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劣等感・コンプレックスと真剣に向き合ってみた 前編

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 こんにちは。ご無沙汰しております。

 このコラムを更新するのは……3、4週間ぶりになるでしょうか。しばらくの間は週に1回は必ずコラムを作成していましたが……。Google Analyticsを見たら、1日のアクセス数が1桁の日もあったため、いい加減、何か書こうかなと思いました(苦笑)。書けずにいたのは……まあ……この数週間にいろいろなことがあったためでして。仕事上でやらないとならない作業で大きな作業があったり、今回の内容になる話ですが思い悩んでいたことがあったり、ドラクエ9に夢中だったり、などなど……。

 さて、本題です。今回もITとは関係がないことをご了承ください。それでも誰かのお役に立てれば、と思って書かせていただきます。

■きっかけは、またもフットサル

 最初書こうとしたときの内容は、今回のものとは全然違い、「才能と努力」に関する内容にしていました。

 過去にフットサルがきっかけで学んだことに関する記事をいくつか書きました。とある結論を出している、にもかかわらず、それに反し、プレー中に「他の参加者の方々に比べたら自分はやっぱり下手すぎるよなあ」と心の中で落ち込んでしまうことが何度もありまして。最終的には「今日は楽しかった」と思ったとしても。

 楽しい反面、やればやるほど悩みが大きくなり、「やはり運動の才能がない(運動音痴だ)と楽しめるものではないのではないか」と思い、非常に思い悩んでいました。それなら、普段から上達するための努力をすればいいところを、家にいるときは、本を読んで勉強していたり、お笑い番組やニコニコ動画を見て笑っていたり、ドラクエ9に夢中だったり、などなど典型的なインドア生活(苦笑)。

 「才能がある人の努力」と「才能がない人の努力」って違うのかな……、といったように当初は、その悩みの中で考えたことを書こうとしていました(今となっては、自分自身、間違っていると思う考え方なので、このことについては恥ずかしくて書けません……)。

■悩みの原因は、劣等感とコンプレックス

 頭の中でいろいろと考え、悩んでいる中で、先輩方をはじめたくさんの方と会話をし、精神分析系の心理学(ユング、アドラー)の本を読むなどしている中で、自分が悩んでいる根本的な原因は、才能うんぬんではなく、自覚する「運動音痴」というコンプレックスが相当強いから、と思うようになりました。

 自分の運動神経の悪さは物心がついたころから自覚していました。幼稚園時代から、かけっこはビリでした。女の子よりも遅かったです(笑)。足の遅さをバカにする子もいましたが、そのころはあまり気にはしていませんでした。小学校に入ると、リレーやドッジボールといった「チームでする運動」をすることになりますが、自分は足を引っ張る存在であったため、大概自分の入るチームは勝てなかったのです。負けると毎回、「お前のせいで負けたんだ」と言われていました。

 そう言われる経験をする度に、自分の中のコンプレックスが大きくなっていたのかもしれません。それならそれで、体育以外のところで自分で運動技術を磨く努力をすればいいのに、当時からインドア派だったことと「どうせ自分は運動は頑張っても無駄だし」という諦めの気持ちがあったから、何もしなかったような気がします。

■それは運動に限らず仕事でも……

 仕事などでも「チームですること」に対して、

  • 必要以上に責任感を感じ、必要以上に緊張する
  • 誰かがリカバーしてくれたとしても、些細なミスでも、自分を責める
  • チームのメンバーに申し訳ない気持ちでいっぱいになる

といった気持ちになることがありました。もしかすると、そのコンプレックスが影響しているのかなと感じました。運動とは無関係なのにコンプレックスが大きくなったために、といいますか……。

 今までの記事で書いた「感情のコントロール」で、負の気持ちを長く引きずり、昔のことを引っ張りだして愚痴を言うことがほとんどなくなりましたが、負の気持ちが起こる源流がコンプレックスであるなら、源流を何とかできないか、と。雨漏りしている部分にバケツを置くことで床を濡らさなくすることはできますが、家のリフォームをすれば雨漏りがなくなるはず、という話です。

