ソフトウェア・エンジニアの語る、虚々実々の物語

プロジェクトの中心で愛を叫んだ者

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  ひと昔前に 

  「セカチュー」

 という言葉が流行したことがありましたよね。私は世間の流行にかなり疎いので、妻に尋ねました。

私:「最近、“セカチュー”とかいう言葉を聞くんだけど。なんだろう?」

妻:「え? 知らないの?」

私:「うん。騒々しいネズミかなにかの話か? ピカチュウの親戚か何か?」

 その時の妻のまなざしといったら……今でもよく覚えています。

 天然記念物級の“世間ズレ男”と思われていたと、容易に想像できます。まぁ、私に言わせれば、こんな“ズレ”はかわいいもんなんですけどね。

 でも、世の中には笑えないところで、笑えない事件が起こっているものです。これからお話する話もその1つです。

 ある寒い日の朝のことでした。

 私の執務室の1つ上にあるフロアで働いている同僚のT氏が、いつものごとく浮かない顔をしているので、ちょっと声をかけてみたときのこと。彼の顔にはいつになく疲労感が漂っているように思えました(まあ、いつもそんな顔つきなんだけど、今回は特にそう思った)。

 彼はこんな風に言いました。

T氏:「俺が狂っているのか、みんなが狂っているのか、それさえも、もうどうでも良くなることってあるよね」

私:「どうしたの?」

T氏:「いやぁ……、今あるプロジェクトのPMをやってるんだけど、それがどうにもこうにも……」

私:「プロジェクトなんてのは問題が起きて当たり前だよ。そういうもんだろ?」

T氏:「確かにそうなんだけどさ。今回組んだメンバーって、なんて言うか……」

 彼はここで言葉を濁した。それから少し時間を置いて、思い切って口をついて出た言葉は非常に印象的なものだった。

T氏:「刺すんだよね……すごく……」

私:「刺す? 君をかい?」

T氏:「そう……。柔らかい“狂気”でね。あ、今さ、“狂気”と“凶器”を引っ掛けてみたんだけど。意味分かった?」

私:「(洒落を言ってどうする)……」

 彼は私を窓際の打ち合わせ机に誘導すると、いろいろと話し始めた。彼とプロジェクトメンバーのやりとりの一部を要約すると、以下のようになる。

T氏:「えっと、これからWBSを書いて……」

メンバー:「え? W・B・S? なんですか? ワールド・ビジネス・サテライト? やだなあ先輩、仕事の話をしてくださいよ」

とか。

T氏:「スケジュール表を作ってくれる?」

メンバー:「そんなもん作るんですか? 遅れてますね。今はアジャイルですよ、アジャイル」

T氏:「いや、アジャイルだからって、スケジュール表を作らなくていいとは誰も……」

メンバー:「何言ってるんですか。最先端は“できた時が納期”なんですよ。知らないんですか? その方がずっと早いはずです」

とか。

T氏:「これ、設計書はないの?」

メンバー:「え? プログラムを作ってから、時間が余ったら書きますよ」

とか。

T氏:「試験のカバレッジを教えてくれる?」

メンバー:「大体試験しましたよ」

T氏:「いや、カバレッジってのは、大体とかそういう意味ではなくてね……(疲労)」

なんて具合らしい。

 彼はプロジェクトの中心で1人で愛を叫んでいたのかもしれない。誰1人、聞いてくれる人などいないのだろうけど。

 T氏はプロジェクトメンバーの1人ひとりと個別に話をしたそうだが、どの人も反応は芳しくなかったそうだ。

 彼はひどく落ち込んでいた。

 それもそうだろう。ソフトウェア開発者という名のもとにおいて(新人で未教育のメンバーは除く)、上記のやりとりは痛すぎる。

 早々に配置換えを申し出るか、このまま狂気に刺されたまま死んでしまうか。選択肢はそれほど多くないように思った。

 自分が狂気の中にいた時、自分も狂ってしまわないと、正気を保てないのか?

 うむ。変な日本語だ。正気と狂気は紙一重なのかもしれない。このプロジェクトのように。

 高速道路で制限速度を守ろうとすれば、逆に危険なこともあると聞く。一般道路でも同じだ。無理に制限速度を順守すれば、後続車からクラクションを浴びせられることだってある。

 皆が同じ方向に同じ速度で走っているとき、1人だけ違う方向に違う速度で走っていたら、やっぱり浮くよね。

 浮くだけならまだましだ。

 一匹狼は群れから離れては暮らせない。そう、プロジェクトっていう群れに入らないと認めてもらえないからだ。

 じゃあ、プロジェクトでは?

