Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

第2回「会社勤めをするということ」

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●Web公開のためのまえがき

 月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。実際に出版された時には、編集担当者のアドバイスを元に手を入れています。どのくらい変わるかは回によって違います。編集作業が入ることで、視点が明確になり、読みやすくなります。誌面の都合でエピソードがカットされることもありますが、外部の制約があった方が良いものができるようです。「ディレクターズカット」が大して面白くないのと似ています。

 もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2005年4月号)をお求めください。もっと面白いはずです。

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●4月になれば

 4月になると多くの地域で桜が咲く。学校では新学期を迎え新入生が入学する。多くの会社では新しい会計年度を迎え、新卒の社員が入社する。その結果、入学式は桜の花びらが舞う中で行われ、新入社員は花見の場所取りをすることになるらしい。もっとも、筆者が経験した会社では花見を行う習慣はなかったのでよく分からない。

 ところで、米国では新学期は通常9月である。ところが、会計年度は7月や1月に始まるところが多く、9月は少数派である。学年末が6月末なので、7月開始が多いのだろうか。おまけに、米国では卒業後、インターン(訓練生)として一時的な就職をする人が多いそうで、新卒が一斉に入社するという習慣もないらしい。

 さて、現在の日本では、どの大学でも、どの会社でも、入りたいところを自由に選択できる。もちろん、入りたいと思った会社が採用してくれるとは限らないが、それでも選択の自由は存在する。しかし、会社と大学では決定的に違う点がある。会社の方が、意に沿わない仕事を与えられる可能性が圧倒的に高いということだ。新入社員の中には、思った仕事が割り当てられなくてやる気をなくす人も多い。

●新人研修を行う側の苦労

 筆者の本業は「ITプロフェッショナル向けコンピュータ教育」である。特定の会社の新入社員教育を担当することも多い。新入社員は、厳密にはITプロフェッショナルではないが、ITプロフェッショナルの卵として専門教育が行われる。中堅エンジニアの場合は、純粋に技術教育だけを行うが、新入社員の場合は会社と社会に対する心構えを指導することもある。

 大方の予想通り、新入社員研修というのは、結構たいへんな作業である。筆者の勤務先に限らず、一般的なIT教育機関の講習時間は昼休みを除いて6時間程度である。しかし、新入社員研修は8時間程度に延長されることが多い。さらに、ほとんどの場合、詳細な実施レポートが求められる。多くの会社は新卒採用時に配属先を決めていない。筆者らが提供する研修レポートの内容を元に配属先を決めることもあるようだ。

 別の問題もある。筆者は、講習中、割に冗談を多く言う方だと思うが、ひとまわり以上の年齢差があると、冗談もたとえ話も通じにくい。「Windows 95とかWindows 2000というのは『カルメン77』なんかと同じ発想ですね」と言っても『カルメン77』を知らなければたとえにも何もならない。ちなみに『カルメン77』は1977年に出たピンクレディーの曲である。反省したので、最近は時事ネタを使わず、だじゃれ系を使うことにしている。キロ、メガ、ギガ、という単位系の話をしたあとに「視力の単位はメガメートルって知っていますか?」という具合である(注1)。こういう冗談が面白いかというと、そうでもないらしい。新人研修ではないが、講習後のアンケートに「つまらない冗談は言わなくてよい」と書かれたこともあるくらいだ。でも、くだらない冗談と共に記憶に残ることもあるので、相変わらず冗談を飛ばしている。

(注1)目が見(め)えとる

 閑話休題。こんなこともあった。昔、某コンピュータベンダの新人研修を受け持った時である。PC系の部署に配属された人はみな喜んでいるのに、メインフレーム系の部署に配属された人には気落ちし

ている人もいた。「メインフレームはいずれなくなるから」ということらしい。「なくなってしまったら勉強できない、配属されてよかった」と思う人はあまりいない。

●やってくる仕事を受け入れ、ベストを尽くす

 新入社員に限らない。エンジニアの中には、意に沿わない人事異動を拒否する人がいる。拒否するのはいいのだが、それが受け入れられないと会社を辞めてしまう人もいる。これは、本当にもったいないことだと思う。自分の可能性を自らつぶしているからだ。会社勤めのよい点は、自分から積極的には選択しない分野の技能でも、リスクなしに修得できることだ。向いている仕事と好きな仕事は違う。好きでも向いていなければ長続きしない。会社は、向いていない仕事をずっとさせておくほど非効率的なことはしないだろう。逆に、好きではない仕事でも、向いている仕事なら成功体験も増え、そのうち好きになることもあるかもしれない。そして、向いているかどうかはやってみないと分からないのである。自営業の場合、向いている仕事を探すために業務内容を変えるのは大きなリスクがある。しかし、会社勤めであれば一定の給与は保証されているため、リスクは小さい。しかも、自分で希望したのではなく、会社の命令でついた仕事であれば、失敗した場合は会社の責任にできる(かもしれない)。こんなチャンスは生かさないと損である。

