いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

ドキュメント書くのって、本当は楽しいんだよ

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■書くことは楽しい事だ

 もともと何かを書くということは楽しい事だと思う。子供のころ、誰もがやった落書きみたいな、そんなワクワクするような感じがあるはずだ。ドキュメントを書くにしても、そういうワクワク感が本来はあったんじゃないだろうか。ただ、仕事でドキュメントを書いていて、そんな事を感じる人はほとんどいないと思う。なぜつまらないのだろうか。

■本当に伝えたい事が伝えられない

 ドキュメントには目的がある。これはよく言われている常識的な話だ。しかし、ドキュメントに魂があるとは感じた事があるだろうか?ドキュメントというと分かりにくいが、小説なんかだと、生々しく魂がこもってたりする。

 大事なのは、ドキュメントの裏側だ。ドキュメントを書くにあたり、どういう事をしたか。それが大事だと思う。実際、ろくに検証もせずに書いたドキュメントは、なんかうすっぺらい。また、「これだ!」という確信を持ってドキュメントを書くのは楽しい。そして、中身も濃い。

 ドキュメントを楽しく書くには、確信や納得って必要です。

■練り上がっていく楽しさ

 ドキュメントって、一発目に書いたものは大体ボロボロだ。読めば読むほど粗さが目立つ。これを何度も見直したり、検討したりして、完成度を高めていく。これが楽しい。ちょうど、プラモデルを作るような楽しさがある。

 考えてもみてください。新聞記者だって、最初に書いた原稿には校正がばしばし入る。プロだって、なかなか一発で完成品を書くのは難しい。文章のプロでもないのに、一発で完全なものなんて書けるはずがないんだ。

 じっくり書けばいい。書いてるうちに、面白さを感じる瞬間があるんだよ。

■読み返す事で学べる

 ドキュメントの読むべきポイントは着眼点だと思っている。同じものを見ても、人によって書くドキュメントの内容は違う。これが良いとか悪いとかじゃなく、着眼点を見定めていく事で相手の考えてる事が見えてきます。

 ドキュメントを書いた人の見てない部分を自分が見えたなら、そこを補っていけばいい。もし、自分に無い着眼点を持っているなら学べばいい。

 別に人の書いたものじゃなくてもいい。自分の書いたドキュメントを読み直してみると、過去の自分の考え方がよく分かる。そういうのを見て、忘れている事を思い出したり、過去を反省したりして、一歩先に踏み出せたりする。

 書いたドキュメントを読み直すと、いろいろ発見がある。

■公式文書の方がヘタクソだったりする

 まず、ドキュメントの標準化。これをやっているプロジェクトには、ロクなドキュメントが残っていない。なぜなら、言われたドキュメントしか作らないので情報にヌケが多い。しかも、お客さんに無理に合わせようとして、内容がぶれてる事が多い。

 そもそも、ドキュメントを書く意図が的外れのように思う。「これを見れば、誰でもできるように……」とか、「誰が見ても、一発で分かるような……」なんて注文を受けることがあるが、それは絶対無理だ。もし、そんなドキュメントが書けるなら、本屋に行けば誰でもITのプロフェッショナルだ。分かりやすく書く事は大事だが、複雑なものは複雑だ。理解するのに時間はかかる。それをドキュメントだけで覆す事は無理です。

 そんなスッとぼけた要望の元で作られたドキュメントより、誰かの残したメモ書きのテキストファイルの方が核心に迫るアドバイスが書かれている事があったりする。例えば、上司の思考の傾向がリストとか。思えばあれが一番仕事の役に立った気がする。

■もっと、楽しん書くべきだ

 ドキュメントって、理論体系の土台であるような気もするが、実はそうではないと思う。肝心な部分は話を聞かないとなかなか伝わってこないし、確信はやらなきゃつかめない。難しい事が書いてあると、途中で読みたくなくなる。突き詰めると、読ませる工夫や情熱が必要になる。内容ばっかりに気を取られて、ここが抜けていないだろうか?

 音楽とか絵画と同じだとは言わないが、共通する部分も多いと思う。ドキュメントもひとつの作品だ。書くことに楽しさを感じないドキュメントでは、伝わるものも少ない気がする。

 ドキュメントは、もっと楽しく書けるはずだ。

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