話をします。今更いうまでもなく、インターネットはわたしたちの生活にとってなくてはならない社会基盤の一部となっていますが、一般に使われるようになったのはほんの10数年前、1990年代前半のことでした。実はその10年前の1984年、わたしはこのインターネットの出現を予想していました。

 この前年、わたしは大学の卒論提出を1年間延期し、自主留年することに決めました。就職が決まらなかったからです。決まらなかったというよりは、あまりまじめに就職活動をしませんでした。自分が何をしたいのか分からなくなっており、そのために青春モラトリアムを1年延長したというのが実情です。いまから思えば決して賢明な選択ではありませんでした。親には余計な負担をかけるわけだし、翌年の就職活動は不利になります。それでもあんまり考えずに決めてしまいました。就職氷河期に就職しなければならなかった人たちには「なんというわがまま」としかられてしまいそうです。でも、そんな時代があったのです。

 残した単位は卒論だけでしたので、ほとんど大学にいくこともなく、アルバイトをしながら日々をすごしていました。いまから思うと、なんど贅沢な時間の使い方をしていたのだろうと思います。わたしはこのとき、ありあまる時間を使って、これからの自分の未来をあれこれと考えました。

●マスメディアの現実

 大学に入るまでは作家になりたいという大それた野望を抱いていましたので、出版社かマスコミのどこかにもぐりこめたらいいなと考えていました。しかし、そんな根性で入れる会社などありません。それに、しばらくアプローチしていくうちに、どうも出版界は自分が思っていたようなところではなくなっているのだ、ということが分かってきました。

 その昔、大正や昭和の名作が生まれた時代には「文壇」というものがあって、作家や編集者たちが個人的に相互に交流して小説創作のイニシアティブをとっていました。いまでいう「コミュニティ」のようなものです。そのころは、よい作品を書けばそれが確実に売れて、その収益がもっとよい作品を書かせるための投資につながる、という好循環が維持されていたのです。それがいつしか出版社はベストセラーに依存する体質になってしまいました。ベストセラーというものは、作品の質ではなく、話題性によって生まれることが多い。芥川賞も、その他の文芸雑誌の新人賞も、話題性(すなわち事件)を作り出すためにセンセーショナルな作品や有名俳優の息子が書いた愚にもつかない作品を受賞作に選ぶようになっていました。

 そんなことが漠然と見えてくると、マスコミに対する熱も冷め、逆にマスコミのあり方が社会をゆがめているのではないかと思えるようになってきました。当時は電通、博報堂を中心とした広告会社全盛の時代です。大量の製品を作って大量に売る。そのためにマスメディアには無意味なキャッチコピーが氾濫し、わたしたちはそれを日常生活の中で無意識に口まねしていました。仲間内の注目を引くために、お笑いタレントが連発するギャグをそのまま模倣する。今でもよくやられることですし、友好的な人間関係を作るための手段の1つですが、わたしにはどうしてもこれに抵抗があります。そんなのはギャグの作者のオリジナリティーに対する敬意が欠ける行為だし、自分の主体性を侵害されるようで、めったにしたことはありません。誰もが合言葉のように同じギャグを口にする、それに刺激されて必要もないものを買って消費する、これは大げさに言えば一種のマインド・コントロールによる社会的ファシズムではないかと思ったのです。なかば負け惜しみですが、こんな業界に自分の一生を投じていいのか迷っていました。

●「ニューメディア」のブーム(?)

 ちょうどそのころ「ニューメディア」という言葉が一部で叫ばれるようになってきました。衛星放送や都市型CATVなど、新しい通信技術によって実現するようになった、それまでのマスメディアとは違った形の媒体を総称した言葉です。発信元は郵政省の先進的な官僚さんたち。日本の郵政官僚は、ラジオ放送の昔から伝統的にメディアの政治的影響力に関心が高く、時代を先駆けて技術導入を始めます。NHKが開発したハイビジョンもそうですし、最近でいえばテレビ放送のデジタル化もその一例です(ある意味、迷惑な話ですが)。この時期、レーガン政権下のアメリカでは、衛星放送とCATVの多チャンネル機能を組み合わせた都市型CATVがビジネスとして成立し、メディア環境が一変していました。いわゆる三大ネットワークのニュース番組に加えて、ニュース専門チャンネルのCNNが大きな社会的影響力を持つようになってきたのです。郵政省のお役人さんたちは、日本にもCNNのような政府批判を繰り広げるメディアが野放図にできてしまうより先に、行政主導でメディアを立ち上げ、影響力を行使できる状況を作ってしまおうと考えたようです。「ニューメディア」とは、そんな未来志向のお役人さんたちが、各種新技術を総合して一般に理解させ、民間投資を呼び込もうとするために考え出した造語です。

 それはともかく、わたしはこの言葉を聞いたときに、これはわたしが当時のマスメディアに対して抱いていた問題意識に対する解答であると理解しました。なかでも特に注目したのはCATVの双方向機能です。有線メディアは帯域幅を大きく取れるので、数十に及ぶ多チャンネルを実現できるばかりでなく、電話線のように視聴する側からも信号を送ることができる。つまりテレビ電話のように視聴者側から映像を発信することができるのです。こういった試みは当時においても先進的で、CATV先進国のアメリカでもまだ実現されていませんでした。しかしわたしはこの機能が急速に普及して、誰もが情報を受けるばかりでなく、自分で情報を作り、発信していく時代が来ると直感的に確信したのです。世の中には受動的にテレビ番組を見せられて満足している人ばかりではなく、自分の考えを持ち、自分が知っていることを他人にも知ってもらいたいと思っている人たちがたくさんいる、そんな人たちの欲望が渦を巻いていて、メディアさえあればそれが噴出してくると感じていました。

 この展望にはもう1つ有利な状況が生まれかけていました。当時発売され始めたパーソナル・コンピュータ(まだ「パソコン」という呼び方すらされていませんでした)です。先に就職した友達の下宿に遊びに行くと、初給料を当てこんで買った8ビットマシンを見せてくれました。まだ専用のディスプレイはなく、テレビゲームのようにテレビ受像機につないで使っていました。そのとき友達は付属のプログラムを動かして原始的なCGを見せてくれました。缶ビールを飲みながら、じわじわと描かれていくワイヤーフレームの幾何学図形を眺めていたことを、今でも覚えています。影像自体は稚拙でしたが、いつか現実と見まごうようなリアルな影像を作ることができるだろうと思いました。電卓はたった数年で飛躍的な高機能と低価格を実現したのですから、とっぴな着想ではありません。

●メディア革命を確信

 需要があります。道具立てもそろいました。さらに当時すでにNTTの周辺では光通信による大容量通信回線網を作るという計画が持ち上がっていました。それが完成すれば、映画のような巨大な情報も送ることができるようになるといわれていました。これらのことから、わたしは近い将来、次のことが実現されると考えたのです。すなわち、未来の放送は有線媒体を介して送られる。ただ一方的に送られるばかりではなく、視聴者側が自分の見たい番組を選び、見たいときに見ることができるようになるだろう。また自分の趣味や創作物、ホームビデオで撮った映像などを発信するようになるだろう。そこでやりとりされるのは映像や音楽ばかりでなく、買い物情報や株価情報など多岐にわたるだろう。パーソナルコンピュータがその情報送受信の重要なツールになるだろう、と。

 これは明らかにメディア革命です。私はこの革命がCATVを中心に起こると考えました。わたしはこれを自分の仕事にしようと思いましたが、就職しようにもまだ1984年当時は都市型CATVサービスを行っている事業体はなく、できるのは数年先だと思われました。ではそれまで何をして待っていようか。もう1つの重要技術であるコンピュータがいい。おりからソフトウェア業界は、当時銀行の第3次オンライン計画で大量の人手を必要としていましたので就職しやすい。これがわたしがIT業界に入った理由です。

●CATVの失敗

 数年後、都市型CATVは大都市を中心にいくつか作られ、わたしは運よくその1つに番組作成スタッフとして採用してもらえました。しかしいろいろな曲折を経た後に、結局そのCATVをクビになってしまいました。理由はいろいろあります。わたし自身、資質的にマスコミ類似の仕事に向かなかったこともありますが、基本的にはCATVの契約者数が思ったほど伸びなかったということが背景にありました。計画通りの利益が上がらないので、コストを削減するために従業員に対する管理が厳しくなってしまったのです。思えば、もともと難視聴対策のCATVが広く普及していたアメリカと違って、日本ではCATVが大メディアとして普及する土壌がありませんでした。実際の話、一般家庭にとっては、CATVの提供する多チャンネルも独自番組もたいした魅力には思えなかったのです。わたしは双方向性こそカギだと思っていましたが、そんな意見を当時は誰も認めてくれませんでした。同僚のディレクター兼アナウンサーは、わたしに向かって「普通の視聴者が自分の生活をさらけ出すはずがないだろう。仮にそうしたところで誰が見るんだ」とにべもなくいい放ったものです注1

 CATVをクビになったわたしは、番組作成会社にもぐりこむなどして普通のテレビの仕事をしていくことも考えましたが、結局ソフトウェア業界に戻り、技術者として生きていくことにしました。ほんの「腰かけ」と考えていたプログラミングが、意外に性にあっていたからです。それに、CATVの失敗がわたしを弱気にしていました。わたしが考えた未来像は実現しないだろう。仮に実現するとしても何十年も先のことだろう、と思ってしまったのです。

●インターネットの大ブーム

 しかし数年後、わたしが思い描いたヴィジョンが、思わぬ方向からインターネットという形で実現しました。かつてわたしが感じたように、発信したい欲望は社会の中に目に見えない形で充満していました。パソコンを買い求めネットにつないで、自分のHPを作る人がうなぎ上りに増えていきました。いったん道筋ができると、社会的欲望は一気に奔流を作って流れ始めたのです。わたしが予想したとおり、誰もが自分の情報を発信する時代がやってきたわけです。予想と違っていたのは、それがこんなにも早く、しかも一気に世界的な規模でネットワークができ上がってしまったことでした。わたしはコミュニティを中心に地域ベースで徐々にネットワークが立ち上がってくると考えていました。

 しかし結局わたしは、1990年代に起きたこの時代の変化を傍観していました。根が職人根性なものですから、自分で事業を起こし、プロバイダーなりポータルサイトなりを始める度胸も才覚もなかったのです。これがもう少しビジネスセンスを持ち合わせていたなら、最初からアプローチの方法が違っていたでしょう。グーグルは無理でも、楽天の三木谷社長のような人気ポータルサイトのオーナーぐらいにはなれていたかもしれません。

