明らかに状況が変わってきている今日のプログラミングとは?

増 2.デスマ考

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●今回の発端

 自分の身近でも、メンタルヘルス的な要因で仕事を辞めたりする人がいます。それも、時節に関わりなくコンスタントにいます。

 

昔からの問題意識は有ったのですが、少しまとまったので、ご披露します。

●デスマとは

 デスマは、単一の様相でないように思います。一般的に、単一の様相でないものはとらえにくいです。あたかも、雑木林の変遷のように、変わり続けていくものだからです。

  1. 事業会社が必要に応じて、ソフトウェアを内製する。
  2. それなりに仕様文書を安定して作れるようになったので、下流工程を外注する。
  3. 外注側の若手が、(手元に現在の最新の「正しいこと」の最良の記述であるプログラムを持っていることをいいことに)権限がないのに仕様に介入し始める。
  4. 「正しいこと」を考えるのは片手間では出来ず、権限もない中での作業であるので、本当に難航する。しかし何とかやり遂げる。(やり遂げないならBadEnd)
  5. その内、「権限がない中で仕様に介入する」ことが常態化し、安定的にデスマが発生する。権限がないので、営業の無理な発注にも対抗できない。
  6. プログラムは「閉じた発展しない」ものなので、実情に合わなくなってくる。
  7. デスマ要員の専門の会社が興される。デスマの要因になった人も、もう若手とも言えなくなって勝手もできず、逃れられない。そんな会社に入った人間は悲惨。
  8. このデスマの要因となった人間が辞める。さらに、新規にはその様な会社に人間が入らなくなる。
  9. 事業会社が必要に応じて、ソフトウェアの内製を再開する。

 そもそも、デスマーチはプログラミングより、「何が正しいか」を考える方が何十倍も何百倍も難しく、本当なら起きるわけがないのです。

 元となる燃料がなかなか投下されないのに、それに対する結果のみ起きるのは不自然です。筆者はその契機となる事象は「権限がない中で仕様に介入する」だと思います。

●「権限がないのに仕様に介入する」などということがなぜ、起こるのか?

 日本のソフトウェア会社では、若手に対して信じられないほどの裁量を与えます。(自分も昔はそういう扱いを受けていたのかも知れませんが)20年選手の筆者が若手のすごい裁量を見て「本当にそれで良いのか」と思うくらいです。

 誤解してしまっても無理はありません。

 また、プログラミングより、「何が正しいか」を考える方が何十倍も何百倍も難しいのは事実と言っていいと思います。その中で、残業しなければなかなか暮らしていけない以上、仕事を作るには「仕様に介入する」しかないのです。

●10年泥というけれど

 前に、「10年泥のように」仕事をすべきと言った方がおられました。さんざんな不評だったと記憶しておりますが、自分は別の受け取り方をしました。

 泥は心身的な疲労を意味するのではなく、「正しいこと」への心の持ちようのことを言っていると考えます。

 泥でなく自立した人間として、自律的な思想を世にもたらす事で、成功するのは本当に難しいと思います(泥でなくゲルになって終わりかも知れません)。

 年限が経てば(自律的でなく受動的では有りますが)それなりにくちばしをはさむタイミングを見いだすチャンスも出てきます(そもそも人間の意識が本当にそれほど自律的かという事に疑問的な説すらあるそうです)。

 大体、泥のようにというのを、心身的な疲労と捉えると矛盾が生じます。プログラミングは知的な作業ですから、心のないゴーレムでは土台役に立たないからです。

 それに泥のごとくいると、プログラムで失敗しても“ごめんなさい”で済む可能性が増え、それだけ長くやっていける可能性が増えると思います。この仕事は本当に失敗しやすいのです。

 まぁ、今回はこんな所です。

●コラムのコメント欄の方針

 

コメントに対し、当意即妙の回答を、それなりのタイミングでする自信がありません。

 ですので、このコラムで、
 ・わたしは基本的にコメントに答えない
 ・コメントを書く人は、回答がない前提で議論を進めていただく
とさせていただきます。

Comment(2)

コメント

tom

私はデスマつーのは「戦略のマズさを戦術で乗り切ろうとして失敗する事」だと思ってたんですけど、このコラムの論は斬新ですね。

ss-mouse

この定義による限り,内製ではデスマーチは発生しない?
ちょっと信じ難いのですが.

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