 筆者自身について語ろう。実はWindowsを担当したのはほとんど偶然である。今でこそ「マイクロソフトMVP(Directory Services)」として、マイクロソフト本社から認定を受けるほどになっているが(注2)、別に好きでWindowsを担当したわけではない。そもそも、筆者はVAXと呼ばれる大型コンピュータの教育コースを担当していた。たまにUNIXなども担当したが、基本的にはVAXコンピュータと、その専用OSであるVMSオペレーティングシステムが主な守備範囲であった。PCには親しんではいたが、仕事にするつもりは全くなかった。ところが、ある日「米国の親会社がマイクロソフト社の公式カリキュラムを実施する契約を結んだので日本でもやる」という通達がやってきた。当時の主力OSはWindows 3.1、Windows NTはまだ開発中の時代である。何人かがマイクロソフト製品の担当に指名され、研修のためシアトルに送り込まれた。その後、Windows NT 3.1が発売された頃からコース数も増え、筆者にもWindowsをやれ、という命令が出た。仕方なくWindows NT 3.1の勉強を始め現在に至っている。Windows NTは結構面白いOSで、学ぶうちに楽しくなってきたものだ。しかし、楽しくなったのは、それだけ勉強したからだと思う。

(注2)MVPは、米国マイクロソフト本社が認定した個人である。認定基準は大きく2点ある。高い技術力と、その技術力を広く一般に還元していることである。筆者の場合は、雑誌や書籍の執筆と講演活動が認定の基準となった。

 似たような例はたくさんある。SQL Server分野のマイクロソフトMVPである松本崇博氏も、最初からデータベースを勉強したかったわけではないという。会社から一方的にデータベースグループへの異動辞令が出たため、仕方なくデータベース技術の勉強を始めたのである。分野は違うが、オウム真理教の取材で有名な江川紹子氏も似たような経緯を持つ。石井政之編著『文筆生活の現場』(中公新書ラクレ)によると、オウム真理教に殺害された坂本弁護士と以前からの知り合いであったことから、成り行きでオウムに首を突っ込んだのだという。

 いずれも、共通するのは、成り行きに逆らわず、ベストを尽くすということである。一時は命まで狙われた江川氏と我々をひとくくりにするには江川氏に対して大変失礼であるが、考え方は同じだと言っていいと思う。

●プロフェッショナルとして仕事をする

 ただし「成り行きに逆らわない」というのは、「何でも言うことを聞く」のとは違う。不都合があれば、理由を添えて上司に提示し、判断を仰ぐ。極端な例は、違法な仕事を命令された場合だろう。さすがにこれは受け入れられない。根回しも重要である。根回しといえば日本的悪習と思っている人も多いが、決してそんなことはない。米国人も根回しはよくやる。ウソだと思ったら、米国系企業に勤めている人に聞いてみればいい。

 どうしても自分がしたい仕事、あるいはしたくない仕事というのもあると思う。自分がしたいことと、会社がさせたいことをどのように折り合いをつけるかは、会社勤めをする上で非常に重要である。実際には自営業でも意に沿わない仕事を大量にこなさなければならないのだが、その場合の決定権は常に自分にある。一方、会社勤めの場合は自分と上司(会社)との交渉が必要になってくる。前掲書『文筆生活の現場』で、烏賀陽弘道(うがやひろみち)氏は「『会社がぼくにやらせたい仕事』対『ぼくがやりたいこと』比率が50:50なら、勤め人としてはありがたいことである」と書いている。余談であるが、烏賀陽氏は朝日新聞社という巨大安定企業を希望退職してフリーライターになった人である(そして筆者の高校時代の同級生である)。会社勤めを辞めて独立したいと思っている人にはぜひ読んで欲しい。筆者はこれを読んで会社を辞めるのを思いとどまった。

 与えられた仕事をチャンスととらえ、ベストを尽くすこと。自分のしたいこととできることのバランスを取ること。これがプロフェッショナルとしての仕事だと思う。

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●Web公開のためのあとがき

 「視力の単位のネタはオリジナルですか」と聞かれた。ごめんなさい。実はオリジナルではありません。KBS京都ラジオで1975年頃に放送された「サンマルコからボンジョルノ」で紹介されていたものである。30年も同じネタを使っているというのは、夢路いとし・喜美こいしも真っ青である(関西の人にしか分からないか?)。ちなみに、当時の担当アナウンサー、岩崎(旧姓岡本)裕美さんと、2003年10月、友人の会社設立10周年記念パーティでお会いしたのは筆者の密やかな自慢であるが、あまり理解してもらえないのが悲しい。今は司会などをなさっているそうだ。ちなみにCS放送「京都チャンネル」のアナウンサー岩崎絵美さんは彼女の娘さんだそうである。

 実を言うと、筆者は中学時代、ラジオ番組の投稿マニアであった。主な投稿先は日本短波放送(現在のラジオ日経)で、大橋照子さんというDJの番組が中心だった。投稿はもちろん葉書で、週10通ペース。採用率は約1割と記憶している(同番組の他のリスナーに聞いてもだいたいそれくらいだそうだ)。なお、大橋照子さん、一時ブランクがあったものの、今でもラジオ日経などでご活躍である。

 その他、KBS京都ラジオの広見早苗アナウンサー、植月百枝アナウンサーの番組の常連であった。今はどうなさっているのだろう。

 高校時代もいろいろ葉書を書いていたと思う。大学時代は月刊アスキーの読者投稿欄にしばしば採用された。わざわざ封書で送ったこともあった。たとえば、1984年には少し長い文章が載ったはずだ。このときの投稿は、研究室の先輩の友人にほめられたのでよく覚えている。手元にないが、いつか再読してみたいと思っている。

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