ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

大竹ツカサのナラティヴ (7)

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 2009 年2 月。
 「えー、まだできてないんですか」
 岩名ユウコの苛立たしげな声が、大竹の耳まで届いた。岩名が詰め寄っている相手は棚橋だった。
 「ああ、すまん」棚橋は頭をかきながら謝った。「思ったよりピッキングのデフォルトロジックが複雑でな」
 「こう言ったらなんですけど、そんなの言い訳にならんのじゃないですか」
 「......言い訳をしてるんじゃないんだが」
 「おい、岩名よ」小林が口を挟んだ。「お前、先輩に向かって......」
 「うっせえ、バカ」岩名は小林に指を突きつけた。「あんたは自分のタスク、さっさと進めなよ」
 大竹は話していた東海林に断ると、早足でマーズネットチームの席に急いだ。周囲のプログラマたちの顔には、迷惑そうな表情と面白がるような表情が浮かんでいる。
 「あまり大声を出すな」大竹は岩名と棚橋の間に割り込んだ。「どうしたんだ」
 「棚橋さんが担当のPRD004L のロジックがまだアップしてないんです」岩名は怒りの表情で訴えた。「先週ですよ、棚橋さんに頼んだの。それないと、こっちのテストが進められないじゃないですか」
 「棚橋さんはタスク抱えすぎなんですよ」小林が取りなすように言った。「昨日だって......」
 「そんなの理由になるか」岩名の矛先が小林に向けられた。「やれるって言って引き受けた以上、ちゃんとやるのが普通じゃないの? できそうにないなら、最初から言ってもらわないとさ、結局、周囲に迷惑かけるだけなんだよ。そんくらいわからないかなあ」
 「その通りだ、すまん」棚橋が消沈した声で言った。「今日中に必ずアップする」
 「どうかしましたか」
 いつの間にか近くに来ていた諸見が、笑いをこらえるような顔で声をかけてきた。岩名はパッと顔を明るくして諸見に向き直った。
 「あ、聞いて下さいよ、諸見さん」糖分を多めに入れた声で岩名は言った。「また棚橋さんが遅れたせいで、こっちの結合テストが進められないんです」
 「そうか」諸見は頷き、笑みを浮かべた。「少し早いがランチに行こうか。話はそこでゆっくり聞くよ」
 「いいですね」
 諸見はニヤニヤしながら、岩名の肩を抱かんばかりにドアの方に向かったが、ふと足を止めて肩越しに言った。
 「マーズネットさん、オンスケじゃないのは御社だけですよ。もう少し真面目にやってもらわないと困りますね」
 周囲の社員や常駐しているベンダーの足を止めるのに十分なボリュームの声だった。大竹は無言で頭を下げたが、諸見はすでに岩名と歩き出していた。去り際にちらりと振り向いた岩名の顔には、隠しようもない優越感がにじみ出ている。
 「岩名のやつ、すっかり諸見のオキニですね」
 小林は舌打ちしたが、非難しているというより、「あいつ、うまくやりやがって」という含みがあることを大竹は知っていた。そう考えているのは小林に限ったことではない。マーズネット内でも口実を設けて諸見とコンタクトを取ろうとする社員が後を絶たなかった。特に営業部の受託開発担当チームは必死だった。受託開発受注の落ち込みは大きく、開発部に限定した人員削減案まで、公然と口にされるほどだ。実際、予定していたプロジェクトが頓挫し、社内で無聊を託っている開発部の社員は少なくなく、何とかサガラ電装案件に加えてもらえないかと、大竹に直談判してきた者もいた。
 大竹はこみあげてくる嫌悪感を隠し、仕事に戻るよう小林に指示した後、棚橋の席に向かった。
 「製造パッケージか」大竹は隣に座った。「見せてみろ」
 「すいません」棚橋は疲れた声で答えると、ソースを表示した。「ここなんですが」
 大竹はソースに目を走らせた。大竹自身は常駐しているわけではないが、請負契約なのでメンバーの作業を管理するという名目で、数日おきにサガラ電装に足を運び、進捗会議などにも参加していた。実装の現場からは遠ざかっているが、コードを読むスキルは意識して維持するよう心がけている。
 「かなり複雑になってるな」大竹は仕様書とコードを見比べながら言った。「製造指示の部品リストってマスタから持ってくればいいはずなのに、なんでこんなロジックかましてるんだ」
 「さあ......」
 「あ、それですね」後ろから東海林が言った。「先週、キヨドメさんが変更版を落としてきたんです。後追いで製造指示に変更が発生した場合を考慮して、ということで」
