Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

「魔法の天使クリィミーマミ」に見る職業観

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 月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2007年1月号)をお求めください。もっと面白いはずです。なお、本文中の情報は原則として連載当時のものですのでご了承ください。

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 日本でも、企業の吸収・合併・解散が増えてきた。自分の職業人生の将来に不安を覚える人も多いだろう。職業というのは「食っていければ何でもよい」というものではない。誰でも、自分がこうありたいと望む姿を思い描いているのではないだろうか。これを「自己実現」と呼ぶ。今月は、自己実現について考えてみよう。

●「魔女の宅急便」に見る自己実現

 日本が、世界に誇る文化と言えば、いまや「アニメ」と「マンガ」である。そして、現在活動中のクリエーターで、世界で最も評価されているのが宮崎駿である。彼の作品で、筆者が最も好きなのは「魔女の宅急便」である。ただし、マニアの間では「魔女宅」(マニアはこう略す)は必ずしも高い評価ではないようだ。むしろ「風の谷のナウシカ」の方が人気は高い。理由は筆者には分からない。

 筆者が「魔女宅」で最も気に入っている点は、主人公が特別な力を持たないことと、職業を持って自立していることである。主人公のキキは、魔女といっても見習いで、ほとんど唯一の能力が「ほうきで空を飛ぶ」ことだ。しかし、キキは自分の唯一の能力を生かし「宅急便」を開業する。

 角野栄子氏の原作によると、配達の固定料金を設定せず、顧客から「お裾分け」をいただくというビジネスモデルまでも作り出している(映画では「お裾分けモデル」についての詳細は言及されていない)。

 原作2作目で、キキは自分のあるべき姿をいったん見失うが(このあたりには映画版の影響が見られる)、最終的に宅急便ビジネスを継続し、新しい市場にも進出する。別のことをやりたいからといって、現在の仕事を辞めたりはしない。着実にキャリアを積んでいるようだ。

 「自分のあるべき姿を具体化すること」を「自己実現」と呼ぶ。自己実現は、偶然できるものでも、誰かが与えてくれるものでもない。数少ない自分の能力を伸ばした結果として獲得するものである。仕事に向き不向き、好き嫌いはあるが、それを見極めるのは一定の努力のあとにしたい。

●「魔法の天使クリィミーマミ」に見るプロ意識

 宮崎作品ほど有名ではないが、筆者の好きなアニメに「魔法の天使クリィミーマミ」という作品がある(ちょっと変わった表記で間違えやすいが「クリーミィ」ではなく「クリィミー」)。小学生の少女(森沢優)が、「夢嵐」に巻き込まれた「フェザースターの船」を助けたことから、お礼に1年間の期間限定の魔法をもらう。

 多くの魔法少女アニメは、最初から魔法が使える上、何らかの使命を帯びているか、勝手に使命感を持つ。

 しかしクリィミーマミではこうした使命とは無縁だし、使える魔法も「17歳の女性に変身する」くらいである(ただし、ドアの鍵を開けるなど、細かい魔法は時々使えるようだ)。

 状況は、割れた鏡の供養をしたお礼に変身コンパクトをもらう「ひみつのアッコちゃん」に近い。しかし、アッコちゃんはコンパクトで何にでも変身できるし、筆者の記憶する限り、魔法の力を自分の好奇心を満たすためだけに使ったりはしない。けっこうまじめなのであるが、その代わり人間としての魅力にも乏しい。

 森沢優は、もらった魔法を単純に面白がって使う。そのうち、成り行きでアイドル歌手としてスカウトされ「クリィミーマミ」として仕方なくデビューしてしまう。ところが、アイドルの仕事を始めてから徐々にプロ意識が芽生える。偶然得た仕事であるにもかかわらず、引き受けたからには最後までやり通す。その理由は「他の人が困るから」だ。小学生とは思えないしっかりした考えである。

 与えられた自分の能力を生かし、成長していく姿に感動した人は多いらしい。特に、女性からの支持は圧倒的だという。GYAOでの配信に続き、2006年9月からは「Yahoo! 動画」での配信も始まった。それだけファンが多いということだろう。たとえば10月22日現在で、GYAOのレビュー満足度評価ランキングは2位。ただし、1位の評価者は全部で3人なのに対して、2位、つまり、クリィミーマミの評価は439名なので、実質的には1位である。ちなみに3位は109名だった。

●人に認められるということ

 「フェザースターの船」を助ける方法も示唆に富む。森沢優は、単にフェザースターの船を「見た」だけだ。道案内をしたわけでも、地図を渡したわけでもない。ただ「見て認識した」だけだ。フェザースターの船は、他者が認めることで、進むべき進路を発見できたという。

 最近、学校にも行かず、定職にも就かない、いわゆる「ニート」が増えているらしい。「ニート(NEET : Not in Education, Employment or Training)とは、15から34歳の非労働力人口のうち、通学や職業訓練などを行わない者を指す。ニートが本当に増えているのか、増えている理由はなぜか、その理由は普遍的なのか、また、失業状態なのか、それとも就職する気がないのか。そうした分析は筆者の手に余るが、1つ思うことがある。あくまでも「想像」であるが、ニートの多くは人から認められた経験が少ないのではないだろうか。人から認められるには、それなりの努力が必要だ。認められるには時間がかかる。時には、自分で意識していない部分が認められることもある。しかし、どんな面でも、他人に認められることは、励みになるし、もっと頑張ろうと思うのが普通だ。

