いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

ITに師匠は必要か

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■技術を学ぶということ

 IT関連の仕事をする以上、技術を学ぶのは当然だ。で、技術なんだが、みんなどこで学んでいるのだろう? 実はあまりよく分からない。ある人は専門学校や大学で、ある人は職場の研修でという。独学で学んだ。なんてのも聞く。

 ただ、実際は仕事場でやってるうちに自然にできるようになった。という人が多いのではないだろうか。IT系の人と話していると、この仕事場で覚えていくという感覚の人は多いようです。実際、経験の期間を実力の判断基準にされる事もよくある。

■経験年数という基準

 確かに経験の長さを能力の基準にすることに異論はない。長く同じ事を続けると、同じ事を何度も繰り返し作業する事になる。同じ事を繰り返す事で、いろいろなケースに遭遇したり、作業について深く考える事ができる。これが直接、能力の高さにつながる。

 しかし、それだけで補えないものもある。正しい知識や効率の良い方法と考えるとどうだろう。人によって、気付いたり気付かなかったりと差が出てくる。こういう、経験の長さで補えない要素があるので、あくまで1つの基準にしかならない。

■経験年数以上の成長を可能にする手段

 経験年数以上の成長を可能にする手段。これが、自分の師匠を探して教えてもらう事だ。自分だけだと気付けない事を指摘してもらったり、積み重ねた経験をギュッと濃縮したアドバイスをもらえたりする。そうすると、本来は習得に3年かかるものが、ショートカットで1年で達成できてしまったりする。

 結果を急ぐようなこういう時代だからこそ、師匠という存在は重要だ。しかし、現実にはこの師匠をやる人が激減してる感があります。

■師匠に必要な要素

 実際に、師匠という立場に立つには2つ条件がある。1つは確立した技術、もう1つは心の余裕です。ただ残念な事にこの2つを兼ね備える人を見ることが、本当に少なくなってきた。

 人にものを教えるのだから、教えるべき技術を身に付けているのは当然だ。しかし、人に理解させるためには、ただ身に付けているだけでは足りない。ただ結果が出せるだけでなく、説明できるレベルで理解している必要がある。最近、業務なんかだと、結果が出た時点でそそくさと次のプロセスに移るので、深く理解しようとする人があまりいない。

 もう1つの心の余裕。当たり前だが、人を蹴落とそうとする人や、自分の優位を保とうとする人が、人にものを教える事は無い。特に現代は、社会的な競争が激化して世の中が殺伐としている。こういう心の余裕を持つ人が明らかに減った。

■教わるという事の重要性

 技術だけなら本とか読んで試行錯誤すれば身に付くじゃないか。そういう人は多いと思う。しかし、師匠を見付けて教わるという事には、もっと重要な意味がある。

 それは、人を引き立てる事ができるようになる。誰かに教わって技術を身に付けると、教えてくれた人を尊敬できる、そして、感謝できます。尊敬したり、感謝したりする事で、人を引き立てる事ができます。

 独学で技術を身に付けるのは、それはそれですごい。しかし、そこに人という存在はいない。技術はすごいが孤立したり、人とぶつかって結果に結びつかない。という事が起きたりする。

■上昇のスパイラルに人という要素は欠かせない

 この、師匠について技術を教わるという行為は、上昇のスパイラルを生み出す良い方法だと思う。教える事で、師匠の立場の人も成長できるし、教わる人も当然成長する。感謝や尊敬という感情は、恨みつらみとは反対の方向を向いているので、精神状態が明るくなりモチベーションも上がりやすい。そして、教わる立場の人が成長したら、新たに師匠の立場になって技術を伝えていく。

 こういうスパイラルが成り立つには、人に尊敬される資質やら、感謝されるような教え方やら、技術と関係無い要素がいろいろ問われる。実は、目先の技術より、本当に求められるのはこういう気持ちや精神だったりして。どうでしょうかね? 隣で頭を抱えている人がいるなら、手を差し伸べてみてはどうでしょうか。

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