 「後追いで変更?」大竹は訊き返した。「そんな要件ありましたか?」
 「私も疑問に思って調べてみたんです」東海林は声を潜めた。「要件定義の段階では確かに上がってたんですが、過去5 年で一度もなかったので、要件定義書の検収時点では削られてました。それを復活させたんです」
 「サガラ電装さんからの要望ですか」
 「いえ」東海林は躊躇った。「実は、キヨドメさんからの提案によるものです」
 東海林の説明によると、二次開発の詳細設計のレビューの際、レアケースとはいえ、今後、発生しないとは限らないので、二次開発で組み込んでおくべきだと、諸見が提案したとのことだった。どうやら諸見は、過去の議事録全てを遡って調べ、削られた要件を発見したようだ。
 「あの人も」東海林は苦笑した。「サガラ電装の業務に精通しているのは確かですが、もう少し、開発側の状況を考慮した提案をしてくれれば、と思いますよ。エンドユーザが不要と判断したものを、わざわざ作る必要などないです」
 「余計なことを」大竹は唸った。「それで、サガラ電装側は了承したんですか」
 「ええ」東海林は肩をすくめた。「追加工数なしで、ということだったので。そりゃサガラ電装側が断る理由はないですよ」
 事情を知らない第三者から見れば「いいシステムを提供したい」という受注側の熱意に見える。機能的に充実するのであれば、顧客側が拒否する理由は全くない。さぞ、諸見の株が上がったことだろう。大竹にしてみれば、立場を利用した嫌がらせのネタを、時間をかけて見つけ出したとしか思えないのだが。
 「そうだ、大竹さん」東海林が何かを思い出したような顔で言った。「ちょっといいですか?」
 「ああ、はい」
 「休憩室で。先に行ってます」
 大竹は了承すると、棚橋に向き直った。
 「ちゃんと寝てるのか」小声で訊いた。「また顔色が悪くなってきてるぞ。そんなもので無理矢理目を開けてるんじゃないだろうな」
 棚橋は大竹の視線の先をノロノロと見た。フリスクやミントガム、カフェイン飲料が転がっている。
 「2 時間ぐらいは寝るようにしてます」棚橋は弁解するように答えた。「元々、睡眠時間は少ない方なんですよ」
 「昨日も帰ってないだろう」
 「カードの切り忘れです」
 「昨日の帰りと、今日の朝の両方で切り忘れたのか」
 「......ぼんやりしてて」
 「土日も出てるな」
 「他の会社だって、土日、来てる人いますよ」
 「1 月と2 月の全部の土日を出勤している人は棚橋だけだ」大竹は指摘した。
 この当時、「過労死ライン」という言葉は、まだ一般的ではなかった。前年の2008 年に、厚生労働省から「脳・心臓疾患の認定基準の改正について」が発表されたが、一般の労働者に認知されるのは、いくつかの悲惨な実例が報道されるようになった後だ。
 「これぐらいの残業はこれまでもあったじゃないですか」棚橋はそういいながら、フリスクに手を伸ばした。「大竹さんだって、ぼくぐらいのときは、サビ残とかあたりまえだったんでしょ? 今は、残業代はちゃんと出るじゃないすか」
 「やりがいのある仕事に夢中になっていたからな。今、棚橋がやってる仕事に、やりがいはあるのか?」
 「そりゃ、もちろん......」
 「後輩の岩名に、あそこまで言われてだぞ」
 「岩名のことは責めないでやってくださいよ」棚橋は掌に出した数粒のフリスクを口に放り込んだ。「あいつだって自分の仕事をしてるだけなんですから」
 「こういう言い方はしたくないが」大竹は声を落とした。「諸見に媚び売るのが仕事か? 技術者ならスキルで勝負すべきだと思うがな」
 「みんながみんな、そうできるわけじゃないですよ。ユウコ......岩名はルックスがいいし、それをちょっとばかり利用したって悪いことはないっしょ。営業からだって、諸見との良好な関係を崩すな、って言われるじゃないですか」
 「棚橋」大竹はため息をついた。「お前、少し、自分のことを考えろよ」
 「考えてますって。こういうのも経験値ですよ」
 棚橋の言葉に、苛立ちが混じり始めていた。大竹は話を切り上げることにして、最後に付け加えた。
 「わかった。だが、自分の命を削ってまでやるべき仕事なんてないんだぞ。限界になる前に必ず手を挙げろ。わかったか」
 感謝の表情で頷く棚橋の肩を叩き、大竹はその場を離れた。休憩室に向かう途中で振り向くと、棚橋は熱にうかされたような表情でモニタを見つめ、キーを叩いていた。その顔からは、困難な作業に立ち向かう高揚感も、新しい知識を得る喜びも、全く感じられない。エアコンの効いた室内なのに、大竹の背筋に冷気が走った。
 昼休みの直前なので、休憩室にはほとんど人がいなかった。東海林は隅のテーブルに座ると、真剣な顔で切り出した。
