地方エンジニアが感じる地方・中小企業での悩み

情報共有という理想郷

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 古くはグループウェア、最近で言えば社内Blogや社内SNSなど、いかにして社内の情報を共有させるかという話題はなくなることがありません。利用できるツールは日々進歩を遂げているにも関わらず、です。

 わたしも社内で情報共有を活発にしようと色々な手を考え、実行してみましたが、いまだにこれといった解決策はないと思っています。

 そもそも、情報共有を行う理由はなんでしょう。

 理由としては至極明快で、「ノウハウを分かち合い、効率化したい」「車輪の再発明と呼ばれるようなことをなくしたい」などなど、暗黙知をできるだけ形式知へと変換し、社員全員の作業効率を上げようという点になるかと思います。また、コミュニケーションという点でも同様で、特定の人間だけが抱える情報を減らし、多くの人間に課題として共有してもらえる、社員の間で意思疎通が図れるなど、実現できれば多くのメリットがあるからだと思います。

 しかし、実際にツールを導入し、社内で情報共有が活発になった事例というのはどれほどあるのでしょうか。カタログや広告などで掲載されいる事例は数多く目にすることがありますが、わたしとしてはどうにも眉唾ものに見えて仕方ありません。

 というのも、情報共有がうまくいかない問題の根幹は、「利用者」にまつわる人的要因と、その人を囲む「社風」などの環境的要因が大元の問題ではないのか、と考えるからです。

 ITmedia オルタナティブ・ブログで興味深い記事がありました。

 記事中では

こういう組織では「聞くことは恥」となり、フォーラムなどで迂闊な会話をして自分の知識のなさをさらけ出すのはリスク以外の何モノでもないからだ。そしてこの「聞くことは恥」という文化が行き過ぎるとかなりやばい。酷いと異動や業務替えになった時もこの文化を引きずって社内のわかる人に教えを請わず自分のわかる範囲でしか仕事をしない。

という一例が記されています。この一例がすべてを物語っているようにも思えます。

 社内で情報共有が進まない会社というのは、ほとんど何らかの思いがあって個人個人で情報を抱え込み、そこを周りに対しての差別化要素として扱う節があるかと思います。自分はこれだけ知っているんだ、とか、自分はこうやって解決したんだ、とか。そして、人に対して質問をするということを「恥」と思う空気があるのだと思います。これが形になって現れているのが、相手の見えないWeb上での質問増加なのでしょう。どうも社内では質問をしづらい空気が流れているので、関係のないWebの世界で同じことを聞いてしまうのです。

 よく新人に対しては「何度も質問するな」というような形で、質問する行為を抑え込むような教育を行っているところもあるかと思います。「分からないことはすぐ聞け」といいつつのこの言葉ですから、人によってはかなり戸惑うところでしょう。わたしは個人的には、「何度でも質問してこい」というスタンスで新人たちには接するようにしています。その中で「同じことは何度も聞かない」ということを体感してもらうように仕向ける方法を採っています。言葉上だけを見れば同じことを表しているのですが、受ける印象としては大分異なるのではないでしょうか。NGからOKな部分を教えるのと、OKでNGな部分を教えるのは、先に言われるNGもしくはOKのイメージが強くなってしまうのだと思います。

 そして、このように過ごしてきた人たちが、社内で情報共有を行うにあたっての障害となりやすいのです。このような人たちは情報を出すという考えもない(あったとしても特定の相手にのみ)、また他人に聞くということを行わないので、ポータル的な仕組みを利用しようとしないのです。車輪の再発明がいつまでたってもなくならないのも仕方がありません。

 この悪習を覆すことはかなり難しいでしょう。思いつく手段として、「発言数の多い人に対するメリット」または「有益な情報を発言した人に対するメリット」が考え付きますが、それにしても使わない人は使わないままなのです。どうにかするためには「利用しない人」を利用するように仕向けることですが、トップダウンに圧力をかけるか、利用することによって仕事が改善されるなどの、分かりやすい事象がなければそれも難しいでしょう。

 そして、そのうちに少数の発言する人もモチベーションを失って、後には高いコストをかけて構築した仕組みだけが残るというわけです。

 情報共有は「実現できれば」ものすごく効果の高いものだと思います。ですが、そのための障壁もものすごく高いものなのです。ツールを導入することは簡単です。社内SNSだろうと社内Blogだろうと、今のご時世ではソフト費用をかけなくとも用意できます。ですが、利用する人の意識を改革することを行わなければ、確実に失敗するでしょう。

 ……本気で情報共有を実現できた会社には、どのようにして実現できたのかを聞いてみたいものです。

Comment(8)

コメント

三年寝太郎

経験知を集合知に転換。
文字や言葉にすればたったこれだけのことなのですが、なかなか上手く行かないですね。
人同士が対面して話しをする機会を多くしない限り、意識の交流は生まれないし、ましてや知識交流の機会など作るのは不可能に近い。短期間で人が次々に入れ変わるような職場事情ではなおのことですね。

