【小説 しょっぱいマネージャー】第十九話 犬に激似の猫
「里野秋華といいます。よろしくお願いします」
雄一の隣に座る秋華は頭を下げた。
「よろしくお願いします」
谷中は頭を下げた。
「おう、よろしく頼むぜ」
池江も頭を下げた。
田原だけは何も言わず小さく頷いただけだった。
雄一は進捗会議の場にて、秋華をリーダー等に紹介した。
その日、プロジェクトルームに秋華は黒い細身のパンツスーツで現れた。
スラリとした肢体に良く似合っている。
そんな彼女はオシャレに無頓着らしく、家では考えなくていいからという理由でセーラー服ばかり着ていたものだ。
若さでキメの細かい肌は光を反射して白く輝いている。
ノーメークでも十分だった。
雄一は全体を見渡さなければいけない立場でありながら、時折、彼女ばかりを見ていたのだった。
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マッチングエンジンの開発は秋華がプロジェクトルームに来てから大きく前進した。
他のメンバーと物理的に近いことや、高性能のサーバが使える等といったこと、そして何より、本番データを使ったマッチングエンジンの学習が行えるというのが、大きな理由だった。
エンジンをリアルチームの作ったマッチング画面に取り込み、何度も精度や速度を検証した。
「会員ID105002と252400と」
秋華と雄一が見守る中、池江が画面に男女の会員IDを入力し、実行ボタンを押した。
3秒後に99%と返って来た。
別のペアで試してみる。
今度は2秒後に10%と返って来た。
「最初のペアは成婚したペアで、その次のペアは付き合ったが性格の不一致で別れたペアだ」
池江は画面を見ながら感心したように結果を評価した。
「てことは、精度は問題なさそうですね」
「うむ。だが、運用開始してからが本当の勝負だな」
池江と秋華は頷き合った。
「というと?」
どうやら雄一だけが理解出来ていないようだ。
「今までは結果在りきの既存データだったが、運用開始してからはまだ結果が出ていないデータが相手だ。いわゆる未知の領域ってやつだ」
大量の教師データを使った学習でマッチングエンジンは成長した。
お陰で既存データのテストにおいては申し分ない精度を弾き出すまでになった。
だが、運用開始後は新規のデータ、つまり結果が出ていないデータが相手だ。
例えば、新規会員データとして男Aと女Bが登録されたとする。
その二人の成婚率をマッチングエンジンを通して弾き出す。
その成婚率は未来を予測しているだけのものだ。
つまり、この成婚率を元にAとBが予測通りの行動をとらなければ、マッチングエンジンの存在価値は無い。
「でも、既存のデータで十分学習したんだから。どんなデータが来ても絶対大丈夫でしょう」
雄一が楽観的な見解を述べると、
「絶対なんか無い」
秋華は断定するようにそう言った。
「秋華さん。自分で作ったものを否定するんですか?」
「そう言う意味じゃなくて」
秋華は雄一のことを呆れた顔で見た後、鼻から息をつきこう言った。
「例えば、AIに1000枚の猫の画像を見せて、これが猫だと学習させる。その後、1枚、犬に激似の猫の画像を見せる。するとAIは高確率でこれは犬だと判断するでしょう」
「犬に激似の猫なんていない」
「突然変異で生まれるかもしれないじゃない」
「あ......」
雄一は秋華の言った「絶対」の意味が分かった。
データを元にAIが相性ピッタリだと判断したとしても、それが絶対ではないのだ。
逆にピッタリでない場合も。
AIを勉強して来た彼女だからこそ、この現実に行き着いたのだろう。
「精度のことについてどう書かれてるんだ?」
池江が端末を操作し、要件定義書を開いた。
「理想の相手をマッチングさせるためにAIを使用する。
AIは高確率で相性の良い相手を選び出すものとする」
その一文のみしか書かれていない。
「曖昧な表現だな」
「高確率ってことは100%までは目指してないんだろうけど......」
「理想は理想としてあってもいいよ。それが売りなんだから」
池江は雄一から秋華の方を向いてこう言った。
「だけど、指標としてどれくらいの精度を目標としているかは書いといてほしいよね。ゴールが分からないとマッチングエンジンの開発にどこまでも工数を割くことになるから」
秋華は雄一に呼び掛けた。
「プロジェクトとして目指している精度を確認してください。パーセンテージで」
「はい」
池江は打ち合わせがあると言って席を立った。
秋華も持ち場に戻ろうと席を立とうとした時、
「待ってください」
雄一は呼び止めた。
彼女は怪訝そうな顔をし、席に着いた。
「秋華さん、力を貸してください」