 「私が口を出すことではないかもしれませんが、あれは、どう見ても棚橋さんへのイジメですよ。形としてはマーズネットさんへの割り当てなので、棚橋さんを狙っているのではないと言えるかもしれませんが」
 大竹は頷いた。諸見は岩名に対して、ドキュメント作成や、各種会議での書記係など、タスクにはない作業を次々に頼んでいた。そのせいで、岩名にアサインされるタスクは、かなり数を減らさざるを得ず、その分を棚橋が引き受けていた。棚橋の負荷が急激に大きくなっているのは、そのためだった。
 最近では岩名は諸見からタスク管理の一部を任せられてさえいた。一部、というのは、マーズネットの担当分という意味だ。諸見の負荷軽減が目的であり、マーズネット分に限定しているのは、メンバーのスキルを理解しているから、というのが表向きの理由だった。結果として岩名は、諸見がやっていた方針を再現していた。それは難易度が高いタスクを選んで、棚橋に「お願い」することだった。
 「たとえばですが」東海林は言った。「キヨドメの方に抗議というか、状況を話してみてはどうでしょう。諸見さんではなく、その上司の方にとか」
 それは大竹の頭に何度となく浮かんだ考えだった。キヨドメ情報システムズのサガラ電装担当者は、諸見以外にもいるのだが、常駐しているのは諸見だけだった。サガラ電装の社員に諸見が命令するわけにはいかないので、常駐しているベンダーの誰かにアシスタント的な役割を頼むのはわかるが、特定の人物を選ぶのは、開発現場の指揮者として正しいとは言えないだろう。実際にスケジュールにも影響が出ているのであれば、諸見のベンダーコントロールに偏りが生じている、との主張に説得力を持たせることができる。
 だが、大竹に限らず、開発部門が元請けに対して、直接苦情を伝えたり、改善を申し入れることは、マーズネットの社則で禁じられていた。これは数年前、開発部の課長が営業を通さずに、元請けと単価交渉を行った例があったためだ。そのときは、最終的に請求金額の認識違いから、法的トラブルにまで発展しかけた。以来、元請けとの交渉は、純粋に技術的な問題に限定されている。
 もちろん現実問題として、そのルールが厳守されているわけではなかった。いちいち自社の営業を通していては、円滑なコミュニケーションなどおぼつかない。実装チームのリーダーが元請け担当者と良好な関係を築いている場合など、直接交渉によって実装現場の効率を上げたり、待遇を改善させたり、といったことは日常茶飯事だ。しかし今回のような状況では、苦情を申し立てることになる。その結果がどうあれ、その行為はいずれマーズネットの営業部の知るところとなるだろう。そうなれば、営業部が黙っているはずがない。特に今は、キヨドメ情報システムズとの関係を良好なままに保っておきたいのが、会社の上層部と営業部の統一見解なのだから。
 大竹が謝意と共に、その事情を話すと、東海林は理解と同情を示した。
 「どこも似たような状況ですね。うちは幸い、いくつか継続案件があって食いつないでますが、同業他社の中には倒産したベンダーもあります」
 ただ、と東海林は続けた。
 「このままだと、棚橋さん、確実に潰れますよ」
 「3 月末まで何とか持ってくれれば、と考えているんですが」
 二次開発は3 月末にカットオーバーの予定で、今のところマーズネットの担当分が多少遅れているぐらいで、順調にタスクが消化されていた。営業にはすでに次年度以降も、継続して保守開発にあたってほしい旨の打診が来ているらしいが、大竹は今度こそ、拒絶する決意を固めていた。最悪でも棚橋だけは外す。どんな非難を浴びようが、それだけは断行するつもりだ。
 「それまで持ちますか」
 「何とか持ってもらうしかないです」大竹は苦い顔で言った。「本人は大丈夫と言っています」
 「そう言いながら壊れたプログラマを、私は何人も知っています」東海林は悲しそうな表情で言った。「棚橋さんは優秀な方ですし、仕事に対して誠実に向き合っておられます。ああいう人材を失うのは、この業界にとっても損失だと思うんですよ」
 「三月末までです」大竹は繰り返した。「その後は強制的にでも休みを取らせます」
 東海林は懐疑的な表情になったが、それ以上は意見を言うこともなく離れていった。
 オフィスに戻った大竹は、昼食を取る気配もない棚橋を見やった。棚橋本人も、3 月末までの辛抱だ、と考えているに違いない。あと二ヶ月弱。四次元ポケットがあるなら、迷わずスピード時計をつかみ出して作動させたいところだ。
 残念ながら、大竹の希望的観測はかなうことがなかった。

