言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

トップに立つ人間を引きずり落とすのに専門知識は有効なのか?

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車の自動運転のテストが行われ、AIサービスが提供されているこのご時世でも、経団連のトップの部屋にパソコンが無かったり、大臣がパソコンを使ったことがないとニュースになっています。ITエンジニアの一人としては「こいつらそのポストにいる価値はない」は思いますが、逆にそんな人だからそういうポストにいるとも思っています。

・・・と、手塚さんの書かれたコラムを元に少し角度を変えて考えてみました。個人的にはトップに必要なのは技能や知識ではなく覚悟だと考えています。「後ろから拳銃で撃たれるかもしれない」くらいの緊張感と「部下に刺されても恨まない」くらいの寛容さはあってもいいと思います。トップとは安住の地ではなく自分が試され続ける戦場です。

そもそも、「お給料がいっぱい貰えるから」「偉くなりたい」程度の感覚でトップに立つべきではありません。トップである以上、人に辛い決断を迫ることもあります。選択を間違えれば人を路頭に迷わせてしまうこともあります。組織を運営する以上、人に恨まれても仕方ないことをしてしまうこともあります。トップに立つならそのような理不尽を埋め合わせる要素を持ち備えている必要があります。

そういう資質を持ち備えていないトップに対しては、躊躇なく下克上をすればよいかと思います。安住しきった豚みたいなのがトップに立っていると組織が衰退します。トップに立って責務を全しよういうのなら、下克上するくらいの元気があるくらいでちょうどいいです。コラムのテーマとしては、この下克上を実行するにあたり、専門知識が必要かどうかです。

下克上に必要なのは人をまとめる力です。専門知識は決め手になりません。必要なのは、要求に対して理由と根拠を整理して適切に返答し実行する力です。あとは、エゴに流されない心の強さでしょうか。能力云々の前に、人のことを考えられない人間にトップに立つ資格はありません。エゴに溺れたトップは、もっとバシバシと淘汰された方が世の中は良くなると思います。これが私の本音です。

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