気難しいプログラマとの人間関係に必要ないくつかのポイント

マネジメント論

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※軽口の類いですので真面目に捉えないでくださいね。

 リーダーの役割は配水管の清掃業者によく似ている。メンバーの業務が滞りなく流れるようにする、いわばパイプの詰まりをきれいにする役目だ。誰かが技術的な問題に直面していればいっしょになって調査をし、誰かの進捗が遅れれば自分も含めてサポートできる人間を検討する。自身の仕事はみんなが帰宅してからが本番だ。昼間は彼らのために体をあけておかなければならない。

 パイプが流れるのなら雑用だってなんだってやる。資料のコピーもするし会議室の予約もする。ランチの食える店も探すし、稟議を巡って上とバトルもする。特に夜中の弁当の買出しは非常に重要な雑用である。残業に付き合ってくれるのならこれほど安上がりなものはない。

 会社の中で当たり前のように行われている指示や命令といったマネジメントの手段は、ともすれば封建的になりかねない。実際のところ、こんなものはないに越したことはない。マネジメントにとって重要なことは哲学の共有だ。どのような場面でどのような仕事をするか、その行動原理や理念のようなものを日々の業務の中で徐々に浸透させていく。メンバーが自律的に業務をこなすことで、お互いにとっての煩わしいものから双方が開放される。

 リーダーの行動原理が複雑だと哲学が伝わりにくい。リーダーは楽観的で単純な人間の方が向いている。たちが悪いのはねちっこい完璧主義者だ。ちょっとした違いにも対応を変化させ、ベストエフォートを目指して業務を複雑化させる。頭の良い人ほどこの罠に陥りやすいが、自分で自分の首を絞めているにすぎない。メンバーからのホウレンソウが滞り始めたら、それは細かいことにいちいち文句をつけすぎている証拠だ。

 プロジェクトの成功にはメンバーの協力が不可欠である。ただし、リーダーにその資質がなければメンバーはついてこない。勤続年数だけで彼らの尊敬を得られるなどとは思わないことだ。能力の足りない分は誠意でカバーする。衝突や障壁に直面したときは常に最前線に立つ切り込み隊長でなければならない。ランチで初めて入る店には、まず自分から入るという気概を持つことが大事だ。

 仕事を憎んで人を憎まず。会議で議論が白熱しても、お昼にはいっしょに飯を食うビジネスライクな関係を築けなければメンバーとはうまくいかない。人間関係は良好であるに越したことはないが、主従の関係性から仲良しこよしになれるはずもない。メンバーはあなたが時々お願いする休日出勤の依頼をずっと恨みに思っている。

 「すぐに対応してくれ」などというタイトな依頼ばかりを行うリーダーは自分のマネジメント能力のなさを恥じた方がいい。メンバーの仕事の煩雑さはリーダーの予習能力にかかっている。どれだけ先回りして手を打つか。マネジメントの本質はほぼこれだと言っても過言ではない。

 どうしても失敗の許されないクリティカルな仕事を依頼するときは、何をして欲しいかを1から10まで完璧に伝えきらなければならない。それこそ作業者がいやな顔をするくらい事細かく、何度も何度もだ。できれば雛形・サンプルを作り、間違えようがないところまでもっていく努力を怠らないこと。そんなこといちいちやってられないというのなら答えは簡単だ。自分でやれ。

 マネジメントの難しいところは論理ではなく倫理の方にある。技術的な課題は勉強して克服すればすむ話だ。何も難しいことはない。人間関係や社内秩序をいかに円滑に築けるか、普段の業務がいかに平常に淡々と進んでいくかの方がよっぽど大事である。

 ところが、こと日本のIT業界においては最初から最後までスムーズにいくプロジェクトほどなぜか過小評価される傾向にある。むしろバグが頻発・炎上し、必死になって火消しをしてようやく納品にこぎつけるというようなプロジェクトほど「よく頑張りました」と褒められる。ピンチを演出する能力は習得しておいて損はないだろう。

 デキの悪いリーダーにつくメンバーは自力で問題を解決し、自然と優秀な人材になっていく。はたして優秀なリーダーは本当に必要なのか? まじめにマネジメントなんかするもんじゃない、というのが結論なのかもしれない。

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