 (続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

Comment(22)

コメント

名無し

次回「棚橋死す」デュエルスタンバイ!

匿名

おねがい、棚橋くん!もう止めて!

匿名

こうなると大竹もかなり悪いな。
これで今、技術職はやめろと言ってるんならお門違いだ。

匿名

悲劇が起こるのは確定なので現在編に戻ってからのイノウーの活躍を座して待つのみ。(血涙

匿名

月曜の朝からなんちゅうもん読ませてくれるんや・・・(でも読む)

匿名

大竹専務が転向するのは既定路線として、
せめてモロやんが何らかの報いを受けてくれるよう願うのみ…

そしてイノウー君は一連のナラティヴを聞いてもなお
プログラマであり続けたいんでしょうな。

じぇいく

棚橋・・・、逃げ出してもいいから生きてくれ。

ふぇんみん

10年前に似たような状況で最悪の結末を迎えたエンジニアいましたが、一部の人間しか知らない会社の闇とされました。棚橋さん、お願いですから生きてください。

匿名D

棚橋自身もなんとかしろよ、と言いたいところなんですが。
理屈の通るような相手じゃないんだし。
ブラックな環境にいるというのは、こういうことなんでしょうか。
リーマン不況のさなかということもありますか。
あの頃、正社員ならなんとしてでも会社にしがみついておけ、
というような記事を読んだ覚えもあります。


大竹専務については、このままの流れでは
「諸見みたいになりたい!」でしかないのですが、
そのへん、どのように見せてくれるのか。
会社の創設者4人組を含む執行部を一人で掌握しているようですが、
棚橋氏の取り扱いが関係していたりするのでしょうか。
伊牟田グチとか夏目とか、もろに詐欺案件を踏んでいる連中を
どのように正当化してくれるのか、期待しています。

匿名

「後輩に岩名に、あそこまで言われてだぞ」
→「後輩の岩名に、~」でしょうか?

諸見は棚橋に万が一があったらどういう反応を示すんだろうか・・

匿名

大竹さんがあかんのやんコレ

藤井秀明

当時の状況も理解し切れてる訳でもなく、無責任な立場から誰が悪いとか言いたくないのと、仮に大竹専務を断罪出来たとしても何の意味も無いんですよね。
「そんな悪い奴が上に居る会社でシステム開発をするのは無理だろう?」と持論を補強するだけにしかならないので。

匿名

諸見の人間性に問題があるのは間違い無いけど
大竹の対応にも問題ありすぎでしょ。
こんな上司の下にはつきたくないもんだ。

匿名

モロやんも粉々に吹っ飛ぶ悲劇が待ち受けているのかもしれない

匿名D

諸見氏の末路には期待できないかな。
作者殿は、そういうミエミエの迎合はなさらないし。

匿名

東海林さんの神通力も他社までは波及できないからな

藤井秀明

そういえば、ここまでの専務は即断即決出来てないシーンの方が目立つ気がしますね。
今回の件に後悔した結果、即断即決で動くようになったということなんでしょうか。

リーベルG

匿名さん、ご指摘ありがとうございます。
「後輩の」でした。

匿名

現代のキヨドメ、諸見、岩名、小林はどうなってるのでしょうね。


マーズは、エースと合併と言う事はキヨドメよりは社格が上に?
大竹さんの執念による結果でしょうか。


諸見も岩名も小林もアラフォーですか。
諸見は分かりませんが、岩名は大竹により閑職に追いやられてたりして。

JO

>マーズは、エースと合併と言う事はキヨドメよりは社格が上に?

合併ではなく事業統合で見たところ傘下に入ったような感じなのでそれほど立ち位置は変わってないのかもしれませんね。

匿名

モロやんにしても、サガラ電装案件以外で調整力を発揮できるとは思えないし、
ほっといても自滅しそうではあります。
岩名や小林に至っては開発もマネジメントも半人前。マーズ業績悪化とともにリストラされるか?

粉雪

こういった分かりやすくパワハラをする人たちは、なぜ「自分はホームから突き落とされない」「自宅に火をつけられない」「家族に危害が及ばない」と信じていられるんですかね。
運が悪いと騒音程度でも隣人に恨まれて殺されるような世の中で、恨みを自ら上乗せして確率を上げていく人は何をどう考えて行動しているのか興味があります。

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