●実現した予想と外れた予想

 こんな自慢にもならない昔話から始めたのは、今回の主題「デジタルネイティブ」について書くため。まずわたしのインターネットとの個人的なかかわりを語ることで、わたしがインターネットに何を期待していたかを説明しておきたかったからです。

 わたしは大学を留年した年から、これからの社会の情報環境がどうなるのか、いろいろ予想してきました。まず巨大なデータベースが構築され、光通信ケーブルを通して、一般消費者が直接アクセスできるようになる。そしてその情報は、単に映画や音楽などの娯楽ばかりではなく、ショッピングや株式投資などの経済的な情報も含むようになる。経済活動がすべてこのメディアを中心に行われるようになり、生産や販売などの企業活動もこれを介して行われるようになるので、会社の事務活動は急速に効率化され、少人数でビッグビジネスを行うことが可能になる。これらの予想は20世紀の最後の10年と21世紀の最初の数年でほぼ実現されました。最近「クラウド・コンピューティング」という新しいサービスも出てきましたので、インターネットはまさしくエンターテインメントも会社経営も教育も医療も政治もすべて呑み込んだ巨大データベースになろうとしています。

 その一方で予想が外れてしまったものも少なくありません。さきほど述べたインターネットのグローバル性もその1つですし、その進化のスピードも予想外のものでした。そして何より予想外だったのは、これらのサービスが各企業の広告費の支出によってほぼ無料で実現されてしまったということです。わたしはこれらのサービスが、その価値自体が評価され課金されて普及するものと考えていました。

 最初に述べたように、わたしの出発点は、民放テレビが無料で情報をたれ流しにしていることに対する批判にありました。「ただより高いものはない」といわれます。お金を払わないで得た情報が身の周りにあふれていることで、わたしたちは情報に対する反省能力を失い、メディアの情報に簡単に扇動されるようになってしまう。それはまさしく「ただのものにつられて高い代償を払わされている」ことだと思ったのです。そのためには情報自体の価値を評価して、それに対する代価を支払うような習慣を作らなくてはならない。情報の有料化は、メディアの双方向性に並んで、わたしが考える未来社会の目玉の1つでした。

 しかし、この予想はまったく外れてしまいました。すでに通常テレビによって無料で提供されているサービスを、一般消費者がわざわざ高い金を払って買うはずはない、という議論があります。その状況で似たようなサービスを有料で始めるとしたら、それは消費者にとってよほど価値の高いと思えるようなものでなければなりません。そればかりではなく、あとで詳しく述べようと思いますが、「情報に値段をつけられるか」という根本的な問題があります。

 とにかく前置きが長くなりました。本題をはじめましょう。

●次代を変える若者たち

 きっかけとなったNHKのテレビ番組とは、さる11月9日に放送された「デジタルネイティブ~次代を変える若者たち~」です。ご覧になった方も多いと思いますが、ご覧にならなかった方たちのために番組の概要を説明します。インターネットが一般家庭に普及するようになって10年以上になる。物心ついたときにはすでに身の周りにパソコンがあり、子供のころからネットを使いこなして育ってきた世代が、世界中のあちこちで新しい社会現象を起こそうとしている。

 番組はデジタル・ネイティブたちの特徴を次のようにまとめていました。

  • ネットに書かれてある内容を現実と考えている
  • 情報はタダだと考える
  • 年齢、職業などで人間を区別しない

 デジタルネイティブの例として大きく取り上げられていたのは、例えば13歳のインドの少年です。彼は見るからに利発そうで、物おじせず、大人の前でも自分の意見を堂々と発表する優等生タイプの少年です。彼はインドの公的なベンチャー支援の基金からの出資を得て、元素記号をキャラクターに用いたカードゲーム販売の事業を立ち上げ、月に5000ドル稼いでいます。彼は商品のカードゲームを開発するための人材の手配をSNSを用いて世界的な規模で行いました。キャラクターの絵はカナダのデザイナーに、説明書の編集はロンドン在住の編集者に、といった具合です。メールで依頼を請けたデザイナーは、依頼者が13歳の少年だとは思わなかったそうです。

 「デジタルネイティブ」が活躍するのは営利事業ばかりではありません。ウガンダのある青年は、自分の国で猛威を振るうHIV感染を憂えて立ち上がり、ネットカフェからSNSを通じて有志に呼びかけ、世界的規模の運動を組織しました。13歳のカードゲーム販売もそうですが、NPO的な社会運動も同じように、これまでは効果を挙げるまでには多額の資金を必要とする事業でした。それゆえ慈善活動は富豪か有名人、あるいは企業がスポンサーになった組織でなければできなかったのです。インターネットはこれらの起業コストを大幅に引き下げているのです。インターネットによって「フラット化」した世界を如実に示す例だといえるでしょう。

 わたしたちはこんな話を聞くと「13歳」の大胆さや早熟さに驚いてしまったり、途上国の厳しい現実から志を持って立ち上がる青年の行動力に感心してしまいます。番組もそんなセンセーショナルな効果を狙ってこれら先端的な事例を取り上げていたと思います。ですが、彼らはデジタルネイティブのなかでも例外的存在です。彼らのようにグローバルな人間関係を築いて顕著な結果を出している例だけを見ていると、かえってデジタルネイティブたちの社会的実態を見失ってしまうでしょう。事実、番組のあとネットで「デジタルネイティブ」で検索をかけてこの番組の感想を調べてみると、すでにブログを書いているようなネットのヘビーユーザーには一般的に不評で、英語ができないことの不利益を危惧する声が多く見られました。こんなことはもちろん問題の本質ではありませんし、番組が伝えたかったメッセージからもかなりズレています。NHKの番組は新しい社会現象を鋭い嗅覚で捉えていながら、旧世代メディアの感覚で物事を捉えていたせいか、その本質を捉え損ねていました。

●デジタルネイティブはどこにいる

 優等生ばかりを見ていても、世代の輪郭は見えてきません。氷山の下には巨大な氷塊が眠っているように、先端的な事例の陰にはもっと普通の「大衆」としてのデジタルネイティブたちがいるはずです。彼らに焦点を当ててみない限り、新しい社会像は見えてこないでしょう。彼らはいったいどこにいるのでしょうか。

 実をいえば、本当の彼らに会いに行くのは簡単です。実際にSNSを試してみればいいのです。

 ということで、遅ればせながら1959年生まれの旧人類、SNS初体験してまいりました(まあ、ちょっと覗いてみただけですが)。mixiは「一見さんおことわり」なので、試してみたのはMySpaceの方です。いや凄かったですねえ。どのページもビジュアル情報が氾濫していて、目が回りそうです。膨大なイメージ情報の中で目立とうとするから色彩が極端だし、グロテスクなイメージが多すぎるし、映画や音楽の趣味を雑然と並べるので、カオスそのもの(きっとテレパシーで他人の頭の中をのぞいたらこんなふうに混沌として見えるんだろうな)。わたしのような旧人類には刺激が強すぎました。

 それにしても動画がふんだんにアップロードされていて、利用者全体のデータ量を考えたら気が遠くなりそうです。しかしそんなことを心配しているようではIT技術者としてはモグリでしょうね。驚くべきなのはそんなことではなく、ただ「友達を見つけたい」「同じ趣味の人と出会いたい」という気持ちだけでこんなにたくさんの若者が、動画撮影やブログ書きに多大な労力を費やしていることです。

●SNSに集まってくる人々

 彼らはいったい何を求めてここに集まってきているのでしょう。ここにくれば有名人と知り合いになれるといいます。なるほど、ここで店を開いているのはデザイナーだったり、ミュージシャンだったり、今の若者があこがれる職業の人たちが多くて、そんな人たちと「お友達」になれるのなら、それは彼らには魅力かもしれません。彼らの「フレンド一覧」には、超有名なスーパースターからあまり聞いたことがないミュージシャンまでプロモーション写真と思しきイメージがずらりと並んでいて、その幾人からは実際にコメントが返ってきています。しかしこれらのミュージシャンにとってはこれが営業活動の一部であることは明らかで、それを「友達」と考えるのは危険すぎるような気がします。

 しかし、それは彼らにとって百も承知のことなのかもしれません。ミック・ジャガー(ふるっ!)がコメントをくれたからといって、誰も本当にそれを本人が書いたとは思わないでしょう。もうちょっとリアリティを求める若者は、もっとマイナーな、自分にも手の届くような、そこそこの「有名人」とコンタクトを取るようですが、彼らの名乗る「ミュージシャン」や「アーティスト」などの肩書きが、実体をともなうものであるかどうかは疑問です。2、3度ライブハウスで歌わせてもらっただけのミュージシャンもいれば、画廊に持ち込んだ絵をほめてもらっただけのアーティストも多いでしょう。ネット以前の基準で考えると、これらの自称クリエイターたちは「アマチュア」でしかないのですが、彼らは自分たちの夢で金を稼げなくとも、SNSなどを通じて発信すればいくばくかの支持を受けて、それを根拠に肩書きを名乗ることができるのでしょう。なかにはそれによって細々と小遣い程度は稼げるようになれるかもしれません。たぶん彼らにとってはSNSが自分の夢の稼ぎ場所なのです。これもまたベンチャー起業と同じように、いわゆるインターネットの「ロングテール現象」が採算ベースの閾値を下げたことによる効果の1つであるといえるでしょう。ネットがプロとアマの区別をなくしてしまったのです。

●平凡さの氾濫

 こうしたことによって世の中に「自称ミュージシャン」や「自称アーティスト」が増殖することは、よいことなのでしょうか。ネット以前の価値観から見ると、これらのアマチュアたちは中途半端な存在で、経済的な負担に堪えきれず淘汰されてしまうものたちなのだから、できるだけ早く引導をわたしてやることがむしろ本人のためであり、彼らの力を有意義な(つまり金を稼ぐことができる)生産活動に方向転換してやることが社会のためでもあるというように思えます。その意味ではネットはいわゆる「ニート」の増加にはからずも寄与しているのかもしれません。また、ネットのおかげで低レベルなクリエイターたちが大量に生き延びられるので、逆に本当の才能が埋もれてしまうし、観客の鑑賞力も磨かれないので、音楽や演劇、文学、芸術のレベル全体を引き下げてしまうという現象が起きているようにも思えます(わたしには小説はすでに1980年代から、音楽は1990年代から、いい作品が生まれなくなっているように感じています。お前の感覚が古くなっているからだといわれれば、それまでなのかもしれませんが)。

