言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

書き捨てプログラマー

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開発という分野もそろそろ衰退するのではないかと思っています。なぜなら、現代はサービス過剰な世の中でです。普通の人が思いつく「こんなものあったらいいな」は、おおよそ誰かがサービスとして立ち上げています。そんなサービスが飽和している世の中で、新しいサービスを立ち上げたところで大したインパクトはありません。また、PC上で動くソフトも、ほとんどの人がExcelとブラウザしか触りません。定番ソフトが強くなりすぎて、フリーソフトを書く人もめっきり減ったし、ヨドバシのソフトウェアコーナーに行っても、セキュリティーソフトと一太郎が山積みになっているだけです。

エンタープライズ系の用途を見ても、おおよそシステム化されて、新規開発の案件はほとんど見なくなりました。なにかと「現行踏襲」です。新規でソフトウェアを書く機会は、自分で作らないと得られません。仕事ではスキルアップが難しくなってきているのではないかと思います。そもそも、集団でプログラムを書いていると、自分の思うような工夫を気軽に盛り込めません。技術云々を考える余裕もないので、声のでかい人の都合ばかりが通ります。忠実に職務をこなしているほど、消耗してスキルアップの機会を逃しているように思います。

単に「人が喜んで使ってくれるシステムをプログラミングで書く」という行為は、社会のニーズに合わなくなっているのではないでしょうか。自分で書かなくても、GitHubを見れば、おおよそ自分と似たようなことを考えてる人がコードを書いています。最近、自分でコーディングしているのは、人の書いたコードを検証するときに使うテストコードです。自分で一から書かなくても、誰かの書いたコードを修正できる方が、仕事にも役に立ちます。また、一からコーディングするにしても、人のコードを読み解けるようになってからでも遅くはないです。むしろ、効率よくスキルアップできるかもしれませ

これからの時代は、創るための技術よりも、調べたり修正するための技術の方が必要とされます。数十行程度のコードでデータという結果が得られれば、それが実現できます。使いまわせるコードを追究するよりも、パターンだけ確立させておいて、その都度リアルタイムコーディングして結果を得る。プログラミングにはそういうスタイルもありかと思います。私はこれをインフラエンジニアの立場でやっています。インフラエンジニアがコーディングをできても大した利益はありません。しかし、情報収集や集計にコーディングを使えると、複雑なデータや大量のデータを効率よく捌けるので、大きな利益があります。

使いまわしという発想を捨てると処理の内容に集中できます。短いコードは、使いまわすより書き直す方が早いです。何度も書き直していると、たまなに「!」という瞬間があります。そういう時に新しい手法が身についたりします。何度も使うものを書き溜めておくと、管理の手間がかかってきます。管理の手間も併考えると、パターンを覚えて都度書き直すのと、手間的な差はあまり大きくありません。それぞれのスタイルがあるので、この書き捨てのスタイルにも、合う・合わないがあるでしょう。ただ、書き捨てのスタイルの方が、今の世の中のニーズに合っていると感じています。もしくは、インフラエンジニアにあったコーディングのやり方なのかもしれません。

Comment(1)

コメント

おたみ

>調べたり修正するための技術

個人的には、戦後~高度経済成長期にかけて、日本という国が強みを発揮した部分ではないかと考えます。
なので日本にとって追い風になればいいなぁ。。。と思います。


問題はデジタルになった分、「実物をばらして調べる」やり方が通じにくくなっている点でしょうか。。。


地道に作り上げていくよりも、既存のものを組み合わせて素早く目的を達成することが求められる時代。
そういう実感は確かにありますね。


- Horus -
実のところ、幕末も似たような閉塞感に満ちたマンネリな時代があったらしいです。そう考えると、周期的に今みたいな時期が来るような、サイクル説もあります。

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