言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

素人を頑張らせてもろくなことはない

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技術力の問われる仕事では、素人がどんなに頑張っても結果は出ません。結果を出せるとすれば、よほど斬新なアイディアがあったか、類い希な才能か強運があったかのどちらかです。素人が結果を出すのは不可能ではないが相当難しいです。また、結果を出し続けることはさらに難しいです。

この表現には一つ、問題になるところがあります。素人が頑張って結果を出すことは「不可能」ではないことです。まれに素人でも頑張りだけで大きな結果を出す人がいます。そのレアケースの中で、更に結果を出し続ける奇跡的なケースも実在します。こういうレアケースはドラマチックで、人々に大きな感動を与えます。

この感動を追体験したいがために、新人に過剰な勤勉さを強いてはいないでしょうか。お互いの素性も知らない内から阿吽の呼吸を求めたり、仕事の内容を把握しない内から一を聞いて十を知ることを期待していないでしょうか。年配の人ほどこのような傾向が強いです。仕事の結果を出すよりも、感動のレアケースの再現が求めてしまいます。

「○年で即戦力になって○年くらいでマネージャになって・・・」のような話をよく聞きます。最速記録がその年数の基準になっていないか疑わしいです。それを万人に求めても実現できません。仕事でよくみかけますが、希望と目的が混同されると根性論や精神論に走りがちです。その典型が学校教育です。

素人は積み重ねで玄人になります。素人に求めるべきは頑張りではなく積み重ねです。いつまでも素人のままで頑張らせるか、玄人に成長してもらって普通に動いてもらうか、結果は大きく違ってきます。積み重ねとは、一つ一つの事柄をかみ砕いて理解し、自分のものにしていくことです。頑張りというドラマを追求しても人は成長しません。納得という実感をもって育っていくものだと思います。

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コメント

山無駄

素人(新人?)を育てるには、本人のレベルより少しだけ高いレベルの課題を与えて本人が頑張って結果を出す、という成功体験を繰り返させます。


もし途中で挫折しても、フォローして結果にたどりつくことが肝要です。学校教育は平均的なレベルでのカリキュラムが決められているので、学校の授業だけでこの成功体験がつめるのは、ごく一部の生徒です。


ある一定のレベルになると、こちらがレベルのコントロールができなくなるので、生の業務がそのまま、技術者の課題になります。


周りは指導者ではなくメンバーとして協力してくれますが、その中で自分の課題をクリアしていかなければなりません。当然挫折もあります。それを乗り切れて初めて、玄人(プロ)ということになります。

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