株式会社ジーワンシステムの代表取締役。 新しいものを生み出して世の中をあっといわせたい。イノベーションってやつ起こせたらいいな。

起業の動機は「業界を変えたい!」

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 はじめまして。株式会社ジーワンシステムの生島です。 大阪でシステム開発会社を起こし、まる5年が経ちました。

 エンジニアライフということで、自己紹介を兼ねて起業するまでのことを少し。

 私は1970年生まれ。府立の普通科の高校を卒業しフリーター(派遣に登録)に。フリーターという言葉ができた時代です。

 当時は、派遣に登録できる業種は専門職に限られていたのですが、どんな理屈か知りませんけれど、バブルの最後っ屁の人材不足の頃だからできたのかも知れません。ともかく研究所に助手として潜り込みます。

 仕事は、学会発表や特許、製品開発に繋がるベースの実験を行って資料をまとめていくことでした。

 他にPC関連では、DOS版のLotus 1-2-3(or Multiplan)などでグラフを書いたり、実験の機器を制御するプログラムを改修したりしていました。

 周りの社員の方もコンピュータの専門家は1人もいませんから、必要に迫られてプログラムを作るという感じでした。ですから、教えてもらうというよりも見よう見真似です。

 もっとも、長くても1000行程度のプログラムで、直したのは数十行ですから、この時点でプログラムができるとは、とても言える状態ではありませんでした。

 そんなことを5年ほど続けたところで、バブルがはじけ、私のいた研究所が事業部になって地方に移転することになります。

 そこで地方に行くか、何の専門性も持たず、バブルがはじけた後の大阪で流浪するかという選択をすることになりました。

 いろいろ悩みましたけれど、縁故で、当時地元では割と有名な介護用品メーカーに転職することになりました。従業員100人、年商20億ぐらいの会社でした。

 そこは、ものすごく古い体質の会社でした。経理部長はそろばんでしたからね……。誰も文句も言わずに黙々と何度も何度も「転記」と言う作業をしていました。

 ペンだこがカチカチになるまで、字を書かないと仕事にならない。ところが、私は悪筆で自分の字を見るのが嫌で嫌で仕方がないし、字を書くのは非常に苦手です。

 そこで、Lotus 1-2-3を使ったことがあるぐらいの知識で「コンピュータを導入しましょう」と社長に直談判に行きました。怖いもの知らずですね(笑)

 何度かアタックしましたが、社長は「パッケージはまかりならん」とおっしゃったので、「パソコンもソフトも私の個人所有のものでやるから、とりあえず1カ月、時間をください」と食い下がりました。ということで、1カ月もらいます。

 すぐさま、当時の情報源である雑誌を立ち読みし、

  • システムを組むにはdBASEというのを使うと良い
  • Windows 3.1になってLotus Super Officeに入っているApproachというもので、dBASEのデータをGUIで扱えてとっても便利

ということが判りました。

 それまではDOSを使っていたので、Windows 3.1を買わないといけません。

 そこで、なけなしのお金で「Lotus Super Office」を購入してシステムを組み始めます。もちろんFD版です(笑)

 Windows 3.1が25枚、Lotus Super Officeは100枚ぐらいありました。インストールだけでも、もう、気が狂いそうになるぐらい時間が掛かります。

 私が持っていたPCのCPUは486SX33Mzだったと思う。しょっちゅう固まります。OSから再インストールを何回したことか……。のどかな時代でしたが徹夜なんて……。

 出始めのLotus Approachなんて、誰も使ったことがありませんから、誰にも頼れません。テーブル設計も正規化という言葉も知りません(でも、正規化されていました)。

 しかし、1カ月で一応の受注画面と納品書・請求書が出るところ(プリンタがないのでプレビュー)まで仕上げ、会社にちゃんとしたPCを買ってシステムを構築することを認めてもらえました。

 当然、プロを入れて欲しいといったのですが、「それはならん、お前がしろ!」ということで、アルバイト1名を雇い入れて、私が最後まで作ることになります。

 途中でLotus Approachでは限界だと分かり、登場したばかりのWindows 95、Access 2.0に乗り換えます。このときは2倍速のCDが付いていて、「楽になったな~」と感動しました(笑)

 いろいろあって、1年ほど上海に赴任したりしながら、トータル1年ほどでとりあえずのシステムを完成させることができました。

 つまり、独学で在庫管理や売上管理システムを1年ほどで構築できたわけです。

 今思えばよくやったと思うけれど、会社では誰も評価してくれません。というか、私自身も、当時はユーザーですから、システムが作りたかったわけではありません。そのシステムから出てくる結果で、会社を変えたかったのです。

 ですから、システムが完成してある程度、データが溜まると反乱を始めます。字は書けないけど(笑)、Lotus 1-2-3やExcelなら楽勝です。情報は私しか持っていないのですから、ガンガン資料をまとめて経営方針に口を出します。

 もちろん、経理部長がそろばんを使っている旧体質の会社で、26歳のガキンチョがそんなことをしても通るわけもない。それでも、私は子供で(今でも)頑固者ですから、挑み続けます。

 挑んでも挑んでも、跳ね返されてへこんでいる頃、アルバイトで来ていた人がIT業界でちゃんとやっている(当時はITって言ってなかったけど)と聞きました。「それなら自分の方ができるはず」という悪魔のささやきに変わりました。