雄一は相談員の寺山のことについて相談した。
AI反対派の寺山は、水曜日のワーキンググループまでにそのメリットとデメリットを説明するように迫っているのだ。
「俺が思うに、寺山さんはAIに自分の仕事が取られることを恐れているから、AIを嫌っているんだ」
雄一が思うところを言うと、秋華はこう答えた。
「さっきも言ったように、AIにも人間にも絶対なんて存在しない」
「はい」
「AIが間違えた答えを出したら、それをフィードバックするのは人間の役目。AIはあくまで人間の仕事を補助するもので、それ単体でシステムを運用するべきじゃない」
言葉少なだが、秋華の言っていることは要点を捉えていた。
雄一は寡黙な彼女から答えを引き出すような訊き方を繰り返し、何とか自分なりに寺山を説得させる材料を作り出していった。
苦しい作業ではなかった。
何より秋華と二人だけで話せたことは、仕事とはいえ心躍る体験だった。
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顧客側のステークホルダーとPM雄一を交えた定例のワーキンググループでは、マッチングエンジンの精度と、AIのメリット、デメリットが議題に上がった。
マッチングエンジンの精度については、事前に三浦部長と話しておいた。
工数や期間などを考慮し現行本番データ全てのパターンにおいて、精度が70%以上であればOKとの結論を用意した。
「ほら、100%なんて無理じゃない。AIを使うなんてお金の無駄よ。私たち人間の方が臨機応変だし、何より温もりがあるわ」
と、寺山はしてやったりという感じで雄一を指差した。
「確かに、寺山さんの言うとおりです。人間の方が優れている部分もあります。ですが、AIを使うことはもうプロジェクトとして決まったことなのです。そこを理解していただきたい」
三浦部長が助け舟を出してくれた。
「そんなこと勝手に上が決めたことでしょうが!」
それでも反論してくる。
「寺山さん、よく聞いてください。システムのリニューアルは社運を賭けた一大事業なんです。流行のAIを使う、それだけでもう消費者の側からすると魅力的なんですよ」
「そんなの嘘です。絶対人間の方がいいに決まっています」
「果たしてそうでしょうか?」
三浦部長は隣に座っている女性の方を向いた。
見慣れない顔だ。
いつもはこのワーキンググループには出席していない。
グレイのスーツを着た銀縁メガネが似合う、知的な雰囲気の女性だ。
「広報の安藤です。既存会員にアンケートを取ったところ相談員からのフォローの電話が多くて若干対応が面倒だという意見をいただいています」
「え......?」
寺山は口を開いたまま固まった。
「また、今後、AIを使ったマッチングを行うことについては好意的な意見を多数いただいています」
安藤はしなやかな指でタブレットを操作し、アンケート結果のグラフを寺山に示して見せた。
「こんなの嘘よ! 人間の方が良いアドバイスが出来るし、私はこれまで何組ものカップルを......」
激しい気性なのか拳を卓に叩きつけ、嗚咽した。
隣にいる若い女性相談員が、彼女の背を優しく撫でている。
再び三浦部長が説く。
「私たちは慈善事業をやってるんじゃないんですよ。人間だろうがAIだろうが消費者には関係ないんです。結果が全てなんです。良いと思ってもらえるものを提供出来なければ、会社自体が潰れてしまいます」
打ちひしがれる寺山を、雄一は若干かわいそうに思った。
「寺山さん。AIの精度は100%じゃありません。だから、人間の、寺山さんの力が必要なんです」
雄一はふさぎ込んだ彼女に語りかけた。
「例えば、マッチングエンジンが出した答え通りに付き合った二人が上手くいかなかった場合、その結果をマッチングエンジンにフィードバックする必要があります。そして、失意の二人をフォロー出来るのはAIではない寺山さんの役目なんですよ」
雄一が諭すように言うと、寺山の顔が少し明るくなった。
「それに、AIがあなたの仕事を全て奪うことはまずありません。会員への個別対応はこれまで通り行っていただく必要があるし、何より今回のリニューアルでAIが使われるのはこのマッチング部分だけという限定的なものです。AIはあくまであなたの仕事を補助するもの、まあ秘書とお考え下さい」
寺山が顔を上げ、雄一の方を見ている。
「有馬さんの言うとおりですよ。寺山さん」
若い相談員が寺山に話し掛ける。
「北村......」
「AIが私たちの仕事を一部請け負ってくれるなら、空いた時間を有効に活用出来ると思いますよ。それこそ営業活動とか、あと新規事業の準備とかも」
「......そうね」
