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健康について第40回 「健康法」論(2) 金、カネ、Money

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 お世話になります。龍澤と申します。

 第36回で、「健康法」のアヤしさについてだいぶ書いたつもりですが、そのときに書ききれなかったところを今回書きたいと思います。

 それは、健康(および健康法)とお金との関係についてです。

 健康法にムダにお金をかけると、効果がなかったときにものすごくストレスになる(イコール、「不健康になる」)ので、注意が必要です。ですが、ある程度のお金は必要です。

 この現代社会で健康を維持するためには、ある程度のお金が必要なのは事実です。ポイントは、お金が「かかる」か「かける」かの違いです。いかに効率的に、健康のためにお金を「かける」か。

 ところで、マスメディアから流れてくる健康関連の情報は、すべて間違っている! と私は断言できます。

 なぜ「私は」という限定があるかといいますと、マスメディアからの情報は「今の私にはまったく必要ない」ということであって、それが私でない別な方には有益であることもありえます(いずれにせよ、その他大勢の人にはまったく無用なのですが)。

 例えば、みのもんたさんが番組で何か食品を紹介すると、その日のスーパーでそれが消える、という話がありますが、その食品が、たまたまその日のとある人の健康状態を鑑みたときに、摂取すべきものである場合もあります。「健康『法』はすべてインチキである」といいたいところなのですが、実際はそのように、ある人にはバッチリ効くこともあるので、断言ができません。

 以前も書きましたが、たまたま「当たった」方は、「効いた!」と狂喜乱舞し、周りに過剰にふれまわるようになり、知らぬ間に宣伝になっているわけです。でも、同じ人であっても別な日だったらまったく効かなかったかもしれない。

 そういうのは精神的な「気分」にも左右されますので、例えばみのもんたさんの大・大ファンであれば、彼が風邪薬の代わりに片栗粉を飲みなさいといえば、バッチリ効く可能性が高いのです。

 スーパーに走ったその他大勢の人たちは、その買った食品を2~3日摂取するのでしょうが健康状態に変化(効果)はまったくないはずです。これが、ムダにお金が「かかる」ということです。まったく無用な行動をとり、まったく無用な散財をしています。

 でも、「みのもんたがいってるから買う~」とかじゃなく、自分が主体的にゲットした情報をもとに、ある程度のお金を「かけて」健康法を実践すると、効果がある可能性が高まります。

 それは、実は当然なのですよね。最初からモチベーションが違うわけですので。また、仮に効果がなかったのだとしてもそれほど後悔はありません。後悔がないのでストレスにもならず、不健康にもなりません。つまり「現状維持」です。

 これが、お金が「かかる」と「かける」の違いです。

◆金、カネ、Money

 お金…お金というのは本当に、本当に悩ましい存在です。

 先ほど、健康を維持するためにある程度のお金が必要となる世の中になった、と書きましたが、それはお金持ちしか健康になれないといっているわけではありません。

 まず、リアル「貧乏」では健康にはなれません。(実際問題、衛生状態を改善できないため)でも、質素な暮らしは健康そのものです。

 お金がないという状態は非常にストレスがたまります(イコール、不健康)。ですが、最下層の貧乏状態は例外として、自身がお金が「ある」か「ない」かの判断基準は100%主観になります。

 もっと、もっと! と求める人にとってはいくら稼いだところで永遠にお金は「ない」のでしょう。健康になるためにはまず、自身はお金が「ある」と思うことから始めなければなりません。

 それは「お金持ち」とは違います。私たち庶民が仰ぎみているお金持ち(と一般的に思われている人たち)のほとんどは「もっと、もっと!」でお金がないと思っていますから、常にお金に追われ、お金に対してストレスを抱いています。それは、不健康状態であるといってよいでしょう。

 普通に働いている方であれば、なにげに、つねに財布の中に数千円~数万円入っていませんか? 現金を保持していなくとも電子マネーにチャージされていませんか? チャージされてなくとも(なんでも買い物できる)クレジットカードを常に持っていませんか?

 ポケットに手を突っ込むと常に小銭が入っていませんか?

 ほら、お金は「ある」じゃないですか! まずそれを認めるところから始めましょうよ、ということです。

 余分なお金を持ち始めるとたちまち不健康になってゆきます。にもかかわらず、誰もが「余分なお金を持ちたい」という願望を持ちながら生きています。

 余分なお金を持ち始めると、多くの人たちは自分が不健康であることを自覚するようになるので、前述したとおり、ムダに健康法に走ります。ジムに通ったりもします。なぜなら、お金が余っているからです。質素な暮らしのうちは「健康法」にまでお金がまわらない。だから健康でいられる。考えてみれば不思議な話ですね。

 まぁ、余分なお金を「アスリート」になるために使う(「健康になる」ではなく「身体を鍛える」)という自覚があるのであれば、よいと思います。それはそれで、趣味の範囲ですので。

 アスリートになる手法も「健康法」と呼ばれているのが、私たちがごっちゃになってしまう原因なのでしょうね。アスリートになってもまったく健康になれないにもかかわらず……。

 本当に大事なことは別にあります。例えば余分なお金を持ち始めると、ムダにお金をかけて有機だの玄米菜食だのにはしる人がいますが、そうではありません。真に健康のことを考えるのであれば、「引き算」です。過剰な健康法はすべてやめる。そして、過剰な生活習慣もすべてやめる。

 もっと具体的にいえば、お腹いっぱい食べるのをやめれば、それでいいのです。

 引き算で健康になってゆく。それは結局のところ「質素な生活」に回帰してゆくということ。この高度資本主義経済社会、そしてこの東京という都会で暮らしてゆく中で「質素な生活」に回帰するというのは実は最高の贅沢なのです。

 ただしそのためには強靭な意志が必要になってきます。

 読んでいただきありがとうございました。

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