 やっぱり同じだ。皆が仕様書を書かないのに、仕様書を書く人間は「異端児」であり、設計書を書いてから実装しようとするやつなんて異教徒なんだろう。

 “アナタハ、カミ(紙=仕様書、設計書)ヲ、シンジマスカ?”

 伝道師は時に原住民に殺される。カミ(紙=仕様書、設計書)を信じてない人には、改宗させる土台すらないのだから。

 昔、こんな歌を聞いたことがある。

 「……いっそ水の流れに身を任せ、流れ落ちてしまえば楽なのにね……」

 誰の歌だったか? 中島みゆきだっけ? まあ、どうでもいいことだが、そんな歌詞が脳裏をかすめる。

 だが、彼(T氏)はまだ伝道師を続けると言っていた。

 彼こそ勇者なのか? それともただの愚か者か? 信念の男なのか?

 プロジェクトの中心で“愛”を叫ぶ。

 ぜひ、頑張ってほしいものである。

Comment(3)

コメント

こんばんは^^

私はアジャイルに好意をもって勉強しているような人間なので、
ここは反論でも書くべきなのでしょうが。

ちょっとこの場合は難しいです。
プロジェクトメンバーの方々の行動はいただけませんね。

アジャイル開発をしているはずなのに、
テスト駆動開発は行っていないのでしょうか?
行っているならカバレッジを聞かれたときに、自信をもって100%です、
と答えられるはずです。

テスト駆動開発は何かの理由で行っていなかったとしても、
自動テストと自動のデイリービルドくらいは行わないとアジャイルとは言えないでしょう。
その状態なら毎日カバレッジを出すことは簡単なはずです。

そして仕様書を書かない開発というのは、
念入りなリファクタリングとその前提となる自動テストをして初めて有効になるものですから。
その状態だと、仕様書を書かないで迅速な開発を行うことは難しいのではないですかねえ。

だいたい必要ないから書かないという決断をしたなら、
暇でも書いたらいけません。

スケジュールにしても、綿密なWBSは書かないにしても、
何らかのスケジュール管理の方法は必要なはず。
一見少ない作業量ですがこれでちゃんとある種のスケジュール管理ができます、
という説明があるならともかく、何も管理しないだけなのはおかしい。

そして何より、刺してちゃダメでしょ。
誠意をもった説明でコミュニケーションを大切にするのが、
アジャイルというものでしょう。


まあ一方の立場から書かれたことしか読んでないわけで、
これが全部正確に書かれているのかどうかはわからないわけですが。
もし正確なのだったら、ちょっとアジャイルの風上に置けない方々ですね。

そんなのでもアジャイルが推進できるとは。
うらやましい限りですな。

ゆう

アジャイルってなんか勘違いされちゃって、いい加減な開発の仕方をする大義名分になっている気がします。

大規模でウォーターフォールのガッチガチのシステム開発をやっていたところにとっては、アジャイルの手法導入すると柔軟でスピーディで、かつ品質を確保するって言う手法になっていると思うんですが、小規模でいい加減な開発、特に初期のWebシステム開発をやっていたところにとっては、本当は多少手間が増える。

学生プログラマが個人技で、一晩徹夜してWebアプリ作りますってやっていたところで、

『そろそろこんな方法じゃいけないんじゃないか』

って思っていたところに、アジャイルって言葉が入ってきて、

『これはこれでいいんだ』

と思わせてしまったような、そんな感じがします。

アジャイルの議論も大規模開発への適用がほとんどで、
それとは逆のベクトルで、カウボーイコーディングの状態から、
もうちょっとだけ手間を掛けて品質を上げようって方向性での検討も必要かもと。

虚数(i)

おはようございます。
虚数(i) です。

まりもさん、ゆうさん。コメントありがとうございます。

何事においてもそうですが、基本がちゃんと出来る前にすぐに応用に飛びつこうとすると、結局は損失ばかりが多くなってしまうものですよね。
私たちのところは、まさにそんな輩の見本市。
決してアジャイルなど実現出来ません。
構成管理の「こ」の字も分かりません。変更管理って裏紙を使ってメモることだと思っています。
CMMIのレベル・マイナス10位でしょうかね。

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