会は和やかな雰囲気のまま幕を閉じた。
それは雄一がPMになって初めてのことだった。
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「ありがとうございます」
雄一は三浦部長に頭を下げた。
「お疲れさん」
それに応えるように、三浦部長は缶コーヒーを雄一に手渡した。
二人は休憩室で向かい合っていた。
「お陰で寺山さんを説得出来ました」
「AIをシーバードの上層部に提案したのは私なんだ。君は突然PMになってそんな事情も知らない。私が手助けするのは当然だ」
そう言われた雄一は目頭が熱くなった。
ジュルッとコーヒーを一口飲み、涙をこらえる。
「お疲れ様です」
二人の間に北村が割り込んで来た。
「お疲れさん」
三浦部長はそう言って、彼女にも缶コーヒーを手渡した。
「君の援護にも助けられた」
「そんなことないですよぉ。寺山さんは考えが古いし、押しつけがましいから今回のことは丁度良かったんです」
北村はAIを使うことに賛成のようで、それで少しでも仕事が楽になればいいと考えているようだ。
「なんだかんだ言って、寺山さんが一番業務を知っているからね。受入テストは彼女の協力が必要だ」
雄一は三浦部長の根回しに感心した。
「おっと、安藤君にもお礼を言わないと」
三浦部長はそう言って、電話を掛け出した。
(上手く回り出した)
雄一はそう思った。
つづく
コメント
匿名
>例えば、AIに1000枚の猫の画像を見せて、これが猫だと学習させる。その後、1枚、猫に激似の犬の画像を見せる。するとAIは高確率でこれは犬だと判断するでしょう
文脈的に判定は猫では?
桜子さんが一番
有馬君の周りには美人ばかり!!くやしいです!!w
名無し
冒頭か末尾に、章内に登場する人物を軽く説明する文言があると本文に入り込みやすい気がします。
VBA使い
ジェラトーニの写真を、Googleさんは猫と判定しましたw
第一話のコメントで「データ移行の話もあるので自然DBの話も入れて行きたいです。」
ってありましたが、もう自然DBって出てきましたっけ?
foo
今回はだいぶ更新が早かったような。桜子の闘魂注入(当然物理)は秋華だけじゃなく作者にも効果てきめんだったんだろうか。
> その日、プロジェクトルームに秋華は黒い細身のパンツスーツで現れた。
> スラリとした肢体に良く似合っている。
秋華はあえて制服ではなくビジネススーツで出勤か。一応学生の制服は礼服扱いだから改まった服装だとは言え、やっぱり制服で勤務すると、それがかえって職場の風紀を乱すと判断されて父親か……もしくは桜子あたりから NG が出たんだろうか。
現実だとまずありえない光景なので、いろいろと想像のし甲斐があるぜ。
湯二
匿名さん。
コメントありがとうございます。
猫に激似の犬
↓
犬に激似の猫
でした。
指摘ありがとうございます。
湯二
桜子さんが一番さん。
コメントありがとうございます。
>美人ばかり
作者の妄想と幻想ばかりですな。
湯二
名無しさん。
指摘ありがとうございます。
前々から登場人物が増えて来たから、読む方は大変かなと思ってました。
ただ、冒頭に登場人物の説明を載せると、連続で読んでる人はそこで引っかかるかなと。
とりあえず別ページで登場人物をリスト化してみました。
各話の末尾にそれをリンクさせてみます。
湯二
VBA使いさん。
コメントありがとうございます。
ジェラトーニはディズニーの仲間ですか、初めて知りました。
画像見ましたが、猫と言えば猫ですが、私はグレムリンに見えました。
googleのほうが優れてる。。。
>自然DB
自然食品みたいですね。
自然DBなんてないですね。
自然にDBの話を入れたいって言いたかったんだと思います。
いまだに、DBの話はほとんど出て来てません。
湯二
fooさん。
コメントありがとうございます。
>更新が早かった
先週は火曜と金曜に出した後に、また今週火曜も出したので間が詰まって更新が早く見えてるみたいです。
話がたまってきたり、間隔を詰めたほうがいいと思った時は金曜も出してます。
闘魂注入されたわけではありません。
作者以上に色々想像してくれてありがとうございます。
それにしてもだいぶ現実離れして来たな。。。
匿名
犬に激似の猫ではなく、猫に激似の犬を猫だと判断するのではないでしょうか?猫ではないと判断しても犬とまでは判断しないと思います。犬のデータは学習していないでしょうから。
湯二
匿名さん。
コメントありがとうございます。
>猫に激似の犬を猫
>犬とまでは判断しない
なるほど。
猫だけ学習して犬の学習データが無いAIは、犬に似てる猫を、犬と判断は出来ないですね。