 しかしそれはインターネットやSNSに責任転嫁できることではありません。昔から本当の鑑賞力を持っている観客は少なかったものですし、そのような具眼の士はいまでも彼らなりにネット社会でコミュニティを作って生きていることでしょう。「本当の才能」というものは結果でしか評価されないものです。昔から埋もれたまま芽が出なかった才能はいくらでもあるわけで、ネットのおかげで人の目に触れる機会が増えたのに、逆にそれで埋没してしまうのは本当の「才能」とはいえません。また、ネットのおかげで中途半端に生き延びているクリエイターたちは、そのまま中途半端を続けて年老いてしまう可能性があるわけですが、それは正真正銘の「自己責任」です。選択肢が増えれば、待ち受けている不幸も増えるわけで、貧乏くじを引いてしまったからといってくじを責めるわけにはいきません。

●境界線をなくした世界

 要するにインターネットが作り出した新しいメディア環境では、それまであった境界線があいまいになったということなのです。「プロ」と「アマ」の境界、「大人」と「子供」の境界、「芸術」と「エンターテインメント」の境界、「先進国」と「発展途上国」の境界、性の境界、民族の境界、人種の境界。新しい世代はこれらの境界を区切る基準を身につけていないため、そのことがNHKの番組ディレクターには、デジタルネイティブたちが真偽の判断ができない、「ネットに書かれてある内容を現実と考えている」世代というように思えたのかもしれません。

 境界線のない世界とは「けじめ」のない世界です。それに慣れない人間にとっては、あいまいで、ときには「淫ら」であったり「不道徳」とさえ思えるような茫洋とした世界です。ネットを通じて中国の若者に共感する若者がいれば、ナショナリストにとっては彼らは「国際政治の厳しさを知らない、おろか者」に思えるでしょう。出会い系サイトで知り合った異性とセックスをして、ときにお金をもらったりすればりっぱな売春ですが、当人には堕落の意識はまったくなく、いつでも「堅気」に戻れると思っているかもしれません。最近、有名大学の学生が大麻を育てて逮捕されるという事件が続きましたが、これもネットが絡んで善と悪の境界が分からなくなってしまった典型的な事件といえるでしょう注2

 たしかに犯罪の境界線があいまいになるのは困りものですが、なくなってくれたほうがありがたい「けじめ」もあります。性差別の境界、職業における年齢制限の境界、同じく教育における年齢の限界、先進国と途上国の境界、宗教紛争の境界、SEとPGの境界などです。なくなった方がいいかどうか分からないけれど、なくなってもいいかもしれない境界もあります。健常者と障害者の境界、就業者と失業者の境界、経営者と労働者の境界、行政とNPOの境界、等々。ここにあげた例はどれもインターネット(あるいはIT)によって境界の実体や意味づけが変わったり変わる可能性があったりするものです。みなさんそれぞれこれらの境界がなくなってしまった場合の世界を考えてみてください。それは理想郷でしょうか、それとも悪夢でしょうか。

 SNSがもたらした世界をひと言でいえば、「有名人とそうでないの者との境界が見えなくなった世界」といえるでしょう。世界的な超セレブと平凡人が並んでいるフレンド欄は、そのことを端的に表している空間です。考えてみてください。かつては「有名人」といえば、世間に認められた人だけが有名人だったのですが、この場合の「世間」とは、実はわたしたちの思い込みでした。SNSの仕組みを使えば、この「有名であること」を数値的に計ることができます。そう思ってみると、「有名人」という特権者の輝きが、残酷にも変わってくるではありませんか。どんな有名人もフレンド欄に並んだone of themになってしまうのです。デジタルネイティブとは生まれた年で区別されることではなく、「有名になりたい」という欲望の幻想的な輝きがなくなった世界の退屈に耐えることができる人々のことをいうのです。

●平凡なる新世界

 こんな世界に耐えるというのは、具体的にはどんなことでしょうか。旧メディアで育ったわたしには、SNSはどこまでいっても凡人にしか出会うことのできない砂漠のような世界ですが、見方を変えればここでは新しい種類の価値が生まれているともいえます。誰でもいい、誰か平凡な人のあたりさわりのないブログを読んでみましょう。そこに書かれているのは今日のユーウツな気分だったり、南極のオゾンホールだったり、世界の飢餓情報だったり、公園で見たノラ猫の写真だったり、まさしく脈絡のないことをつれづれ書き連ねてあるだけなのですが、作意のない無意識に近い文章だけに、かえって身近な存在感を覚えます。日常の見慣れた光景をあらためて写真にとって見ると、意外な輝きを持っているように見えたりするのと同じで、日ごろのとりとめもない感想やイメージを記録し、人が見るメディアに発表すると、それは自分にとってかけがえのない時間であったことが分かってくる。そんなブログにどんな平凡な言葉でもいい、コメントを寄せてくれる人がいたら、きっとそれだけで心が少し触れ合ったような気持ちになれるでしょう。

 この新しい世界には新しい形の「リアル」があります。わたしたちがこれまでもってきた価値観や幻想がここでは通用しなくなったりしますが、この世界の「リアル」を素直に受け入れるなら、それは異常な世界でもなんでもない、人が棲める日常的な世界になるでしょう。ただこの世界で宝石に出会うには、相当な苦労を強いられますが。

 また長文になりました。ここまで読んでくださった方はまことにおつかれさまでした。でもね、今回のテーマは次回に続くんですよ。 

注1)結局その後も日本ではアメリカのような爆発的なCATVの普及はなく、ブロードバンド回線の一部となってかろうじて生き延びることができたというのが実情でしょう。

注2)すでにこの現象はあちこちでさまざまに捉えられています。「ネット、境界、曖昧」で検索してみたら、さまざまな局面で問題になっていることがわかります。一度お試しを。

プログラミングはコミュニケーションだ

2008/11/10 16:00:00

 この業界で長年仕事をしていると、ほれぼれするようなソースコードを見ることがあります。

 JR系列のSIerに呼ばれて、とある業界団体が管理する観光スポット紹介サイトの改修を手がけたことがあります。PC用、携帯用のページはすでにあるから、それに加えてPDA用のページを作るというプロジェクトでした。面白みのない地味な印象のサイトでしたが、ソース解析を進めていくと、なかなか面白い仕組みになっているのがわかってきました。ブラウザからのリクエストが全部同じURLへ集まるようになっているのです。そのURLで呼び出されるServletが、要求されたページの種類ごとに別のURLにディスパッチするようにできている。

 これは有効な方法だと直感できました。まずなんといってもサーバ側のクラスが構造化されます。画面の要求する機能とは別の論理でクラスを構成することができる。それにサイトのURLを一元的に管理できます。ブラウザがアクセスする窓口が一箇所に絞られるのですから、リクエストを管理しやすい。セキュリティの面でも有効である。つまり今で言うところのMVCパターンで作られていたのです。まだStrutsが一般に知られる前でした。JavaのWebアプリケーションがJSPコードをHTMLの間にソースコードを埋め込むという形で作られるのが一般的だった時代です。これは勉強になる仕事だと思いました。

 しかしこのプロジェクトは突然打ち切りになってしまいました。きっとPDA用のページを作っても誰も読みに来ないだろうと判断されてしまったのでしょう。惜しかったけれど、結果的には私にとって勉強しただけ得になりました。ソースにはPGの名前と作成した会社の名前が記されてありましたので、いつか一緒に仕事をしてみたいなと思って会社名を手帳に控えておきました(いまだにそういう機会はありませんが)。ネットで調べると、横浜にある会社です。もしかしたらJR系の会社かもしれません。そうだとしたら、さすがはJR、グループ企業まで技術レベルが高い。

 こんな思い出話から始めたのは、べつにJRをヨイショすることが目的ではありません。この時のソースコードからは、それ以上に重要なことが読み取れたからです。

●プログラミング作業はチームワーク

 MVCパターンは、サイトで使うJavaクラス全体の大枠となるパターンです。これを採用しているということは、プログラミング作業の前に各PGがこのパターンの有効性を納得し、それに合わせて各クラスを実装したということを意味しています。つまりこのソースはPGの綿密な連携作業によって作られたということです。

 それまでプログラミング作業は個人技の世界でした。COBOLでは原則的にSEが仕様を切り分けました。切り分けられたモジュールは完全に独立した世界ですので、PGはプログラムを他人と共同して作るということはありません。C言語では1個のソースからは1個のプロセスが生まれるので、ほぼ完全な独立性を持っています。これを分けてプログラムするのはけっこう難しいことで、1人で作りこむには大変だからといって、作業を分担することはあまりしません。VBアプリケーションは断片化したソースコードが複雑に絡み合っているので、これも作業を分担するのはなかなかに難しい。そのためC言語やVBの開発では、特定のPGに過重な負担がかかって、工程が遅れるということが頻繁にありました。

 ところがJavaはインターフェイスを境にPGの作業をあらかじめ分担しておくことができます。そうすることで得られるメリットは計り知れなく大きい。

●インターフェイス概論

 ここでJavaを知らない人のために「インターフェイス」の説明をしておきましょう。Javaのソースコードは「クラス」と呼ばれる単位に分けて書かれます。クラスには「メソッド」が定義され、その中にそのクラスが持つ機能を具体的にコーディングします。実際にプログラムが作動するときは、このクラスをもとにメモリ空間にインスタンスを必要な数だけ作る、これがコンピュータを動かす実態になるわけです。インターフェイスはメソッドだけ定義したクラスのようなものです。これを使うときには、このインターフェイスをもとにしてクラスを作って動かします。

 いわばインターフェイスとは、形だけ作った中身のないクラスのようなものです。こんなものがどうして必要なのか疑問に思われる方も多いかもしれません。わたしも始めのうちはどのように使えばいいかわかりませんでした。それがようやく理解できたのは、Javaの仕事をするようになって1、2年してからでしょうか。

 インターフェイスとは要するに「接合面」なのです。ロボットを開発するとします。胴体と腕を分担して開発することになりました。まず最初にすることは何でしょうか。接合面の設計です。接合部分の形、寸法、信号端子の種類、電圧、信号体系等々。これらをあらかじめ決めておけば、胴体を作るチームと腕を作るチームは、互いに相手のことを知らなくてもそれぞれの部分の開発に専念することができます。また接合面の規格を守っていれば、別の腕を付け替えることもできる。合体ロボットのように次々とアイテムを変更することも可能です。すなわちインターフェイスは部品を規格化するのです。これを有効的に使うことで大規模システムは整理され、分担して作りやすくなりますし、開発後のメンテナンスも容易になります。

 ですから大規模なシステムでは、何よりも先にインターフェイスを設計することが重要なのです。開発が進んでからでは、インターフェイスを適用するのは極めて困難です。あらかじめ全体の構成を見渡し、規格化できるパターンがあったら、そこにインターフェイスを作っておく。そうすれば複雑なシステム全体が部分部分に分けやすくなり、ロジック自体がパターン化されて、コーディングの量自体も減ります。できれば基本設計の段階でインターフェイスを決めておきたいところなのですが、このことについては十分理解されているとはいえないのが現状です。

