Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

IT好きが陥りやすいワナ

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●Web公開のためのまえがき

 月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2005年7月号)をお求めください。もっと面白いはずです。

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●コンピュータを欲しがる人はいない

 コンピュータを買うのは何のためか。これは難しい質問である。筆者は「パソコンを買おうと思うのだけど何がいいと思う?」とよく聞かれる。そんなときは、まず「何に使いたい?」と尋ねる。

 インターネットが普及する前は「いろいろ」「特にない」という答えが多かった。この場合、筆者のアドバイスは「買わない方がよい」だ。では会社で買う場合はどうだろう。今月は少し目先を変えてビジネスの話をしてみよう。

●「メールとインターネットをやりたいのですが」

 冒頭の質問だが、最近は「メールやインターネットをやりたい」という返事が多い。「そもそもインターネットはTCP/IPによる公開ネットワークであり、電子メールはSMTPとPOP3を使った……」などと技術的に正しいことを言っても意味がない。「SMTPってアイドルの名前ですか?」と聞かれるのがオチである(それはSMAP)。

 普通の人は、3文字略語も4文字略語も知らないし、知りたいとも思わない。正確だろうが何だろうが「インターネット」というのはWebサイトのことであると浸透してしまったという事実は受け入れないといけない。同様に、「ウイルス」は感染しなくても悪意を持ったプログラムの総称であるし、「ホームページ」はトップページのことではなくWebサイト全体のことである。そういう意味で浸透したのだからしょうがない。

 とは言え、筆者自身がWebサイトの意味で「インターネット」という言葉を使うには抵抗がある。「電子メールとWebを見るのに使いたいんですね」と言い直してから「他に何かありますか」とさらに聞く。

 「年賀状の印刷」が次に多い答えである。筆者は学生時代、PCショップ兼文房具屋でアルバイトをしていたが、年末ともなれば30分に1台「プリントゴッコ」が売れていた。インクに至っては平均すると1分に1本以上売れていたと思う。年賀状は日本人にとって一大イベントなのである。

 「メール、Web、年賀状」。これこそが、日本人の平均家庭におけるPCの利用目的ではないだろうか。しかし、逆に考えると、この3つができればPCはいらない。メールもWebも携帯電話で十分と考える人もいるだろうし、年賀状は印刷屋で作った方が簡単だという人もいるだろう。この場合、携帯電話の機種と安くて美しい印刷屋を選定すればよい。

 このように「何がしたいか」という要求を満たす提案を「ソリューション」という。そして要求を分析し提案に結びつける人を「コンサルタント」という。買い物の相談を受ける人はコンサルタントの仕事をし、ソリューションの提案をしているのである。Windows Sever Worldの人気連載「暗黒のシステムインテグレーション」には、「使えないソリューション」や「怪しげなコンサルタント」が毎回登場するが、本来コンピュータには欠かせない概念なのだ。

●「お客様はコンピュータが欲しいわけではない」

 「お客様はコンピュータが欲しいわけではない」。IT業界に就職して最初に聞かされる逆説ではないかと思う。特に営業系の人には徹底して教えられる。もし、誰からも教えてもらえなかったら、その会社は黙っていても製品が売れる会社か、常識として浸透している会社か、もうすぐつぶれる会社かのどれかである。

 お客様は、コンピュータを使って業務を効率化したいのであり、コンピュータはその手段である。これは、頭では分かっていてもなかなか実践できない。多くのメモリが搭載できます。高速なCPUです。障害が起こっても自動的に切り替えます。そういう言葉は経営者には響かない。月末の残業代を50%カットできます。月末にしか集計していなかったデータを、毎日集計します。これが経営者の求める言葉である。もし、コンピュータなしにできるのであれば、その方がいいはずだ。

●優秀なエンジニアが陥りがちなワナ

 IT業界に就職した人には、コンピュータが好きな人が多いのではないかと思う。特に、IT業界は構造的な不況を抱えており、将来の展望は決して明るいとは言えない。孫引きで恐縮だが、米国InformationWeek社のインタビュー調査によると、自分の職が安全と思っているIT技術者は3割から4割、ほとんどのIT技術者は自分の子どもたちにIT業界への就職を勧めないと答えているそうである(注)。そんな状況でIT業界を選んだからには、コンピュータに対して何か惹かれるものがあったはずだ。

 実は、これこそがIT業界の問題なのである。中にはコンピュータのハードウェアやソフトウェアには興味がなく経営戦略に興味を持ったという人もいるだろう。コンサルタントを目指す人にはそういう人も多いようだ。しかし、そんな人でも、コンピュータの勉強をするうちに、コンピュータが好きになる人は多い。

 人によって感じ方は違うだろうが、筆者はそうだったし、前回登場した筆者の友人(PC-8001の所有者)もそうだ。友人は、もともと機械工学を専攻していたが、中退してIT系の会社に就職した。筆者の大学時代の指導教授もそうだ。何でも、大学の計算機導入プロジェクトに任命されてからとりつかれたらしい。コンピュータは「ブール代数」という数学理論をもとに考案されたので、なんか関係があるだろう、と大学側は考えたという。これは、自動車選定プロジェクトに物理学者を呼んでくるようなもので、ちょっと無理があるようにも思うが、本当のことらしい。おかげで筆者の学位論文はコンピュータ科学の1分野となった。

