「新しいサービスを立ち上げて」云々という話はいい加減止めてみないか。聞いていて白ける。
「あなたの作る」新しいサービスなど誰も望んでいない
開発系のエンジニアは小慣れたコードが書けるようになると、決まって新しいサービスを立上げて云々という話をするようになる。横で聞いていて、楽しそうだなぁと思う。ただ、実際に行動に移す人は少ない。そして、実際に行動して成功する人は更に少ない。ただ、成功したら凄い優越感に浸れるのだろうか。そこまでの成功を収めたことが無いので分からないが。
こういう話が出るとよく、「自分の目標を達成するなら行動に移すのが大事だ!」みたいな話に繋げるのが世の中の定石のようだ。こういう流れに凄い違和感を感じる。これだけサービスと物が溢れた世の中で、これ以上何を望むというのだろう。色々と持て余し気味でグダグダしてるのに、これ以上新しいサービスをねじ込む余地などありはしない。
新しくサービスを立上げたいという話というのは、だいたい裏がある。単純に世の中を便利にしたいなら「○○のサービスを変えたい」でも言い訳だ。既存のオープンソースのプロジェクトに協力するのでもいいし、プラグインを開発するのでも自分の能力を発揮したり、コンセプトを実現することはできる。ソフトウェアの使い方を追求して公開するというのもありだ。
新しいサービス云々言っている人の大半は、偉くなりたいという願望だったり、金が欲しいだけだったりする。そういう欲望は否定しないが、プラスアルファで誰かが喜んで欲しいとか、世の中を良くしたいという利他的な考え方が無ければただの貪欲でしかない。そんながめついだけの人が作るプロダクトなど、世の中の誰一人として望んでいないだろう。
ユーチューバーになりたい小学生を笑えない
「新しいサービスを」を語るエンジニアは、ユーチューバーになりたい小学生みたいなものだと思う。単に目立つからやってみたくなる。そういうものだと思う。「凄い」とか「優れてる」というのを求めると、どうしても目立つものに目線が行く。「あぁ凄いなぁ。そうか。あれが優れるということか。」と感化されていつの間にか目標にしてしまう。
漠然と生きている人ほど目立つものに流されやすい。小学生がユーチューバーになりたいと思うのは別にいいと思う。そこを起点に色々な経験を積んで、自分が本当に望むものは何なのかを見つけて幸福になって欲しい。だが、利己的な欲望ベースでエンジニアが新しいサービスを語っても何の利益も無い。自分は可能性を模索してるつもりでも、欲望が肥え太るだけだからだ。
ユーチューバーになりたい小学生が滑稽に見えるのは、実現するための苦労を知らないのと、面白おかしくお金が稼げると思い込んでいるからじゃないだろうか。新しいサービスを熱く語るエンジニアも同じ臭いがする。サービス過剰な現実を知らないのと、それをやれば面白おかしくお金が稼げると思っているところだ。酷な言い方をするなら、小学生から発想が成長していないということだ。
ただ、流石に大人なので、それなりのデータを元に話したり、きちんと理屈を整理して話す。裏で相応の努力だってしている。だが、それをもってしても利己的な欲望ベースでの話というのは安っぽいと言わざるを得ない。話をよく聞いて内容をかみ砕くと「俺は稼ぎたい」とか「俺は優れたい」という内容に帰結する。そういう話ほど聞いていてつまらないものはない。
作ったものを維持する人は必ずいる
インフラエンジニアという立場上、何かを作るというよりも人の作ったものの面倒を見ることの方が多い。意気揚々とビジネスを語る人が作った「僕の考えたさいきょうのシステム」というやつを実際に運用、管理しているのは自分達のような裏方のエンジニアだ。「僕の考えたさいきょうのシステム」は、多くの人に支えられて成り立っているという意識はあるのだろうか。
実際、どこぞの会社のお偉いさん方は、「僕の考えたさいきょうのシステム」をぶん投げてそれで終わりだ。「こんな凄いものを作ったぞ、凄いだろ俺!」で終了する。その後、作ったシステムがどう運用されて、どう活用されているかに全く興味を示さない。多分こういう人たちはシステム自体に大した興味が無いのだろう。作ったことに満足しきってその先が無い。
残念だが「新しいサービスを立上げて」云々を語る人も同じノリだ。話してる内容がどこぞのお偉いさん方の劣化コピーでしかなかったりする。普段から何を考えて、何を話すかをとやかく言う気は無いが、実際にトラブルを起こしまくっている人たちと同じ発想で話しているのが現実なのだ。サービスを立上げて儲けるというところで発想が止まっている。
目標を持つ事に酔いしれると、目立つ部分しか見えなくなる。一つのサービスが立ち上がったとして、必ずそれを支える側の人たちが存在する。そしてサービスを利用する人もいる。そういう人たちは目立たないので、よく観察しないと見えてこない。どこぞの会社のお偉いさんにしても、新しいサービス云々を語るエンジニアも、目標は高い方が良いという観念に縛られているように思う。だから高い目標を掲げた時点で満足して、思考が停止してしまうのではないだろうか。