●コミュニケーションの必要性

 話題をもとに戻しましょう。実装作業の分担の話でした。個人で作ることができる機能はおのずから限界があります。機能の規模が大きくなればなるほどバグの数は増えていきます。ですから1つの機能を分担して作ることは、大規模アプリケーションを作るときの必須の条件なのです。さらに開発の状況に合わせて人的資源を機動的に使うことができるようになる。ユーザーの気まぐれで急な仕様変更があっても、柔軟に対応できる。すなわちJavaにおいてはプログラミングとは個人技ではなく、綿密なチームワークを必要とする共同作業に変わったのです。

 私がこれまでの開発経験から考える理想的なシステム開発の現場は次のようなものです。5人から10人までのPGがチームを組み、机を並べている。そばにはいつでも使える会議スペースがあり、ホワイトボードが用意されている。開発が始まると、まずクラス構成を綿密に打ち合わせる。ホワイトボードに絵を描きながら、ああでもないこうでもないを繰り返し、やがて総員納得の上で全体のクラス構成を決定し、実装の技量にそってコーディングを分担する。コーディングが始まっても、いつでも必要があればすぐチームミーティングを持つ。システムの変更事項はそこで周知徹底する。こんな開発体制を組めたなら、どんな大規模システムの実装が来てもこわくはありません。

●開発の現状は

 しかしWebアプリケーション開発の現場は、たいていの場合これとはほど遠い現状にあります。PGはたいてい別の会社から呼ばれてきて、互いに交流はありません。配属された先のSEのいうことを聞かなければならないことになっています。PG同士でミーティングを持ったりすると、何かと誤解されます。またPGは個人で仕事をすることが多く、共同して仕事をするという経験が少ないので、他人の意見を積極的に聞こうということもありませんから、その仕事はなおさら孤立したものになります。

 頻繁にミーティングを開いて打ち合わせをするのはSEさんたちですが、プログラミングをあまり知らないSEは、ユーザーの要求を実装者に伝えるだけの単なる「御用聞き」になってしまいがちです。業務の内容に合わせてクラスを設計するなどという高等技術は身についていません。ミーティングは、プロジェクトマネージャから進捗を問いただされ、仕様変更があったことを上意下達的に言い渡されるだけの場になっています。クラス構成を話し合うとか、さっきも触れたインターフェイスを作るとか、テストプランを練るとか、そういったソースコードの品質にかかわる話し合いが行われることはほとんどありません。このような体制で作られるプログラムがオブジェクト指向であるわけはありません。画面からのリクエストごとに1メソッドが動き、そのメソッドに一切合財の機能を盛り込んでしまう、ということになります。

●ウォーターフォール型開発とアジャイル開発

 これまで大規模なソフトウェアが作られる場合、基本設計で大まかなことを決め、機能をいくつかのブロックに分け、細分化するごとに仕様の詳細を決めていくというトップダウンの設計手法がとられてきました。水が下に流れるように設計が進められるということから、これをウォーターフォール型の設計といいます。細分化されたプログラムが相互に関連を持つことがあまりないCOBOLのようなシステムならこれは有効です。しかしオブジェクト指向のJavaはそういうわけにはいきません。これではクラス設計をするPG(あるいはSE)のところに来る前に仕様が断片的になってしまいます。設計者がその能力を持っていても、これでは実力の振るいようがありません。

 ウォーターフォール型の開発がJavaに向かないことは、すでにだいぶ昔から指摘されてきたことです。アメリカではその反省から、PG相互のコミュニケーションを密接にし、開発のスパンを短く繰り返すことで、実装者とユーザーの距離を短くし、ユーザーの気まぐれな要求変更に対応しようという手法が開発されました。これをアジャイル開発といいます。この開発方法の有効性はすでに実証されています。にもかかわらず日本ではこの開発手法が行われることはめったにありません。

 その理由はよくわかりませんが、次のようなことが考えられます。まず日本のユーザーにはドキュメント信仰があります。ソフトウェアはただでさえブラックボックスになりやすく、ブラックボックスになったら最後、改修も再利用もできなくなると信じられています。だからドキュメントはできるだけ詳細に残してもらいたい。アジャイル開発ではどうしてもドキュメントは軽視される傾向にありますので、ユーザーには不評なのかもしれません。

 しかし実際には、詳細すぎる設計書などシステム開発では無用の長物。ソースコードさえきちんと管理されて残っているなら、そのシステムはブラックボックスでもなんでもないし、きちんとしたスキルのある技術者を呼べば、システムは必ず生き返ります(問題はその様な技術者をどうやって調達するかということになります)。

 もう1つは、アジャイル開発は「管理しにくい」と思われているからではないでしょうか。アジャイル開発は、開発技術者が直接ユーザーから要望を聞いたり、技術者同士で頻繁にミーティングを行います。現場から遠ざかって技術に疎くなったPMは、これらのミーティングを仕切りきれません。設計会議から疎外された管理者は「下っ端が集まって造反をたくらんでいるのでは」と不安になりがちです。ましてやアジャイル開発で鍵を握るのは、これまで冷遇してきたプログラマ、会社では要らないからできるだけ外注で調達してきた職種です。自社の請負業務が全部外注の人間で決定されるとなったなら、おもしろかろうはずがない。

●大事なのはコミュニケーション

 別にアジャイル開発を導入しなければならないというのではありません。プログラミングで重要なのはコミュニケーションです。PGは端末に向かって黙々とコーディングとバグ取りをしていればいいというのは昔の話です。理想的なプログラミングは、ちょっとコーディングをしていたかと思うと、立ったり座ったり、同僚と話をしたり、はた目から見ると、まるでまじめに仕事をしていないかと思われるかもしれません。しかし実際には彼らは仕事の上で重要な情報やアイデアの交換をしているのです。こうしてコミュニケートすることで、仕様に対する誤解を修正し、設計過程で見逃した不整合を見つけやすくなります。また、自分のソースコードに対して他人の批評を受けることで、わかりやすく利用性の高いコードが作られていきます。他人と話し合うことで新しい発想も生まれてくる。解けなかった問題が解けてしまう。まるで大学のセミナールームか、工業高校の実習室のような雰囲気、それこそが高い生産性を実現する作業環境なのです。Javaのようなオブジェクト指向言語では、他人が作ったソースコードをいかに有効に利用することができるかが生産性向上の鍵になります。プログラムのような形のないものを相互に利用し合うには、このような気軽で親密なコミュニケーションのできる環境、人間関係が何よりも必要なのです。

 まあ、実際このような開発をしたことがあるわけではありません。日本のソフトウェア開発現場は、さきほども述べたように、このような雰囲気とは対極的な環境にあります。だだっ広い部屋の一角に端末がところ狭しと並べられ(最近は机1つさえ満足に与えてもらえません。折りたたみテーブルにいくつも端末だけ置いて、ほとんど肘を突っつきあうような場所で何カ月も作業させられます)、それぞれ別の会社から派遣されたPGが、それぞれ隣の人の名前も知らずに(ときどき隣の人は日本語を話せないこともある)、与えられた仕様書を黙々と実装しているだけ。こんなタコ部屋現場が多いのではないでしょうか。

 プログラミングの現場でコミュニケーションが足りないのは、もちろんSIerの管理方法にだけ原因があるわけではありません。技術者の方にも責任があります。概して腕のいい技術者ほど寡黙なものです。口を動かすより手を動かして、自分で結果を出すのに夢中になるので、チームワークをおろそかにしがちです。それに熟練したPGは独学でスキルを身につけてきた場合が多く、教えたがりなわりには、進んで他人と情報交換をしようとしない。その点では学校でプログラミングを勉強してきた人間が多いアメリカとは土壌が違うのです。日本のPGがいきなりアジャイルな開発環境に放り込まれても、きっととまどうばかりでしょう。

●もっとおしゃべりしましょう

 このような現状を変えていくのは、やはり管理者の責任であり、年配者のつとめでしょう。プログラミング作業でのコミュニケーションの重要性は、アジャイル開発、ウォーターフォール型開発にかかわらず有効です。このコラムをお読みのあなたがPMならば、毎日ミーティングを開くばかりでなく、頻繁にPGの肩を叩いて声をかけてあげてください。最初は内心いやがられるかもしれません。しかし相手が自分の仕事の内容に親身になって関心を持ってくれているのだとわかれば、やがて態度は変わってきます。声をかけるときは単に進捗ばかりに関心を持ってはいけません。プログラムの中身についても突っ込みを入れてみましょう。未熟なPGなら足りない部分を指導してあげてください。優秀なPGならたいてい自分の作品について自慢したいところを持っていますので、そこをほめてあげてください。また、彼らはプロジェクトについていいアイデアを持っていたりします。それを会議の場では言い出せずにだまっていたりします。それを吸い上げるのにもいい機会です(もちろんこれらのためにはPMがプログラミングについて熟知していなければならないのですが)。とにかく重要なことは、少しでもコミュニケーションの頻度を上げることです。

 コミュニケーションが増えれば、必ずプロジェクトにプラスになります。一見むだ話に見えるかもしれませんが、それが目に見えないところで効果を持ってくるのです。過去に失敗したプロジェクトのことを思い出してください。それは開発者全員が押し黙り、互いに背を向け合ったような、沈滞したプロジェクトではありませんでしたか? メンバーが死人のように口をきかず破滅に向かって進んでしまうので「デスマーチ」というのです(ちょっとちがうかも?)。

 若いPGの皆さん。もっとおしゃべりしましょう。ひとりで黙々と開発する時代は終わりました。わからないことは積極的に他人に質問しましょう。知っていいる人はたいてい教えてくれます。教えてくれないのは、答えを知らないからです。IT業界は技術革新が早いので、知識が古びるのも早い。ですから知っている人は、その知識が古びないうちに教えなければ結局、損をします。だから技術者はたいてい「教えたがり」です。そしていつか自分が質問される立場になったら、こころよく教えてあげてください。そんな小さな心掛けが、やがては業界を変えていく力になるかもしれないのです。

反アウトソーシング

2008/10/27 16:00:00

●わたしと派遣業

 わたしはこの業界で20数年働いていますが、派遣と外注はどの会社でも一般的に行われていました。最初に入った会社の最初に配属された部署では、開発作業に携わっていた人の半数以上は外部から派遣されてきた人たちでした。明らかにプロパーの社員より技量が上で、開発の主力は派遣技術者が担っていました。給与や福利厚生の面では当然差があったわけですが、管理者もこれら派遣技術者は丁重に扱っていましたし、仕事の上ではほとんど外注もプロパーも区別されていなかったといっていいでしょう。

 にもかかわらず、わたしはこれら派遣技術者という身分には偏見を持っていました。当時「プログラマ35歳定年説」というものが噂されていました。派遣労働に支払われる契約料は一定で低く抑えられているので、年齢が上がって給料が上がっていくと派遣会社はその従業員の給与を支払うことができなくなって、会社を辞めさせられるというものです。この説を真に受けていたわけではありませんが、派遣社員という身分は何かと不利なように思えて、最初の会社を辞めた後もずっとプロパー社員で働けることにこだわっていました。

 契約社員で派遣されて働くようになったのは、30歳過ぎてからでした。いざそうなってみると、肩の荷が落ちて、さっぱりしたような感じがしたものです。まず何といっても仕事に集中できるようになりました。電話を取らなくなりましたし、その他の有象無象の雑用から解放されました。ある程度仕事を選ぶこともできましたので、キャリアも自分で組み立てることができるようになりました。わたしはCOBOLからBasic、C言語、VB、Javaの順で言語を乗り換えてきましたが、こんなことも正社員で雇われていたら難しかったことでしょう。いまでは何であんなことにこだわっていたのだろうかと思います(注1)。

●アウトソーシングは正しい戦略か?