 調べてみると、運動会の徒競走で順位付け廃止が流行したのが10年ほど前だという。ニートの学生・生徒時代とちょうど重なる。順位付けを廃止しても、足の遅い子が速くなるわけではないので、足の遅い子の劣等感が解消されるわけではない。筆者の経験から言うと、劣等感のピークはゴールの瞬間にあり、表彰台ではない。そもそも表彰されないのだから、何も感じないわけだ。しかし、表彰をなくすことで、足の速い子のやる気は確実にそがれたことだろう。

 公の場で評価されるのが、試験の結果だけだとしたら、受験勉強の不得手な人の成功体験はほとんどなくなる。同じ運動でも、中学高校になればクラブ活動の成果として評価される。そうなると、レベルも上がり、徒競走で一等だった人も埋もれてしまうことが多いだろう。そのため「成績はそれほどでもないけどクラスでちょっと運動ができる」生徒が評価されることはない。

 ニートをサポートするためのインターネットラジオ「オールニートニッポン」では、以下の4つのコンセプトを掲げてニートをサポートするという(命名はオールナイトニッポン世代なんでしょう)。

  1. リアルタイムでダイレクトな情報提供を行う
  2. 同世代のひきこもっている若者、働けない若者、生きづらい若者、頑張っている若者の現状やストーリーを取り上げる
  3. 双方向のコミュニケーションを重視する
  4. 若者の出会いや何かをやってみる場所としてオールニートニッポンを提供する

 こうしてみると、他者との関係性に重点を置いていることが分かる。特に2のコンセプトは、その人を認め、評価することにつながるだろう。日本の労働人口は減少傾向にある。こうした試みが成功し、不就労者がいくらかでも減少することを願う。

●今、何をすべきか

 読者のみなさんの中には、転職を考えている人もいるだろう。転職を視野に入れて仕事をすることは決して悪いことではない。自分の能力を客観的に評価できるからだ。

 しかし、実際に転職する前に考えてほしいことがある。今の仕事に真剣に取り組んだかということだ。どんな仕事でも、真剣に取り組んでみないと、その良さは分からない。自分の能力の限界も判断できない。「自己実現」は、自分のやりたいことを自分の能力のバランスを取りながら獲得するものだ。

 それから無職の方へ。「自己実現」は、最近流行のキーワードである。あるべき自分の姿を見つけるために旅に出るという話も聞く。確かにチェ・ゲバラのように、旅行中に自分が成すべき使命を獲得する人もいるだろう。しかし、中途半端な観光旅行などしてもしょうがない。まずすべきことは就労である。

 定年退職した人にも言いたい。定年をすぎても老後は長い。趣味に走るのもいいし、そばを打つのもいいが、今の時代、隠居するにはちょっと早い。今までの経験を生かして、後輩指導にあたって欲しい。そういえば、IT系の雑誌記事の著者陣は、ここ数年来、あまり代わり映えしない。会社というしがらみを離れた定年後こそ、経験に裏打ちされた記事を書くチャンスではないだろうか。

 ニートにしても定年退職者にしても、無職の人がやるべきことはこれだ。

 自分探すな職探せ

■□■Web版のためのあとがき■□■

 少女アニメで、女性にも人気があるものと言えば「魔法のプリンセスミンキーモモ」だ。2010年1月時点でのWikipediaには「どんな職業の大人にでも変身できるという設定は、文字通り女の子に夢を与え、かなりの人気を博した」とある。

 「ミンキーモモ」が放送されたのは1982年から1983年。日本が女性差別撤廃条約に署名したのが1980年、批准に伴う男女雇用機会均等法の施行が1985年である。こうした動きが子ども番組にも影響していたのかもしれない。ちなみに、本文中で登場した「クリィミーマミ」は1983年から1984年の放映であるので、やはり雇用機会均等法の時期である。

 その他に、女の子に人気のあったアニメといえば「キャンディ・キャンディ」(1976年から1978年)を忘れてはいけないだろう。孤児院で育ったキャンディス・ホワイトも、大人になってから看護婦として働く。女性の職業としては少し古い感もあるが、あまり先進的な職業にするとストーリーが脇道にそれてしまったかも知れない。今どきのアニメは、職業を持たなければ支持されないと断言しても良いだろう。

 ただし、こうした傾向は独身女性に限られる。もう何年も前から、既婚女性の過半数は働いているにもかかわらず、「働く母親」はもちろん「働く既婚女性」すらほとんど登場しない。アニメばかりか、ドラマでもそうである。

 まれに登場したとしても、必要以上に気負った存在だったりする。見ていて「そんなに頑張って仕事せんでもええんちゃうの」と思わず関西弁に戻ってしまうくらいである。

 今の時代、女性がキャリアを求めるのは、そんなに大変なことではない。もちろん「ガラスの天井」と呼ばれる障壁があり、暗黙の圧力により昇進の道が閉ざされている現状はある。しかし「ふつうに」仕事をしている女性が多いこともまた確かである。アニメやドラマにも、もっと「ふつうの」女性が登場してもいいのではないだろうか。

 「魔法のプリンセスミンキーモモ」には、同タイトルの続編が1991年から1992年に放映されている。Wikipediaには「この時期には女性が社会で活躍するというのが普通になってしまい」とあるように、大人に変身する魔法はほとんど使われなくなった。「女性が職業を持つ」ことがテーマにならないなら、次は「母親が職業を持つ」ことがテーマになると思うのだが、いかがだろうか。

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