いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

Apple Musicの開始で、いよいよ人としての感性に終焉が見えた?

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◾︎私たちは音楽の価値を理解しているのだろうか

「音楽を流す者は多い。だが、聴いている者は少ない」

 私の知り合いのギター講師の言葉だ。この一言に私は大きな感銘を受けた。今の日本は音楽にあふれている。お店にいけばBGMが流れていて、レコードショップに行けば好きなCDが簡単に手に入る。最近ではiTunes Storeで簡単に、欲しい曲だけ買える。

 これだけ便利になったにもかかわらず、Apple Musicがリリースされた。ストリーミングによる聞き放題のサービスだ。そこそこの大きさのレコードショップのCDを、「定額で好きなだけ聴いちゃっていいよ。」ってノリだ。すごい時代になったものだと思う。

 ただ、便利になったはいいが、音楽のありがたみをあまり感じなくなった。音楽の楽しみ方は人それぞれだ。良し悪しのありかたは別として、Apple Musicのような聞き放題のサービスが一般化することで、この傾向はより強くなると予想している。

◾︎演奏者への対価

 そんなことで気になるのは演奏者への対価だ。定額で音楽を聴けるようになったら、演奏者への報酬が減ってしまうのではないか。詳しい仕組みは知らないが、そんな懸念がある。

 自分も音楽を演奏する人だが、一曲仕上げるにはなかなか手間がかかる。曲を演奏する人もそうだが、曲を書く人もいる。また、音楽だけでなく、パッケージのイラストや写真を作成する人もいる。音楽は多くの人の労力や工夫で成り立っている。

 安く音楽を楽しみたいという気持ちは分かるが、裏返せば対価を払いたくないとも言える。プロの演奏者と言えども、良かったねの賞賛だけでは飯は食えない。便利なサービスが広まるのもいいが、演奏者への対価はもっと真剣に考えられるべきだ。

◾︎演奏者とエンジニアは似ている

 対価を渋られるという点で、エンジニアとして演奏者の待遇が他人事とは思えない。膨大な努力が必要とされる割に冷遇なのも、演奏者の待遇によく似ている。人の努力というのは、以外と値段がつきにくいのかもしれない。

 人の習性として、手っ取り早く自分の希望を叶えてくれるものに価値を見出す。だが、本当にいい音楽は、分かる人にしか分からない。これも技術者の価値と同じだと思う。音楽にしても、技術者の価値にしても、知ろうとした人にしか理解できない。

 インスタントに希望が叶うようになった代わりに、考える力が落ちたように思う。そして、対象を理解しようとしなくなった。便利さばかり追求した代償として、ものの価値を理解できなくなったのかもしれない。

◾︎対価を払う仕組み

 多くの音楽が安価に聞けるのは、確かに魅力的だ。だが、音楽で生活している人たちにとってはどうなのだろうか。Apple Musicはどうなのか知らないが、便利な仕組みと同時に、対価を払える仕組みも必要だ。

 得られる恩恵に対して適切な対価は支払われるべきだ。もし対価が支払われないなら搾取になってしまう。一時的には利益がえられても、長期的には音楽業界自体が衰退してしまう。クラウドファウンディングのような、気に入ったアーティストに利益を還元できる仕組みができないものだろうか。

 対価を払うことをためらう人は多い。だが、対価を払うことは損失ではなく投資だ。継続的な発展を促してくれる。サービスの良さとして、便利がアピールされることが多い。長期的な発展について真面目に語る企業は少ない。結局、私たちの感性が退化して、便利さしか心に響かなくなったのかもしれない。

中津山さんのコラムの題名のに惹かれて、なんとなくタイトルが浮かんだので、Apple Musicのネタでコラムを書いてみた。

Comment(1)

コメント

仲澤@失業者

大昔、FM放送で流れる曲をカセットテープ(Cカセット)に録音して聞いていたのを思い出しました。
いわゆるエアチェックですね。
当たり前ですが、録音する側は当然タダ。逆に、放送する側は著作権管理団体に申告して使用料金を支払う義務が発生します。
Apple Musicが放送に相当するのかどうかはわかりませんが、不特定多数を対象にするわけなので著作権者に対して、当然料金の支払義務が発生するわけですね。
Appleは最後発なので、本当に事業的に成り立つのかって方が、むしろ気になります(笑)。

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