 派遣の仕事にもいろいろあるでしょうが、少なくともシステム開発では、派遣は必ずしも不利な労働ではありません。この仕事は専門性が高く、技能が高度に規格化されていますので、一定のスキルのある技術者はどの職場に行っても即戦力として通用します(少なくとも実装作業の場合)。また、その業績が派遣先で正当に評価されれば、気持ちよく働くことができます。技術革新のスピードが速いため、絶えずキャッチアップのための努力をする必要がありますが、その自信さえあれば、わたしのように何の後ろ盾もない個人事業主でも、それ相応の年収を稼ぐことができます。

 しかし、2000年ころからでしょうか、この業界の状況が変わってきました。わたしがこれまでこのコラムで書いてきたように、技術自体は日進月歩で進歩しているのに、それが現場の生産性に結びつかなくなってきたのです。大量のマンパワーがむなしく費やされ、技術者への負担は「3K」とまでいわれるようになっている。業界の技術は空洞化し、資源が偏って配分され、技術に対する軽薄な侮りと忌避が蔓延(まんえん)しています。

 どうしてこんな状態になったのでしょう。わたしはこれまで「下流」の位置から、つまり現場の作業のやり方や管理方法からこれらの構造的問題を説き起こしてきました。前回はSE/PG分業からソフトウェア開発作業の現状を分析しました。もちろん、この分業をなくせば問題がすぐ解決する、というわけではありません。原因はSIerが業務の一部、あるいは全部を外注するという経営方針を採っていることにあるのであって、SE/PG分業は業務を外注する範囲の目安として使われていたにすぎません。現在ではPGはおろかSEですら、建設作業員のようにプロジェクトごとにかき集められるのが普通になっています。SIerはなぜ業務を外注するのでしょう。このことを根本的に考え直さなければ、IT業界の技術空洞化の問題は解決できません。

 しかし、このような意見には強硬な反対論があります。IT業界の多重請負構造は、アウトソーシングを活用した経営戦略として有効かつ必要なものであって、IT業界には必然的な産業形態であるとする意見です。コンサルタントは、これに賛同する方が多いようですが、はたしてアウトソーシングはIT企業には必要不可欠な戦略なのでしょうか。そもそも経営戦略として継続できるものなのでしょうか。今回はこのことに焦点を当てて考えてみたいと思います。

●アウトソーシングを流行らせたのは?

 「IT」という言葉と同様に、「アウトソーシング」という言葉も最近になって使われ始めたものです。いったい誰が使い始めたのでしょう。断言はできませんが、どうやら1990年代後半に旧通産省官僚が、アメリカの産業構造の変化を手本にして、日本の経済競争力の増強を図るため使い出した言葉のようです。

 近くの区立図書館で「アウトソーシングの時代」(注2)という本を見つけました。編著者はわたしと同じ1959年生まれの、旧通産省のお役人さんです。この本はアウトソーシングの啓蒙書として書かれていて、その主張するところは、およそ次のようなものです。

 日本の企業のアウトソーシングはおもにコスト削減などを目的とし、外注先もグループ企業に限るなど、消極的で身内優先なものにとどまっている。このため、アウトソーシングを利用して効率化するという面ではその効果は限定的なものにとどまっている。これに対してアメリカなどのアウトソーシング先進国では、自社の経営資源を本業に集中するために積極的に社外のサービスを利用し、外部委託を戦略的に利用して新規事業に果敢に乗り出すなどの「攻めの経営」が根付いている。このままでは日本の企業は、やがて経営資源の活用の点でアメリカに遅れをとり、大競争時代を生き残れないであろう。

 こうした主張の上で、著者はアウトソーシングの利用を3つの段階に分けて説明します。まず第1段階はコスト削減を目的とした短期的利益の追求として始められます。例えば、給与計算業務や福利厚生施設の運営など。わたしたちの情報システム部門も、この目的で外部委託されるようになりました。それがやがてアウトソーサーの専門性を吸収して自社の業務に活用するようになる。これが第2段階。第3段階になると、外部の専門性を積極的に活用して新規事業に乗り出すようになる。この段階の企業戦略は利益の追求ではなく、創造性追求型となり、発注側と受注側の間にはよりいっそう緊密な戦略的提携関係が構築されることになるだろう、とのことです。

 いかにも旧通産省の官僚さんらしい考え方です。先進的で、頭がよくて、理想主義的で、大所高所からの視点で、あるべき産業界の姿を分かりやすく生き生きと描いてみせる。そして悲しいかな、全体が見えていない。そのため常識的なことを見落としています。落ちついて考えてみればすぐ分かることです。アウトソースされた業務はいったい誰が担うのでしょう。

●アウトソーシングを基本から考える

 企業はなぜ自社の業務を外部に委託するのでしょうか。例えば、会社のトイレ掃除は社員にやらせません。外部の清掃会社に委託します。これは、人件費の高い自社社員にそんな雑用をさせるのは不経済だからです。それならばSIerはなぜPG作業をアウトソーシングするのでしょう。プログラミングは雑用ではありませんし、単純労働でもありません。この答えは前々回簡単にご説明しましたが、もう一度詳細に考えてみましょう。

 まずこちらのページを見てください。こちらに書かれているのはCVP(Cost Volume Profit)図といって、企業の利益設計をする上で基本中の基本となるグラフです。変動費で代表的なのは材料費、固定費を代表するのは工場などの設備費ですが、人件費も後者として扱います。見慣れない人には少々分かりにくいのですが、企業活動が得になるか損になるかの分かれ目である「損益分岐点」が、経費に占める変動費と固定費の割合で変わることはお分かりいただけると思います。固定費の割合が大きい「工場生産型」の事業では、売り上げが伸びた場合の利益が大きいけれど、損益分岐点は高く、売り上げが伸びない場合の固定費の負担が大きい。一方「アウトソーシング型」の事業では、損益分岐点が低いので比較的小さな売り上げでも利益が出ますが、売り上げが伸びても利は薄い。いわば前者はハイリスク・ハイリターン型、後者は安全経営型といえます。このため、コンサルタントは企業に経営の安定化を図るために、アウトソーシングを勧めるわけです。なかでも情報処理業務はその代表選手で、わたしたちIT業界がおまんまを食べられるのも、コンサルタントの方々があちこちでコンピュータ業務のアウトソーシングを薦めてくれるからにほかなりません。

●アウトソーシングの果てに、100年前に逆戻り

 しかし、ちょっと考えてみてください。一般顧客がコンピュータ業務をアウトソーシングするのは分かります。しかしその外注を受ける側、SIerが生産をアウトソーシングしたらいったいどうなるでしょう。元請けは下請けに外注します。下請けもまたその下請けに発注する。企業規模が小さければ小さいほど安定経営を志向するものです。そうしてツケを回していく果てに、固定費を実際に負担してプログラムを作るのはいったい誰になるのでしょう。究極の下請け業者、すなわち契約社員、派遣労働者なのです。

 これこそがいまIT業界で――いや、IT業界に限らず日本の産業界全般で起こっていることなのです。企業は正社員を減らして契約社員を雇う、あるいは派遣業者から人員を派遣してもらう。これは企業にとっては固定費を減らして経営を安定させるのに役立つでしょう。しかし、これは単に売り上げの増減によって生じるリスクを労働者に転嫁しているだけです。労働者は原理的にアウトソーシングすることはできない(生活費は究極の固定費です)わけですから、このリスクから逃れることはできません。すなわち、仕事が忙しいときには死ぬほど働かされて(場合によっては残業代が出ないこともあります)、仕事がなくなったらすぐクビになる。景況の波を一番弱い立場の労働者が直接かぶってしまう。今日の雇用問題の大部分がここにあるのです。

 その昔、産業革命が起こったばかりの資本主義経済の初期には、工場労働者が同じ立場に置かれて悲惨な生活を強いられました。当時は12時間労働が一般的で、文字通り夜明けと同時にたたき起こされ、日が沈むまで働かされたのです。仕事がなくなると容赦なく馘首(かくしゅ)されました。これらの悲惨な状況を改善しようとして、血みどろの労働運動や階級闘争を経て、労働法が制定され、行政によって労働者が保護されるようになったわけです。ところが1980年ごろから、いわゆる「規制緩和」「構造改革」の名のもとにさまざまな修正が加えられて、次第に骨抜きになってきました。「社会のニーズに合わせて制度を柔軟に運用する」という名目で、1日8時間の労働という原則も崩されています。それどころか「サービス残業」などという違法行為まで横行している。まるで100年前に戻ってしまったかのようです。

 アウトソーシングがその本来の目的にではなく、派遣労働と結びついて労働者保護制度の抜け穴に使われていることが明らかです。件の旧通産省のお役人さんには、このことが予想できなかったのでしょうか。概してお役人さんは考え方がタコツボ的で、自分の属するセクション以外のことは見えないとよくいわれますが、それはこのアウトソーシング論にも当てはまるでしょう。アウトソーシング論それ自体はいかにも立派な議論かもしれませんが、一般勤労者のことはまるで考えられていません。まるでそれは他省の管轄だからどうでもいいといわんばかりです。お役人さんには全体が見えているようでいて、実際にはぜんぜん見えていないのです。

●「三丁目の夕日」

 彼らが見落としていたことは他にもあります。それは、彼らが槍玉に挙げる日本的経営の閉鎖性、グループ企業内で受注しあう身内主義的傾向にも、経済構造として一定の合理性があったということです。