飲み会などで少し濃い目のコミュニケーションを作るのもいいですが、不特定多数の人が利用する居酒屋などでは、情報漏洩防止の観点からも内部情報は話せないケースが多し、個室を確保して多少は仕事の話をしやすい環境を用意しても、結局、最初から最後まで普段から仲の良い人同士で話してたり、席をくじ引きにしても30分もすると元の木阿弥だったり。。。
まあ、人によって話が合う合わないもあるからしょうがないのですが。

職場の半数が、挨拶程度はするというメンバーでは、密度の高くなるコミュニケーション手段では一体感を作り出すのは難しいと思っています。

ここで話が変わりますが、過酷な状況であっても、テンションが高く熱のある環境で経験した仕事は、後で振り返って自分の力になった出来事が多くあるものだと思います。なにより、一緒に仕事した仲間との絆が深い。いろいろと教えあったり助け合ったりして仕事を進めて行った経験は、この上なく貴重な財産だと思います。

逆に、テンションも温度も低い仕事は、上手く回ってないのが普通ですし、万が一上手く回っていたとしても、振り返った時にやらされ感の強い仕事が多かったり、同じ事を同じレベルで繰り返すだけで、挑戦も変化も殆どなかった。そして、一緒に仕事した人のことも良く覚えてなかったりします。何かを教えてもらったり、教えたりということも少なかった。

どちらも、おそらく一般的な傾向だと思います。

で、いきなり結論というか極論(笑)
結局、情報の共有を活発にするために欠かせないのは、その場の熱なのでは?と思っています。
熱は、文字ではほとんど伝わりません。できるだけ声と表情が伴った方が良い。その熱が生まれる環境を整えるための手段として活発なコミュニケーションが必要なのだと思います。

そしてコミュニケーションの活性化には、頻度、節度、密度が重要だと思います。
頻度が最初なのは、今は、メールの取りが大半を占め、普段からパソコンを主な仕事相手としていてface to faceで話す機会が少ないことから、人と話す頻度を作るのが一番難しく、これを確保できないと、密度が高くても範囲が限定されるためです。また頻度が確保できても、当然、一方通行ではダメです。

それと心理学の話で、こんな感じの逸話を聞いたことありませんか?

「週に一回デートするよりも、毎日電話する方が親密度は高くなる。」

実際そうなんですよね。
例えば、仕事上で、
やり取りはメールのみ。合った事も声も聞いたこともない。だけど連絡回数が多い。そんな相手の方が、同じ職場にいる殆ど会話しない人よりも、親近感があったりします。また、挨拶がちゃんとできる人が好かれたり、マメな人が人間関係に強いのもそういうところに起因している気がします。
たとえば、一日に一回以上、プロジェクトメンバー全員が対面して一人一人が発言(状況を報告)する場を作る。発言している人の表情と声を感じられる場といった方が良いかもしれません。それだけである程度頻度を上げる効果はあると思います。

節度が二番目なのは、頻度が確保できても節度がないと関係が壊れてしまって頻度が下がるためです。なので、そこは少しだけ空気を読んでもらう。当たり前の事ですが、お互いを尊重してもらう。親しくなったからこそ礼儀が必要と認識してもらう。ということ。
これは、個人の品性に左右されるところなので、仕組みを作ってどうこうできる事ではないのかもしれません。余りに場を乱す人には外れてもらうとか、そういうことも必要で、密度以前になければならないものだと思ってます。

そして三つ目の密度。
これは、頻度+節度あれば、自然と出来上がるし、何かしらの節目や切っ掛けが欲しい時に、飲み会等のイベントを作ればその度に深められます。わざわざ上げなくても良いのかもしれませんが、先に書いた「テンションが高く熱のある環境」では、必ず生まれていました。場を作るのは人の交流な訳ですから当然ですね。
ただし、ある程度の偏りは仕方ありません。また、密度が上がりすぎるとそこだけで完結して、その周囲とのコミュニケーション頻度が下がる(節度が低下することもある)傾向が見られますから、ちょっと注意が必要になります。

まとめると、
1.頻度を上げて流動性を高める(風通しを好くする)。
2.節度でそれを維持する(偏りを出来るだけなくす)。
3.密度を高めて温度を上げる。
4.イベントで切っ掛けを作る(少しだけ燃料を注ぐ)。

そして、仕事が回りだす。
直噴エンジンの燃焼サイクルの様ですが。。。

私の個人的な経験からは、熱のある場になって初めて、満足に情報が共有出来るのかもしれないと思っています。
そして、熱のない場所で無理にそれを作ろうとしても、結局、箱だけ作って終わり、というケースがほぼ全てだった気がします。(仏作って魂入れず。なのでしょう。)
熱が生まれる仕組みがあって初めて、情報共有の仕組みも生きる。