 結局、社長には大変お世話になったけれど、悪魔のささやきに勝てず転職し、派遣型のIT企業で160~180時間の契約で働くことになりました。

 当時、2000年問題という詐欺的な仕事が控えていて、この業界は活況でしたので、27歳での遅いデビューでスペック的には「?」でも、何とか入れてもらえたのでしょう。

 それでも、面接で「1年で2種(今でいう基本情報処理)が取れなかったら、自分から辞めてね」ってなことはしっかりと言われました。

 素直に「がんばらねば」と思い、面接の帰りに本屋に向かいますが、買った本は「はじめてのSQL―基礎から始めるデータベース操作」です(もちろん、改訂版になる前の)。

 100人、年商20億ぐらいの基幹システムをPentium 90で動かすのですから、ちゃんとチューニングしないと動きません。

 ですから、Accessをやっていて「決め手はVBAじゃない」って感じていたので、プロになるならクエリー(GUI)を使ってちゃまずいだろう、と考えたわけです。

 「はじめてのSQL」は名著です(最初はこれから読むのがお勧め)。しかし、もちろん知らないこともあったけれど30分で読み終わって、これだけじゃダメだと(当たり前)。

 その後、いろんな本を手に(月2万ぐらい買ってたかな)したのですが、「はじめてのSQL」を超えるのはあまりなかったかな……。

 一番力が付いたのは、会社にあったOracleのマニュアルでした。Oracleのマニュアルは別売りで30万もする時代でしたから、まあ小さい人間なので、「30万もする本をタダで読めるなんて、なんてラッキー!」と思って、タイムカードを押してから、遅くまで読んでいたものです(英語のままのやつもあって、それは余程困らない限り開かなかったけどね)。

 ネット上で全部、無料公開されているのを見たときは、「プロのイニシアティブがなくなってしまう」と愕然としましたけど、まだ大丈夫みたいです(笑)

 ともかく、未だに資格は一切持ってないのですが、それなりに努力したおかげで、どんなシステムでも作れる自信だけは付き、IT業界を彷徨い、起業するに至ります。

 デビューのきっかけからして、私自身は「自分は素人」という感覚が強く残っています。その素人感覚で、IT業界の現場でさまざまな矛盾を感じてきました。

 前の会社で社長とガッツリやりあったように、私は矛盾を放置できないタイプの人間です。私が会社を起こし、分不相応にも社長をやっているのは、更に分不相応な「業界を変えたい!」という思いからです。

 そんなことを書いていけたらと思います。

Comment(9)

コメント

毘政

ちょっと書き込みテスト。

毘政

はじめまして。
私も、この業界を変えたいと思っている一人です。
しかし、さらに進んで、お客様のコンピューターに関する認識も、変えないといけないと思うようになっています。

どんなに、技術者として”献身的”な意見を述べても、納期と予算には勝てません。
他業種のお客様にとって、コンピューターは”設備投資”の一つです。
不況になれば、当然コストカットをし始めます。
そうなると、一次受けのソフトハウスはどうするか?
言わなくても、想像できると思いますが・・・。

生島社長さんには、一度お会いしてみたいと、強く思いました。

毘政

関係ないけど、「サイバーエージェント」って、何会社なんでしょうかね?

あそこの子会社に働いたことありますが、ハッキリ言って、技術は2の次。

コンピューターの事を良くわかんない人が、管理者になり、期限、予算を決めています。
とても、むかつく会社でした。(あ、サイバーエージェントは、どうだか知りません。)

毘政 様

はじめまして。
生島です。

お客様の意識については(システム部門か、完全にエンドかによって違うし)またの機会に書きたいと思います。
予算や納期は仕方がない話ですね。
いくら良いものでも、私はレクサスもメルセデスも買いません。

むかつく会社は5万とあるでしょうけれど実名は書かない方が(笑)

ちなみに、東京でセミナーやります。
.Netを使ってらっしゃるのであれば、是非いらしてください。
http://www.ascendia.jp/persimmon/products_pages/flg_pages/seminer/flg20090107.html

生島さま

2度目の書き込みです。1970年生まれで、いわば同じ歳ですね。奇遇ですね。いやー、起業ですか!! 偉い!! すばらしい!! 僕は一貫したスキルがついていないので、非常にうらやましいです。(サーバーぐらいは組めますが)

中島みゆきの「本日、未熟者」のように、僕は、ぶち当たり、のめって、わめいて、ほざいて、一日がゆく、といった有様です。明日はどっちだ(苦笑)。

四つ橋線は、本町(靱本町)まで通勤していたこともあり、御社の地下を通過したことはあります(笑)。現在、療養中です。もうじき再起動してもいい頃でしょうかね。とりあえず労災保険は何としてでもおろしてもらわなければ。はい。

経営困難な時代、頑張ってくださいね。では。

田所さん、ども。

起業するのは簡単です。維持するのは大変ですけれど(苦笑)

今は不況なので、助成金などがたくさんありますから、逆に起業し易いです。

大阪なら、あきないえーどなどで社労士さんに相談しましょう。
助成金を扱っている社労士さんは、助成金を取ってきて、助成金の入金後、何%かをとると言う成功報酬でやってくれるところが多いので、初期費用を抑えられます。

はじめまして、コマと申します。

私は中国人で、今ITエンジニアとして日本で働いております、最近は個人起業のことを考えております。

生島さんの起業経験を大変参照しました、私は「業界を変えたい」という気持ちが
生島さんとまったく同じです、欠いているものは自信です。

今後はどうすればいいかまだわからないですが、とりあえず自分の未来の製品を開発して、マーケティング情報をまとめて、準備しております。

生島さんから何かアドバイスをいただければ幸せと思います。

コマさん、はじめまして。

Endiaシリーズソフト拝見します。
あとはメールで。

相羽ゆうり

オタクが多い業界で仕事しているのにオタクを否定しているバカ社長がなにしているのかな~?

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