 かつては日本にも「町工場」というものがいたるところにありました。今も住宅街に工場が隣接しているところはありますが、昔に比べるとずっと少なくなっています。映画「三丁目の夕日」にそのころの街の風景が再現されていますね。当時は全国に零細企業が無数にあって、大企業から注文を請けて生業を立てていました。日本の産業は少数の大企業と、無数の中小企業に二極分化していて問題であると、社会科の時間に習ったものです。これらの町工場は従業員を雇い入れ、高価な機械設備などを負担していたのですから、相当ハイリスクなビジネスをしていたわけです。平気だったのでしょうか。

 平気だったのでしょうね。こういった町工場の経営者の多くが職人上がりだったと思われます。職人は熟練労働者ですから、けっこう安定した身分だった(注3)のですが、それでも一部の職人は金をためて自分の工場を持ちました。それは、そのことが「出世」であるばかりではありません。売り上げが上がれば、利の厚い、儲かる商売だったからでしょう。大企業は豊富な資金力によって新製品を開発し、常に新しい需要を開拓してくれます。その下請けをしていれば一定の売り上げは期待できます。売れることが確実ならば、「工場生産型」事業は魅力的な商売です。彼らはハイリスク・ハイリターンの事業をあえて引き受けました。彼らの気概のおかげで、大企業は固定費を削減することができ、職人は安定して仕事にありつけたのです。

 もちろん、こういった町工場の経営者はリスクに鈍感だったわけではありません。彼らは売り上げの変動を抑えるために、注文をくれる大企業の「子会社」になることで、親会社から安定して受注し、かつ親会社の信用を背景に銀行から融資を受けることができました。いわゆる「系列」の形成です。大手銀行が乗り出せば、信金や信組も寄ってくる。系列に食い込めない企業は、苦しいけれどいわゆる「町金」の高利融資で急場をしのぐ。中小企業の売り上げ増減のリスクは、大小の金融機関によって支えられたのです。こうしてこれら町工場の経営者の努力が日本の高度経済成長を下支えし、日本の技術力を世界的なブランドへと高めました。

●アウトソーシングの正体

 ところが1980年代から1990年代にかけて「規制緩和」が叫ばれはじめると、こうした日本的な経営が非難の的になりました。大企業中心の「系列」が日本の産業の高コスト体質を維持しているとされたのです。たしかに規制緩和のおかげで「価格破壊」が起きて物価は下がりました。しかしその代わり、深刻な雇用問題を抱え込むことになってしまいました。日本はアメリカの真似をして「アウトソーシング」を取り入れることで、閉鎖的な企業系列を破壊しましたが、同時に中小企業の安定受注の構造も壊してしまいました。

 本来なら金融機関がそれによって増えたリスクを支えるべきところでしょうが、折から起こったバブル崩壊による金融危機で銀行にはそのような余裕はありませんでしたし、元から不動産を担保にした融資による安定経営に慣れてきた銀行には、中小企業の小口融資を詳細にリスク査定する能力などなかったことでしょう。その結果「貸し渋り」や「貸しはがし」が横行しました。こうした中小企業の金融環境の悪化に対して行政的あるいは制度的な保護措置がとられてもよかったと思いますが、それさえもなかった。大手金融機関には破格の救済措置がなされたのに、中小の弱者には「自己責任」の原則が押し付けられたわけです。

 金融の支えをなくした中小企業は、設備投資を抑えられて技術革新から取り残され、発注会社の値引き圧力に抵抗できず、やむなく廃業するか、違法すれすれの外国人労働者を雇うか、人件費の安い海外生産にシフトすることを迫られました。その結果、日本の産業技術が空洞化し、製品の品質劣化を招き、食の安全まで脅かされるようになる。これが「アウトソーシング」の正体です。

●得をするのは誰?

 と、また少々挑発的な書き方をしてしまいました。

 アウトソーシングを喧伝した旧通産省のお役人さんたちには、もちろん日本の産業を空洞化させる意図はなかったでしょう。よしんばそのような懸念はあったにしても、日本の経済にはそれを補って余りある利益がもたらされると信じていたのでしょう。それは例えば、M&Aのような形で経営をドラスティックに転換させることで、経営の合理化を果たし、企業価値を高める――すなわち株価の上昇で実現される。株価が上がれば消費も増えて、それが景気を刺激して労働者の所得も上昇する。たぶんこのようなヴィジョンを描いていたのでしょう。

 しかし、わたしのような「下流」にいる人間からしてみると、これらの話は、現実からあまりにも迂遠な夢物語に思えます。企業の業務をレゴブロックのようにつけたりはずしたり、犬の子をやり取りするようにトレードしたりすることで、企業価値は果たして上がるものでしょうか。それは単なる市場の幻想であることを、わたしたちはITバブル崩壊やライブドア事件のときに痛感したのではなかったでしょうか。製品は誰かが作らなければ売ることはできないし、会社のトイレは誰かが掃除しなければならない。アウトソーシング推進論は、こんな単純なことをどこかに置き忘れてきた主張に思えます。

●こまった「市場」信仰

 さらにアウトソーシング論で問題なのは、市場原理の過大評価です。

 企業が自前で、あるいはグループ企業内で製品やサービスを調達する場合、そこには市場原理が働かず、コスト高になってしまう、それが消費者に転嫁されてしまうというのが、アウトソーシング推進論の論拠の1つです。ご存じのように、この理論は市場経済の価格決定作用を企業内部に持ち込んで、コストの適正化を図ろうという考え方です。その背景には、市場原理が発注する側にも受注する側にも公正公平で、合理的な価格を導き出してくれるという前提があるわけですが、そんなことは実際にはまずありえません。このことは下請け業者の立場で営業に歩いたことがある人ならば身をもって知っているはずです。

 アウトソーシングでは、発注する側と受注する側が対等の立場にあることは極めてまれです。価格の決定権は発注側にあるのが普通で、資金力のない受注業者は固定費の負担に堪えきれませんから、注文主の価格設定に従わざるを得ません。もしこれを対等にしようとするならば、受注側は資本を増強し、営業規模を拡大して銀行融資を呼び込み、マーケットシェアを獲得する必要があります。それからでなければ、対等の価格交渉には望めません。しかしそうすれば、この受注業者は巨大な固定費のリスクを抱え込むことになります。結局その業務をもっと小さな会社に丸投げすることになるでしょう。これでは間に余計な会社が1つ入っただけで、状況は何一つ変わりません(注4)。このようにして、アウトソーシングは必ず「外注/下請け」の関係になります。「アウトソーシングの時代」の著者のいう「戦略的提携関係」が自然に形成されることは考えにくいのです。

●アウトソーシングで品質低下

 市場原理の過大評価はもう1つの弊害をもたらします。一企業の内部で物が生産される場合、その生産に必要な資源配分――すなわち予算配分は、直接の管理の下で評価されます。しかしアウトソーシングの場合、市場原理が働きますから、原価が正当に評価されない可能性がある。すなわち生産者に対する適切な資源配分が保障されないのです。受注業者は競争を勝ち抜くためなら何でもします。例えば見えないところで手抜きをして納品する。そうなっては大変だから、発注側は綿密なテストを行わなければならなくなる。そのテストに膨大なコストが発生する。これでは何のためのアウトソーシングか分かりません。

 市場原理は万能ではありません。業務の発注者と受注者が公平になるのは、金融のリスクサポートが適性に働いて、受注側が設備投資や営業力を強化して市場競争に見合う原価を実現できる場合だけです。それが実現されない場合、受注者は受注業務の品質を下げざるを得ない。発注者は品質のコントロール手段を失い、品質は急速に劣化していく。日本の高品質製品の代名詞だったソニーが、安易なアウトソーシングを推し進めた結果、外注部品の劣化を招き、「ソニーは買うとすぐ壊れる」とか「ソニータイマー」と呼ばれて大いに面目をつぶしたことを忘れてはなりません。

●アウトソーシングしていい場合といけない場合

 また話が長くなりました。そろそろまとめに入りましょう。

 わたしはここまでアウトソーシングの欠点ばかりあげつらってきましたが、もちろんアウトソーシングそのものを否定するわけではありません。世の中には外部委託したほうが合理的な業務もたくさんあります。大型汎用機で行うデータ処理業務はその典型例の1つで、1970年代から専門業者が成立してきました。OAが普及した後も業務アプリケーションを内製するケースは少なく、業者に委託する場合がほとんどです。そもそもIT業界自体がアウトソーシングを前提に成長してきた業界です。前述したように、コンサルタントがその受注営業の最前線に立っていてくれたわけで、その意味でコンサルタントがアウトソーシング論に肯定的なこともうなずけます。

 しかしそれは、ユーザーが自分たちにできない業務を外部の専門家に委託する場合の話です。専門家であるはずのSIerが自社の経営の都合で業務を外部委託していたらいったいどうなるでしょう。前述のとおり、コストばかりを重視した「市場原理」が災いして、品質をコントロールする手段を失い、テスト工程の費用がいたずらに拡大します。結局は逆にコスト増になる。そればかりではありません。景況のリスクが末端の技術者にしわ寄せされ、「女工哀史」や「蟹工船」の時代に逆戻りしてしまいます。「3K」と呼ばれるのもむべなるかな。これでは労働者のインセンティブは甚だしく損なわれ、業界全体に長期的な悪影響を及ぼすでしょう。アウトソーシングの結果、技術が空洞化する問題については前回、前々回に書きましたからもういいでしょう。ソフトウェアの開発自体はアウトソーシングに適した業務ですが、それを分割してアウトソーシングすることは、多くのリスクを発生させ、長期的に会社に不利益をもたらします。

 そもそもアウトソーシングのデメリットについては、わたしがこんなところでいちいち説明するまでもなく、専門家が「コスト面のみに着目した安易なアウトソーシングは、“戦略なき外注”となり、最適なITガバナンスが失われるリスクがある」とすでに指摘していてくれています。こちらをご覧ください(それにしても、この手の専門家はどうしてこんな分かりにくい言葉で説明するのでしょう。わたしも今回以上のことを書くために勉強するまで、このページを理解できませんでした)。

●会社のトイレは誰かが掃除しなければならない

 結論を言いましょう。「下流」の目から見ると、現経済産業省のお役人さんが勧めるアウトソーシング論は、企業の業務を細分化してトレードしやすくするという効果を狙ったものでしかないように思えます。これは投資家目線で見れば、投資対象として合理化された望ましい姿かもしれませんが、実際に現場で働く立場からすると、多くの場合さまざまな障害を作り出し、結果的に投資対象としての企業価値を損なってしまう、不合理極まりない戦略です。アメリカではこんな手法で見かけ上の企業価値を向上させ、株価で儲けるというビジネスが流行っていたようですが、こんなことをすれば生産の実態にかかわりない投機的投資が横行するのは当然です。このマネーゲームの報いがいま起こっている金融危機ではないでしょうか。