もしかしたら、熱が生まれる仕組みがあれば、情報共有の仕組みが整ってなくても自然と情報は共有される。そういうものなのかもしれません。

ちょっと論点が違ったかもしれません。

長文失礼しました。

Ahf

三年寝太郎さんコメントありがとうございます。読み応えのある内容でした。

熱が産まれる仕組みがあれば、というのは非常に思い当たる点がありまして
ものすごく納得してしまいました。今の私の勤め先では、熱量が非常に少なく偏っているところがありまして・・・。

プロジェクトとして温度が高まるような事があればまた変わる、というのも理解できます。ただなかなかそのような仕事に巡り会えるかと言われると、これもまた難しいところですよね。

コミュニケーションというのは本当に難しいものだと思います。

anonymous

熱って良い表現ですね。

「共有?それって楽しいの?」と聞いて、
「楽しい!」と即座に返って来ないようなところで
共有の仕組みを云々してもあまり意味ないと思いますね。

活発に情報交換してたチームが、「勉強会にして記録残してみんなで共有しよう」
となったら白けて壊れてしまうようなのも同じかな?

"君たちのやっていることは素晴らしい。是非共有すべきだ"という
反論の許されない善意こそが熱を奪って冷たくしてしまう。

仲間内だからこそ楽しいんじゃん?
見知らぬ不特定多数相手だからこそ気合入るじゃん?
熱の無い連中のために自分の時間割くなんて馬鹿馬鹿しいじゃん?
…といった人に情報共有の仕組みを押し付けたところで稼動するわけも無く。

としろう

引用の「社内で聞かない文化」も
情報共有が進まない原因の一つも
結局は成果主義のせいなんですよ。

引用の件では
・ライバルに下に見られ上司に下に評価される
※ここで成果報酬の総和実質一定→相対評価で配分→自分を上げるには他人を下げる
という動機が生まれる

後者では情報提供者がその情報をまとめ公表する時間と効果に対する評価が薄い
※ここでも報酬一定→相対評価→ライバルが得→自分が損

本当は、長い目で見れば報酬増加とかリスク低減などでメリットもあるが
当面自分に対する短期報酬は減る傾向などね

あと、情報は整理されなければゴミのような情報の山から見つけるのも面倒になる

新人の件は、簡単に調べられる事や、一度聞いた事を何度も聞くようでは
咎められても仕方が無いものとし
聞くべき問題と自分でやるべき問題の切り分けを出来ないか
切り分けを自分で判断できないのが問題なのでしょう

Ahf

anonymousさんコメントありがとうございます。
いや、anonymousですとなんというか微妙な気持ちですが。

仲間内だから楽しい、不特定多数だから楽しい。
その気持ちはわかります。このようにコラムを書かせてもらっている私も、コメントという形で不特定な方から反応があると非常に嬉しいです。

ですが個人的に、熱を持たない人にどうやれば熱を感じてくれるか、というのは考えていきたいと思いますよ。できるかどうか、と言われるとまずできない気もしますけど。

しかし「反論の許さない善意」というのはドキッとする言葉です・・・。
私も気をつけないといけないなぁ、と改めて思いました。

Ahf

としろうさんコメントありがとうございます。

成果主義が原因と言われますが、私はあまり原因とは思っていません。
要因の一つかも知れませんが、成果主義が今のように広まるよりも以前から「聞かない文化」はあったと思っています。今に始まったところでないというか。

コメントで触れられている、相対評価と報酬の総和というのは厳しい問題ですよね。企業における評価制度により、自分を上げるには他人を下げる、という思想が多くなってしまうのは、なにか悲しい気持ちになります。

かといって、そこで自己を押し殺してまで周りの為に尽くせるか、と言われるとそこまでできた人間にはなかなかなれないですよね・・・。

としろう

>成果主義が今のように広まるよりも以前から
>「聞かない文化」はあったと思っています。

これは弟子に、自分で見て盗め(自分で仮説立ててやって見て正しいか確認しろ)
の慣習から来ていると思いますが(職人としてはこれもあり)
今の勉強は受身と思っている人間には通用しません
指示待ち人間のような動きをする人にも。
それだけ職人のように向上心を持っている人間は稀だし異端視されそうです

職人のつもりもない作業員のような会社員や、
職人集団のようにしない会社組織では変わりに情報共有がないと
各人ひとり親方の烏合の衆のようになって
「あれは誰に聞かないとわからない」(プログラムに限らず)状態になる

Ahf

としろうさん再度のコメントありがとうございます。

私も感じているのですが、今は受け身な姿勢の人が多く見られるようになったと思います。実際ここ数年、職人気質な人材には出会えていないですね。

何というかコメントで出されている例というのが、今の勤務先とだぶって仕方ないです・・・。

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