 とにかく、そのように考えるうちに、コンプレックス・劣等感について詳しく知りたい、そうすることで解消法を見出せないかと思い、ユング心理学やアドラー心理学の入門書を買って読みましたし、いろいろな方に相談に乗ってもらいました。

☆★☆

 コンプレックスを解消するにはどうすべきか、という点に関しては、長くなるので次回、後編ということで、ユング心理学やアドラー心理学の内容を紹介しつつ書かせていただきたいと思います。今回は前編として、自分がコンプレックスについて考えようと思うに至った経緯までとさせていただきます。すみません。

 次回の記事で、自分と同じように、劣等感・コンプレックスで悩む方のお役に立てれば幸いです。

Comment(4)

コメント

ビガー

ビガーと申します。

私は、他人と比べて劣っている部分はたくさんあると思っていますが、気にしたことはありません。というか比べること自体、無意識にしていない気がします。

私は、大学時代にバスケの楽しさに気づき、自己流でいろいろ練習してきました。
ほんとうに楽しいと思うから練習するし、何であの人はあんなプレーができるのかをジ~っと観察してマネした結果、メンバーのニーズとマッチしてきて楽しくなってきた気がします。
ただ、これはチームプレーの楽しみであって、個人の楽しみとは別だと考えています。
私自身は、個人の楽しみを大事にする方で、バスケでいえば、相手の裏をとって点を決めたときとか、単純に遠くからゴールにボールが入る「音」が気持ちいいという感覚が源泉な気がしています。

仕事でもそうですが、チームでの楽しみ、個人での楽しみが連動すれば、理屈云々ではなく、劣等感などは次第に消えるのではないでしょうか。

あずK

ビガーさん>
コメントありがとうございます。

自分が思っている、フットサルの「個人の楽しみ」は、
自分で打ったシュートがゴールに入ったとき、等ですね。
個人の楽しみがあるから続けられています。

にも関わらず、ボールを貰うのも蹴るのも失敗が続くと、
「チームとしては勝つ(結果を出す)必要がある」
    ↓
「自分が今出しゃばっても失敗するからチームは負けてしまう」
なんていう気持ちになって消極的になってしまっていました…。
同じチームの人だってよく失敗しているのはわかっていますし、
他の方の失敗に対して自分は、その方を責める気持ちは全く沸きません。
なのに自分のこととなると…^^;

こぼれ球をシュートして決めるより、ゴール前で凄くいいパスを貰って
「これは決めないと!」と思って打ったシュートが決まったときの方が
全然嬉しいので「チームプレー」の楽しさも少しはわかってきました。
そういった成功経験を積み重ねれば、劣等感も無くなってくるかもしれない、
そんな気がしてきました^^

第3バイオリン

あずKさん

おはようございます。実家からコメントします。

私はスポーツはしませんが、長年オーケストラをやっているので、似たようなことを考えたことはありますね。

学生オケだと、大学に入ってから始めた人と小さい頃から習っている人ではどうしても実力に差が出ます。
特に弦楽器は、骨格が出来上がる前(2~3歳)に体に楽器を慣らさないと腕や肩をうまく動かすことができません。
私は高校生から始めましたが、そのときから自分と、2~3歳から始めた人との間には絶対に埋められない差があることをわかってしまいました。

でも、そういう人とは比較しても仕方ないとさっさと割り切ることにしました。
私は単純に音楽が、バイオリンが好きでやっているのだから、最低限、合奏についていけるレベルは維持しながら音楽と向き合っていこうと思って今に至ります。

バイオリンなら個人で楽しむこともできますが、オーケストラにこだわる理由はやはり大勢で一つの曲を作り上げることが楽しいからです。
パート練習で他の人の弾き方を見るのも楽しいですし、何より演奏会の感動をみんなで分かち合えるというのがいいです。