 コンピュータが好きな人の何が問題か。それは「問題をコンピュータで解決しようとする」ことである。IT業界にいる以上、それは当然のことであるが、実は顧客は本当の要求を言っていないのかもしれない。

 Windows関係のメーリングリストを見ていると「Windowsを定期的に再起動したいのですが、自動化するにはどうしたらよいでしょう」という質問がよく出る。まさに「顧客の要求」である。SHUTDOWNコマンドをタスクスケジューラに登録すれば自動化できます。なるほど、正解である、一応は。しかし、考えなければならないのは「そもそも再起動する必要があるのか」ということである。

 実際、古いWindowsでは起動中にメモリを使い果たし、再起動が一番手軽だということもあった。しかし、今はそういうことはほとんど聞かない。顧客の作ったアプリケーションが問題を起こしていたとしても、そのアプリケーションを再起動すれば済むはずである。つまり、真の要求は「長期運用時に、メモリ不足でコンピュータの動作が不安定になることを回避したい」ということになる。

 下手にSHUTDOWNコマンドやタスクスケジューラのことを知っているばかりに、一見正しい回答をしてしまう。これがワナである。

●マーケティング力を身につけよう

 コンピュータは入力したデータを集計や分析して、どんな形にでも変更できる。「何でもできる」というのは「そのままでは何もできない」に等しい。「コンピュータ、ソフトなければただの箱」と昔から言われているが、ソフトウェアがあっても、その使い方や運用技術がないと成り立たない。「買ってきただけでは何もできない」という、世にもまれな商品なのである。

 先に書いたように、顧客の要求を引き出すのはコンサルタントの仕事である。しかし、自社の製品を売り込むにはマーケティングも重要である。通常、コンサルタントは自社の製品を持たず、顧客の要求に合った製品を提案する。最近は、メーカー系コンサルタントという人たちもいて話がややこしいが、本来は分析と提案がコンサルタントの仕事である。

 一方で、自社の状況や製品の内容を分析し、市場に対して適切な製品を最適な戦略で投入することを「マーケティング」という。特にIT業界の場合は、販売する側に高いコンサルティング力が求められる。同時に製造する側には、多くの顧客が要望する機能を備えた製品を作るためマーケティング力が求められる。

 冒頭の「メールやインターネットをやりたいという人に何を勧めるか」に戻ろう。みなさんならどう答えるだろうか。筆者の答えは「気に入ったデザインのものを買え」である。メールとWebはほとんどの人がPC購入の動機としてあげる。そのためパーツ業者、ソフトウェア業者、そしてPCを組み上げる業者のすべてがメールとWeb機能を重視している。結局、PCはデザインくらいしか差別化要因はないのである。

 実はIT業界に限らず「顧客の要求を正しく把握する」というのはマーケティングの基礎でもあるそうだ。最近見かけたフレーズで気に入っているものを紹介しよう。

ドリルを買いに来た人は穴が欲しい。

(注)情報処理学会学会誌2004年6月号「アメリカITまわりの話題:オフショア・アウトソーシング」(藤崎哲之助)

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●Web公開のためのあとがき

 筆者自身を振り返ってみると、「顧客はコンピュータを欲しいのではない」ということが理解できたのは何年も勤めてからである。上司からしつこく言われていたにもかかわらず、である。

 しかし、それはそれで良かったと思っている。顧客や市場のことを考えなかった分だけ、技術を学ぶことに集中できたからだ。技術の伴わないITコンサルタントは「偽コンサルタント」になりやすい。適切なソリューションを提案するには、やはり技術の裏付けが必要だと思う。何ができて何ができないのかが分からなければ提案もできない。

 ただし、一定のスキルを身につけたあとは、顧客のことも考えるようになるべきだ。自分たちの給料は顧客が支払ったお金の一部である。だとしたら、顧客が満足するものを提供することは義務である。多くの顧客が満足すれば、多くの企業が満足する。企業の満足は、直接あるいは間接的な利益の増加に結びついているはずだ。この利益は何らかの形で社会に還元され、世の中全体が良くなる。これが理想的な資本主義社会だ。理想にはなかなか近付けないかもしれないが、近付く努力はしたい。

 「技術者にもビジネスセンスが必要だ」「技術者にもコミュニケーションスキルが必要だ」という声が高まっているせいか、最近の新人エンジニアにはビジネスセンスやコミュニケーションスキルを優先する人もいるらしい。もちろんそうした能力も重要だが、エンジニアたるもの、最初に身につけるべきなのは技術力である。誤解しないで欲しい。

 なお、しつこいようだが「本物のコンサルタント」は顧客自身が気付いていない問題を的確に分析してくれる素晴らしいスキルを持っている。こちらも誤解しないようにしてほしい。

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