創造と維持と破壊
新しいサービスを立上げたとして、必ず維持をしていかなくてはならない。最終的にはサービスをどこかのタイミングで畳む事になる。現代社会は、この創造・維持・破壊のバランスが完全に崩れている。創造ばかり注力して維持は場当たり的、終わらせるところに関しては、ほぼノープランだ。会社の仕組みにしても、無限に成長などあり得ないものを前提にしている。
こういう世の中の流れを個人で変えていくのは不可能だ。しかし、流れに乗るか乗らないかは選択できる。ただ、何も考えずに流されていると、思わぬところで損失を被る事になる。「新しいサービスを立上げて」云々を語るエンジニアを見ていると、どうも流されている感が強い。明確な意志が感じられないからだ。弱い意志で難易度の高い目標を語るので、説得力が得られないのだ。
新しいものを作り出すというのと同じくらい、何かを終わらせるというのは価値がある。私としては、画期的なサービスが出現するよりもExcel方眼紙が駆逐される方が嬉しい。また、同じものが長く続くことにも同様に価値がある。気に入ったサービスが長く続いてくれると当然嬉しいし、やたらめったら要らない機能を追加されても困る。
万人が新しいものを創造する必要は無い。維持する人、後処理をする人と役割分担がある。実際、本当にクリエイティブでいられる人なんてごく希だ。無理してそういう人を目指すより、自分の特性に合った立場でやるべき事を全うできれば十分だ。創造が飽和した現代社会はもうまっぴらゴメンだ。これからの時代は、創造、維持、破壊のバランスだ。
コメント
四鮒
うーん、深い(^^;
何か自らを高めてくれそうな活動の根源に我欲があったとは!
これは名文。改めて人間の業の深さ、自分の煩悩の汚さに気付いてしまった。
何か行動をする前に、利他の精神があるのか問うてみたいと思います。
匿名
ものには順序というものがあってな……
Anubis
> ものには順序というものがあってな……
どうやってその考えに至ったのか、言葉が足りなすぎてさっぱり分らない。順序立ててご説明頂きたい。
ブログに言うのもあれですが
目についたので。
SEをしてらっしゃるということですが、独立する方をきちんと身近で見たことがないということでしょうか。
サービスを立ち上げる等、独立する理由は多くありません。単に今より稼げるようになりたいからや上司に指図されたくない、社長なんて地位が欲しいだけの人は初めから論外です。
自分の作りたいサービスが周囲のスキル的に社内で作れない、前例が少ないため企画が通らないなどと言った理由でやめます。つまり動きにくい体制だとやめます。
企業に勤める理由はおおよそ3つあると思っています。
スキルアップ
自分の作りたいサービスが一人または立ち上げまで必要ないorできないと判断した場合に企業の力を借りたい
単に金銭を稼ぐため
これらのどれにも該当しない場合、金銭に困ってない、自分で立ち上げられる、よりスキルアップにつながると判断できて、ようやく独立の判断をするものではないでしょうか。
youtuberを楽に稼げるということで目指すのは馬鹿ですが、youtuberを仕事としてやるのは悪くありません。
旧態依然としたシステム等を排除するためにもより一般に浸透するようなユーザーフレンドリーなシステムを作るのも悪いことではないでしょう。
創造は飽和してませんよ。類似製品が多いからそう感じるんでしょうか。
少し前に著作権の改正もありましたし、今後ますます幅は広くなります。
万人がクリエイティブになる必要はありませんが、作りたい人は作るべきでしょう。でなければ始まりませんし、今後なにも生まれないことになります。製品が多くなった来たから作らなくていいは、いまある秀逸な製品がその過程で生まれたことを否定します。よって、作らなくていいという考えは今後よいサービスは出てくるなと言っているようなものです。
最後に、私もサービスを立ち上げて独立した人間ですが、立ち上げるなんて話は基本的にしませんよ。
前例のないことほど他人はできないよ、売れないよ、地道に働けよなんて言うので。
最小で最大の効果を出すのが私の主義なので、無駄なことはしたくありません。
で、まとめとしては、無闇にクリエイティブを否定しないでいただきたいのと、タイトルは釣りなのかもしれませんが、少し不愉快でした。
金銭目的で新しいサービスを立ち上げて、なんて話はうんざりだ
くらいにしてくれませんかね。
たまたま読んだのとちょうどトイレにいたので、少しだけ。
Anubis
> ブログに言うのもあれですが さん
まず、「創造は飽和してませんよ。」この前提が私とは違います。辛口にいうと、創造の余地があって欲しいという願望、もしくは周りが創造、創造と沸いていてそれに流されているだけのような気もします。
また、このブログ自体も万人に心地よいものを書く気は毛頭ございません。「誰かの考えるきっかけになる」がコンセプトです。現在のIT業界でいうクリエイティブはキッチリ否定させて頂きます。
頂いたコメントは一つの意見として尊重させて頂きますが、私は私の意見を通します。