若手の目からみたこの業界のアレコレ、気の向くままに書いてみます。

文系離れ

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【Intro】

 いつから、そしてだれが言い始めたのか分かりませんが、「理系離れ」なる言葉を見聞きする機会がよくあります。人によって「理系」に含まれる範囲は多少異なるようですが、それについて各方面で様々な議論がなされているようです。ただ、ふと自分の周りを見渡す限り、この問題は「理系」に限った話ではないのではないかと思うことがよくあります。

【あるオフィスでの1コマ】

 上長であるA氏が、部下であるB氏に作業を依頼しているようです。

A:「例のシステムなんだけど、操作手順書を作ってくれる?」

B:「え? 手順書ですか? ……えっと、どう書けばいいでしょうか」

A:「いや、昨日見せてもらったオペレーションを、そのまま手順通り書いてくれればいいよ」

B:「はぁ、まあとりあえず作ってみます。できたらお見せしますね」

 この数日後、B氏は手順書を書き上げてA氏の元へ持って行きました。

B:「この間の手順書、できましたので確認お願いします」

A:「分かった、確認する」

 そう言って、B氏はドキュメントをパラパラめくり始めました。最初の数ページを読んだ時点で、A氏はB氏を呼び出しました。

A:「B、ちょっといい?」

B:「なんでしょうか」

A:「ここなんだけど、文章変じゃない? 意味がつながらないんだけど」

B:「え? そうですか?」

A:「うん。まあ、言わんとしていることは分かるんだけどね」

B:「はぁ、じゃあ修正します」

A:「よろしく。あとさ、文体とかフォントが統一されてないみたいだから、それも修正しておいて」

B:「分かりました」

 その後、B氏は修正に取りかかりました。数十分後、B氏がA氏に再確認をしてもらったようですが、また同じような指摘を受けているようです。そんなやりとりが数回続いた後、A氏は呆れた表情を浮かべ、「時間がないから俺がやる」と言いました。どうもA氏が期待している水準のドキュメントをB氏は作ることができなかったようです。

 このお話は、私が過去に実際に見かけた光景をベースに、多少の脚色を加えたものです。しかしながら、多かれ少なかれこの手のやりとりはあちらこちらで耳にしているように感じます。なぜでしょうか。このお話の元になったケースを掘り下げて、何が問題なのかを考えてみましょう。

【全ては「分からない」から始まった】

 A氏がB氏に依頼したこの手順書ですが、「内部向け」の資料でした。そのため、A氏は決して高度な品質を要求してはいませんでした。それにもかかわらず、B氏の作成した手順書に対し、A氏はなかなかOKを出しませんでした。いったい何が悪かったのでしょうか。覚えている範囲で列挙してみます。

  • 文体不統一(「です/ます」調と「だ/である」調の混在)
  • 「て/に/を/は」の不適切な使用
  • 誤字・脱字
  • フォントの不統一(サイズ、色 etc.……)
  • 書式の不統一
  • 図表番号の不一致

 このリストを見る限り、誰しも一度はやってしまうことのように思えます。指摘が1度や2度なら、「あ~、チェックが漏れたんだね」で済まされますが、何度指摘されても直らなかったようです。後にB氏に聞いてみたところ、どうも「指摘されている内容の意味が分からなかった」らしいのです。

 それを聞いて、A氏の指摘をよくよく思い出してみました。すると、

「文体が統一されてないよ」→「ここは『~である』なのに、こっちは『~です』になってるでしょ?」→「こっちもさっき指摘したのと同じ。よくチェックして」

といった流れになっていました。B氏はA氏が「具体的に指摘したところだけ」を修正していたようです。「分からない」から「全体を通してのチェックができない」、そんな状況になっていたようでした。

 ちなみにこのB氏ですが、大学卒業後に新卒で入社し、このやりとりを行っていたときは入社2年目でした。ベテランでもなければ中堅でもありません。どちらかというと「新人」に近いともいえます。社会人になるまでの間に、この手の教育や指摘を受けてこなかったとも思えません。人には得手不得手がありますので、「分からない」ことはしょうがないことでしょう。ただ、「分からない」なら人に聞いたり、勉強したり、そういった姿勢を見せてほしいなと思います。とはいえ、それは理想論に過ぎません。B氏の行動は、若手であれば珍しくもないことでしょう。残念なのは、A氏を含めたB氏の周りの人たちによる、B氏へのフォローが不足していたことでしょう。

【「文章」から「文」へのシフト】

 話は変わりますが、仲良くしていただいている先輩方と話をすると、「最近の若い子は本を読まないね」なんて発言を耳にすることも少なからずありました。思い返してみると、ちょっと前は若手に「本って読んでる?」と聞くと、「小説は読まないけれど、ライトノベルなら読むよ」といった答えや「技術書だったらよく読みます」といった答えを聞いたような気がします。ですが、最近はそんな話すら聞かなくなったような気がします。そういえば「活字離れ」なんて言葉も、最近聞かなくなったような気もします。何の根拠もありませんが、相対的に「文章」に触れる機会が少なくなっている証左なのかもしれません。

 インターネットが自由に使えるようになった現在、コミュニケーションの主流軸が「文章」から「文」へとシフトしているのかもしれません。ブログや掲示板等のやりとりを見ても、「文章」と呼べるほどの文量はほとんど見かけません。これを真だと仮定し、さらに今後この傾向が加速していくようであれば、先に述べたような光景は日常のものとなるのかもしれません。

【Outro】

 技術系掲示板やメーリングリスト等で、これからIT業界に飛び込もうとしている人たちが、「IT業界で働くために必要となる知識は何ですか?」などという質問をしているのを目にした方も少なくないでしょう。そんな質問への回答として、本気かどうかはともかく、「日本語」という回答がなされることも多いはずです。

 このやりとりは、今以上に真剣味を帯びた形でなされるようになるのでしょうか。いつか各種メディアで「文系離れ」を報じる記事が配信される日が来るのでしょうか。

 これらが杞憂であればよいのですが。

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