新卒入社の会社は1年持たずに倒産。「流れよう流されよう」がモットーのエンジニア

ぼったくりタクシー事件からこれからのシステム開発を考える(後編)

»

■ぼったくりタクシーへのクレーム顛末

 タクシー会社にクレームを入れる。翌日に掛かってきた電話対応は、至ってまともだった。約束の時間に40分遅れて掛かってきたこと以外は。もっとも、雪の降った翌朝だったし、掛かってくることすら期待していなかったので充分許容範囲、期待レベルを上回るもの。

 担当者いわく、ドライブレコーダーに一部始終が記録されていて、最初に荷物を積まないところからが謝罪の対象だった。Webサイトにもしっかり「接客・接遇・安全教育を徹底」って書いてあるし。そしてナビの設定、禁止道路の案内含め、すべての行動が遅かったと反省の弁。後日、丁寧な謝罪文も送られてきた。お客様の自己責任とバッサリ切られることもなかった。世の中まだまだ捨てたものじゃない。でも、教育する余裕がなくなっているのだろうな、タクシー会社も。

■これからのタクシーの乗り方を考える

 ゆとり教育、移民、カーナビの進化、etc。それ以外にもそれらじゃなくてもいろいろな要因があるのだろう。道を知らなくても、接客の経験がなくてもカーナビ技術のお陰で取りあえずの運転はできてしまう。道に詳しくて、人生の先達として話を聞かせてくれて乗車中は飽きさせない、などと言う牧歌的な姿は見られなくなってくるのかもしれない。悲しいかな。

 これからだが、海外に行ったときのようなあらかじめ値段交渉する乗り方も考えられるかもしれない。または、「2回までの道の間違いは免責だが、それ以上は互いに協議するなど」を走行前に決める、とか。保険の約款のような細かい決めごとを乗車前に見せられ交わしたり、「カーナビの操作はお客様にて」とかそんなのも。サービスの内容によって価格に差が出るとすればよいと思う。タクシーひとつ乗るにも身構えてしまうが。

■これからのシステム開発を考える

 10年ほど前、世紀が変わる前までくらいはまだ開発の現場にもゆとりがあり、客先常駐となってからの1~2週間は助走期間が与えられ、何となく互いの持ち技を感じ取りながら役割を決めていくような雰囲気があった。委託する側も請負う側も仲間としての一体感があったように思う。(現在でも一部の製造業では一緒に作り上げていくという姿が見られる。)いい意味の「よしなに」があった。ある種の徒弟関係もあった。昔は良かったねというつもりはないが。

 そして今世紀になったあたりからか、委託側、請負側の立ち位置が明確になって、アウトプットとマイルストーン、それにプロセスが規定され、作り上げる過程を楽しむ余裕がなくなってきた感がある。

 現場は割りと緩めな流通系でもガバナンスの点から、今まで必要なかった文書が求められるようになっていたりして、やはり窮屈さを感じたり。ぼく自身、走りながら考えていくアジャイルな手法の経験もあれば、分厚いSOW(Statement Of Work、作業範囲記述書)を作ってから始めるという経験もある。どちらが良い悪いというのはないが、前者の手法は結構好きだったりする。

 モバイルコンテンツ会社に最近見られる内製化の動きや、外資系に多く見られるSOWの厳格化は、教科書どおりシステム開発を外注としたときの変動費のコストが、実のところ思った以上に膨らんでしまうことが分かり、それを軽減するためのひとつの解なのだろう。

 ビジネスがスピード化し、多様化することに伴って目立ってきたスキルのミスマッチ、今後増えることはあっても、減ることはないだろう。それゆえコストが膨らむ確率はますます高くなるわけで、これを抑える方向に動く。

 ゲームを始める前に互いの手札を確認しあうようなことが必要となる開発の現場。エンジニア側はできることを、会社側は求めることを。

 この流れの中にいることをぼくらは認識しながら。ベテランエンジニアと経歴書を含まらせた若手・新人とをセットで現場に送り込んで、という業界のモデルは先細りというか遥か遠い昔のこと。

■それでもここで生きていく

 タクシーの件が起きてからも、地方で都内で何回かタクシーに乗った。一方通行を見事に避けて目的地に達するドライバー、雪の日のエピソードを話してくれるドライバー、ビル名を告げただけで届けてくれるドライバーはまだまだいるわけで、当たり前のことを当たり前にすることが十分ではないが必要な条件であるのかもしれない、それは業界が違えどと今回の一件をきっかけに考えていた。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する