とはいえ、いろいろな人がいると音楽活動に対するスタンスも十人十色です。
余暇のすべてを音楽につぎ込んでいる人、音楽は数ある趣味の一つにすぎないという人、常に自分の腕を磨いて精進を怠らない人もいれば、私のように合奏についていければ十分という人もいます。

自分とスタンスが違う人を見たとき、また厳しいスタンスで臨んでいる人に「君は甘い」と言われてしまうと「そうかも・・・」と悩むこともありますが、そんなとき私は「自分とこの人は求めるものが違っているから」と割り切っています。
自分のスタンスを認識することで劣等感をコントロールすることができるかもしれません。言葉でいうほど簡単ではないと思いますが、そういう人とぶつかったときには自分のスタンスを見直すチャンスかもしれません。

(そうはいっても大学時代に、ある奏法がうまくできないときに、子供のころから習っていて、学生オケに命をかけているような後輩から「うまく弾けないなら普通に弾いてください。そのほうがマシです」と言われたときにはひそかに憤慨しました。
とはいえ後輩はもともとそういう人だとわかっていましたし、演奏は別にして個人的に折り合いが悪い相手でもあったので必要以上に深刻に考えることはありませんでした。
ただ、言った内容はもっともだと思ったので従いましたが(汗)。)

あずK

第3バイオリンさん>
実家からということは夏季休暇中でしょうか。
お休みなのに、コメントありがとうございます。

コメントを読んで、ふと思い出しました。
中学の頃、サッカーの授業で先生がいなかった(自習)際、
ボールを奪われる(奪えない)自分に「何やってんだよ」と
何度も文句を言う子がいたので、
【下手だから基本的に参加しない方向でいよう】という態度を取っていたら、
同じ子に「真面目に授業に参加しろよ」と言われたことがありました^^;

あの頃は、
「手を出しても出さなくても文句を言われるんじゃ、どうしろと言うんだ」
という不満で一杯になりましたが、
今思うと、「何やってんだよ」の文句に悪気は無かったのかもしれない、と。
自分が相当、出来ないことを気にしすぎているだけであって、
その子にしてみたら、言われた側が思い悩む事には気づいていない、
と考えたら納得できました。
あの時は、文句を気にしないで、ちゃんと授業に参加すべだったのだろうな、
その子は自分の授業態度の方が許せなかったのだろうなと思いました。

> 厳しいスタンスで臨んでいる人に「君は甘い」と言われてしまう
> 後輩から「うまく弾けないなら普通に弾いてください。そのほうがマシです」と言われた

このように言う方も、悪気は無かったのだと思います。
それは、言われた第3バイオリンさんがどう思うかがわかってないから
軽い気持ちで言ったのかなあ、と。
記事に少しだけ書いた、「相談した」という相手の先輩からも、
相談をしだした時点では手厳しい言葉を沢山頂きました^^;
(この辺りの話は次回、記事にて書こうと思います)

> オーケストラにこだわる理由はやはり大勢で一つの曲を作り上げることが楽しいからです。
> とはいえ、いろいろな人がいると音楽活動に対するスタンスも十人十色です。
> 自分のスタンスを認識することで劣等感をコントロールすることができるかもしれません。

色々な方が集まって、ひとつの目的を達成する(ひとつの曲を作り上げる)事は、
音楽でもスポーツでも仕事でも同じなのだろうなあと思い始めました。
実際自分も、ビガーさんへのコメントで書いたとおり、
チームプレーの楽しさが少しずつわかってきた気がしています。
「ここで自分が出しゃばったら足を引っ張る」と考えないで、
「下手でもいいから目標へ向かって、皆と助け合いながら頑張ろう」という態度の方が、
勝てた時に自分自身も嬉しいですし、同じチームの方にしても
「あの人は本当に勝てて嬉しいのかな」と思ってしまう人がひとりでもいたら
嬉しさが半減するかもしれませんから。

「自分のスタンスをしっかり認識する」
「スタンスが違う人のことは気にしない」
楽しくプレーするために、この2点を心に留めようと思います。
ありがとうございました^^

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