シンガポールでアジアのエンジニアと一緒にソフトウエア開発をして日々感じること、アジャイル開発、.NET、SaaS、 Cloud computing について書きます。

私の技術習得法

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 私は、ソフトウェア開発をプログラマなど技術の専門家として関与した中では、マイクロソフトのプラットフォームしか経験がない。一度、あるプラットフォームでソフト開発の仕事を始めてしまうと、そのプラットフォームで身についた専門的技術が邪魔になって、他の畑に行きたくても行けなくなってしまうものだ。

 雇用主も、レジュメに書かれた経験と、仕事に必要な技術の一致不一致で、採用不採用を決める傾向がある。私も採用担当になった経験があるので分かるが、職務経歴書や面接で採用を決めるとき、応募者のポテンシャルで採用を判断することは、非常に難しい。

 しかし、私のエンジニアとしての経験では、どのプラットフォームでも良いので、じっくりと自分の頭で考えた上での開発を一度経験すると、あとは別の技術での開発など、ひと月も勉強すればできるようになるものだ。プロジェクトとプロジェクトの間には、転職や派遣先の変更などでひと月程度、時間ができることが多い。その期間に次のプロジェクトに必要な技術を身につけることができる、ということだ。ということで、人の採用を決めるときは、論理的思考力や理解力など、もっと技術者の根本の能力を見て判断するべきだと思う。

 ところで、私の新技術の習得法だが、私は何か新しい技術を使い始める前に、必ず本を数冊購入して、それをすべて読んでから始めることにしている。その結果、経験のない方式で開発を始めるときにつきものの、思考錯誤に費やす時間がほとんどゼロですむ。インターネット上から情報収集するのも良いが、やはり、まとめて技術習得が必要なときは本が一番効率が良い。

 世の中には、コンピュータのソフト開発系の書籍を発行する出版社は数多くある。黄色と黒の表紙でおなじみのApress。赤い表紙のWrox。表紙に時代ものの世界各国の民族衣装を載せるManning(タイトルに『in Action』と付けるのが特徴だ)。そして青い背表紙と白い表紙のOreilly。最後に茶色から赤へのグラデーションの表紙のMicrosoft Pressの5社ぐらいが競争している。

 私が普通、新しい技術を使うときは、まずその技術の本を3冊ぐらい選んで購入する。1冊目を読んで分からなければ、別の本を読み、それを読んで分かってくれば、最初分からなかった本を読み直すなどのようなことをして、最終的には購入した3冊を全部読むことにしている。これは私の独断と偏見だが、最近の傾向として、Apressの本が読みやすい本である確率が高い。少し前まではManningの本が良かったが、最近のManningの傾向はオープンソースの活用に慣れた人を読者の対象にしているようで、やたらオープンソース系ツールの紹介が入る。オープンソースは開発方法から仕方がないのだが、情報にまとまりがない傾向にあり、マイクロソフト提供のまとまった情報に頼ってきた.NETのエンジニアには慣れない。しかしこれからは、.NETの開発でもNHibernateやNUnit、jQuery、Rhino Mocksなどオープンソースを使いこなすことが必然となりつつあるので、それも仕方がないことだろう。

Books

 最近、シンガポールの通勤列車のMRTも朝夕の混雑が激しい。幸いなことに、私はほぼ始発から列車に乗ることができるので、大抵座わって通勤できる。そこで、その往復1時間は、そうやって購入した技術書を読むことにしている。何もやることのない1時間なので、結構集中できる。安月給ゆえ都心に住めず、かなり遠い郊外に住んでおり、それをうまく利用しているということだ。実際、私が毎日乗る路線はシンガポールの島をぐるりと回る路線で、毎日島を一周しているようなものだ。海岸線でも走ってくれれば、毎日『南の島』を楽しめるところだが、列車の窓から見える風景は地上を走っている間は、ジャングルか赤茶けたトタン屋根の工場群、あるいはHDBの連続だけ。そして地下に潜ったあとはトンネルの壁だけ。やることがない。本を読むしかないわけである。

 こんな私だが、約10年前にソフトウェア開発の仕事にキャリアチェンジしたばかりのころはもっと勉強した。このころは東京のとあるベンチャー企業に勤務しており、小田急線で往復2時間ぐらいの通勤時間だった、さすがに小田急線では座っての通勤はできず、1時間の間、重い技術書を必死で抱えて読みながら通勤していた。新しいキャリアを始めたばかりのころだったので、いまと違って気合いの入れ方が違ったのだろう。同じ会社に私と同じようにキャリアチェンジしてきた同僚がいた。実はそれがヨーロッパ系外国人だったのだが、彼は私よりすごく、毎日3時間勉強しているといっていた。外国人のくせに、話す日本語は完璧。私より上手に日本語の敬語を使いこなす秀才だった。もしかすると、この同僚への対抗意識だったのかもしれない。

 最後に全然関係ない話だが、ここシンガポールでは、列車内で自分の前に老人や妊婦などが立った場合、絶対に席を譲らなければならないというルールがある。もし譲らなければ、本人自らが堂々と「立ってもらえますか」と要求する場合もあるし、そうでなければ周りの人が必ず何かいう。最近、私の前に若い男性が立った。私は読書に集中していて気付かなかったのだが、その男性、手にケガをしていて、片腕しか使えない人だっだ。席を譲らない私は、その若い男性の隣に立っていた人に非難されてしまった。通勤列車なので、めったに老人も妊婦も乗って来ないので席を譲る必要がほとんどなく、油断していた。ケガをした若い男性は盲点だった。今度、手を包帯でぶら下げて、列車に乗ってみようかと思った。

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