 もうそろそろ、アメリカの真似をするのはやめにしましょう。

●企業家の精神に立ち戻れ

 SIerのみなさん。もっと自信を持ってください。みなさんの業界はハイテクの先端にいる業界ではなかったでしょうか。多少の売り上げ増減のリスクなど吹き飛ばしてしまえるような技術革新が日夜生まれている業界ではありませんか。

 MicrosoftだってGoogleだって、つい最近までみなさんと同じような中小企業だったのですよ。彼らがベンチャーから世界的な企業にのし上がるまで、わずか数年しかかかりませんでした。もちろん彼らのまねをしろというのではありません。ライブドアの堀江元社長のように、形だけまねをしてスベった人はたくさんいます。

 わたしが言いたいのは、ITは少ない投資で多大な利益を上げることができるビジネスだということです。その事実を見据えれば、設計/実装技術者の人件費など物の数ではありません。かつて日本の高度成長を支えた「町工場」の経営者などよりもはるかに好条件に恵まれているはずです。

 きちんとリスクを負担して、でっかく儲けましょう。固定費をけちけちして喜ぶのは、リスクをぜんぜん理解できない銀行の営業マンだけです。彼らは担当する企業が安定して利益を上げてくれればいいと思っているだけです。彼らのいうことを真に受けて不用意なアウトソーシングに走ったら、あなたの会社の技術は完全にスポイルされます。むしろ彼らに、こう力説しましょう。

 「うちの技術者は天才ぞろいだ。うちは金のなる木を持っているんだ。あんたはそれを伐れというのか。とんでもない!」

(注1)しかし、わたしのようなケースはやはり稀なのでしょう。世の中、悲惨な条件で働いている派遣社員の話をよく聞きます。ITの会社だと思って契約したのに、回ってくる仕事はデータ入力のオペレータ作業ばかり、そのうち30歳も過ぎると仕事を回してもらえなくなってしまった。いまさらPGにしてくれる会社もない。このような派遣社員使い捨ての例はいくらでも転がっているでしょう。学校でプログラミングを勉強するか、最初の会社できちんとした教育を受けることは、この業界で生き残っていくには重要なことです。

(注2)村上世彰編著、日経BP社、1999年

(注3)もと旋盤工の作家、小関智弘が書いていますが、腕に自信がある労働者はけっこう気位が高く、少しでも条件のいい仕事先を求めて、ちょくちょく仕事先を変えていました。市場価値のある技能を身につければ、たいした貯えがなくとも生活困窮に至らないという見通しがあったわけです。いつの時代も同じですね。

(注4)われらがIT業界では、実際にこの戦略をとって急成長した会社があるようですね。どことはいいませんが。

SEとPG、どっちが頭がいい?(2)

2008/10/20 15:00:00

 刺戟的な題名で続けます。

 前回は日本独特のSE/PGの分業体制がどのようにして発生したのか、ということを説明しました。それは日本にソフトウェア開発が産業として根付いたときに、PGが単純作業労働者と位置付けられてしまったため、上級技術者を区別する言葉が必要とされた、それがSE(システムエンジニア)だというものでした。

●C言語@UNIXでは

 COBOLの開発ではSE作業とPG作業がきちんと分けられていると思われがちですが、これも前回述べたとおり実際には形式だけのものになっていました。これはタイムシェアリング端末の普及によってプログラミング作業が格段に効率化されたからでした。プログラミングに残っていた煩雑な手作業の部分が省力化されたのです。

 この事情はBasicやC言語でも同じことです。1980年代後半、わたしは最初の会社を辞め、パソコンの開発をするようになりました。現場では、技術者はそれぞれなんとなくあいまいにSEを名乗ったりPGを名乗ったりしていましたが、SEは必ずプログラミングができましたし、PGは必ず仕様書が書けました。そもそもプログラミングを知らなければ設計ができませんでした。パソコンの開発環境は個人が独占して使えました。そもそもC言語はUNIXとともに作られた言語です。UNIXは大型機の硬直性を打開するためにミニコンで動かすことを前提とした開発されたOSですから、そもそもがPG主体の環境です。開発者なら誰もがプログラミングができて当然の世界です。

●VBでは、なぜ?

 ところがVisual Basicが登場してくると状況が変わってきました。再びSEとPGが分かれ始めたのです。

 VBは必ずしも前回説明したSE/PG分業アウトソーシング説のモデルに合いません。VBは極めて開発効率が高い言語です。同じ実装をBasic、あるいはC言語で行うとしたら、工数は数十倍に及ぶでしょう。こんな高能率な言語の実装を外注に任せてしまうのは、技術の蓄積という面で会社にとって損だと思うのですが。

●レベルが高いVBのプログラミング

 ご存知の通り、VBはフォームといわれるウィンドウの上にテキストボックスやボタンのような部品を置き、それぞれ「クリック」や「フォーカス」などのようなイベントごとにソースコードが書かれます。それまでBasicやC言語では、プログラム自体1つの構造を持ったまとまりだったのですが、VBの場合、プログラムは画面に見える各部品の中に断片的に散らばっているのです。

 このことはVBアプリの設計を難しいものにしました。分散しているソースコードを1つ1つ定義していたのでは、手間がかかってしかたがありませんし、仕様が断片的になり、かえって分かりにくくなります。そのため、設計書では画面全体の機能だけを記述し、PGが各機能の相互連携を考えることになりました。PGは仕様書を受け取ると、細部まで読み込み、それが全体ではどのような動きをするのか入念に頭の中で組み立ててから仕事にかかりました。最後には頭の中に機能の入念な地図が出来上がります。PGはそれを頼りに、どんなバグにも対応できるようになります。この地図をドキュメントにしてお見せできないのが残念です。

 また「コントロール」と呼ばれる画面上の各部品には、それぞれたくさんのプロパティがあり、それに設定されている値を操作することでさまざまな動きをさせることができましたが、おかげでリファレンスだけでかなり分厚いマニュアルになってしまいました。必要なプロパティやコマンドを覚えるだけでも一苦労です。さらにAccessやExcelのオブジェクトについても該博な知識が必要になります。PGが知らなければならない知識は、C言語と比較してもはるかに多いのです。

●SEは「御用聞き」?

 このようなPG作業に比べれば、VB開発のSE作業はお客さんの要望を文書にまとめるだけの地味で単純な作業に思えました。仕様書をまとめ終わったあとのSEは、プログラミングのお目付け役か、表現はよくないのですが、単なる「御用聞き」に思えたものです。もちろんユーザーの要件をまとめて形にするということは創造的で根気が要る仕事なのですが、マシンパワーを味方にして高生産性を挙げている側から見ると技術的に低レベルの仕事に見えてしまったのです。

 結局のところVBの開発では、SEとPGの技術的重要性は五分五分といったところで、どちらがより難しいとも、知性を要求される作業であるとも言えないでしょう。ですからSEさんたちは外注のPGに対して十分な敬意を払ってくれました。仕様の不明点は懇切丁寧に教えてくれましたし、設計のミスにも率直に対応してくれました。わたしたちがいつまでもバグ取りが終わらないときは、自分の責任でもないのに、深夜になるまでじっと作業に付き添ってくれたものです。

 VB開発においてSE/PG分業がかえって顕著になった理由は、前述したようなPG作業がアウトソーシングされるという傾向に加えて、 WindowsのUIオブジェクトが煩雑になったため、設計作業と一緒にプログラミング作業を負担できなくなったからということが主な原因だったと思います。すなわちVB開発の元請けは、VBのプログラミングが単純作業だから外注したのではなく、極めて専門性が高い技能だから、社外の専門家としてPGをプロジェクトに招待していたということなのです。

●もっとハイテク、Javaワールド

 Java開発では、実装作業はVBにも増して高い技術レベルが要求されるものになりました。Webアプリケーションに必要なのは単にJava言語に関する知識だけではありません。画面を構成するHTML、クライアント・サーバ間の情報をやり取りするHTTPプロトコル、Struts、Springなどのフレームワークの活用法、クライアント画面でのUIを補うためのJavaScript、果てはAjaxによるUIの質的向上まで、(Webアプリケーション開発はPGに)技術の最先端をこれでもかこれでもかというほど要求します。

 そしてなによりもオブジェクト指向設計の要であるクラス構成も、事実上PGが設計しなければならなくなりました。SEとPGの間のインターフェイスになるのは、SEが書く設計書――すなわち詳細仕様書ですが、これがVBと同じ画面を中心にした機能定義だけの記述です()。この方式では、サーバ側のクラス構成を一切規定できません。というか眼中にない。そもそもオブジェクト指向で設計するとどんなメリットがあるのか、きちんと理解していないSEもかなりいることでしょう。

 企業がそれまでメインフレームで行っていた基幹業務を次々にオープン系システムにダウンサイジングしていったわけは、ハードウェアの安さもさることながら、ソフトウェアをオブジェクトとして編成することで再利用性を高めることにありました。メインフレームではすでに大規模なビジネスロジックがソースコードとして実現されていましたが、COBOLの言語的性質から他システムに移植するには多大な困難が伴いました。このため、企業の組織変更や業務の合理化のたびに、大規模なシステム改修のコストが発生していたのです。オブジェクト指向プログラミングはソフトウェアの硬直性を解決するための鍵となる技術でした。すなわち、企業戦略上の重要な条件整備の役割をPGが担うようになったのです。

●こんな「タコ部屋」開発、勘弁して!

