カナダの暮らし、現地IT企業でのエンジニアライフを紹介。

それでも普通においしいものを食べ、テレビの娯楽番組を見て笑ったりもする

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 日本の震災のニュースは、すっかり鳴りを潜めてしまった。

 海外での報道とはそんなものなのかもしれない。発生後2日ぐらいは連日トップニュースで被害状況が報じられていたけど、放射能漏れのニュースがすぐそれに取って替わってしまった。現地の窮状を世界の人々に知らせることが報道の使命なら、それはまっとうされていないように思うが、そう思うのは自分が日本人だからかもしれない。世界中のいたるところで、今まさに餓死しようとしている人は大勢いるのだろうし、世界にとっては、困っているのは日本だけではないので、日本の窮状だけが報じ続けられる訳もないのだろう。

 その観点から言えば、赤十字など国際機関への募金が、他の地域に回されずに必ず日本に届くかどうかを気にする自分もかなり利己的なのかもしれない。そもそも日本でなかったら募金しようとは思わなかったのだから、元来利己的なのは動かしようのない事実であり、その点は完全に開き直って、日本を優先させたい自分がいる。

 日本国内のニュースを見ると、世界における日本の立場が特別なように錯覚してしまう。世界中が日本を心配してくれて(それは事実に違いないと思うが)、日本人の対応に感心してくれてもいる、という話題をよく見かける。どさくさの中で略奪が起きないのは素晴らしいとか、道路の補修が迅速なのに驚嘆したとか、ほんの一例である。それらは、同じ日本人として誇らしく思えもするが、海外にいて、日本を意識した生活をしていないと、伝わってこない話題だ。

 いつの間にか勝手に増えたFacebookの友人(知らない人も多い)の書き込みも、日本の状況に言及している人はほとんどいない。そのことを咎めるつもりは毛頭なく、震災直後から普段どおり楽しく日々の出来事を綴る書き込みに違和感を覚えてしまうこと自体、利己的なのだろうと思う。

 先日、震災から2週間たって突然、My prayer to Japan(日本へ祈りを)と書き込んでくれた人がいたが、その書き込みにすかさず、They don't deserve that!(日本人にそれを受ける資格なし!)というコメントが付いていた。どこの誰だか知らない人だが、プロフィールを見ると、熱心なクリスチャンのようだった。

 想像だが、日本人が一般的に無宗教と言われていることがコメントの背景にあるようだった。いくら宗教観の隔たりがあっても、テレビのニュースで被災状況を見たら、そんなコメントは書き込めないのでは、と思ったりするが、先に述べたとおり、震災後すぐに話題の中心は放射能漏れに完全に入れ替わってしまったし、それさえ今は扱いがかなり小さくなったので、日本のニュースをよく見てない人がいても全然不思議ではない。

 それどころか、なぜ日本に募金する必要があるの? という話題がけっこう巷に溢れている。ネットで検索すれば、そういうディスカッションはいろいろなサイトで行われているし、電車の中でそんな世間話が聞こえてきたという人もいるので、そんなふうに思っている人は意外に多いようである。そんな意見の大半は、日本は裕福な国だからお金を送る必要はない! というのが主旨のようだ。

 そう考えるのは個人の自由だが、インターネットで大衆にそれを呼びかける人がいるのは不思議だ。やはり津波の爪跡をテレビで見たら、そう思っても、インターネットには書けないと思うのだが。

 いちおう断っておくと、誰もが日本に冷淡というわけではない。日本で報道されているとおり、日本を心配して応援してくれる人もかなり多い。個人的には、日本人だという理由だけで、震災以来、数限りないお見舞いの言葉をいただいた。ずっと音信が途絶えていた元同僚などからも突然メールが届いた。自分はカナダにいて、何も関わっていないので、非常に申し訳なくなる。

 それでも普通においしいものを食べ、テレビの娯楽番組を見て笑ったりもする。だって普通に生きていかなければしょうがないだろうと自分で自分に言い訳もする。できることは、遠い昔の戦争や原爆などもそうなのだけど、今起きている災害についても、心のどこかで常に忘れずにいることなのだと思う。

 本当は震災については何も触れずに、新しい記事を更新しようとずっと思っていたのだけど、結局、他に何も書けなくて、書かないと先に進めない気がしてしまった。

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