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人生は短いですが、走るばかりでなく立ち止まって考えることも大事です~鬱になった親戚と、助けてくれた修行僧の方々に思うこと

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 年齢の近い親戚の男性が「鬱病」になったのは2年ほど前です。当初は知識がなかったので、話をしていると「何とだらしない奴」としか思いませんでした。本人も同じ思いだったらしく、物事にうまく対応できなかったり、つらくて何でも敬遠しがちになることが、「自分はなまけ者」という気持ちになり、余計に落ち込むそうです。

 はげますつもりで、「情けないことを言うな、頑張れ」などと言ったり、時には叱ったこともありました。今考えれば、なんとひどいことをしたのだろうかと思います。鬱に対して知識のない者が、自分の思い込みだけで対応するのは、かなり危険なことだったと知ったのは、かなり後になってからのことです。

 一応、人生経験はあるので、それなりの話もできると自分では思っていたのですが、そんなものは何の役にも立たないと、思い知らされました。

 詳しいことは省きますが、その親戚は1年近く前に立ち直って、今は元気にしています。一時はどうなることかと心配していました。

 立ち直りには時間がかかり、家族や親戚はもちろん支援したのですが、一番協力してくれたのが、実は近くの有名な禅寺の修行僧の方々です。

 修行で忙しい中でも、しっかり話を聞いてくれて、仏教だけでなく色々な話をしてくれたそうです。静かなお寺の一室でお茶をいただいたり、木々に囲まれた中で静かに考えたりで、本人も自分を見つめるのに、大変貴重な時間だったと話していました。

 この話は、自分がいかに増上慢(ぞうじょうまん)だったかを、改めて見せ付けられた出来事です。

 前しか見ずに思い切り突っ走って来た今までの人生で、初めて急ブレーキを踏んで立ち止まり、自分を見つめなおすことになりました。

 仕事でもそれなりに多くの経験を積んできて、プライベートでも色々なことを体験してきました。いや、自分ではそのつもりでいたのです。

 振り返ると仕事でもプライベートでも、自分の考えと異なる意見については、聞いているつもりでほとんど聞いていないし、もっと言うと「何を言っているんだ」と心の中で批判さえすることがありました。いくらそれらしいことを言っていても、これではどうにもなりません。

 わたしも先ほどの修行僧の方々と話したことがありますが、何と人の話をうまく聞いて適切な言葉を挟むのか、と感心しました。わたしよりずっと年下ですが、心から聞いているのです。

 周囲にもそれが分かるのです。

 それまで実を言うと、お坊さんのことをあまりよく思っていませんでした。現実感の中で生きていくことから逃げた人たちと思い込んでいたのです。

 じっくり考えると、今まで自分は家族、親戚、友達、会社関係の人たちに、数え切れないほどいやな思いをさせたのではないかという気持ちが湧き上がってきます。

 人間は楽しいことだけが記憶に残り、いやなことはさっさと忘れてしまう構造になっているそうです。そうでないと生きていけないからだそうです。

 こうやって立ち止まって思い起こすと、次から次へと止め処もなく湧き出てきますが、されたことより、したことの方が多く思い出されるのは、そのせいかもしれないというのが、せめてもの救いです。

 自分が少しでも成長できたかどうかさだかではありませんが、間違いなくいい体験をしました。今後に活かせるかどうかは自分次第でしょう。

 わたしの母は、今の自分より若い42歳で亡くなりました。父ももういませんが、今になって何を考えどう生きたのだろうかと知りたくなります。憶えているのは、毎日を生きるための懸命な姿だけです。それを思い出すたびに人生は短いなぁとつくづく思います。

 もう10年近く前になりますが、わたしが日本オラクルで研修本部ジェネラルマネージャを務めていたとき、上司は当時の佐野力社長だけでなく、USオラクルのワールドワイドエデュケーションサービスのトップでした。そのトップの下、ビジネス戦略の共有や状況報告のため、USで3カ月に1度のタイミングで戦略ミーティングが開催されていました。出席者は、ワールドワイドの4リージョン(アメリカリージョン、ヨーロッパ・アフリカリージョン、アジアリージョン、ジャパンリージョン)の代表や関係者の20名くらいでした。

 わたしにとって英語でのミーティングはつらいものがあり、初日の朝は勇気を振り絞らないと、ホテルの部屋から出て行けないほどでした。土日をつぶして必死になって英会話スクールに通っていましたが、それなりにこなせるようになったのは、1年以上経った後のことでした。

 開催場所は西海岸の有名なリゾート地が多く、月曜から木曜までがミーティングで、金曜には家族をよんでバケーションというのが定例でした。また、木曜の夜はラップアップパーティが催され、家族も参加できることもあって出席者の楽しみになっていました。ファイナンシャル担当のバイスプレジデントもミーティングに毎回出席しており、夫人も大抵はパーティに参加していました。

 わたしと何度か顔を合わせるうちに仲良くなりましたが、あるとき「英語がうまくなったが、どうしてなの?」と聞かれました。わたしは得意げに英会話スクールに通っていることを話しましたが、

 そうすると彼女は真っ赤な顔をして怒り出したのです。「なぜ、休みなのに仕事のために時間を使うのか。もっと家族と一緒にいるべきだ」、そう言って「Life is very short」と付け加えました。そのときは、事情も知らずに何を言っているんだと内心思っていましたが、時間が経つにつれ色々考えるようになりまいした。

 ほとんどの人は、人生の一番体力的にも精神的にも充実している期間の大部分を、仕事をすることに使っています。少なくとも月曜から金曜まで1日に8時間以上働き、それ以外は食事をしているか寝ている時間が占めます。

 つまり、人生の一番いい期間を仕事に費やしているとも言えます。そう考えれば、その時間をいかに楽しく前向きに、達成感のある充実したものにするかが大事だということになるでしょう。

 自分の成長に真正面から向き合って、どうすれば成長できるかというPDCAを廻すことは、人生設計そのものになるに違いありません。しかし、それは理想で壁にぶち当たるのが常です。

 そのときに、いかに自分を見つめることができるか、自分のためではなくて誰かのために何ができるかと考えられるかが、自分の今後を決めることになると思います。

 それが、これまで生きてきた自分を見つめ直して得たことですが、しっかり心に刻んで忘れないようにしたいと考えています。

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