 にもかかわらず、多くのWebアプリケーション開発の現場では、PG作業の高度な専門性はまったく無視されました。

 2003年ごろ、ある大規模なWebアプリケーション開発に参加したときのことです。現場に呼ばれていくと、すでに開発はコーディングたけなわ。 PGが数十人大部屋に集められて作業していました。さっそく画面デザインと機能仕様書が渡されました。画面は数カ所のセクションに別れ、サブミットボタンも数個あります。たいへんなボリュームなのにそれを3日で作れという。

 その結果PGはどうしていたかというと、COBOLと同じように、すでに誰かが作ったクラスを流用して手直しして使っている。1リクエストに対して1クラス、それも1メソッドにすべての機能をコーディングしていました。当然メソッドのステップ数は数百に及びます。クラス構成もオブジェクト指向もありません。ただひたすらに急いで作って動けばいいという作り方です。こんな作り方ではかえって工数がかかってしまうのですが、そんなことおかまいなしです。

 そのうえ工程管理がすさまじいものでした。正副のプロジェクトマネージャがいて、2人で数十人のPGの進捗を管理していました。当然毎日これに忙殺されます。1日中かかってPGを1人ずつ別室に呼び出し、進捗状況を尋ねます。遅れているなら、なぜ遅れているのか厳しく問いただします。まだ環境に慣れてないなどといいわけしようものなら、「ほかの人はみなこの効率で仕事をしています」と圧力をかけてくる。まるで捕まって取調室に呼び出されたコソ泥のような気分でした。

 このような開発でできたソースコードは硬直的で、再利用性が悪く、どんなリファクタリングも受け付けないでしょう。この仕事を請け負ったSIerは、目先の開発効率に気をとられてかえって非効率な作りこみをしてしまったばかりでなく、アプリケーションの将来的なコストまでも大幅に引き上げてしまったのです。さすがにこのような開発を強いられたのはこのときだけで、これ以後こんなタコ部屋開発は経験したことがありませんが、もしかしたらまだどこかで、外国人PGを集めて同じ様な作り方をしているところがあるかもしれません。

●IT技術の空洞化

 JavaによるWebアプリ開発でPG作業が軽視されている傾向は現在でも一向に変わりません。かえって強くなっているくらいです。特に大規模なアプリケーション開発では、いっそうそれが激しい。ということは、社会的に重要なシステムほど粗悪なプログラミングがなされている可能性が強い。事実わたしがうわさに聞く話では、あの大企業のシステムがそんな状態なのかということが多いのです。これは日本のIT産業におけるソフトウェア設計技術が構造的な原因から空洞化していることを意味しています。いくら見かけのドキュメントを整備しても、それは顧客の要求だけが精緻に文書化されたというに過ぎず、それによってソフトウェアの品質をコントロールしているわけではありません。大事なことはソースコードの品質なのです。にもかかわらず今日のIT業界は、ソースコードの品質を向上させるどころか、かえって悪くする方向に向かいつつあります。いったいなぜでしょう。

 前回も触れましたように、「PGは労働集約型の単純作業で、SEこそが高度な技術を担う職分だ」という、1960年代の職制がアウトソーシングによる固定費節減戦略に誤って適用されている傾向が、その原因の1つです。何度もいいますが、本来ソフトウェアの作成という仕事は設計とコーディングという作業に明確に分けることができません。それを無理やりに分けようとするなら、ネット社会を形成してきた数々の技術革新の成果はすべてPGに残り、SEはそれらから完全に疎外されることになりかねません。

●SEの悲惨

 下請けSIerは、SEのほうがPGよりも作業単価が高いので、自社の社員をなるべくSEにしようとします。入社してまだ1、2年の若手をSEと称して元請けの現場に送り込む。そんな未熟な技術者に設計作業が務まるでしょうか。務まるのです。彼らに与えられる仕事は、顧客の要望を聞いて仕様書にまとめるだけ。プログラミングよりかえって簡単なくらいです。しかし、そのことで派遣されたSEのスキルに与える悪影響は計り知れません。彼が強いられるのは果てしないユーザーの要求変更をドキュメントに反映させる仕事。ドキュメント変更のたびに長い長いレビューが開かれて、それだけで精力を使い果たしてしまいます。設計に携わることで得られるはずの業務知識も、実際には切れ切れの断片に過ぎず、体系的な技術にはならない。知識として整理する余裕もない。

 例えば企業の会計システムを作るとします。その設計に携わって企業の会計を知ることができるようなSEがどれだけいるでしょう。会計の知識はそんな甘いものではありません。大抵はすでに会計の知識を持っているSEが全体を決めてしまって、業務請負で派遣させられたSEはその下働きをさせられるのです。SE作業があまりに非効率で膨大なため、本来の設計作業に参加するSEと、「仕様書書き」という単純事務作業に従事するSEが分離しているのです。長い忍耐の末、下働きSEが獲得できる業務知識とは何でしょう。知識の断片で仕様書を書いたというだけのことです。その結果ほとんどのSEは業務知識からは疎外され、実装技術の習得からも切り離されてしまう。現実的なスキルを何も持たないSEが大量に作られる。

●PGのスキルも劣化

 SEの技術がだめになると、PGの技術も同時にだめになります。社内で評価されない職種に誰が労働意欲を感じるでしょう。長時間労働に身をすり減らし、おのれの技量不足に打ちのめされ、少なからざる新人が脱落していきます。残った者は1日でも早いSEへの格上げを待ち望んでいるばかり。ごく少数のPGは実装技術の重要性に気がついて実装セクションに残ろうとしますが、そんな「変わり者」のキャリアパスを許容してくれるのは、人件費に余裕のある大企業だけです。大きな会社では(SIer以外でも)IT関連部署に、いかにも「ハッカー」のにおいをぷんぷんさせた猛者がいたりするものですが、開発技術者の供給源である中小SIerでは、人員に余裕がなく、いつまでもPGとしてモラトリアムさせてもらえないのです。それでも実装作業に残りたいという人間は、契約社員になるか、わたしのような個人事業主になるしかありません。わたしが知っている中で優秀なPGと思えた人は、みな大企業の片隅で仙人のようになっているか、会社を飛び出して一匹狼になっている人でした。高度な技能の持ち主も、正当に評価されなければこのような生き方を選ばざるを得ません。

 結果、SIerの社内にはPGがいなくなります。いったいSIerはこれでどうやって開発作業を行うつもりなのでしょうか。いざとなれば外注すればいいと思っているのでしょうけれど、ほかの会社でも同じ方針を採っているのですから、派遣されてくるPGのレベルなど推して知るべしです。低レベルのSEの設計で、未熟なPGが実装する。当然低品質の製品が作られる。ソフトウェアには形がないので、表面上機能すればユーザーからは苦情をいわれない。それを繰り返すうちに、業界全体が急速に必要なスキルを失っていく。度重なる銀行や交通機関のシステム障害の背景には、このような技術空洞化の構造があるのです。

●技術を甘く見るな!

 話が長くなりました。そろそろまとめに入りましょう。現在のIT業界で「SEとPGのどちらが頭がいいか」と問われたら、「どちらも頭は空っぽだ」と答えざるを得ません。これは技術者個人個人の責任ではありません。明らかに企業のアウトソーシング戦略の結果です。単に頭が空っぽなだけならまだしも、このような技術者が多数派になってしまったおかげで、技術に対する浅薄な侮りと無知が蔓延(まんえん)するようになってしまいました。

 こんなことをいっては「上流」にいる方々には失礼かもしれませんが、IT業界は上流にいるほど得になるような構造になっています。それぞれのプロジェクトについて自分のところで十分な経費を確保してから下流に流しますので、下流にいるほど仕事がきつくなります。それをうすうす感づいているから、若い人は少しでも上流に行きたがります。PGをしばらく勤めたらSEに、SEを少しやったらコンサルに。産卵まぢかの鮭でもあるまいに、自分の技術レベルも分からないまま、やみくもに次のステップを目指そうとする。会社も上流の方が単価が高いので、スキルも経験も関係なく自社社員を格上げする。その結果、技術力のない技術者が泡のように上へ上へと浮かび上がってくる。こんな技術者はそれぞれの工程できちんとした仕事をした経験がないので、自分のスキルさえ認識できない。ドキュメント作成が仕事だと思いこんでいるコンサルタントさえ出てくる。まさしく、同じエンジニアライフ コラムニストの林さんがコラムで嘆いている通りです。

 この技術軽視の傾向がIT業界をどれほど蝕んでいることか。たんに若者のインセンティブをそぐばかりでなく、IT業界に対する一般社会の信頼を大きく損ねつつあります。世間は度重なる銀行や交通機関のシステムトラブルを大目に見てくれるわけではありません。このまま技術空洞化の傾向が続くなら、「ITは見かけ倒し」という評価が固まってしまいます。そうなれば企業はITへの設備投資自体を手控えるようになるでしょう。そうなってからでは遅いのです。

 SIer経営者の方に申し上げます。SEとPGの分業は実際の作業で不要な障害を作ってしまうばかりでなく、SEを技術のイノベーションから疎外し、スキルに悪影響を与えます。さらにSEには期待するほど業務知識は蓄積されません。もしSEに業務知識を持ってもらいたいなら、お金をかけて教育しなければならない。極端なことをいえば、MBAを取りにアメリカに留学させるくらいの覚悟がなければ、ろくな知識は得られないのです。

 また、PGの作業を低く評価し、外注で調達しようとすることは、社員に与えるべき貴重な開発経験を外注業者に流しているも同然です。コーディング作業のオフショア開発を増やしたりしたら、それこそ日本のIT産業の基礎をスポイルすることになりかねません。実装作業をアウトソーシングするという経営方針は決定的に誤っています。SEもPGもわけ隔てなく、固定費でもってじっくり育てていかなければならないのです。

 上流を目指す若手技術者の皆さん、自分の技術を過信してはいけません。あなたのいる業界は、PGを2年勤めたら自動的にSEに、SEを3年勤めたらコンサルになれるというような甘いところではありません。年功序列は通用しないのです。この@ITなどを参照して、つねに自分のスキルを自分で測り、自己研鑽に勤めてください。会社の評価を真に受けてはなりません。悲しいことにいまのSIerは社員をじっくり育てていくという資金的余裕も能力もなくしているところが少なくないようです。あなたがSEとしてどこかに派遣されたとしても、それはあなたがSEとして十分な技量を持っているということにはならない。単に会社の都合で未熟なあなたをSEとして送り込んだのかもしれません。そして派遣先でさせられる作業は、あなたの技術力にほとんどプラスになりません。派遣先では、基本的にあなたに単純作業しか期待しない。あなたが自覚的に自分のスキル向上に努めているのでもない限り、あなたのスキルは空っぽです。そんなあなたがもし30歳ぐらいになって会社にいづらくなったとしても、すぐに辞めてはいけません。それは単にあなたの年齢とともに給料がかさんだので、じつは単純作業以外何もできないあなたを追い出したがっているだけかもしれないのです。

 こんなアドバイスをしなければならないこと自体、実に情けないことです。

(注)Javaの設計書がVBの開発と同じ形式になったのは、Java開発におけるドキュメンテーションの難しさが背景にあるのでしょう。Javaはご存知のようにオブジェクト指向言語で、ソフトウェアの機能は各クラスに分化し、実際のコードはさらにその中のメソッドに区分して書かれます。すなわちVB以上に断片的になっていますので、これをそのまま文書化しても一覧して分かるものではありません。それを分かりやすくする手法としてUMLなどの方法が開発されたわけですが、それを使っても一般のユーザーには何のことか分からないのはあまり変わりません。UMLはむしろ開発者間で仕様を確認するための方法なのです。一般ユーザーに分かるという点では、VBと同じ形で仕様書を書くしかなかったのです。

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コラムニスト プロフィール

後藤和彦
1959年福島県生
長年プログラマとしてソフトウェア開発に従事
使える言語:COBOL、C言語、VB、Java、Ruby
現在個人事業主。首都圏コンピュータ技術者株式会社パートナー

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