いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

人工知能とかが切り開く未来をノリに任せてDisりまくってみる

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■もしそこに人工知能があったら、君は耐えられるか

 最近、人工知能についての話をよく聞く。エンジニアライフにもたまにそれに関するコラムをみる。まぁ、自分でも書いてますがね。だが、ここで断言させていただく。コンピュータの目指すのは人間の模倣でなく、コンピュータとしてのあるべき姿だ。コンピュータにいちいち知能なんていらん。ただ機械的に動いてさえくれればいい。

 例えばだ。コラムにクソコメントを付けたことがある人なら、こんな風な画面を見たことがあると思う。

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もしだ。意気揚々とクソコメントを書き込んでこの画面でだ。コンピュータに「お前アホか?こんなガキみたいなコメントつけてから仕事できないんだ。寝てろ。」なんて言われたら、間違いなくブチ切れするだろう。

 これからの時代、クラウド上に巨大な人工知能が作られたりしたらどうだろう。たまたまあなたの黒歴史が記録に残っていたものが、人工知能に認識されたとしよう。そして、意図せぬところで暴露されてしまったらどうだろう。人工知能にはそういう危険性も孕んでいる。

 人工知能が人に近づくことで得られる未来は、意外とうっとおしい。今の時代、ITに取り残されて情報弱者になって不利益を受けている人もいる。同じように、人工知能が発達することで、人工知能に対して気をつかういう、本末転倒な未来を私は予測している。

■人工知能など要らん。人がいればいいじゃないか。

 そもそも、人工知能を作る目的って何なんだろう。たぶん、儲かりそうだからじゃないだろうか。儲かる理由としては、人を削減できるからではないだろうか。すごく大雑把に言えば、人にお金を払いたくないから人工知能に注目してるんじゃないかとも思う。

 人工知能に関しては、「そこまでやるか」感をすごく感じる。たかが機械を酷使して、そこまで生活に便利さを求めたいかと。人類は、力仕事に飽き足らず、判断まで機械に委ねてしまうのかと。それって、判断という人間に与えられた特権を放棄することにならないだろうか。

 百歩譲って、人工知能で利便性を高めて、「じゃぁ自分たちは人間らしい生活を追求しよう!」ならまだいい。利便性が高まったところで、商用利用を促進して、更に儲けようとする。結果、競争が激化するだけで、私たちの生活は充実することはないだろう。

 人間のことは人間でやればいいと思う。人にお金払いたくないからというのが動機なら、ろくな結果に繋がらないだろう。それよりも、目の前にいる人間をきちんと活用できるようになるべきじゃないだろうか。

■人工知能は人間と同じ発想はしない

 人工知能がいくら発達したとしても、人間と同じ発想をすることはないだろう。決定的な違いは、入ってくる情報が全然違うからだ。機械的にインプットされる情報と、人間が能動的に感じる情報は根本的に違う。

 人工知能にいちいち味覚や嗅覚なんてつけない。必要なデータを流し込んで、そのデータだけを元に考えさせる。それだけだ。研究が進んで六感を付けたとしても、尿意や便意を感じる機能なんて実装される事はないだろう。

 こういう生理現象は、感情の形成の根本にもなっている。痛い、苦しい、眠い、あのねーちゃん綺麗だな。こういう情報はいくらでもオミットできる。だが、こういう情報無しではリアルな人間の感情を再現することはできないだろう。

 ここで断言したい。どんなに人工知能が発達しようと、おっぱいにいだくロマンを語り合って共感できることは無いだろう。高度な情報処理ができたとしても、所詮は機械だ。人にはなれないということだ。

■今の人類は人工知能を使いこなせるレベルではない

 現代人の精神性は低い。同じ人間同士でも協調していくのが難しい。そういう人たちに、変に便利な道具を与えてもろくな使い方をしない。バカに包丁を渡したら、殺し合いを始めるような、そんなようなものだ。

 人工知能という便利な道具を作り出したとしても、経済には活用できるが、自分たちの幸福に繋げる活用方法は見出せないだろう。経済にさえ活用できれば幸福に繋がるだろう。程度の思考で完結しているのが今の人類だ。

 難しいことを書いてみたが、俺たちの本当に望むものってなんなのだろう。とりあえず今浮かぶのは、みんなで和気藹々とおっぱいに馳せるロマンを語り合える事かもしれない。

 テクノロジーの開く未来というのにはほとほと絶望する。テクノロジーが未来を開くのではない。未来を開くのはあくまで自分たちだ。仮想空間に揺れるおっぱいでなく、現実に目の前に揺れるおっぱいをつかめ!それが、リアルに人として生きている実感だ。私たちの望むリアルだ。

 人工知能なんてクソくらえだ。そんなものに未来を託す気は無い。己を鍛えろ、リアルに挑め。そして、その手でおっぱいを愛でろ。それが人として生きている実感だ。その感覚をかみしめろ。

・・・あぁ、そんな感覚を噛み締めたいなぁ。

Comment(3)

コメント

ari

感動しました

仲澤@失業者

最近考えるのは、ひょっとすると人工知能が生物進化の最終的なゴールかもしれないなぁ、ということです。
人類は中間的バトンの走者で、頑丈な非生物で生物を模倣する仕組みさえ発明できれば、
どんなものが達成しても良いのだよ・・・とDNAがしゃべりだしそうな気配を感じます(vv;)。

てんるう

技術者目線だけで考えると、AI開発に実用的な目的は無いんじゃないかと思います。
「面白そうだから」とか「作ってみたいから」とか「子供のころ見たマンガやアニメの影響で」とか「どこまで性能を上げられるかチャレンジしたい」なんかが理由かと。
で、ある程度使えるようになったら目敏い人が実用的な目的設定や使い方をするんだと思います。
あとは研究費とか開発費を獲得するために表向きな目的やテーマを設定しているというのもあるかもしれません。
個人的には「おっぱいのロマンを語り合えるAI」(エロAI?)も実現可能だと思っています。人がそれを望む限りは。

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